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無駄な人間関係には時間を割かない主義。

私は昔虐められた経験から
他人の目を気にするようになり、
「人に嫌われたくない」という思いや
対人恐怖症まで患い27歳まで生きてました。
合わないと感じる方とも仲良くなれるように仕事の共有や話し方など模索したりと
労力はかなり使いますが、そのお相手から
「他人から話しやすい・接しやすい」と思われると
疲れも吹っ飛びますし、
認められることが自分の価値であり生きやすい方法だと思っていたのです。
今から考えると凄くお馬鹿なことをしていたと考えます。


以前、アラフォーの社員さんといざこざがありました。
私は当時八方美人であり、仲良くしてきようとしてきた社員さんと「一緒のフロアだし仲良くしとれば得するだろう」と損得勘定で接していた結果、
お相手の社員の方が距離を詰めて接してきてしまい
私の心が疲れ第三者をいれて距離を取ったことがあったのです。
(詳しくは下記の記事に書いています。)

第三者を入れたことにより物理的な距離は取れたのですが、お相手の社員は「上司を私情の喧嘩に挟むなんてなってない」と二人きりの際に批判され
正直うんざりしました。

それからは考えが少しずつ変わったのです。
自分の自己反省をせずに他人のせいにする方とは
関わっていてもマイナスな事しか得られない為距離を置きました。
同じフロア勤務の為
姿を見る度に心がざわつくことがありましたが、
別の部署同士の為わざわざ関わることもなく
離れたことでやっと心の整理がついてきたのです。
「誰からも嫌われたくない」と欲張りな私は
心からいなくなり、
好きな人と関わって、嫌いな人とは最小限の接触で済まそうと考えが変化しました。


しかし、ある日のこと。
別の社員に私との喧嘩について吹聴したらしく、その別の社員の方と話す機会があった際に
「プライベートはプライベート、職場は職場と割り切らなければだめよ」と叱責されました。
私は思いました。
「は?」「お前の考え押し付けんじゃねえよ。」と。


例えばのケースですが、
職場が合わなくて精神が病んでしまいそうなケースの場合その職場から離職して自分に合う場所を見つける一種の方法があります。
職場がチーム戦の場合、
得意な業務を自身が受け持ち、
苦手な業務はその業務自体が好きな方に渡した方が
プロジェクトが円滑に進みます。

人間関係は合わないからと逃げたらいけないのでしょうか。そのまま心が病んでしまってもその職場は責任を取りません。
苦手な人を好きになる労力の方が
得意なことを活かす業務だけやるより時間と根気が必要です。
得意を活かした方が良いアイデアですし、
その為にチーム戦があると思うのです。
皆仲良く足並み揃えての環境は学生だけで十分であり、社会人になってまでそのようなことに時間を割く必要はありません。
自分の人生が一番大切だからです。

精神科の主治医の助言で
「合わない人とは第三者を入れたほうがベスト」というお言葉がありました。
第三者を入れたほうが二人で話すより証拠人となりますし、俯瞰した視点の意見を得られます。
苦手なものや人とは距離を置き、
自分の時間を作ったほうが人生の満足感も得られやすい、走馬灯で「あの人嫌だったな」と思うこともなくなります。
人生一度きり、主治医のお言葉を胸に
今日も得意なことに注力し、
嫌いな人には最小限の接触で生きています。

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