簡単な「宇宙のその先」のこと
量子物理学では、
「電子」は観測者が観測すると「粒」になり、観測していなければ「波」になるという。
つまり人間が見ていなければ「波」、波動になり、人間が関わらなければ「粒」という物質になるという。
そしてそれは科学では解明できないという。
「光」も「粒子」からできているが、肉眼で人間には見ることができない。しかし「波」、つまり一連の動きである「光」となって目に見えるようになる。
物質と物質でないなにか。
このことは「物質世界」も「精神世界」と同時につながっていることを示しているように思う。
私たちも同時に「物質世界」と「精神世界」とにつながっている。
それは「精神世界」と言うべきか、あるいは「霊界」、「未知の世界」、「魂の世界」、「科学的では解明できない世界」…そして最後には「天界」といえばわかりやすいのだろうか。
その世界の現代的で的確な、抵抗力のない言い方があったら教えて欲しい。
精神の世界は存在し、すべての発祥のもととなっている。
「我思う、ゆえに我あり」
「わたし」が思うから思うように、わたしが思うから生きているように、
宇宙も、この世界も「我思うゆえに我あり」だ。
近年、科学的、あるいは物質世界から見た考え方によって、
「この世界は仮想現実だ」とか「仮想空間」だとか、「幻想だ」とかいうことが流行っている。
しかし本当にそう言い切れるだろうか?
確かに現実を創り出しているのは自分だと言えるかもしれない。
なぜなら「我思うゆえに我あり」だからだ。
しかし、すべての現実を自分だけがつくり出していると言えるだろうか?
この世は「幻想だ」とか「仮想現実」だとか(自分の精神がつくり出した)という言い方はあまりにも自分中心すぎないだろうか?
自分中心という個に限定しすぎてはいないだろうか?
もちろんそう言えないことはない。
しかし、それだけではない。
人間はこの世のなにもつくり出していない。
神の法則を信じたアインシュタインはそのことを危惧したのだと思う。
「我思う、ゆえに我あり」と同じように、
「宇宙思う、ゆえに宇宙あり」であり、
「自然思う、ゆえに自然ここにあり」なのではないだろうか?
「地球思う、ゆえに地球 ……」ブラブラブラ。。。
言わずもがなだ。
西洋が、東洋の考え方を最終的に認めるならば、日本には(東洋には)宇宙に、自然に、そして物質にも、神々が宿るという考え方を持っていたはず。
そして「物を大切にすることが精神を大切にする」ことだと知っていたはず。
科学的考え方を非難するわけでもなく、批判するわけでもなく、
それを認めるが、
ごく当たり前の祖先からの教えとして(古くインドにも、東洋に、仏教やその他の宗教にも伝わってきた)これはすでに承知の事実だったのだと思う。
ゆえに、「宇宙のはじまり」のその先、思うゆえにその先あり。
大元ありだと考える。
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