46.どうあれ盆に返らず
心が壊れる、というよくある表現があって、僕のイメージでは薄いガラスの板を高いところからぽいと投げて、がしゃんと割れてしまう映像でした。
それの破片がまた尖っているものだから別の人を傷つける要因になって、その痛みで驚いた拍子にその人がガラスを落として、割れて……というループが発生しうる。みたいな。
ガラスの十代の歌詞みたいな印象が刷り込みみたいにあるのか分かりませんが、僕はずっとそういうイメージでした。
けれど別の人が「心が軋む」という表現をしているのを見て、その人の中では心というものは結構しなりというか弾力があるものなのだろうか? と思って訊ねてみた。
その人が言うには、心の質感を例えるならがサイリウムライト近いらしい。
手首に巻きつけるタイプのあれ。
思ったよりしなるようで驚いてたら、そうやってまだいけるまだいけるって思って軋ませてると突然ぽきりといってしまうんですけどね、と言われて「ああ! 心が折れるってそういう!」みたいな場違いなテンションの返事をしてしまった。
僕の中で心は壊れるもので、その人の中では心は折れるものなんでしょう。
不思議なもんです。
まぁ、でも、どっちも不可逆なもんですね。粉々のガラスも真っ二つのサイリウムライトも。
優しい人が優しい人同士でだけつるめる世間であればええのになぁ。