あなたの殺意が欲しいから

あらすじ
人間の感情の発露に際して溢れ出る魂を喰らう化け物、岡芹静。彼女を憎み殺したいと願う高校の数学教諭、加藤里奈。殺したい人と、殺したいという感情を食べたい化け物が自己利益を求め奮闘する。



 そろそろお腹が空いてきたな。参考書から顔を上げて時計を見る。時刻は17時47分。下校時間前最後のチャイムが鳴る前だ。もう少しで部活終わりの幾人かが教室に荷物を取りに来て教室が一日の最後のにぎやかさを取り戻しそれに合わせて支度を始めるのだが、今日はいつもより早く集中が切れてしまった。さりとて支度を始める気にはならないしどうしよっかなーと思ったところで後ろから声をかけられた。
「岡芹さん、今日はもう終わり?よかったら一緒に帰らない?」
「澪君。ごめん、私用意まだだからさ、待たせちゃったら塾遅れちゃわない?」
「そっか、じゃあお先に。また明日」
そう言って彼は爽やかに去っていった。成績も人柄も申し分のない彼の誘いに乗るのも悪くはないのだが、今にも鳴き出しそうな私のお腹を放っておくことはできない。
部活終わりの生徒が戻って騒がしくなった教室で私は準備を整える。
「こ~らぁ、下校時間になるぞー」
「はーい、里奈センさいならー」
投げかけるように挨拶しながら走り出ていく数名と入れ違いになりながら先生が私だけが残った教室に入って
鍵を閉めた。
「おまたせ。死んで」
そうして里奈先生はあたしに向かって引き金を引いた。

初撃は決して躱さない。最初にそう伝えたにも関わらず貴女は律儀に早撃ちを続けている。銃撃に限らず至近距離からの刺突とかでもよける気はないのに。勿体ないっともう銃弾が着弾する。右目から頭蓋骨の中に入った弾丸は後ろの壁まできれいに抜けていきそうだ。脳味噌が削られていく勢いにそんなことを思う。そういえば人間の脳味噌には痛覚を感じる神経がないって話だけど頭に入った銃弾の感触って感じることができるんだろうか。一方で貴女は早撃ちから流れるようにナイフを抜いて前傾姿勢で一気に距離を詰めてくる。きれいな動きだ。確実にうまくなっている。しかし今日の私は左目のみだが視界は良好。鳩尾に突っ張り棒を立てるように足先を持ち上げつま先を倒す。いつもよりワンテンポ早いカウンターはきれいに入って貴女の身体が”く”の字に折れて持ち上がる。宙に浮いた彼女を尻目に右足を下ろしながら反転し左の後ろ蹴りをっと危ない、このままテキトーに蹴ったらまた骨を折ってしまうところだ。あれは辛かった。骨がくっつくまでのおよそ1カ月飢えをしのぐのに苦労した。ヒットポイントをずらして膝裏に抱え込むように挟んで机がクッションになるように投げ落とす。
「早撃ち、うまくなったね!でも眼球は狙わない方がいいかも。額にあたった時と違って抵抗が少ないから視界がぶれないね。その分早く正確に反撃されちゃうよ」
ここ最近は二撃目まで安定して入っていたから油断していたのだろう。いつもなら二三回は立ち上がる彼女が今日は立ち上がる気配がない。今日は短かったから食いでがないなぁ。
「ごちそうさまでした。では里奈先生、また明日」

私の名前は岡芹静、とはいうものの名前に大した意味はない。ただ前に喰い終わった人間から頂戴したというだけの物だ。私という存在が始まった時には私だけの名前があったはずだがもう思い出すこともできない。欲望に負け翼が黒く染まった時に失ってしまった。あなた方に分かりやすいように自己紹介をするならば私は堕天使の一人だ。とは言っても堕天使自体が恐らく想像とは大きく異なる物だろう。別に私は神に仕えていたり裏切ったりしたわけではない。ごく簡単に説明すると農園の管理をしているのが天使、そこに忍び込んだ泥棒が我々堕天使だ。好む食材によって悪魔だったり、サキュバスだったりと呼ばれているが本質は同じもの、あなた方人間の魂を喰らう化け物だ。天使としてまっとうに生きるならば生を謳歌し感情の記録で円熟した魂が、こちらに来れば一度に味わえる量こそ少ないものの生まれたての感情が乗った魂を頂ける。人間の言葉だと天使堕天使と大げさだが私たちの感覚としてはスーパーマーケットで食材を買っていたが、狩りや釣りなんかで生計を立て始めた位の感覚だ。ただし、それは堕ちた我々目線の話であり規律正しく暮らす元同僚にとってみれば我々は密猟者。故に初めの一口で裏切り者の証として翼は黒く染まり二度と白くは戻せない。
そんな私の最近のお気に入りがさっきの女、名前を加藤里奈。年齢は26で高校の数学教師。女性にしては高めな身長に澄んだ青い瞳が目を惹く美しい女。特に脚がいい。ただ細長いのとはわけが違う筋肉によって引き締まった脚が実に食欲をそそる。殺意の籠った魂の味は地上に降りてきた価値を感じさせてくれる。手塩にかけて育てていくのは初めての経験だが、順調に味は良くなってきているように感じる。人間に倣って表現すれば家庭菜園にでもあたるのだろうか。狩猟生活に身を堕としその上で始めることが家庭菜園というのだから人外といえども一生は予想外の出来事ばかりだ。
 

遠くにカラスの鳴き声が聞こえる。耳に届いていた音を認識したとたん意識は覚醒しそれと同時にあいつの張った結界が急速に力を失い消えていく。覆いかぶさる机をどけて上半身を起こす。押しのけられた机から大量の教科書とプリントが吐き出される。白紙のまま机の中で蛇腹に折れたプリントを見ても怒る気力すら湧いてこない。のろのろと立ち上がり机の並びを整える。拾い集めたプリントはどうせ既にぐちゃぐちゃなのだから、と乱雑に突っ込んで
「自分が嫌になる」
良くないとはわかっていても自己嫌悪の言葉は口をついて溢れてくる。
「私は教師のはずだろう、なんでプリントだからって教え子の物に当たり散らすようなことしてんのさ」
そう、私は純粋に教師になるためにこの学校に来た、だというのにあいつを見つけてしまってからは自分の感情に振り回されている。もうやめよう、こんな事。この1年で嫌というほどに理解させられた。わたしじゃあいつは殺せない。過ぎた願いだった。物事にはあきらめるべき時が来るって知っているじゃあないか。だからこそ私は教師になったんだろう。

