何を優先するか。それが問題だ。

年明け1/3に記事を投稿してから早1か月。
自分のペースでのんびり書く、ということをルールにしてやっているので、
更新がホントに気ままなのですが、それは許してください。
(誰に許しを乞うているのか)

私の大好きな推しバンドが20周年を迎える今年、
既に決まっているFC限定ツアー、リバイバルツアー、詳細は後日発表の記念ライブと、
とにかく今年は忙しくなるだろうなぁ…と背筋の凍る思い(主に金銭面)で状況を見ているのですが、
ここまでお知らせが多いと、何を優先するかが問題となります。

そりゃ、行けるんなら全部行きたいさ。
5月は特にフェス出演のお知らせがどどどどっと来ている。
日刻みだ。今日はここの空の下、明日はあっちの空の下みたいな。
お金と時間に相当の余裕のある富豪でもない限り、
彼らの背中を完璧に追うことなんてできない。

私にだってなけなしの生活があるのですよ。
稼がないことにはグッズは買えないし、ライブには行けないし、
行った先でおいしいものは食べられないし、いい宿には泊まれないし。
今日も机の前で、しこたま書類と格闘しながら日銭を稼ぐ。
生活と趣味を両立するのはホントに大変だし、辛い。

そんな中、同じバンドを追っている方たちの、
「複数公演入りまーす!」や「グッズこんだけ買いました!」などのコメントなどを見ていると、
正直うらやましいし、うらめしい。
自分の現状との差に。余裕のない自分の暮らしに。

まあもちろんその方たちも、
何かをあきらめたり、
何かを切り詰めたり、
何かを節約したり、
ある意味「犠牲」は払って勝ち取っているものなのだろうけど。

これは私の性格(物事の捉え方?)によるのでしょうが、
どうしてもうらやましく、悲しくなっちゃうんですよね。
「隣の芝生はなんとやら」です。

彼らを追う、応援すると決めた時点で、自分に課したルールがあります。
それは「他人と積極的に繋がらないこと」です。
これは以前やっていた推し活(サッカーでしたが)で学んだことです。
誰かと争うように推し活しても楽しくない。
誰かと比べてしまう自分がいるなら(認識しているなら)、
誰かと比べてしまうような状況を作らなければ良い。
そう思ったんです。

友達が欲しくないわけではありません。
ライブにぼっち参戦した時のさみしさと言ったらありゃしない。
でも、私は、
「誰かと共有することで生まれる辛さ」よりも
「誰とも共有できないさみしさ」を選んだわけです。

以前やっていた推し活では友達がたくさんできました。
今でも仲良しの友人は(少ないですが)います。サッカーも好きです。
(最近は海外サッカーにハマってます。プレミアとかラリーガとか)
でも、みんながみんな、私に好意的な思いを向けてくれていたわけではない。
利用しようとしたり、嫉妬の対象になったり、ある時は攻撃の対象になったり。
そういうことに少し(どころかかなり)疲れてしまったんですね。
推し活をフェードアウトした時、もうこんなに入れ込むことなんてないだろうな、こんな思いはもうごめんだ、と思いました。

でも彼らを見つけてしまった。
素敵な、とても素敵なバンドだから、ずっと推していたい。
できればライフワークにしたい。おばあちゃんになっても追っかけていたい。葬式では私の好きな曲を流してほしい。(およそ葬式に似つかわしくないサウンドですが笑)
だから前回のような過ちは絶対にしない。
そこで考えた自分を守るためのルールです。

まあこれからも、みんなでワイワイ楽しそうにやっている隣を、
じめっとした雰囲気でぼっち参戦するわけですが、
楽しむのは音楽だし、バンドの人と成りだし、
他人と共有できなくても、心の中の「イマジナリー私」と共有できれば良いかな、と。

趣味の楽しみ方は人それぞれ。
自分の人生のQOLが高まれば、それでよい。
それは他人の不幸やみじめな思いの上に成り立たなくてもよい。
自分が幸せなら、それでいい。
そのための優先順位を間違えてないでいたい。

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