たった1度の公演のために小劇団を立ち上げた話。それはあまりにも滅茶苦茶だった1
劇団立ち上げに至るまで
私が大学4年生の時の話です。大学1年生の時まで演劇サークルに所属していたものの、1公演参加するごとにのにかかる12000円や年会費といった負担は苦学生だった私には厳しく、また周囲と馴染めなかったり、先輩たちが作る台本の稚拙さに辟易として、辞めてしまいました。
それでも、自分の脚本で演劇をしたい、演出をしたい、という思いは諦められないまま大学4年生の10月を迎えました。
私は、思い切りの強い方です。私以外に演劇サークルから足が遠のいていた友人2人と、「演劇、したいね」「やろうか」という話になり、まず最初に行ったのは、脚本の作成と同時に劇場を抑えることでした。
私は人付き合いがあまり得意ではありませんでした。友人2人を通して、演劇サークルの後輩、同輩などを勧誘することから始めます。大学の食堂などで、話をします。それから、一番最初は30名ほどが私たちに賛同し、一緒にやろう、という話になりました。私たちはもちろん喜びました。これだけの人数が集まれば演劇、やれるぞ、と。
人を集め、みんなで何かを成し遂げようとする際には人心を知っておく必要があります。ですが、私含め、ほかの2人にも、当時はその人心力といいますか、人を吸引するだけのスキルがなかったのです。人の心を簡単に見ていたというか、詰めが甘い、様々な事柄を甘く見ていました。
まずは、演劇のワークショップをやるぞ、という時点で貸しスペースを借り、ワークショップを行いました。その際は多くの人が集まったことに感激を覚えました。「一緒にやりましょう」「俺も絶対やりたいです」などと強い意思を示してくれる人、友達と連れ立ってなんとなく来た人、様々です。この時の私の失敗点は、その人が集まってくれたことにただ喜び、その時点で人を引っ張っていこう、この、来てくれた人たちを大事にしよう、という意識が欠けており、交流の点は人に任して自分は主宰者気取りであぐらをかいてしまっていた、という事です。
今なら、絶対にそんなことはないでしょう、これは、本当に若気の至りです。
そこから、集まってくれた人に具体的な説明はほぼ無しに、実際にこの劇団に参加しようと思う人に名簿に名前を書いてもらいました。20数名はいたように記憶しています。
そして、お店を貸し切りにし、いざ決起会を開く、という時点で想定していた人数の4割ほどの参加になりました。飲放題や簡単な軽食プランを用意していたために、そこで無駄に費用を削ることになってしまいました。この決起会についても、ラインでの口約束が主で、先にお金を徴収するべきだった、などの後悔があります。少し寂しいテーブル席。人数以上に用意された食事。この時の失敗点は、私自身がお金の話は汚いものだという気持ちが多少働き、金銭の管理や順序立てがあまりに不十分だった、ということです。
30代となった今では、これらのやり方はもう信じられません。1つの物事を行うのに、あらゆることを考慮して、イメージをして、先行きを想像し、資料を作成し・・・というような流れが当然となっています。
ある意味、こうした見切り発車で物事を進めようとしたそのエネルギーが今となっては懐かしいです。
〜続く〜