世間一般の目線で話をするならば私は才能に恵まれている。何をやってみても平均点を超すことに苦労は覚えず、大きな挫折を経験したこともない。大学だって東大程ではないにせよ、日本にいる限り誰でも名前を知っている所には合格した。部活動でも全国大会で賞が貰えるくらいには結果を残した。生まれこそ生物学上の両親が外れだったらしいが、それを知ったのも高校に上がるころ。急にパパから大事な話があるって言われて養子だと明かされた日も、反抗期が来ない理由として妙に納得したのを覚えている。だからといって自分を天才だと思って生きていたのは精々小学生までで、パパの友達の子が受験するって理由で受けた中学校に入った時点で才能の程度は思い知らされた。ストーリーモードなら十分でもエンドコンテンツを周回するにはしんどい、精一杯の自分に甘い採点でその程度の才能だった。パパみたいな数学者になるという幼少期の夢は破れ去った。だからと言って最高ランク以外の装備はBOXに放っておけばいいゲームとは違い、現実は放っておいてはくれない。最前線に立てないと分かってから、長い妥協の人生が幕を開ける。妥協の程度は人によってさまざまだが私は夢の残滓をかき集めたように数学にすがり続けた。最前線には立てなくてもその世界には立ち入れないかと志しては諦め、デチューンを繰り返し、流れ着いた先はかつて憧れた世界を少しでも広められればと考えての教師だった。
 1年目は信じられないほどに生徒になめてかかられた。先輩方にも相談はしたが、反発したがりの中高生が新人をなめるのはある種当然の事として受け入れるほかなかった。2年目から担当した学年では驚くほど態度が違っていて拍子抜けするほどだった。3年目ともなれば仕事にも慣れてきて私生活の充実に時間を回せるようになってきた。これからそれなりの幸せを探そうという4年目に、あいつが現れた。降ってわいた幸運だった。あいつのことは恨んでいたし呪っていたがそれと同時に自分には何ができるわけでもないと諦めていた。夢を追うことを諦めて妥協の人生を歩んでいた私への甘い誘惑。復讐という大義に則って後先考えずに全力を注げる対象。そう、実際には復讐なんて心の底から望んでいたわけじゃあない。ただもう一度、自分の可能性を信じてみたいだけだったんだ。それならこんな事、もう辞めよう。どうせ私には何も果たせない。

「これ、返すわね。」
いつも通り、放課後の教室に人よけの結界を準備して、貴女に殺されるのを待っていた
あたしにいつもとは違って手を伸ばせば触れ合えるほどの距離に近づいた貴女はそう言って机に拳銃を置いた。思考が停止する。これが何らかのブラフであって、この隙をつこうという作戦だったらどれほどよかっただろうか。残念ながら彼女にそのような動きは見られない。ならば拳銃を返す意味は何だ。
「えっと、威力が気に入らなかった?私が貸した物だから私には効かないんじゃないかとか思ってる?そんなことはないんだけど…、あっ他の武器が良かった?何がいいの?急に言われても用意できるかな、とりあえず希望を言ってもらえれば何とかならないか
「違うわ、もう辞めようと思って」
端的に告げられる生産終了のお知らせ。あたしの家庭菜園は失敗に終わろうとしている。なんてこった。上手くいってると思ってたのに。何が駄目だったんだろう、さっぱり分からない。
「なんで?」
「私には才能がないからよ」
口から飛び出したシンプルな疑問に対する回答もまたシンプルなものだった。しかし、だからこそ分からない。
「何の?」
「は?」
「いや、何の才能がないと思ってるのかなって?」
「そんなの…、お前を殺すに足る才能だよ」
「具体性がないよ。武器の扱い?反射神経?動体視力?戦略眼?何をもってして何の才能がないと判断したの?」
口をついて出ただけの疑問だが、この際できるだけ多くの改善点を聞き出そう。そう、次なる家庭菜園の発展の礎となってもらわねば、今日の空腹が報われない。いや、それならば肝心の質問をしていない。次を求めるためには必ず聞いておかなければならない質問があるじゃないか。
「そもそも、なんであたしを殺したいって思ったんだっけ」
去年の貴女の1回目の授業、その後呼び出された事を思い出す。

「ここじゃあ人も多いから、指導室でもいいかしら?」
「あたし、指導されるようなことしたつもりは、っていうか呼び出されるようなことした覚えもないんですけど」
授業の最後に放課後に職員室にって呼び出してくれた時点で既に迷惑だったのに、この上指導室にまで連れていかれる?冗談じゃない、今回の学生生活では眉目秀麗才色兼備な生徒会長様にでもなりつつ憧れの感情ってのを食い散らそうと思っていたのが台無しになってしまう。断固として拒否しようと思っていた矢先に鼻先に香った里奈先生の感情。後に殺意と知るその未知の感情の芳香はあたしを言いなりにして指導室に連れていくのに十分な魅力だった。余りに魅力的過ぎて指導室に入ってから里奈先生が何を話したかよく覚えていない。話の内容が頭に入らなさ過ぎたあたしは聞いたんだ。
「それで、結局どうしたいの?」
「お前を殺したい」
「やってごらんよ」
そう言ってあたしが拳銃を創り与えた。受け取った里奈先生が銃口を引いた瞬間に溢れだした感情の味に病みつきになってあたしは毎日、放課後、貴女に殺しに来るよう頼んだんだった。

うん、思い出してみても里奈先生に出会ってから殺されるまで恨まれるようなことをした覚えがない。あたしの感覚はまだ人間の感覚と食い違いを生じることがないとは言い切れないがさすがに今回は一般に言う“悪い事”をした記憶がない。今後の家庭菜園のために何としてでもあたしを殺したいって思った理由を聞きださないと。どうしようかな、かわいい子を殺すのが趣味だ!とか言われたら。似たような趣味の人を探すのは骨が折れそうだ。まともな理由であってくれと願うほかない。

