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離婚道#3 第1章「風と共に去りぬ」

第1章 離婚もっとずっと前

風と共に去りぬ 

 中学2年の夏だった。
 アメリカの長編小説『風と共に去りぬ』をひと月かけて読み終えたちょっと後、雷に打たれたような、全身が震えて頭がしびれるような、体が宙に浮いて気が遠くなるような……そんな大きな衝撃を受けた。自分の進むべき道が開けた気になり、しばらくは、そのこと・・・・以外は何も考えられないような状態になった。……
 
『風と共に去りぬ』は、アメリカ南部アトランタの農園主の令嬢、スカーレット・オハラの半生を描いた作品で、ひと口で言えば、南北戦争(1861-1865)を背景にした、壮大なラブロマンスである。
 登場人物の多さとそれぞれの細かい人物描写、精細な時代描写など、前半部分を読み進めるのにかなり苦戦したが、話が展開するにつれ、物語の世界に没入し、むさぼるようにページを進めていった。
 主人公のスカーレットは、勝ち気で進取の気性がある女性。虚栄心があって計算高いが、男性を惹きつける強烈な美貌と、どんな困難にも屈しない強い意思と生命力を持つ。
 そんなスカーレットに魅かれるレッド・バトラーは、北軍の海上封鎖を突破する船の船長。投機的な売買で巨万の富を得た富豪で、皮肉屋で傲慢だが、強靭で実は優しい。たまらなく魅力的な男性だ。
 そのほか主要な登場人物としては、スカーレットが恋焦がれるアシュレーと、その妻、メラニー。病弱だが心優しいメラニーは、世間から非難されがちなスカーレットを慕い、いつも敢然かんぜんとスカーレットを擁護する芯の強さがある。
 戦時中、そして南軍降伏後、情勢が激しく変動する中で、たくましく生きるスカーレット。最初の夫は戦場で病死、2人目の夫はスカーレットの不用心が引き起こした事件がきっかけで銃弾に倒れ、生活のためにレッドと3回目の結婚をする。だが、スカーレットはレッドの深い愛情に気づかず、自分はアシュレーを愛しているのだと思い込んでいる。その自己理解できていない行動が、なんとももどかしい。
 いろいろあって終盤、レッドとの娘を落馬で失い、メラニーが病気で命を落とす。大切な存在が次々と去り、スカーレットは初めて、自分が本当に愛しているのはアシュレーではなく、レッドだと気づく。しかしもう、レッドはスカーレットを追うことに疲れ切っていた。
 最終的にスカーレットは財産を失い、レッドにも捨てられ、孤独になってしまう。もう生きていけないと思うほどのどん底。普通なら、絶望して立ち直れない状況だ。
 そんな中でも、スカーレットは涙をぬぐい、大地を踏みしめ、絶望の淵から立ち上がる。
「明日は明日の風が吹く」――と。
 長い物語を読み終えた中2の私は、〝風と共に去りぬロス〟状態でしばらくは放心した。どんな逆境でも、自立して生き抜こうとするスカーレットの姿に胸打たれた。最終盤まで抱いていた、スカーレットへのもどかしさも、フィナーレで一気に吹き飛んだ。彼女の神々しいまでの不撓不屈の精神に、大きな希望と感動を覚えたのを今でも忘れない。
 ただ、スカーレットの生き方にはどうしても共感できなかった。
 なぜ、3人目の夫、最愛のレッドからも見捨てられる方向に進んでいったのか。もっと早く軌道修正すれば、最悪の不幸を回避できたのに……。中2の私には、スカーレットの女としての生き方を理解するほどの人生経験がなかった。
 だから、私が雷を打たれたようになったそのこと・・・・というのは、本編ではない。
 この大作を書いた作者のマーガレット・ミッチェル(1900-1949)のことで頭がいっぱいになったのだ。
 調べると、マーガレット・ミッチェルはもともと新聞社のコラム執筆者だった。足の手術で一時的に寝たきりになった1926年、夫のすすめで小説を書き始めたという。それが『風と共に去りぬ』だった。
 3年ほどかけて書き終えた小説は、紆余曲折を経て1936年にようやく世に出る。
 出版された本は全米で爆発的にヒットした。世界各国で翻訳され、ジャーナリストのノーベル賞とも言われる「ピューリッツァー賞」を受賞した。
 その後、制作された大作映画は、レッド・バトラー役に当時のハリウッドスター、クラーク・ゲーブル(1901-1960)が起用され、一般募集していたスカーレット・オハラ役にイギリスの若手女優、ビビアン・リー(1913-1967)が抜擢。アカデミー賞作品賞など10部門で受賞し、ベストセラー小説の映画化も大成功した。
 だが、映画公開から10年後の1949年、マーガレット・ミッチェルは、交通事故で突然、この世を去った。48歳という若さだった。生涯で世に出した作品は、『風と共に去りぬ』の1作品のみだったのだ!
 中2の私は、ひたすらマーガレット・ミッチェルに憧れた。
 人生は短かったが、世界中を感動させる、ただ1作の小説を書き遺した。なんてカッコいいんだろう――と。
 彼女の経歴にある「新聞社のコラム執筆者」が気になって調べると、日本では新聞社の記者になる道が一般的だとわかった。
 なるほど、新聞記者出身の作家なら、日本でも井上靖や司馬遼太郎など少なくない。『白い巨塔』の女流作家、山崎豊子もそうだ。
 ならば私も新聞記者を経て、ゆくゆくは多くの人が感動する作品を生み出す小説家になりたい――と、完全にのぼせ上がってしまった。
 作者マーガレット・ミッチェルに夢中になり、その経歴に憧れて新聞記者を目指したことが、私自身が懸命に築いてきた自分の人生の出発点だった。と同時に、離婚を招いた〝はじめの一歩〟でもあったように思う。
 ――あれから40年近く経つ。
 人生最大の挫折感を味わっているいま、中2で解することができなかったスカーレットの女としての生き方には、「仕方ない……そんなこともあるよね」と理解できる。
 同じ作品でも、年齢と経験を重ねることで、別の観点を持つようになり、違う感じ方ができるようになるものだ。
 大切な人を次々と失い、財産もなくし、最後には本当に愛する夫のレッドが去って行った。まさしくスカーレットも、失敗者である。それでも明日に希望を持って立ち上がり、決して絶望しない。人生はそうあるべきなのだろう。
 中2の時、その後の私の進路を決定づけたのがマーガレット・ミッチェルの『風と共に去りぬ』だった。
 53歳になり、離婚問題を抱える私は、この作品のヒロイン、スカーレットに初めて共感し、スカーレット先輩のたくましい生き方を離婚後の人生のお手本にしたいと思うのである。



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