お笑い芸人とギャンブル依存症と地獄の日々 その1
このお話は、全て実体験を書き綴っています。
ギャンブル依存症は想像を超える本当に厄介な病気だと伝わり
こうなってはいけないと思ってくれたら本望です。
それでは、宜しくお願いします。
2003年11月 19歳の俺は今羽田空港行きのチケットを握りしめ
大分空港にいる。
数人の友達と母親が見送りに来てくれている。
「絶対お前なら有名になれる!!俺たちは皆信じちょんけん!!」
見送りに来てくれた友達が皆声を揃えてそう言ってくれる。
高校時代、目立ちたがり屋で人を笑わすのが好きで生徒会長
文化祭の司会など目立つ事はほとんどやってきた。
高校3年で皆進路を悩んでいる時、俺は学校の先生かお笑い芸人に
なろうか迷っていた。
そんな中、高校最後の文化祭の司会が決まりその文化祭に
その時はまだ無名の松竹芸能のオジンオズボーンさんが営業で来てくれた。
ネタを披露してくれ、無名でも抜群に面白く大盛り上がり。
そして、MCの自分とオジンオズボーンさんの絡みへ。
オジンオズボーンさんが色々イジってくれ、笑いがどんどん起こる
そして、オジンオズボーンさんが喋っている最中に無意識に目をかく自分
その瞬間
「寝なぁぁぁぁぁー!!!!!!」
大声と共に頭を叩かれる。そして一気に湧き起こる
「わっははははははは!!!!」
体育館が割れんばかりの大爆笑。
体育館の全員の生徒が笑っている。
数々、笑いはとってきたがこんな大爆笑は生まれて初めて。
プロの芸人さんの、間、声量、勢いのある本気のツッコミに
心が震えているのが分かる。
この瞬間、お笑い芸人になる事を決意し担任の先生と進路相談。
「先生、俺お笑い芸人になるわ!!東京に行こうと思う!!」
先生も笑顔で「そうか!!お前なら絶対有名になれると先生も思うぞ!
よしっ!!東京のお笑い養成学校の事を調べてみるな!!」と
学校の誰もが絶対に有名になると疑わなかった。
飛行機の出発時刻も近づき、友達に挨拶をし最後に母親の元へ。
「母さん、絶対一花咲かせてくるな」
母親が優しい口調で
「あんたの人生やけん、気の済むまで思いっきりやりなさい」
そして、毎日のパートでカサついた細い手でポケットから
茶色い封筒を取り出す母親
「本当に、困った時にこれを使いよ」
「か・・・母さん・・・」
溢れ出しそうな涙をグッと堪え、最後にハグをして飛行機へ。
そして、飛行機に乗り込み、母親から貰った封筒の中身を確認。
「10万円」
皆さんなら、普通こういう時に思う事は
「本当にありがとう。この金だけは本当に困った時だけ使わせて貰おう」
むしろ、「この金は絶対使わんでいいように頑張ろう!!」とか思うはず。
しかし、ヒゲは違う。この10万円を見て
「(友達の)菊池に3万借金あるけん、それは先に返そう」
「彼女に15万借金あるけど、それはまた金が出来てからでいいな」と
この10万円の使い道を考えている。
そう。もうすでにギャンブルで友達とのお金の貸し借りは当たり前の
彼女からも平気でお金を借りるギャンブル依存症。
しかし、この時はまだ自分に自信のある19歳。
ギャンブルなんていつでも止めれるし、自分は何でもできる人間だと信じていた。
夢と希望と多少の借金を抱いて花の都大東京へ向かう。
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