返した拳銃が手に触れ、溶け合うように消滅したことにも驚いたが、その後の質問は驚いてなどいられなかった。
「お前は私の父母の仇かって出会った日に確認したじゃない」
「あれ、そうだったっけ?ごめん、もう一回説明をお願いしいい?」
絞り出した返答は悪びれもせず打ち消される。
「ごめん、あの時はそれどころじゃなかったからさ。で父母の仇って何?実を言うとあたし、そもそも去年以前に貴女に会った覚えがないんだけど」
Q:父母の仇と思って殺そうとしていた相手から一年以上の時を経て、事実確認から改め直そうとされたとき、復讐を諦めようとしている人物の取るべき行動は何か。簡潔に説明しなさい。
この問題を見て、即座に回答を記述できる生徒が目の前にいてその答えを教えてくれるなら、その生徒が今後私のテストにてどんな点数を取ろうとも成績は最高評価を付けてあげると約束するのに。怒りを感じる前にそんなことを思ってしまうってことは、やはり復讐など本気で求めてはいなかったのだろう。復讐者になれなかった者としてせめて教師の役割くらい精一杯に果たしてやろう。
「じゃあ、あの時の確認の最初からになるけど、加藤和一と加藤咲、私の父母なんだけど知ってるわよね?」
「知ってる訳なくない?」
「あの日元気に“うん!”って返事したのはあなたよ?もしかして最初から人違い?いいわよ、ここまで来たら丁寧に昔語りをさせてもらうわ」

もう10年以上前の話になるのね。信じたくない、年は取りたくないものよね。知ってる?20代も後半に入ると筋肉痛が遅れてくるっていうのがホントだったんだって身をもって実感することになるのよ、課外学習の引率で半日歩いた程度でねってあなたは筋肉痛とかなるの?銃弾が目玉つぶして頭に入っていきながら元気にしゃべれるんだからそんな痛みとは無縁なのかしら。いきなり話がそれたわね。当時、花の女子高生だった私はそれはそれは幸せな日々を送っていたわ。高校に上がる際に父親に実は遠縁の養父である、と聞かされて若干ぎくしゃくしていた親子関係も取り立てて悩むほどではないなと気付いたころだった。母親との関係?そもそも母親は父親の再婚相手だと思っていたのよね。実は初婚だったのにね。だから母親と血がつながっていない事についてはもっと早く、小学校に上がる前には解決していたわ。ああ、違うわ。加藤和一と加藤咲は今言っている父と母。生物学上の父母については名前も知らないわ。それこそ、そこを気にしたら、パパとの、ああカッコつけて父とか呼んでたけど普段はパパ呼びよ。そんなにニヤニヤしないで、殴るわよ。で、そうそう、生物学上の父母の事なんて気にしてたらもっとパパとの関係もぎくしゃくしたでしょうね。血は繋がっていなくても、パパは私に愛情をもって接していた。無責任に私を生んでパパに押し付けた奴らの事に意識を割くなんて無駄以外の何物でもない。そんなわけで、誰一人血は繋がっていないけど、ちゃんと皆、お互いに愛情を持っていた。私はちゃんと幸せだった。あなたに会ったあの日までは。覚えていない?夏休みも終わろうかって頃、部活に行こうと玄関を開けた私はあなたと全く同じ姿かたちの女の子に私は声をかけられた。「君の家にいる女の人に用があるんだけれど家に入れてくれないかい?」ってね。家の中にいたお母さん、うるさいな、お母さんは小学校に上がる前に来たんだからママじゃなくてお母さん呼びだったんだよ。で、お母さんにお客さんだよって呼びかけてどうぞって引き入れて部活に向かった。帰ったらお母さんはいなくっててパパがあなたと話してた。正直に言うとね、最初はあなたの事、異父姉妹なのかなって思ったの。だから話は聞かないようにすぐに部屋に引っ込んだしその日、お母さんが帰ってこなかった事も仕方ない、触れるべきじゃない事かなって思ってた。だけどそれから3日間、あなたは毎日やってきてパパと話し続けた。お母さんはずっと帰ってこなかった。3日目の晩、話を終えたパパはお母さんはもう帰って来ないだろうとだけ言って部屋にこもった。お母さんは本当に帰って来なかった。一月経った頃に部屋にこもりっぱなしだったパパがようやく出てきたと思ったら、それからパパは見る見るうちにやつれて行って後を追うように死んじゃった。ねぇ、あなた一体私の父母に何をしたの?

正直に言って、貴女の話から得られた情報はゼロに等しかった。何一つ思い当たることはなかったから、ハッキリ言って可愛い子をいたぶるのが趣味ですって言われた方がまだましかと思えるレベルだった。何の参考にもならないそう思っていたところで最後に見せられた貴女の両親の写真。結論から言えばそれだけを見せてもらえれば十分だった。10年前に眺めた食材の事は覚えてられなくてもこれは覚えてられる事だった。すべての原因はあたしではなく、むしろ貴女の母親、加藤咲にある。しかし、これはこれで参考にならない。さて、どう説明したものか。写真の彼女の背中にハッキリと写る漆黒の翼を恨みがましく睨みつけた。

