ヨルシカ「斜陽」考察
ヨルシカの「斜陽」を私なりの解釈で考察してみました。
短い文章ですので是非最後までご覧ください!
「斜陽」考察
この曲の題名にもなっている「斜陽」は、少年の心中を象徴的に描き出している。「斜陽」とは西に傾いた太陽を指すが、同時にその太陽が沈んでいく描写から、勢威や富貴が衰亡に向かっていることをも意味する。つまり、「斜陽」という言葉を通して、少年の恋の終焉とその心の揺らぎが象徴的に描かれているのだ。
太陽は、少年を励ますかのように力強く光を放つ。しかし、気持ちの整理がついていない少年にとって、その光はまだ眩しすぎて、思わず目を背けてしまう。少年は恋をした相手が自分を受け止めてくれることで、自分自身を愛せるようになると思っていた。しかし、その相手はいつの間にか、少年にとって「高く成った葡萄」のように、手の届かない存在になっており、少年はその事実に途方に暮れる。この恋の儚さを、届きそうで届かない「葡萄」に例えている描写が切なくも美しい。
最後のサビ前のCメロでは、失意の底にいる少年を励ますかのように、斜陽が静かにその道を照らしている。少年は斜陽に導かれるように前を向き、走り出す。しかしその先で、斜陽に照らされながら微笑む失恋相手の姿を見つけ、恋の終わりを改めて実感するのだった。