「貧して鈍する」を50才目前にして体感したお話
「貧すれば鈍する」という言葉をご存知でしょうか?「貧したら丼にする」ではありません。ここで「鈍する」というのは精神活動が鈍くなっちゃうことだそうです。
つまり、お金がなくなる→日々の支払いの不安で頭がパンクして余裕がない→五感をフルに活用できず感覚も思考も鈍る、ということです。
妻と一緒に暮らすまでは、朝から晩まで働いていて、健康保険料等、勝手に天引きされていている上、毎月いくら引かれてるかすら気にもしていない日々でした。
きっと給料をちょろまかされても気づかなかったことでしょう。
しかし、仕事を辞めてしばらくはゆっくりしようと余裕をかましていたものの、引っ越したばかりで予期しない出費の数々。徐々に減ってゆく貯金。なのに容赦なく来る請求書の数々。知らぬ間にお金が出てゆくことばかりに意識が向いてしまう状態になっていました。
妻は、部屋が明るいのが好きなのかあちこち電気をつけるし、消し忘れも多いです。一方、支出監視員と化した私は、灯りがついている=電気代という頭になっていて、とにかく必要とは感じない灯りは片っ端から消してまわっていました。お湯が沸いているのにガスを消さないのも気になる。
自分の神経が電気のスイッチ、ガスコンロ、蛇口にまで張り巡らされてるような感覚です。こう書いていると新種の化け物のような夫ですね。
また、意識が支払いに向いているせいか、お金を搾取されている感覚になり、「税金払ってもロクなことに使ってないじゃん」とか、「こんなに年金払って将来もらえるのかよ」等々、一人ぶつぶつ不平不満を垂れ流すおじさんのようになっていました。
さらには、自分が今後どうしてゆきたいのかもよく分からず、妻にそのようなことを聞かれても「……」で言葉が出て来ません。いい大人が何をしたいのか分からない…。10年後、どうなっていたいのかも浮かばない。「10年後に60歳になりたくない」というのはすぐに出てきますが…、ムダな抵抗ですね。
自分の望みが分からない。これは日々の買い物にも表れていました。例えば食材を買う基準も「これを食べたい」という望みで選ぶのではなく「これなら買える」と可能かどうかが基準を支配します。ある意味で買い物上手なのかもしれませんが、つまらない男です。
以上、貧して鈍している現状を鈍している人間が素描してみました。私がこの場でこういったことを綴っているのは、このような「貧すれば鈍する」状態から少しでも抜けたいから。
鈍している自分を丁寧に言語化してみることで、「貧しているくせにあんまり鈍してない状態」にもって行けるかの実験です。鈍している状態で「10年後どうなっていたいか」考えてみるよりも、鈍トンネルを抜けるのが先だと鈍しながら思っています。
こうして事実を列挙していると、五感が鈍るといいながら、支出に関しては感覚が研ぎ澄まされているように思います。貧しても全ての感覚が鈍るわけではなさそうだということは言えそうですね。
さて、ここまで読まれた方で、「貧して鈍したならはたらけばいいじゃん」と思われた賢明な方もいらっしゃるでしょう。そのことについては、また別の機会綴る予定です。
お読みいただきありがとうございました。