離婚道#47 第6章「作家志望弁護士の手引き」
第6章 離婚後の人生へ
作家志望弁護士の手引き
裁判で財産分与の細かい主張をしている最中のこと。
「ねえ、まどかさん。陳述書を書いてみたら?」
久郷弁護士から私に「陳述書」の作成が提案された。
辛い結婚生活や離婚に至る経緯、自分がどうしたいかをまとめ、本訴の主軸となるメイン陳述書を書いてほしいという。
陳述書は、離婚裁判で当事者が提出する証拠のひとつである。
裁判の流れとして、両当事者からの主張やほかの書面提出が出尽くし、その時点で和解ができそうにない場合、本人尋問が行われる。通常、陳述書は、この本人尋問を控えた段階で提出される。
本人尋問は、提出した陳述書の内容について「事実と認めるか、認めないか」を答える形式になる。つまり陳述書には、尋問時間の短縮という目的もあるわけだ。
代理人弁護士を立てた裁判では、弁護士が聞き取りを行って作成した書面に、本人が署名押印して陳述書を作成する場合が多い。
しかし私は、本訴において、すでに2通の陳述書を作成、提出していた。弟子の富田和子の陳述書に反論するための「陳述書1」、京都マンションに関する雪之丞のインチキ主張への反論に特化した「陳述書2」。納得のいく離婚を得るため、雪之丞の嘘に黙っていられなかったからだ。
そして今度はいよいよ満を持して、雪之丞との夫婦の問題を述べる「陳述書3」を書くことになった。
提出はまだ先だという。しかし久郷弁護士は
「陳述書を書くうちに、心境の変化があるかもしれないから、書いてみてください。依頼人に早く社会復帰してもらうのも、離婚弁護士の仕事だと私は思ってるんで」
とのこと。
久郷弁護士は、のらりくらり裁判を真剣に見守り続けている私の意識を変えたいようだ。「裁判が終わったら書く仕事をはじめる」という考えは変わらないが、私は早速、陳述書作成にとりかかった。
陳述書作成には1か月を要した。
読者は裁判官である。陳述書に目を通す裁判官の手間と時間を考えると、できれば10ページに収めたい。長くても20ページだろうと思った。
だが、これがなかなか難しい。17年間の結婚生活の中で、暴言を受け続けた5年間のエピソードを書き込むだけでも膨大な量になる。17年分の手帳に書き込まれた出来事の中から取捨選択し、裁判官に私の心情が伝わるように書かなければならない。
執筆中は、雪之丞から各種犯罪を疑われた怒りや傷ついた出来事が激しくフラッシュバックした。
寝ても覚めても雪之丞のことを考え、辛くて悔しくて、泣きながら書いたりしていた。過去の記憶と戦いながら書くうち、あまりに分量が膨らんで、一時は50ページの超大作に。これはマズイと、読者(裁判官)に読みやすくするために、削って削って推敲を重ね、33ページ。もう削れないというところになって、心身ともにぐったりと疲弊して、弁護団に提出した。
令和4(2022)年3月、弁護団との打ち合わせで、私の陳述書について話し合われた。
3人の弁護士も、33ページという短編小説の分量を読むのに大変だったに違いない。
作家志望の醍醐弁護士が総評を述べた。
「まどかさんの陳述書は、臨場感があるので、吉良雪之丞の狂人ぶりが伝わる文章だと思います。でも、陳述書は裁判の証拠ですから、裁判官が読んだ時、あまりに『評価』が多すぎて、証拠としては弱いですし、『事実』を拾うのが大変で読んでくれない可能性があります」
「事実」と「評価」――?
それは司法試験を受ける者が学ぶ基本らしいが、「客観的事実」と「主観的評価」ということだという。
たとえば、次のような文章があるとする。
「吉良は、私が浮気をしたという妄想に支配され、ギラギラした目で私を見て、ひどい暴言を浴びせました。そんな時の吉良は、明らかに狂人でした」
この中で、「浮気をしたという妄想に支配され」、「ギラギラした目」、「ひどい暴言」、「明らかに狂人」――これらすべてが私の「主観的評価」なのだという。
陳述書を含む裁判文書は、具体的な「客観的事実」のみを書かなければならない。同じ意味の文章を書く場合、
「吉良は、証拠もないのに『お前は浮気をした』と言い、私に『ボケ』『ド汚い』と言いました」
となる。
「まどかさんの書いたものをこちらで『事実』のみ残して修正することはできますが、どうしますか? まだ陳述書を提出するのは先のことなので、まどかさんが書き直しますか?」
醍醐弁護士に言われ、「書き直します」と答えた。
なるほど、そうだったか・・・・・。
新聞のニュース記事は「客観的事実」だけではなく、対象者の口調や表情など「主観的評価」を加味して伝える。コラムになると、全面的に「主観的評価」で書いてしまうことが多い。
本訴で提出してきた「陳述書1」と「陳述書2」は、雪之丞の嘘に対する反論形式だった。そのため、おのずと「客観的事実」で構成され、「主観的評価」があまり入らない文章が書けていたのかもしれない。だが、自分の結婚生活を振り返った時、「主観的評価」満載の文章になっていた。
