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流産確定・手術・供養について

流産宣告を受けから1週間後の診断と、流産手術・術後・水子供養について。


覚悟していた診断日

診断日までの1週間、仕事へのやる気も食欲も失ってしまいました。
つわりがなくなってきたあたりから、「きっとこのまま心拍が復活することはないだろうな」と自分では気づいていたけど夫には言えなかった。

診断日当日は夫も会社の上司に事情を伝えて休みをとってくれました。
カーシェアを借りて、車でクリニックへ。
私の通ったクリニックは男性は入れないため、夫とはいったんお別れ。

いざ診察。はじめましての女性医師に診ていただきました。
結果、やはり心拍は確認できず・・・。
医師より正式に、「稽留流産との診断になります」とコメントがありました。
30代だと15%ぐらいの確率で発生する旨も説明を受けました。すでに調べてそんな確率ぐらい分かってたけど、「はい、そうですか」とはならないよね。
でも覚悟はもっていたので、その場では泣くこともなく淡々と事実を受け止めようとしていました。

その後は、自然排出か流産手術を受けるかどちらにするかの説明と確認がありました。
私は自然に排出されるのをずっと待つのも気持ちがしんどくなりそうだと思い、手術を選択。『新宿レディースクリニック』への紹介状を書いていただきました。

ドライブに連れ出してくれた夫

会計を済ませ夫に「べびまる(愛称)とまたね、ってお別れすることになった」とline。
『すぐ向かうね』と来てくれました。
来てくれた夫は私のおなかをさすって、肩を抱いて寄り添ってくれました。
駐車場に向かいながら、『このままどっか遠出しようか?』と夫から提案が。
たしかにこのまま家に帰っても気持ちが沈むしなぁと思っており、夫からの提案がとてもうれしかったです。
ドライブ先は神奈川・秦野にある日帰り温泉に決定。
夫が、『貸切風呂があるから人目を気にしなくていいし、身体を休めよう』との気持ちで提案してくれました。(泣ける…)

ドライブが始まってからは次第に気持ちが落ち着いてきて、日帰り温泉では夫とべびまるへの気持ちや、自分の気持ちを素直に語り合うことができました。
ドライブの途中では海老名SAに寄って、食べ歩きもしたり、久しぶりに食欲が復活した時間でもありました。

手術に向けて

稽留流産診断の2日後、紹介を受けた『新宿レディースクリニック』を受診。
手術日を1週間後に設定し、当日の注意事項や案内を受けました。
ここのクリニックは当日麻酔をかけて手術するそう。また、麻酔士も同席の元手術してくれるとのこと、安心してくださいねと言われました。
小さいときから比較的健康・丈夫で、骨折等も含めて手術を受けたことがない私は不安で仕方ありませんでした。
手術までの1週間、少し仕事をしたり、来月に控えた資格勉強をしながら、そして常にラジオをかけながら心穏やかに過ごすことを意識していました。

手術までの1週間、途中で出血が始まり、「これはもしかして手術しないでべびまるが出てくるのでは・・・?」と思ったのですが、だらだら出血と腹痛がひたすら続いたものの、よくレポであったあふれんばかりの出血!!!まではいかない量でそのまま手術当日を迎えました。

ちなみに前日の夜22時頃から食事はNG、当日の6時半以降は水分もNGでした。

手術当日

夫も休みを取ってくれたので、一緒に新宿へ。
受付の1時間前に麻酔の針の痛みを和らげるため?のパッチみたいなのを貼ってから向かいます。
前処置も不要で、当日帰宅できるのはありがたい。
クリニックは男子禁制のため、夫とはビル入口でお別れ。

9:30に受付し、呼ばれたのは10時すぎ。
いっちばーん奥にある個室で手術まで待機です。
個室でベットや手術着が置かれており、説明を受けます。
手術までベットで横になりながら、いよいよべびまるとお別れなんだなぁとか、ちゃんと麻酔から目を覚ますのだろうかとか、もし医療ミスで私死んじゃったらどうしよう(暗証番号系を夫にlineしようか…)等いろんな考えが頭をめぐっていました。
・・・が、個室に入ってから1時間過ぎても呼ばれない。
ベットのせいか眠くなってくる。でもここで寝たら麻酔にかかりづらいかも、とか思ってしまい必死に起きる。

そして呼ばれました。
目の前にある手術室へ移動。看護師やら人がいっぱい。
手術台にあがり指定された位置へセット。
私はすぐに眠れるようひたすら目をつむる。
まずは右腕で血圧を測る。同時並行で、左親指に呼吸状態を調べる装置みたいなのを取り付けられる。
「点滴つけますね~」と左腕をごにょごにょされる。
たぶんここで麻酔用?の針を刺したと思うんだけどまったく痛くなくてびっくりした記憶がある。
「●●(たぶん麻酔?)導入しまーす」と看護師さんの声がひびく。
しばらくして「△△(これも麻酔?)導入しまーす」と声がかかる。
別の看護師さんに「右腕ぶらぶらさせるとあぶないので、私握ってますからね」と声をかけていただき、「わかりました」と応答する。

