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誰にでもこの瞬間から0円でできるカルト対策
7月16日の講演会で、正木伸城さんが、荻上チキさんが提唱していた「宗教的残響」の良い面について話していたけれど、振り返ってみると私が目の前の人を励ましたり、褒めたりするときのお手本にしていたのは確実に、創価学会の名誉会長である池田大作氏なんだよなあ。
私の両親は、そういうのが非常に苦手な人たちでした。
この間久々に、怖いもの見たさで本幹に行ってきたんだけど(詳細は過去のnoteを読んでください)、そこで池田氏のスピーチ映像を見て、改めてそう思ったんです。
例えば、スピーチ映像の中で池田氏が「この中にお母さんの居ない子はいる?」って聴衆に語り掛けて、手をあげた子たちを励ます場面があるの。お父さんと仲良くやるんだよ、みたいなことを話すんです。
子どもたちだけじゃなく、シングルファザーの学会員は、これを見てぐっと来るんだろうなあと。私も子どもの頃からそういう場面を何度も見聞きしてきたし、「僕が親代わりになってあげるよ」と信者たちを親身に励ましているスピーチを読んだこともあります。池田大作は激励の教科書みたいなものです。そうするといつの間にか私も、他人に対して、池田氏と同じような励ましを言うようになっているんですね。
学会員だった当時は池田氏がそういう風に「僕が親代わりになってあげる」って親身に励ます場面を何度も見聞きして、それを真似した学会員同士で励まし合うことが普通でした。だから今までまっっったく!気付かなかったけれど、考えてみたら世俗の世界ではそんな悠長なことはしていなかったという。
なのでこの「励ましたり褒めたりして相手の心を掴むスキル」が貴重なものだとは全然思っていませんでした。
ただいざ結婚したいと思って婚活やっていたとき、別に心にもなくても簡単に目の前の人のいいところを見つけて褒めることが、私にとっては非常にたやすいことだったんですね。
例えば私には結婚情報サービスの担当(仮にAさんとしますが)に気に入られた方が婚活がうまく行くだろうな~という合理的判断と打算がありました。だから入会面談のときにAさんがペンを誤って落としたときに、取ってあげて「Aさんはいつもお仕事で、他人の応援ばかりなさってるでしょ? だから私がAさんを応援しますね」と言ったことがあります。私はこのとき、約10万円の入会金を彼女の会社に支払っていたにも関わらず。
初対面&こちらがお金を払っている顧客側のときでもそんな調子のいいことがほいほい言えるのですから、私が婚活男性に「かっこいい!」「素敵!」「そういうところ尊敬します!」「私とあなたって、こういうところが気が合うと思うんです!」と恥ずかしげもなくさらっと告げて相手の気分を良くさせることなどおちゃのこさいさいでした。
(男の人ってこんなことで喜んでくれてかわいいもんだな~)と思っていたけれど、これもいわばポジティブな宗教的残響でしたね。
というか世俗の人たち、びっくりするくらい他人を褒めなさすぎでは?
人を褒めるって、マインドコントロールの要件の一つでもあるみたいですけど、だからこそ目の前の人をめっちゃ褒める、特に弱い立場の人々、苦境の人々を褒め称えるって、誰にでもこの瞬間から0円でできるカルト対策だわ、と改めて思いました。
実際にスピーチ映像見るとわかるんだけど、池田氏は何一つ特別なことは言っていないのです。「お父さんと仲良くするんだよ」とか、そんな当たり前の話。でもそんな当たり前の言動が多くの学会員の心をがっちり掴んでいるんですよね。
藤倉善郎さんがやっていた『追悼・大川隆法』の配信の中で、父親の病気で悩んでいる信者に「それはおまえ自身のせいだ」って大川が突き放すようなことを言っている映像を観た後だったからなおさら、(みんな池田氏を見て、この人みたいになりたい、励ましてくださった、って思っちゃうよなあ……)と思いました。
あの場面、池田氏だったら「すべてわかっているよ」「お題目を送ります」「信心ですべて乗り越えるんだよ」って言ってくれるのになあ、みたいなことを、つい考えてしまうんですよね。
これも私の中に残っている残響なのかな。