(第4話)女性の戦い【創作大賞2024オールカテゴリ部門応募作】
第4話 家族の葛藤
1956年、東京。戦後の復興が進み、高度経済成長の兆しが見え始めていた。美樹の活動は徐々に実を結び、女性の権利に対する社会の認識も少しずつ変化していった。しかし、その変化は新たな問題も生み出していた。
美樹は今、自身の家庭生活と仕事の両立に悩んでいた。3年前に結婚した夫・健太郎との間に生まれた2歳の娘・さくらの子育てと、増え続ける依頼の間で板挟みになっていたのだ。
ある日の夜、美樹が遅くまで事務所で仕事をしていると、健太郎から電話がかかってきた。
「美樹、もう帰ってこないのか?さくらが熱を出して泣いているんだ」
美樹は慌てて帰宅した。さくらは39度の熱で顔を真っ赤にしていた。
「ごめんね、さくら。ママが遅くなってしまって」
さくらを抱きしめながら、美樹は罪悪感に苛まれた。健太郎の表情は硬かった。
「美樹、君の仕事は大切だとわかっている。でも、家庭も大切だろう?」
美樹は言葉に詰まった。彼女は女性の権利のために闘っていたが、その闘いが自身の家庭生活を脅かしているのではないか。そんな疑問が頭をよぎった。
翌日、美樹は母・節子に相談した。
「お母さん、私、このままでいいのかしら」
節子は静かに娘の話を聞いた後、ゆっくりと口を開いた。
「美樹、あなたは正しいことをしているのよ。でも、それは簡単な道ではないわ。家族の理解と協力が必要なの」
その言葉に、美樹は深く考え込んだ。
数日後、美樹は健太郎と真剣に話し合った。
「健太郎、私の仕事は多くの女性たちの未来のために必要なの。でも、それは決して家族を軽視しているわけじゃない。むしろ、さくらのためにも、より良い社会を作りたいの」
健太郎は黙って聞いていたが、やがて静かに頷いた。
「わかった。君の仕事の重要性は理解している。これからは、もっと家事や育児を分担しよう」
この会話を機に、二人は協力して家事と育児を行うようになった。それは当時の日本社会では珍しいことだったが、美樹と健太郎は新しい家族のあり方を模索し始めたのだ。
しかし、周囲の目は厳しかった。
「あの家は変わっているわね。夫が家事をするなんて」
「子どもがかわいそう。母親が仕事ばかりで」
そんな声が、近所から聞こえてくることもあった。
美樹は時に落ち込むこともあったが、そんな時はさくらの笑顔に救われた。
「ママ、がんばって!」
幼いさくらの言葉に、美樹は何度も勇気づけられた。
一方で、美樹の仕事は着実に成果を上げていた。1956年、売春防止法が成立。これは美樹たちの活動が一つの形となった瞬間だった。
法案成立の日、美樹は感極まって泣いた。
「これで、多くの女性たちが救われる」
しかし、この成果は新たな課題も浮き彫りにした。法律は出来ても、現実の社会はすぐには変わらない。むしろ、潜在化した問題に取り組むことの難しさを感じることも多くなった。
そんな中、美樹の事務所に一人の若い女性が訪れた。彼女は元娼婦で、新しい人生を歩み出そうとしていたが、社会の偏見に苦しんでいた。
「佐藤先生、私にも普通に生きる権利はありますよね?」
その言葉に、美樹は強く心を動かされた。法律を変えるだけでなく、社会の意識を変えることの重要性を痛感したのだ。
美樹は、この女性の支援を通じて、より広い視野で女性の権利について考えるようになった。単に職場での平等だけでなく、社会のあらゆる場面での女性の尊厳について、深く考えるようになったのだ。
そんな美樹の姿を見て、健太郎も少しずつ変わっていった。
「美樹、君の仕事は本当に大切だ。これからはもっとサポートするよ」
健太郎の言葉に、美樹は深い感謝の念を覚えた。
家庭と仕事の両立は決して楽ではなかったが、美樹は諦めなかった。むしろ、自身の経験を通じて、多くの女性たちが直面している問題をより深く理解できるようになった。
1957年、美樹は「働く母親の会」を立ち上げた。仕事と育児の両立に悩む女性たちが集まり、互いの経験を共有し、支え合う場所だ。
この会は、徐々に注目を集めていった。メディアにも取り上げられ、社会に新たな問題提起をすることになった。
「なぜ、母親だけが育児の責任を負わなければならないのか」
「男性の育児参加が、社会を変える鍵になるのではないか」
そんな議論が、少しずつ広がっていった。
美樹は、自身の経験を踏まえて、より具体的な提案を社会に向けて発信し始めた。企業内保育所の設置、育児休暇の制度化、柔軟な勤務形態の導入など、今では当たり前に思えることも、当時は革新的な提案だった。
しかし、その道のりは決して平坦ではなかった。
「女性が働くと、家庭が崩壊する」
「子どもの教育に悪影響を与える」
そんな批判の声も、依然として強かった。
美樹は、そんな批判にも丁寧に向き合った。自身の家庭を例に挙げ、夫婦が協力することで、むしろ家族の絆が強まることを説いた。
さくらの成長も、美樹の主張を後押しした。両親が協力して育てられたさくらは、明るく健やかに育っていった。
「ママとパパ、二人とも大好き!」
さくらのその言葉に、美樹と健太郎は幸せを感じた。
1958年、美樹は国会で証言する機会を得た。女性の労働環境改善に関する法案の審議の場だった。
美樹は、自身の経験と、多くの女性たちの声を代弁して語った。
「女性が働くことは、決して家庭を壊すものではありません。むしろ、男女が協力することで、より豊かな家庭生活が実現するのです。そして、それは子どもたちにとっても、より良い環境となります」
美樹の言葉は、多くの議員たちの心を動かした。
この証言をきっかけに、女性の労働環境改善に向けた動きが加速していった。
美樹は、自身の闘いが少しずつ実を結んでいくのを感じていた。しかし同時に、まだまだ多くの課題が残されていることも痛感していた。
「これからよ」美樹は心の中でつぶやいた。「日本の女性たち、そして家族のために、まだまだやるべきことがたくさんある」
美樹の目は、遠い未来を見据えていた。そこには、男女が真に協力し合い、互いを尊重する社会の姿があった。その理想の実現に向けて、美樹の闘いは続いていく。
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