・・・私の記憶はここまで。
次目を覚ましたときは最初の待機部屋のベットの上でした。
手術に呼ばれてからちょうど1時間後。12:10頃でした。

目を開けようとすると視界がぐわんぐわんで、「ん、開けられない…」と思いしばらく目をつむって落ち着かせてました。
20分後ぐらいに目が開けられるようになり、そのタイミングで看護師さんが「ご気分どうですか?」と水をもって部屋に入ってきてくれました。
大丈夫です~と回答しながら、のどが渇いたので水をぐびぐび。
「後程出血の状態を確認しますのでお待ちくださいね」と案内がありました。

待ってる間、しまってた携帯を取り出し、夫に「無事におわったよ」と連絡。
この瞬間、「あぁ、手術終わったんだな。べびまるいなくなっちゃったんだな。」と思うと涙があふれてしまいました。

しばらくして出血確認で看護師さんが来ました。
詰め込んでいたガーゼを取り出してくれたのですが、一瞬見えただけですんごく真っ赤…。これ自宅で起きてたらさすがに対応しきれなかっただろうなぁ。
看護師さんは、「問題ないので、お帰りの準備ができたらナースコール押してください。ごゆっくりしてくださいね」と案内してくれました。

この時点で13時すぎだったのですが、夫が13:30に迎えにくるとのこと、それに合わせてクリニックを出ることにしました。
着替えようと立ったときにはまだ頭がぐるぐる回ってふらふらでした。
(イメージ高熱が出てふらふらな感じ。)

夫が迎えに来てくれて、おなかが空いていたので、近くの五右衛門で少しおそめのパスタランチを。
気になっていたたこのペペロンチーノが入ったハーフ&ハーフをもりもりいただき、喉が渇いて仕方なかったのでりんごジュースもセットで。
こんな心がぽっかり空いたときでもおなかは空くんだなぁとしみじみ。
新宿駅で大好きなハーブスのミルクレープを購入し、付き添ってもらいながら帰路につきました。

術後の高熱

翌日から3日間は仕事も休みにしていました。
少し出血があったけど生理終わりかけ程度で安心していたのもつかの間。
2日後の夕方から節々の痛みやら頭痛やらとにかく全身が痛い!!!
「もしや…?」と思い夜に熱を測ったらなんと38℃超!
ネット検索をかけると感染症みたいな記事も出てきて心配になる。
手術時に処方されたカロナールを飲むも全身が痛すぎて、数年前コロナにかかったときかそれ以上にしんどい。
落ち着かせようとラジオをかけるもとにかくいーたーいーーー。
体感40℃近くあるのでは、と思ったけどもう怖くて測れない。
ひたすらベッドで悶えながら朝を待ちました。

翌朝、37℃まで下がり痛みを落ち着き一安心。
以降体調万全となりました。

水子供養

手術から約2週間後、水子供養を執り行いました。
まだまだ小さかった我が子だけど、日の光を見ずに亡くなってしまったことは確かで。手元のエコー写真と併せて供養したくて決めました。
でも、心拍が確認できたときのエコー写真は手元に残しておきました。
全部渡してしまったら、この子がいた事実が薄れてしまう・自分が妊娠していたことが嘘となってしまうような気がして。(勝手だけど)

水子供養までの2週間、仕事も再開して気持ちが紛れてかなり落ち着いていたので大丈夫かと思ったけど、いざ始まったら涙が止まりませんでした。
そして隣を見たら夫が今までで一番の大号泣。
いつもどんなときもわたしが笑顔でいられるように笑わせてくれて、つらいときは傍に寄り添っていつも支えてくれてた夫があんなに泣くと思わなくて。もしかしたら泣きたい気持ちを我慢させちゃっていたかなって。

そのときのお話で印象に残っていたこと。

『水子は渡った向こうの世界で、お父さんとお母さんを悲しませてしまった反省として、必死に石を積み上げている。でも毎晩、鬼がその石を壊しにくる。鬼がやってくるのは、お父さん・お母さんが泣いているときにその罰として水子の元に来る。(中略/記憶がうろ覚え)お父さん・お母さんが笑顔でいることがいちばん。』

落ち着いたあと、夫は「べびまる、あっちで友達できたかなぁ。でもすぐ戻ってくるって言ってるよ。」って笑いかけてくれた。
私もまた戻ってきてほしいって思ってるけど、もしあっちの世界が楽しくなっちゃって戻ってこなかったとしても、夫と楽しく暮らしたい。

べびまる、短い間だったけど私たちのところに来てくれてありがとうね。
これからもべびまるの愛称で私たちは愛でるし、心の中でこれからもずっと一緒だからね。本当にありがとう。




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