《小説》薔薇の慰め 1
「ピンクとオレンジを基調にして、えっと、あとは薔薇はいろんな種類を入れてください。それから、よくわからないんですが、60代の人が喜びそうな雰囲気で。お願いします」
「ピンク、オレンジ、それから薔薇数種、60代。お相手は男性、女性?」
「義母へのプレゼントなんです」
「なるほど、わかりましたよ」
ローズ翁は馴染みの店員のまりちゃんと、閉店間際にやってきた客のやり取りを遠目で眺める。紺のカーディガンに紺のスカート、黒のタイツ、運動靴、大きな黒のリュックの女性客は、服装こそ地味ではあったものの、春の陽気や水の流れを受けたならばすぐにでも踊り出しそうな、そんなリズムを体内に宿しているかのような人物だった。まりちゃんとその客はラッピングや受け取り日時、値段などを確認し合っている。
「あぁ、紺色は目の保養だね。」隣のダリア嬢は先ほどの客が通り過ぎるのを見ながら首を上に大きく伸ばす。
「まりちゃんは、どの花を選ぶかしらね。」
「私たちはもう明日だから、あのお客さんのためのブーケは見ることができないけど。」
ローズ翁とダリア嬢はショッピングモール内に響く閉店を知らせる音楽を聴きながらそれ以上の会話は続かず、ただ、まりちゃんが店頭に並んだ花々を保管室に運んでいるのを黙って見ていた。ローズ翁は、花の宿命について考えていた。彼は、いろんな花たちを見てきた。薔薇農園に咲く数多の花々、公園を彩る花、母子に千切られ、花かんむりになったタンポポたちはあの母子に茎を千切られた時から新たな喜びを知ったのではなかろうか。少しずつ花弁の先端から黄色く朽ちていく花々、黙々と切り花にされる花々。大木に絢爛と咲き乱れる小さな花々の群れ。切り花として扱われたローズ翁は、これまで自分に触れてきた人間たちの扱いに心底満足していた。それは自分には大きく鋭い棘があったからだろうとローズ翁は思っていたが、それだけではなかったようだ。この店でダリア嬢と懇意になってから、ダリア嬢も同じような扱いを受けてここにきたことを知った。
ダリア嬢はここより南のビニールハウスで他の花たちが、人間の手で直接切られていく花たちを見て恐怖を感じていたという。
「いつかは大地と切り離されてしまうってことを知ったときにね、やっと私、どうしよう、って思ったの。それを不安、っていうらしいわ」
それぞれが自分の身の上を語った夜、ダリア嬢はそう言った。
「人間の手にかかってしまう者もあれば、自然の成り行きで大地と浑然一体となる者もいるのさね。」
まりちゃんが店を出たあと、やんわりと光る緑色の電灯を見ながら次の日を待つようになって、どれほどの日数が経っただろう。長いこと、ここで人間たちの好奇な目に晒されてきたように思うし、夢を見ていたくらいに短い時間だったようにもローズ翁は感じていた。次またこの辺りが騒がしくなる頃には、自分は処分されるに違いない、きっと彼女も。このまま、あの遠い地の夢でも見ることができれば。
「君、前に、大地と切り離されると知った頃、初めて不安を感じた、って言ってたね」
ローズ翁がダリア嬢に語りかける。彼はとにかくおしゃべりなのだ。ダリア嬢は、短かな欠伸をしてから、ええ、そうよ、とそれに応えた。
「今はどうなんだい?」
「今は、分からないわ」
ダリア嬢が答える。
「人間の赤ちゃんって、まいご、っていわれているらしいの。ほら、よくお母さんから離れてしまった子が地べたに座りこんでわあわあ泣いてたりするでしょ。」
「ほお、まいごのお知らせってそういうことなのか」
ローズ翁は了見を得ないまま、相槌を打つ。
「そうそう、あれを見てて思ったのが、不安、ってまいごがお母さんがいなくて起こる発作なのよ。私にはお母さんはいないわ。いや、きっといたのかも知れないわよ。でも知らないわけ。だから、ここに来る前に感じたのは不安ではなかったと思う。それから、私はこれからもきっと不安にはならないんじゃないかしら。もしあの水色のアレに飲み込まれたとしても。それにアレには、他の子たちもいるじゃない。」
ローズ翁は、眠そうにしていた筈がいつもにも増して元気に話すダリア嬢を可愛らしく感じた。不安はまいごがお母さんを探しているときの発作・・・ダリア嬢の言葉をローズ翁は夢うつつの中、ぼんやりと繰り返した。ダリア嬢は次にはもう別の話に移っており、それぞれの花を品定めしているまりちゃんの話やまりちゃんがいつも使うリボンは大抵パターンが同じであること、時々色やレースが違うのはどうしてなんだろう、自分には何が合うだろう、と自問自答を繰り返し、その答えをローズ翁にも求めた。
「そろそろ僕は休むことにするよ」
ローズ翁は笑いながら目を閉じた。
〜続く〜
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