結論から述べてしまうと、貴女の母親、加藤咲を殺したのはあたしだ。あたしの管理する世界に入り込んだ密猟者を殺した。あたしが行ったのはそれだけだ。だが、それを伝えてどうする。あたしに何のメリットがある?彼女が真実を知ってめでたしめでたし?ふざけるな、あたしにとっては家庭菜園が一つ、駄目になっただけじゃないか。
「まず、こちらからも確認なんだけど、里奈先生はあたしらについて何を知っているの?」
長すぎる沈黙は怪しさを生む。しゃべり続けながら考えろ。
「ほとんど何も知らないわ、というか人間じゃないって確信したのもあなたに再開してからよ。パパはあなたとの会話を通じて恐らく核心を掴んでいたのでしょうけど、私には何一つ教えてくれなかった。どうせならこの際、あなたたちが何なのかについても教えてくれると嬉しいわ。復讐は諦めたとはいえスッキリして終わりたいもの」
残念ながら、スッキリしてもらうつもりは毛頭ない。既にあたしの目標は次なる家庭菜園へ向けた情報収集からこの家庭菜園の維持へとシフトしている。もともとは貴女の殺意は勘違いによるもの。あたしがするべきことは貴女の殺る気を再燃させることだ。この為に成し遂げなければならない項目は次の2点。1点目、貴女自身に貴女の復讐の動機をなくさずにあの日の事を説明し、殺意を維持、または増幅させること。そして2点目、貴女が復讐を諦めようとしている理由への理解を深めこれを解消、若しくは問題のすり替え等を行い復讐を継続する決心をさせること。幸いにも貴女の母親を手にかけたのは事実である。軸にすべきはこの情報。親の仇であるという正当性、そしてあたしの同胞を殺したという事実は即ち我々には殺し方が存在するという事実を示唆するからだ。
「あたしたちは、想像の通り人間じゃない。あなた方が悪魔と呼ぶ存在に近しいもの。魂を喰らう化け物よ。貴女のお母さんも私の同胞。彼女がいなくなったのは簡単に言うと縄張り争いに敗れたからよ」
まずは最初の噓。あたしが加藤咲を殺したことについて当事者間では正当性が主張しうる状況だったという点を秘匿するための嘘。万が一、人間とは異なる生き物が人間と異なるルールによって殺されたんだと納得できてしまったら、貴女の殺意を維持し続けることが困難になることは想像に難くない。
「貴女のお父さんの魂はそれはそれは美味しそうだった。だからあたしは貴女のお母さんを殺して奪い取ることに決めたのよ。実際にとても美味しかったわ。その後、すぐに死んでしまったというのは知らなかったけど、もしかしたらその時、食べ過ぎてしまっていたのかもしれないわ。人間のおとぎ話になぞらえて3回のお願いに分けて魂を喰らうつもりだったのに、失敗だったのね。」
二つ目の嘘。あたしは貴女の父親の魂には手を付けていない。そもそも、その時点での私の任務は密猟者狩りだ。密猟者と同じ行動をとるわけがない。堕天使の食べかけの魂とは天使であったころのあたしにとっては不良品。死んだ後に他の純正品と混じってしまわないように印だけつける予定だった。いつ死んでもおかしくないほど劣化した魂で話しかけてきたのは彼の方だ。妻を殺した相手にお茶を出しながら彼は“お勤めご苦労様です”と来たものだ。何のことはない、彼は自身の妻から正体に関して告白されていた。そのうえで世界に対する知識と引き換えに自身の魂を提供していたという。しかし、いくつかはぐらかされてハッキリと教えてもらってない点がある。少しばかり質問をよろしいだろうか、と願い出てきたのだ。そのお願いに安請け合いした結果が尋問と言って差し支えない三日間だった。ちぐはぐな内容だらけで加藤咲が何を隠したがったのか私には理解できなかった。しかしながら加藤和一にとっては明快な様であたしから情報を得るたびに喜色に溢れその感情はあたしを誘惑し続けた。地上への憧れを抱き始めたきっかけではあるが、他人の食べ残しに手を付けるほど落ちぶれてはいなかった。
「パパがあなたに願った二つ以下の願いって何だったの?」
ぼんやりと過去を振り返っている間に彼女は想定通りの疑問にたどり着いた。
「死者蘇生の方法の伝授と実行するための技術提供」
「その方法ってあなたみたいな悪魔でも蘇らせられるの?」
「そんなわけないじゃん。いくらあたしが手を貸したって3次元の住人のあなたたちじゃあ4次元に住む私たちの事をどうこうできるはずがない。どうしても干渉したいならまずは4次元の世界まで進出しなきゃ」
「それ、パパには教えたの」
「契約範囲外だからね。教えてないよ」
「じゃあ、あなたパパを騙したのね?」
「何のこと?」
「とぼけないでよ。パパがお母さんを復活させようと思っていると知りながらお母さんを蘇らせられない方法を教えて、対価にって魂を喰らったんでしょう?」
「なんでそうなるのさ。加藤和一が甦らせたかったのが加藤咲だったかどうかなんて私は知りようがない」
この辺からは真実の割合がゼロに近い。相手を騙す際には嘘の割合が増えるほどに露見しやすくなるというのがあたしの持論。出来れば真実のみで誤解させたいが今回はそうも言ってられなかった。ここまでは仕方ない。誤解の種は撒き終えた。あとは真摯に心の底からあたしへの復讐をオススメする。まずは殺意の確認から
「疑問が解消されてスッキリできたかな?そうしたらあたしの疑問にも答えてくれると助かるのだけれど」
「ふざけないでよ」
第一関門はクリア。感情は諦念から怒りにシフトしている。火種は出来た。あとはこれを大きくしていかなければ。
「つまり、あなたはお母さんの失踪の原因どころじゃない。お母さんを直接手にかけて、そのうえでパパの死因まで作った張本人ってことでしょう。スッキリできるわけないじゃない」
「じゃあ、どうするのさ」
煽りどころを間違えるな。慎重に。一手間違えれば煽りは貴女の復讐心を折ってしまいかねない。
「才能が足りないって言ったのはあなた自身じゃないか。スッキリできなかったからって他にどうするって言うんだい。あなたには私は殺せないんだろう」
父親程ではないが貴女は決して愚かではない。今までに撒いた種はからあたしが用意した正解にたどり着ける。考えてみれば父親は傑物も傑物。あの時は分からなかったがさっきの昔ばなしと合わせれば推論はできる。死してあたしたちのエサとなる人間とは違い、あたしたちの死は単なる初期化。翼が黒く染まった同胞を分解し洗浄し別の個体として作り直されること。分解と戦場を挟んではいるが原材料がほとんどそのままそっくり完成品である。記憶に伴う感情は消えていても記憶自体が残っていることは珍しくない。そして君の父親は加藤咲からの情報とあたしからの情報を束ね、おそらく自力で4次元に至った。見る見るうちにやつれたというのは4次元に至った自身を存続させるに足るエネルギーの補給が困難だった、若しくは必要がなかったからだ。恐らくは後者。ほとんど緩やかな自殺であろう。つまりあなたの父親は3次元の身体を脱ぎ捨てて4次元の世界で加藤咲と共にあることを選んだのだろう。加藤咲も加藤咲で十二分に異常。3次元の存在にそこまで入れ込むなんてこと当時のあたしなら絶対に思いつけなかった。この一年の経験があってなお、ようやく僅かには納得はできる。加藤咲は真に加藤和一を愛したのだ。腹が膨れなくとも感情を与えられるだけでいいと思えるようになっていたのだろう。だから殺しきることはしなかった。独力で次元を超えて愛してくれると信じてあたしに殺され、追いかけてくれることを願ったのだろう。あぁ、可哀そうな加藤里奈。貴女が貴女を愛してくれていたと信じる二人はあなたを置いて愛の逃避行。貴女の復讐が果たされようともそれを喜ぶ人は誰もいない。貴女が真に復讐するべきは寧ろ貴女を置いていった二人かもしれないというのに。さぁ、たどり着いて。4次元に至る事すらできれば復讐を、誰のためとも分からない復讐を完遂できるかもしれないという可能性に。
「あなたと同じ次元に至れば、あなたの生き死にに干渉できるのよね。いいわ。古式ゆかしく私の魂の3分の1をあなたにあげる。だから私をあなたを殺せる私にして」
大正解。とても嬉しいわ、加藤里奈。魂を喰われると自覚して、それを受け入れてでも願いを果たしたいという強烈な感情。きっちり魂の3分の1と合わせて。いただきます。

