8月15日に生まれて
2024年版
去年脱サラして、一年ちよっと世間的には連休最終日なのに、三重県亀山のホテルのラウンジで飲んでいる。
明日はまあ休みなので。
日頃は丸一日休みという日はあまりないが、やはり自分にはそれがいいペースかも。
とはいえたまには気分転換も必要か。
今年気になったのはこちらの記事。
卓球・早田ひな、「知覧特攻平和会館に行きたい」発言に称賛の声 女子マラソンの鈴木優花は2月に来訪(中日スポーツ)
#Yahooニュースhttps ://news.yahoo.co.jp/articles/d6770f441d283f4ad433c96560c5553a437905f0
20歳のメダリストの女子の発言としては、
今までにないことなので、ざわついてる。
まず、学校教育ではよほど特殊な環境でなければ教わらないこと、おそらくつなぐ縁があったとは思う。
しかしあえて、ちょっと考えてみたいのは、
知覧でも、靖国の遊就館でもいいのですが、そこに置かれてる展示物を見れば、胸をしめつけられる。
が、英霊の方々がなぜそのような行動をしなければなかったのかと考えてみたい。
普通戦時であっても、いわゆる作戦として特攻を選択するような状況はもはや、戦争を継続する段階ではない。
そもそもだが、終わらせる見積もりなしで開戦してしまってるので、どうしよもないといえばそれまでだが。
ではどうすればよかったか、昭和元年の時にあと20年したら日本のほとんどは焼け野原といったら頭おかしいといわれるでしょう。
なのでそこから20年の間に多くの間違った選択をしてしまった。
その間違いは、通説で言われているような、帝国主義的な侵略戦争をしてしまったなどと、簡単に語れることではないということは、りかいできた。
かといって英米の侵略的圧力に対する抵抗と対峙したと、そういう側面もなくはないが、これもそれだけで語れることはない。
特攻の話に戻れば、いって命をかけた方々には、感謝の念しかないが、行かせるように仕向けた指導者の責任に関してはしっかり追求しないと、また形を変えて大きな間違いを起こす、予兆が出ているようで、仕方がないと感じる今日このごろですね。