(第5話)言葉の力 - 弁護士の交渉が照らす社会の闇【創作大賞2025ミステリー小説部門応募作】2024/07/30公開
第5話「容疑者の主張」
高橋信也の死後、事件はさらに複雑さを増していた。山田直樹と鈴木博文、それぞれの弁護団が捜査段階で激しく主張を戦わせていたのだ。
山田直樹の弁護人である伊藤雅彦は、警察との面談や報道陣に対して、直樹の無実を訴えていた。
「我々の依頼人である山田直樹氏は、父親との確執はあったものの、殺害には及んでいません。彼にはアリバイがあります」
伊藤は、事件当日の山田直樹の行動を詳細に説明し、彼が犯行現場にいなかったことを主張した。
一方、鈴木博文の弁護人・渡辺久美子は、警察に対して直樹の犯行を強く示唆する証言を行っていた。
「山田直樹氏には明確な動機があります。彼は父親の死を利用して、会社の経営権を手に入れようとしているのです」
渡辺は、山田直樹と父親との確執の詳細や、直樹が会社の経営方針に不満を持っていたことなどを指摘し、彼に殺害の動機があったことを強調した。
双方の主張は平行線をたどり、事件の真相は闇の中だった。警察は両者の主張を慎重に検討しながら、捜査を進めていた。
麻美は、直樹のアリバイについて疑問を感じていた。事件当日、直樹は会社を早退していたというが、その理由が不明確だったのだ。
「山田さん、事件当日、あなたは会社を早退していますね。その理由を教えていただけますか?」麻美は、事務所で直樹と向き合いながら尋ねた。
麻美の問いかけに、直樹は戸惑いを隠せない様子だった。彼は椅子に深く腰掛け、少し考え込むような仕草を見せた。
「その日は、体調が悪くて…。それで、早退したんです」
直樹の言葉は、どこか歯切れが悪かった。彼の目は麻美の視線を避けるように、部屋の中を彷徨っていた。麻美は、彼が何か隠していると感じた。
「具体的にどのような症状だったのでしょうか?」麻美は追及した。
直樹は少し躊躇した後、「頭痛と吐き気です。ストレスからくるものだと思います」と答えた。
麻美はその回答をメモに取りながら、直樹の表情を観察した。彼の言葉には真実味があったが、何か重要な情報を隠しているような印象も受けた。
一方、鈴木博文も不可解な行動を取っていた。山田健太の死後、鈴木は会社の経営に強い影響力を持ち始めていたのだ。
「伊藤先生、鈴木専務は山田社長の死を利用しているようにも見えます。彼の主張には、裏があるかもしれません」麻美は、伊藤との打ち合わせの際に指摘した。
伊藤は眉をひそめながら頷いた。「確かにな。鈴木の行動には不自然な点が多い。彼が主張する直樹の犯行説も、自身の疑いを逸らすためかもしれない」
二人は、鈴木博文の行動を詳しく調べることにした。鈴木の過去の経歴、会社での立場、そして山田健太との関係性など、あらゆる角度から情報を収集し始めた。
事件の調査に没頭する中で、麻美と直樹の関係は微妙に変化していった。直樹は、麻美に心を開き始めていたのだ。
「佐藤さん、君は僕を信じてくれて、ありがとう。君といると、安心できるんだ」ある日、直樹は麻美にそう告げた。
直樹の言葉に、麻美の心は高鳴った。しかし同時に、彼女は自分の立場を冷静に認識しようと努めた。弁護士と依頼人という関係を超えてはいけない、そう自分に言い聞かせた。
ある日の夜、事務所で遅くまで資料を調べていた麻美と直樹。二人は、不意に顔を見合わせた。その瞬間、抑えきれない感情が溢れ出した。
直樹は、突然麻美に近づき、彼女を抱きしめた。麻美は、一瞬身体が硬直したが、次の瞬間、彼の温もりに身を委ねていた。
「佐藤さん、君が好きだ。この事件が終わったら、僕と一緒になってほしい」直樹は麻美の耳元でささやいた。
麻美は、激しく動悸する自分の心臓の音を聞きながら、複雑な思いに駆られた。彼女は直樹の気持ちを受け止めたい気持ちと、プロフェッショナルとしての立場を守らなければならないという義務感の間で揺れ動いた。
「山田さん...私たちは...」麻美は言葉を探したが、適切な返答が見つからなかった。
この出来事は、麻美の心に大きな影響を与えた。彼女は、直樹への感情と、弁護士としての責任の間で葛藤し始めた。
一方、捜査本部では、山田直樹のアリバイに疑問が持たれていた。直樹の早退理由が不自然だと判断されたのだ。
「伊藤先生、警察は山田さんのアリバイに疑問を持っているようです。私たちも、彼の行動を詳しく調べる必要がありそうですね」麻美は、伊藤に報告した。
伊藤は深刻な表情で頷いた。「そうだな。直樹の証言に矛盾がないか、もう一度精査する必要がある。彼の早退後の行動も、詳しく調べなければならない」
麻美は、複雑な心境を抱えながら、調査に専念することにした。真実を知るためには、時に厳しい選択も必要なのかもしれない。彼女は、直樹への個人的な感情を押し殺し、プロフェッショナルとしての冷静さを取り戻そうと努めた。
同時に、鈴木博文の主張にも注目した。鈴木は、直樹の犯行を示唆する証拠を持っていると主張していたが、その具体的な内容はまだ明らかにされていなかった。
「渡辺弁護士、鈴木さんが持っているという証拠について、もう少し詳しく教えていただけませんか?」麻美は、鈴木の弁護人である渡辺久美子に電話で問い合わせた。
渡辺の回答は慎重だった。「具体的な内容については、まだ警察に提出していない段階なので控えさせていただきます。ただ、山田直樹氏の犯行を強く示唆するものだとだけ、お伝えしておきます」
この回答に、麻美はさらに疑問を感じた。なぜ鈴木は、そのような重要な証拠を即座に警察に提出しないのか。そこには、何か別の意図があるのではないか。
事件は、新たな局面を迎えようとしていた。容疑者たちの主張の裏に隠された真実とは?若き弁護士・佐藤麻美は、真相解明への険しい道のりを進んでいく。
彼女は、直樹への感情と、真実を追求する使命感の間で揺れ動きながらも、冷静な判断力を失わないよう自分に言い聞かせた。この事件の真相を明らかにすることが、彼女の責務だった。
麻美は、両容疑者の主張を客観的に分析し、それぞれの矛盾点を洗い出す作業に没頭した。彼女は、真実がどこにあるのか、そしてそれを明らかにするためには何が必要なのか、必死に考え続けた。
【登場人物の整理】
佐藤麻美:主人公。新米弁護士。山田直樹の弁護を担当。
伊藤雅彦:先輩弁護士。麻美とともに山田直樹の弁護を担当。
山田直樹:山田健太の息子。容疑者の一人。麻美に好意を抱く。
鈴木博文:山田製作所の専務。容疑者の一人。
渡辺久美子:鈴木博文の弁護士。
【重要な用語の説明】
・アリバイ(alibi):容疑者が犯行時間に犯行現場にいなかったことを証明する証拠。
ラテン語の "alibi"(〜の他の場所で)に由来する。
第5話終わり
次は第6話
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