魂の3分の1と引き換えにすると言った瞬間、猛烈な虚脱感が全身を襲う。椅子に座った姿勢すら維持することがままならず、上半身が崩れ落ち、そのまま椅子から落下する。床に激突する寸前で私を支えた彼女は今迄になく満足げな声で告げる。
「しばらく意識を手放しなさい。起きたときには全部終わらせておくから」
暗転する視界の中でほほ笑む彼女にいまさらのように何故、殺されることを厭わないのかという疑問が生じるが、薄れる意識の中、長く残りはしなかった。

あれ、いつ寝たんだっけ?と思いながら目をこすろうとして聞こえるジャラリという音とほんの少ししか動かない体。拘束されている事実によって意識が急速に覚醒する。そうだ、私は魂の3分の1を捧げると言ってそのまま意識を失った。なぜ拘束されている。騙された?何のために?彼女にとって私はいつでも、どうとでもできる程度の存在のはず。拘束をする必要があるとは思えない。そっと目を開け辺りを確認しようとするが目隠しをされているのか何も見えない。これじゃ、自分が今どんな状況かもわからない。どんな状況かもわからない?そういえば上下もよくわからない。あおむけかうつ伏せかすら分からない。体表面の感覚で分かりそうなものなのに自分の体表面がどこなのかはっきりと自覚できない。まるで意識だけが暗闇の中に存在してるみたい。もしかして捧げた3分の1の魂の方に自我が乗っかっちゃってたとか?え、私、食べられちゃったの?今振り返ってみればいいように乗せられた気がしない事もない。そうか、これが目的だったのか。騙された。こうやって私を食べることが目的だったんだ。そういえば魂を喰われたとして自己の同一性って保たれるんだろうか?って気にしなかったな。人間を左右に両断したら死ぬ直前意識はどっちにあるか?みたいな。短絡的に魂の3分の1を代償にするとか言わなきゃよかった。……………………………………………………………。
いや、違うな?体を動かそうとして鎖の音で拘束されてるって思ったんだから実態は存在するはずだな?混乱してるぞ、冷静になれ。自己の同一性なんて置いておけ。テセウスの船に現実的な回答をするなら、船の甲板かどっかにきっと登録票みたいなのがついている。そいつがあるのが本物で登録票以外が入れ替ってもそいつはテセウスの船だ。私に置き換えるなら、加藤里奈という名前が与えられる一個人。魂がどうこうなろうともこの体に宿る精神が加藤里奈だ。
「なかなか、本質をついた意見だ。君らの想像する魂と私たちの定義する魂はかなり異なった存在だ。意識は寧ろ身体がつかさどっていて魂というのはエネルギーの貯蓄庫でありエネルギーそのものみたいな認識の方が実際の形さ」
声を出しているつもりはなかったのに適格な返答を与えられた。思考の盗聴って可能なのか。なら、なんで私が拘束されているか答えてくれると助かるんだけど。
「そこまで思ったのなら口に出そうとしてもいいんじゃない?それとも声も出せないように拘束されてるって気付いてるの?」
確信があったわけじゃないけどやっぱりそうか。感覚が上手く働かないからこその良そうなんだけど、もしかしてコンクリにでも埋められてるんじゃないかなってぐらいにみっちり拘束されてる、と思うんだけどどうかな、正解?
「ほとんど正解って言っていいんじゃないかな、いまから目につけた拘束を外すから正面にある姿見で自分の様子を確認するといいよ。多分相当気持ち悪い絵面だから心してね」
同時に世界が明るくなる。過去に感じたことのないほどの眩しさに目がくらむ。ちょっと明るすぎるわよ。何とかしなさいよ。
「これでもまだきつかったか、ごめんね。もうちょっと照明を絞るよ」
徐々に落ち着きを取り戻す光量の中、ようやく目を開いた私の目に映るのは10数体の私がぐちゃぐちゃに混ざり合う姿。え、何してくれてんの?
「うわー、相当気持ち悪いね」
どうやら視界の盗観?も可能らしい。ってそうじゃない自分が自分の中に埋もれているから自己の体表面が分からなかったんだ。
「おぉ、意外に冷静に分析するね」
説明は?どうなってるのよこれ?
「ええっと、まずちょっと頭触るね」
頭に触れて軽くひねられ向いてる方向が少し変わる。たったそれだけで鏡に映る私が5体まで減った。鼻先辺りを眺めようとしたとき、遠くの景色が2つにずれる、そのずれた景色が焦点を合わせて一つに落ち着いた感覚だ。
「そうそう、近い近い。正確には体が4次元に適応できてなくて4次元の景色を無理やり3次元で認識しようとしているせいで視界が何重にも重なって見えていたわけだね」
で、残りはケンタロスと阿修羅の間の子みたいな私は一体何なわけ?
「それが4次元に拡張されたあなた本体だよ。出来るだけ体への負担の少ないポーズをとらせたからこんな感じになってるの」
ふざけないでよ、この体でどうやって動けっていうの?
「落ち着いて、2次元に描かれた絵を3次元にしますって言うとき一番簡単なのは同じ絵を何枚もコピーして張り合わせて凹凸を付ければいいでしょ?ほら油絵みたいな感じだよ。あれも表面に凹凸があるでしょ?簡単に言うと今あなたはそんな感じ」
そんな感じ、じゃなくてどうやって動くのよって聞いてるでしょ?
「もう、最後まで説明聞いてよ。いい、あくまでも楽なポーズなの。寝転がったままじゃ走れないでしょ?それと同じ、その体が動かせるように4次元方向に立ち上がらないといけない。急に立ち上がろうとしてこけて怪我するとかなったら大変だから拘束してたの。今から拘束を外すから、まずは4次元で立てるように練習するの。いわばあなたは4次元に生まれた赤ちゃんなのよ。はーい、自分でおっき出来るように頑張りまちょうね~」
急な赤ちゃん語むかつく~。動けるようになるまでどの位かかるの?
「それはちょっと分かんないわ。だってあたしにとっても初めての育児になるわけだし。愛情いっぱいで育ててあげまちゅよ~」
冗談はやめてよ、気持ち悪い
「気持悪いって言ったって、まともに動けるようになるまでご飯も排泄に世話も私がしないと、死んじゃうわよ?だいたい4次元に拡張されたあなたは今迄の倍じゃ効かないくらいの栄養がいるわよ。摂取効率も跳ね上がってるから排泄の頻度は今迄に比べて少なくなるだろうけどね」
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「あら、相当ショックが強かったのね。意識飛んじゃった?まぁいいわこれからよろしくね」

