稽留流産の宣告を受けて
少し重いテーマとなってしまいますが、自分のなかで風化させたくなくて記録を残すことにしました。
辛い気持ちを思い出したくない方は閲覧をご自身で控えてくださると助かります。
今回は7wに稽留流産の宣告を受けたときの記録。
私について
・30代女性
・夫と二人暮らし。初めての妊娠。
・仕事は総合職(外訪メイン)。仕事がっつりの生活。課長と部長(女性)にのみ妊娠の報告済み。
「え、1週間で・・・?」
私は7wの診察で心拍が確認できました。
そのときは115/分ぐらいだったので、先生からは「飛行機が離陸しようとした場合、今はちょっと地面から浮いたぐらいだから完全離陸を目指しましょう。1週間後は完全離陸できていると思うからまた確認しましょう」と言われていました。
その後の1週間も比較的普段通り。ほどよく今まで通りつわり(食べつわり)もあり、1回生理痛のような腹痛があったけれどそれ以外は変わりなく。出血もありませんでした。
翌週の診察。
先週確認できた青いピコピコした心拍の動きがみられませんでした。
唯一見られた青いピコピコは、「これは赤ちゃんではなくお母さんの血液とかだね」と。
一瞬これが何を意味しているのか分からなくて呆然としていました。
診察台を下りて着替えながら、「流産したかもしれないんだ・・・」と気づきました。
先生は、「今回だけでは確定できないからもう1週様子を見ましょう。でも、心拍が確認できない状態が来週も続いていたら稽留流産となります。」と。
クリニックを出た瞬間涙が止まりませんでした。
マスクをしていたことをいいことに、家に帰る電車・駅から家までの歩いた時間も常に涙があふれて止まりませんでした。
家に着いた瞬間、それでも我慢していたものがあふれ出し「なんでーーーーーーーーーーーー」と大号泣。
ちょうど夫も休みで外出中だったので、事情をlineし「早く帰ってきて」と伝えました。
帰ってきた夫の顔を見たら余計に涙が出てしまい、子どものように泣きじゃくる私。
夫も泣きながらずっとそばで抱きしめてくれましたが、夫の泣き顔は10年以上一緒にいながらも初めてみたので、「泣かせてしまった」と申し訳ない気持ちになりました。
私は泣きじゃくったせいか疲れてしまいそのまま眠っていました。
夫はその間もずっと傍に寄り添って、【流産 復活】【流産 間違えていた】等回復の可能性を検索していました。
なかには翌週に復活したという記事もあったので、夫は「復活するかもしれないから、べびまる(夫婦内の赤ちゃんの呼称)が戻ってきてくれると信じよう」と励ましてくれました。
ダメージを増幅させた結婚式
この日はちょうど金曜日。
3連休前だったので良かった…と思いきや、休日には友人の結婚式。
しかも妊娠が判明した旨を報告し食事の配慮をお願いしたばかりでした。
結婚式当日、食事は妊婦対応になっており、お酒用のグラスも下げられ周囲からも「妊娠した?」とすぐに気づかれる始末。
「あぁ、そうなの…」と言いながらすぐに話題を変える。
それに対して「おめでとう!」「お身体大事にしてね」と労いの言葉を掛けてくれるのが逆にしんどくて辛くて、「ありがとう」ととにかく笑顔で振るまうことに全力でした。
家に帰った瞬間に、周囲に明るく振舞ったしんどさ、「友人に流産の報告をしないといけないんだ」という気後れ、「こんなんなら最初から妊娠していることを隠して結婚式に出席すればよかった」という後悔が押し寄せもうすべてが嫌になりまた夫の胸を借りて大号泣。
普段のタフな精神が崩れきっていることに気づきました。
明日の仕事ももう嫌だ。明日どころか、次の診察までどんな気持ちで過ごせばいいのか、生き地獄のような感覚に陥りました。
夫からも「仕事なんかしなくていいよ。自分優先にして。」と声をかけてもらい、仕事の優先順位を下げようと決意。
翌日課長に電話で「実は流産の可能性があることがわかって…」と報告しながらもまた涙。嗚咽で詰まりながらも、「こんな状態で担当先の前で気丈に振舞える自信がありません。もう…行きたくありません…」みたいな感じで気持ちを伝えました。
課長は、「分かった。分かった。訪問は全部自分が行くから、体調不良ということにしてもう行かなくていいから。大丈夫大丈夫。」と受け入れてくださり予定していたアポイントはすべてお任せして、掛かってきた電話をなんとか対応し、申請やメールだけ気分が乗るときになんとか対応する日々を送りました。
気分が乗らない時間の過ごし方
気分が乗らないときはすぐにベッドで横になりました。
何もしないのも個人的にはしんどく、かと言ってYouTubeは過去みていた妊娠判明の有名人の動画がおススメで勝手に上がってきてしまっていたのでシャットダウン。SNSもすぐにアプリを削除しました。
そんなときに心の拠り所になったのはラジオ。
元々ラジオは好きで聴いていましたが、このときも常にラジオを付けていました。
お決まりの番組(月~木)スケジュールは、
・8:30~11:00 ふらっと
・11:00~14:00 生活は踊る
・14:00~17:30 こねくと
・17:00~20:00 スカイロケットカンパニー
・20:00~ 過去のタイムフリーでANNや好きな番組を流す
こんな感じ。
視聴者からのメールや音楽、会話を聴くことで気持ちが紛れて落ち着きました。
寝る前にもラジオをかけることで、私にとっては子守歌となり、気づいたら寝ることができました。よく寝ていました。
食欲も失せる
この期間、食欲が失せました。おなかがすかない。
あんなに大好きだった甘いもの、アイスを食べたいと思わない。
とはいえ何も食べないのも身体に悪いから、少しでも食べられるものを口に運ぶ日々。
食べる量も極端に減り、体重も久々に見た低い数値になっていました。
…ここまでが宣告を受けてから次の診察までの1週間。
常に夫が気にかけてくれ、自分も辛いのに私のサポートを徹してくれて感謝の気持ちでいっぱいです。
次回の診察以降の記録はまた書きます。
読んでくださった方、ありがとうございました。