久郷弁護士はいう。
「事実だけにすると、ものすごく面白くない文章になるんです。でもそれが裁判文書なんですよ。事実だけの方が裁判官はきちんと読んでくれるんです。だからさ、まどかさん。結婚前のように、自由な文章を早く書いた方がいいと思うよ。書く筋肉って、衰えるんだよ」
「・・・・・はい」
その後2週間、「評価」を排除して「事実」を書き込むことに専念し、25ページまで縮めた修正版を「上野さくら法律事務所」に持参した。あまり削り過ぎては、重要な法的主張まで削除しかねないので、あとは弁護団に削除を任せることした。
打ち合わせの後、お決まりの飲み会を手短に行い、帰る方向が同じ醍醐弁護士と途中まで一緒に歩いた。
「醍醐先生、コンクールの最終選考までいった作品はどういう内容なんですか?」
陳述書の書き方を教えてくれた醍醐弁護士は、どんな小説を書くのか気になっていた。
「主人公の弁護士が古代にタイムスリップして、社会の諸問題を現代の法律で解決していくというストーリーです。いわゆる異世界モノというライトノベルのジャンルなんですけど、主人公と古代の女性とのラブコメディの要素もあるような作品です」
「へぇ、主人公が医者でタイムスリップしたのが幕末の話だったら、テレビドラマの『JIN-仁-』じゃないですか」
「いや、そうなんですけど、もう少しラブコメの要素が多いんです。弁護士モノのラノベというのが新しい設定なんですよね」
(ふ~ん・・・・・)
本が売れない時代でも、ライトノベルは売れるらしいし、小説のコンクールはラノベのジャンルに限定したものが多い。
このジャンルに挑戦する醍醐弁護士の内なる情熱は大いに刺激になる。ラノベは書けないが、私だって、これからなんだと、沸々と湧き上がるものがあった。
「久郷先生は、私に早く書けって言いますけど、私は裁判が終わって区切りをつけないと書けない。いまは裁判のことで頭がいっぱい、というか・・・・・。だから、久郷先生の励ましは嬉しいんですけど、『書け、書け』と言われると、本音ではちょっとストレスなんです」
作家志望同士。つい醍醐弁護士には本音の弱気が出た。
「それにですね。久郷先生は山崎豊子の名前を出しますけど、山崎豊子は目指す路線ではないと、いまさら言えないし・・・・・」
「そうなんですか。てっきり、まどかさんが山崎豊子のファンなのかと思っていました」
「いいえ、私、山崎豊子の小説、読んだことないんです」
「へぇ~。そうなんだ。きっと久郷先生自身の夢なんでしょうね。でも、まどかさんが久郷先生の夢に従うことはないし、久郷先生だって、ああ言ってますけど、まどかさんが書くのは、どんなジャンルでもいいと思ってるはずです。久郷先生はまどかさんに早く社会復帰してもらいたい、その一心なんですよ」
「・・・・・そうですね」
「僕、刑事事件も多くやってるからこそ思うんですけど、久郷先生のような善人って、滅多にいないですよ。いつも依頼人の離婚後の人生のことまで考えて、嫌われるようなことも平気で言いますから」
「それは全く同感です」
「ヒーローの本質は〝余計なお世話〟なんですよね。毎日のように久郷先生の依頼者へのおせっかいを見てると、うちのボス弁は社会的弱者のヒーローだな、とつくづく思います」
私は醍醐弁護士の話をかみしめていた。久郷弁護士のところには、最高のイソ弁が来てよかったな・・・・・と思いながら。
「とくに、まどかさんの場合、事務所に来た時の顔が今とは全く別人だったらしく、助けてあげたいと思ったそうです。なんとかしないと、この人死んじゃうって思ったそうです。死ぬというのは広義で、個性を殺すという意味だと思いますけど」
「・・・・・よく、わかります。吉良雪之丞との生活は、私が自分自身を押し殺さないと成り立たなかったから。それに、私がいま、大きな挫折をしながら、なんとか生活できているのは、久郷先生のおかげで、久郷先生が集めてくれた弁護団のおかげです。揉めに揉めるような離婚裁判になって、私はどうしようもない失敗者ですが、本当にいい弁護士に出会えて、幸運だと思っています」
「まどかさん、これ、僕の持論ですが、いい弁護士に出会えるのは、その人がいい人だからなんです。それに、久郷先生がまどかさんに期待しておせっかいするのは、まどかさんが真面目で頑張る人だからなんですよ。離婚後に生き生きと仕事をするまどかさんを、久郷先生は見てみたいんだと思います。もし、陳述書を書いたことで、ご自分の気持ちが整理できたなら、一歩前進ですよ。裁判のことは弁護団に任せてもらって、お互いがんばって、世に出る小説を書いていきましょうよ」
陳述書を書く作業は、人生で挫折した自分自身に向き合うためには必要な作業だった。そのうえ、醍醐弁護士の励ましも心に刺さった。
別れ際、私は醍醐弁護士に深々と頭を下げ、横断歩道を渡った。
渡り切ったところで振り返ると、醍醐弁護士がこちらを向いて手を振っていた。私は年甲斐もなく飛び跳ねながら両手を振り、弾むように歩いて帰った。