それからはまさに地獄の日々だった。日常に疲れ切った大人たちが赤ちゃんになりたいって呟いているのをSNS上ではしばしば見かけるが、あんな事言えるのはなった事がないからだ。なってみたら地獄以外の何物でもない。若しくは精神まで赤ちゃんにしてくれ。いや、むしろ頭ははっきりしているのに体が駄目になってしまった後の老後の介護される生活の方が近いのだろうか。決めた。絶対に体にガタが来る前にボケてやる。こんな生活を二度と送ってなるものか。
「ようやくつかまり立ちが安定するようになりましたね。とりあえずこれで排泄行動は一人で大丈夫ですね。あとは立って歩けるようになればひとまずは一人前ですね。そこまで行ったらいったんお家に帰りますか?」
この言葉を聞くのに一体どれほど屈辱恥辱を味わったことか。思考の盗聴、視界の盗観?を防げるようになるまでがまず永かった。初めのうちは嬉々として辱めていた彼女も最後の方は同情して彼女の方から思考を外に漏らさない方法の習得を説明してくれるほどだった。思考が漏れなくなっても、恥ずかしさが減るわけではない。食事はいいとしても排泄、そして入浴の介護には強い羞恥が伴った。むしろ全力で二人で別の会話を続ける、つまり口を利用した意思疎通ができるようになった時、この時にお互い相当楽になったように思う。本物の赤ちゃんとは違い、筋力が発展途中にあるわけではないので一度コツを掴めばたいていはすぐに反復練習を始められそのまま身に着けることが出来たのが不幸中の幸いだろう。つかまり立ちができるようになってから歩けるようになるまでは3日程度で事足りた。
「今までお世話になりました」
「はい、お疲れさまでした。しばらくは顔を合わせず、お互いにリフレッシュに充てましょう」
彼女も彼女で育児疲れでげっそりだ。有言実行し愛情たっぷりで育ててくれたことに感謝はしているがしばらく会いたくないことに変わりはない。

家に帰って何カ月か振りに一人を満喫しようとして気付く。一体何カ月振りだ?私は何カ月間世間と隔絶されていたんだ?恐る恐るスマホを取り出し日付を確認する。遠い昔に思えるが彼女に拳銃を返してから凡そ6時間後である。ほとんど彼女の家から帰るのにかかった時間に等しい。改めて彼女の人外さを感じると共に同じ次元に立った自分が人間から外れたことを実感する。今や私は3次元の空間に存在する為に平均台の上に立ち続けるような慎重性を必要としている。育児をしてもらっている間、お互いに口に出すことはなかったが私は彼女を殺すために4次元に適応したのだ。この体になってよくわかる。命の密度が全く違う。頭を叩くと一回につき脳細胞がいくつ死滅するだのは聞いたことがあったとしても実際に頭を叩かれて脳細胞にダメージを感じることはない。この体にとって目玉を貫通し脳味噌をえぐる銃弾が与えるダメージは似たようなものだ。けれども今、私は4次元の身体を手にしている。この身体でなら彼女の命にも手が届きうる。今はまだ、肉体の操作の練度に違いがありすぎて勝負にはならないだろうがそれはこの先、突き詰めていけばいい部分だ。大丈夫、地道な努力を続けること自体は苦手ではない。成果を手にするビジョンさえ見えているのならそこに向かって少しづつ積み上げていけばよい。
 そして凡そ一年後、私は3年生に上がった彼女のクラス担任になった。結局、あれ以来顔を合わせることはほぼなかった。私は着実に積み上げてきた。さあ、今日こそ彼女を殺そう。

今、あたしの足元には一年ぶりに里奈先生が転がっている。貴女はこの一年で本当に強くなった。対してあたしは一年間、断食の断食を敢行した。貴女が再びあたしの前に立つまで誰も喰わずに我慢した。すべては今日の一食を最高のものにするためだった。その成果は上々だ。貴女の敵意が薄れてしまわないものか心配もしたが結果を見ればすべて杞憂だった。魂の3分の1を投げだしたときと同じかそれ以上の殺意を持って貴女はあたしを殺しに来てくれた。大満足だ。ご馳走様。貴女の振りまく感情と溢れだした魂でお腹いっぱいだ。
「ねぇ、最後に一つ教えてくれない?」
口から血の塊を吐き出しながら里奈先生が問いかけてくる。このままだと長くないと本能で理解できてるようだ。
「別に、死なない程度に直してあげるつもりだけど…。何聞きたいことって?」
「なんであなた、殺されようとしてくれてるの?」
「あれ、前に言わなかったっけ?あたしたちは強い感情とそれと共に溢れ出た魂を喰らう化け物だって。こっちに来て里奈先生の殺意程美味しいものはなかったからね。美味しいものを食べるためには命位かけてもいいかなって」
「そう、参考までに聞いてもいい?私の事をとびきりの上物って評価してくれるのは嬉しいんだけどさ、正直、私、自己肯定感がそんなに高くないからさ、数当たれば私程度ゴロゴロ存在する気がするんだけど、そんなことないの?」
ここにきて重めな相談投げかけてくるなぁ。取りあえず貴女を抱き起こし、楽な姿勢を取らせて死なない程度に修復を始める。ホントに自己肯定感の低い発言だ。
「慰めてるわけじゃないけど、そもそも、あんまり数打つってことはできないよ。心を込めてとか、よく言うけど本当に心が籠った時あたしたちははじめてその心にありつけるわけで。誠心誠意~とか言っている人の中に実際どのくらいの割合で誠心誠意考動している人がいると思う?一般に悪魔が命と引き換えに願いをかなえるのは順序が逆なの。ホントは命を懸けてでもかなえたい願いがあって、それを実際に命を懸けて行動しようと発言する。この過程を経てようやく命の一部が手に入る。そういう意味では芸術家や学者は比較的、命を喰いやすい存在かな。芸術家が満足のいく作品を作り上げたときなんて私らが手を出さなくっても勝手に満足して死ぬ奴がいるくらいだからね。逆に一般人からは搾り取りにくいわけ。サキュバスやインキュバスみたいな三大欲求に直接働きかけるほどの事をしない限りそうそう命なんか懸けてくれない。復讐がしたいって理由でこれだけの感情をこめられるのはなかなかどうして稀有な才能だよ」
話してるうちに慰める内容になっちゃったな。けど嘘は言ってない。里奈先生に残った魂はあとほんの僅か。可食部は既に残っていない。もって一週間で命の灯をともし続けることに必要なエネルギーが足らなくなる。最期くらい自信をもって死んでもいいだろう。
「さようなら、里奈先生。あなたの魂、これ以上なく堪能させていただきました。ご馳走様」
「お粗末様。仇は討てなかったけど、おかげで胸を張って死にに行ける」

あたしの名前は岡芹静、とはいうものの名前に大した意味はない。以前は喰い終わった人間に成り代わって名を頂くというマイルールがあったが加藤里奈を喰い切らなかった際にそのルールは捨てている。あれから私は第二の加藤里奈を作るべく人生をかけて恨んでもらえるように努力をしているが未だに満足のいく出来には届かない。絶望が足りなければ忘れて立ち直っていくし、絶望が足りていれば自ら首をくくってしまう。ごくまれに恨み続けてくれた数名も復讐は他人の力を借りようとするばかりで直接手にかけようとしてくれる人は結局一人も現れていない。恨みを買おうと汚れ仕事をつづけたせいであたしの名前は襲名性の殺し屋として裏の世界に浸透してしまった。もはやあたしの前に現れるのはあたしを殺そうとするものではなく、あたしに殺しを頼むものばかりになってしまった。最近では魂の3分の1を支払えばどんな相手でも殺してくれる悪魔の殺し屋として表の世界にも都市伝説として名が広がり始めた。ごくまれに本当に魂の3分の1を支払って殺しを頼むものもいるが自分に向けられた感情ではないので腹は膨れても味には満足できない。裏稼業者の中には自分の命が惜しければ魂の3分の1を支払ってあたしに誰某の殺しを依頼しろ、と脅迫をうけてあたしを呼び出すものまで現れる始末。質が悪い事に脅された奴らは自分の命の可愛さに、割と本気であたしの出現を願うものだからうっかりしていると間違って呼び出されてしまう。はじめの一人はお試しで喰ってみたが如何せん彼の願いは命を犠牲にしてもいいといった性質の物とはむしろ逆行する命をすべて失うわけにはいかない、せめて3分の1を支払って生き延びられるのなら、といった支払いを渋る性質のものだ。本気の願いではあっても必死の願いではない。あんまりにまずかったから以来、この方法をとってきた組織は女子供を除いて皆殺しにしている。女子供を除く理由?もちろんそれで本気で必死であたしを殺しに来てくれる奴の出現を期待してさ。まぁ結果が出るのは早くて5年後くらいからかな。期待しすぎずに待つとしよう。
さて、本日の依頼は一件、女児向けの可愛くてファンシーなお手紙での依頼だったから危うく宛先の間違いかと思って捨ててしまうところだった。私に届く手紙は公共料金の支払い以外は一定の強度の感情が籠っていないと燃え尽きるように自作の魔術版ファイヤウォールをかけていることを思い出せなければごみ箱行になるところだ。万が一、意中の相手への恋文だったとしてもあのファイヤウォールを超えるなら相当だ。開いてみると可愛い丸文字で“おねがいしたいことがあります。にがつさんにちに、にじこうえんのブランコでまってます。”と来たものだ。待ち合わせ場所の目印が公園の遊具というんだからまた可愛らしい。しかし、これじゃあまだ告白の呼び出しの可能性が消しきれない。これはどちらに転んでもなかなかに面白いぞ、という事で今日の予定は全部キャンセル。2月3日の一日を公園のベンチで過ごすのも、また一興。と思っていた時期が私にもありました。暇です。持ってきた文庫本は読み終わり、持参したお弁当も食べ終わり、うたた寝もすませてすっかり目が覚めとうとうやることがありません。これはミスだったと思いながら公園のベンチに腰掛けて充電を気にしながらスマホをいじって時間をつぶしています。やはりモバイルバッテリーを用意してくるべきでした。あぁ、私はなんて愚かなんでしょう。そんなことを思っていると女の子が一人、母親のもとを離れて駆け寄ってきた。
「おねーさん、こんにちは」
「はい、こんにちは」
「あのね、おねーさんひとりぼっちだからね、いっしょにあそんであげるね」
女の子ではありません。天使です。いや、天使はあたしです。元、ですけど。暇すぎて情緒がおかしくなりかけています。
「わぁ、うれしいな。ありがとう。でもね、じつはおねーさんにもおともだちがいてね、いまはおともだちをまっているところなんだ。だからきにしないで」
心を強く持って断りました。自分で口に出したことで少し冷静になれました。いや、まだ口調が変です。頭を振って意識をはっきりさせて、と。目の前の少女、依頼主か?もしそうだとすると一緒に遊ぶという名目で私に依頼内容を説明しようとしている可能性は?いや、この幼女は公園に来てから一度もブランコに触れてはいない。今日ブランコに乗った人物は全員チェックしている。彼女が依頼主である可能性は低い。
「おともだちだぁれ。ろーちゃんね、このこうえんいつもくるからおともだちしってるかも」
この返答が来るという事はやはり依頼主ではない。適当に煙に巻いておくのが順当だろう。
「それはね~、ひみつ~」
「ん~、じゃあちょっとついてきて」
これ以上引き延ばしても面倒事が増えていく予感がする。一旦大人しく従っておくか。
「わかった。どこにいくの?」
「こっち~」
連れてこられたのは滑り台の裏、公園の隅の一つで多くの目から隠れられるところ。
「ここ~。じゃあね~」
そう言って幼女はあたしのもとから走り去っていった。何だったんだろう。まぁ幼い子供のやることだ。深い意味なんてないんだろう。ベンチに帰ろうとしたあたしの後頭部に強烈な一撃が加えられた。

「あなたが依頼主ちゃん?ひどい事するじゃん」
今の一撃は殺すつもりの衝撃だった。滑り台のてっぺんから私に向かって飛び蹴りを決めた幼女を観察する。流石にこの年齢の少女に殺されかけるとは思っていなかった。人類の可能性とは斯くも無限大なものか。
「で、君の事、全く記憶にないんだけど、君、だぁれ?」
「私の名前は香取伊奈よ」
やっぱり全く記憶にない。あたしが狙いをつけていた子はもちろんの事、汚れ仕事で恨まれうる可能性がある際は子供の有無を必ずチェックしている。絶対に今迄関わったことはないと断言できる。
「そう、意外と分からないものなのね。私の殺意はとびきり上等だって言ってくれたのもやっぱりおべっかだったのね。」
「いや、不意打ちだったから、食べれなかったんだよ。いや、喰らえなかったんですよ。お久しぶりです、里奈先生」
あぁ、面白さに賭けてきてよかった。ずっとずっとあなたの幻影を追いかけていた。貴女と再びあいまみえることのできるこの日をどれほど夢に見たことか。
「さぁ、もう一度。お願いします。久し振りだったのに食べ損ねるなんてなんてもったいないことをさせてくれたんです?今日は満足させて貰えるんでしょう」
けれど、返ってきたのは冷たい反応。
「いいえ、あれで最後よ。あなたが嘘をついたこと、腹が立って殴っただけ。殺す気で殴ったけど殺せるとは思ってなかったから。きっと魂も溢れてはないでしょう」
「そんな!だったらいったいなんで呼びつけたって言うんです?私を殺すためでしょ?あぁまだ身体が成長しきっていないから?任せてください、すぐに成長させますから」
「違うわよ、依頼文にも書いたでしょう。あなたにお願いしたいことがあるのよ」
「いまさら?あたしに?お願い?しかもあたしを殺せるようになること以外で?」
「そうよ。かなえてくれた後でならあなたを殺すのに全力を注いであげてもいいわ。私、嘘をつかれたこと自体にはそれなりに怒っているから」
「嘘?ごめんなさい。何か言いましたっけ?」
「冗談でしょう?覚えてないの?」
「ごめんなさい、殺意の味以外あんまり覚えてないです」
辞書の唖然という項目に今の顔写真を張り付けてもいいと思う。もしくは、開いた口がふさがらない。
「いや、思い出が美化されている部分は大きいと思うんですけど、正直、里奈先生とは真摯に殺しあったなぁって思ってるので」
「殺し合いの部分しか覚えてないじゃない」
「失恋な、先生のおしめを変えてあげたのだって今となってはいい思い出です!」
「そんなことを元気に叫ぶな!」
この身体になってからおしめとれたの最近なのよ、嫌なこと思い出しちゃったじゃない。しばらくブツブツ続けていたがやがてトラウマから逃げるように頭を振り払い私を向いて宣言する。
「私、両親を殺すから手伝って頂戴」
「落ち着いてください、里奈先生。相手は純粋な善意であなたのおしめを変えてくださってるんです」
おしめから離れてよ…。弱々しくつぶやく貴女を見ながらようやく思い出した。あたしは確かに昔、自分が殺されたさに貴女を捨てた両親の事をまるであたしが殺したかのようにヒールぶって話したことがあるんだった。

予想通りといえば予想通り。ただ、そこに予想しないアクシデントはつきものだ。加藤里奈の身体はあの戦いの後、眠りにつくとそのまま目覚める事はなかったらしい。ただの人間ならその魂は身体を動かしていたエネルギーが切れ、体と分離しと次点でそこに意識は宿っていない。感情の記録をいっぱいに詰めた魂は天使によって回収され天界の食卓に並ぶ。しかし、加藤里奈の魂は特別性。4次元に拡張されたためにデータの保有量が格段に上昇。本来肉体のみに記録されるはずの意識まで伴って天に上った。しかしながら天使にとって肝心な感情の記録はすべてあたしの腹の中。ほとんど空っぽの魂は再びエネルギーで満たされ地上に送り返された。送り返し自体はあたしらの影響以外にも幼年期での死亡などでも発生する為に然程珍しい事ではない。自我を保って還ってくるかは運だったが、その点はクリアしたらしい。ここまでは予想通り。予想できなかったのは魂を検品したのが加藤和一と加藤咲だったこと。もちろん、加藤夫妻はこの再開を大きく喜び自分らの仇を討たんと健闘した彼女の武勇伝を褒め称える、事はなかった。復讐なんてむなしい事をせずに自分の人生を生きて欲しかったと嘆かれればそこには子を想う親の愛があったろう。彼らの反応はどちらでもない。再開を喜ぶ彼女に彼らが告げた一言は“私たちの間に子供はいない”というこの上ない無関心だった。あたしが加藤里奈を捨てられた可哀そうな子だと評したのには根拠があった。真に愛していたのなら天使として再形成されたのちもう一度地上に降りてくるはずなのだ。加藤和一が天使に成ろうとしたというのは妄想に過ぎないと言われればそれまでだったが、元から天使だった加藤咲には少なくとも可能なはずだった。まぁ、実際には加藤和一が天使に至っていたのであたしの予想は満点の大正解だ。しかし、加藤里奈にとってこの事実は晴天の霹靂。彼らのために自らの人間性まで犠牲にして復讐に挑んだ結果が、母親はそもそも復活が前提、父親も復活を見越して自分を置いて死んでいたと知り、復讐の意義どころか父母からの愛すら存在しなかったと知った。せめて一言告げてくれれば、そう思うのも無理はない。そしてその一言をかけるという考えにすら至らない程自分は愛されていなかった。所詮、自分は血のつながらない他人の子。そう言って自身を慰めるには人生一回分は大きすぎるコストだった。故に香取伊奈はこれから加藤里奈の敵討ちをはじめる、そのために協力しろ。これが香取伊奈の依頼内容だ。

やはり、貴女の殺意は極上だ。自分に向けられてない殺意は味が劣るとかそういう問題じゃなかったんだ。貴女の殺意こそが極上。それが手に入るならあたしはなんだってする。文字通り命だって賭ける。
「と、いうわけで一緒に死のっか」
天使となった加藤夫妻に攻撃に出るというのなら我々も天使になって天界に赴く必要がある。そのためにはあたしは翼の漂白を。貴女は天使に至るためのステップを踏んでから生まれなおす必要がある。地上でできる準備はすべて終えた。あとは天界に侵攻するだけ。
「で、どうやって死ぬわけ?」
「それなんだけどね、前払いにしてもらおうと思って」
これが地上で最後の結界だ。大盤振る舞いで演出にも拘ろう。周囲の景色が切り替わり懐かしい教室が結界内に顕現する。あたしたちの姿もあの頃に合わせてある。
「懐かしいでしょ?」
拳銃を創出して投げ渡す。教卓を挟んで向かい合う。
あたしは貴女に殺されて、貴女はその瞬間にあたしに魂を全て喰らわれて。
二人仲良く天に昇ろう。
「あんまり情けないようなら手伝ってあげないから、全力で殺しに来てね」
最後の晩餐の始まりだ。いただきます、里奈先生。


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