(第9話)心理の迷路 〜善意と狂気の境界〜【創作大賞2025ミステリー小説部門応募作】2024/07/31公開
第9話「明かされる真実」
真夏の太陽が容赦なく照りつける東京の街。桜井由香は額の汗を拭いながら警視庁に向かっていた。事件発生から3週間が経ち、捜査は新たな局面を迎えようとしていた。
警視庁に到着すると、中村警部が急ぎ足で由香に近づいてきた。
「桜井、大きな進展があった。佐藤美香が自主的に警察に出頭してきたんだ」
由香は驚きの表情を浮かべた。「佐藤さんが?何か話してくれたんですか?」
「ああ、吉田理沙からの依頼を告白したんだ。詳しい話は取調室で聞いてくれ」
由香は頷き、急いで取調室に向かった。そこには既に佐藤美香が座っていた。彼女の表情には、罪悪感と決意が入り混じっているようだった。
「佐藤さん、話を聞かせてください」由香は静かに切り出した。
佐藤は深呼吸をして答えた。「はい...私、吉田さんに頼まれて嘘の証言をしてしまったんです」
「どういうことですか?」
「事件当日、吉田さんから電話があって、『今日一緒に映画を見に行ったことにしてほしい』と頼まれたんです。私は最初、何か事情があるんだろうと思って了承しました」
由香は佐藤の言葉を慎重に聞きながら、メモを取った。「それで、実際にはどうだったんですか?」
「実は...その日、吉田さんとは会っていません。私は一人で家にいました」
由香は眉をひそめた。「なぜ、そんな嘘の証言を?」
佐藤は俯いて答えた。「吉田さんは私の大学時代からの親友で...彼女を信じていたんです。でも、最近になって、この嘘が重大な事件に関わっているんじゃないかと不安になって...」
由香は佐藤の証言に、新たな疑念を感じた。吉田理沙のアリバイが完全に崩れ、彼女への疑いが一気に強まった。
取り調べを終えた由香は、急いで中村警部に報告した。
「吉田さんのアリバイが完全に崩れました。佐藤さんの証言によると、事件当日、吉田さんは佐藤さんと一緒にいなかったそうです」
中村警部は腕を組んで考え込んだ。「これは大きいな。吉田理沙の任意同行を要請しよう」
由香は頷いた。「はい。そして、彼女の言動の矛盾点をもう一度洗い出す必要があります」
その日の夜遅くまで、由香は吉田理沙に関する全ての証拠と証言を見直した。そして、彼女の言動に隠された意図が少しずつ見えてきた。
翌日、由香は再び吉田理沙との取り調べに臨んだ。
「吉田さん、佐藤さんが真実を話してくれました。あなたのアリバイは崩れています」
吉田の表情が一瞬凍りついたが、すぐに平静を取り戻した。「...そうですか。佐藤が話したんですね」
「なぜ、嘘のアリバイを作ろうとしたんですか?」
吉田は深く息を吐いてから答えた。「...藤原さんと会っていたことを隠したかったんです。私たちは激しく口論していて...それを知られたくなかった」
「どんな口論だったんですか?」
「藤原さんが、DV加害者との復縁を支持する方針を変えようとしなかったんです。私は、それが被害者を危険に晒すと強く反対しました」
由香は吉田の言葉を注意深く聞きながら、彼女の表情を観察した。表面上は冷静を装っているが、その奥に激しい感情が渦巻いているのが感じられた。
「それで、口論の後はどうなったんですか?」
吉田は少し躊躇してから答えた。「私は怒って先に帰りました。それが...藤原さんを見た最後です」
由香は吉田の言葉に、新たな疑念を感じた。彼女の証言は一貫していたが、それでも何か重要なことを隠しているような印象を受けた。
その後、由香は再び事件現場を訪れた。静まり返った事務所で、彼女は藤原のデスクを丁寧に調べ始めた。そして、引き出しの奥から一通のメモを見つけた。
それは藤原が書いたメモで、吉田理沙の名前が何度も登場していた。
「吉田さんの言うことも分かる。でも、被害者の意思を無視するわけにはいかない。どうすれば、両立できるのか...」
由香は深く息を吐いた。藤原と吉田の間にあった深刻な対立が、より鮮明に見えてきた。そして、この対立こそが事件の核心に迫る鍵になるのではないかと直感した。
翌日、由香は中村警部に報告した。
「吉田さんと藤原さんの間に、支援方針を巡る深刻な対立があったことが分かりました。そして、吉田さんはその事実を隠そうとしていたようです」
中村警部は眉をひそめた。「なるほど。動機としては十分だな。だが、まだ決定的な証拠がない」
由香は頷いた。「はい。でも、吉田さんの言動には明らかな矛盾があります。さらに追及する必要があります」
その日の午後、由香は再び吉田理沙との取り調べに臨んだ。
「吉田さん、あなたと藤原さんの対立は、想像以上に深刻だったようですね」
吉田は少し動揺した様子を見せた。「...そうですね。でも、それは仕事上の対立であって...」
「本当にそうですか?藤原さんのメモには、あなたとの対立に悩んでいる様子が書かれていました」
吉田の表情が一瞬崩れた。「...そうだったんですか」
「吉田さん、正直に話してください。あなたと藤原さんの間で、本当は何があったんですか?」
吉田は長い沈黙の後、ゆっくりと口を開いた。「...藤原さんは、私の元恋人と復縁しようとしていたんです」
由香は驚きの表情を隠せなかった。「元恋人?」
「はい。私がDVを受けていた元恋人です。藤原さんは、彼が更生したと信じていて...」
吉田の言葉に、由香は事件の新たな側面を見た気がした。支援者と被害者、そして加害者。複雑に絡み合った人間関係の中で、何が起きていたのか。
事件の真相に近づくにつれ、由香は自身の中にも葛藤を感じ始めていた。真実を追求することと、関係者の心情に配慮すること。この二つの思いが、彼女の中で軋み始めていた。
しかし、由香は決意を新たにした。この複雑な人間関係の中にこそ、真相への道しるべがあるはずだ。表面上の協調と内面の対立、そして隠された感情。これらを丁寧に紐解いていけば、必ず真実にたどり着けるはずだ。
真実はもう、闇の中からわずかに姿を現し始めていた。由香は、その光を追いかけ続けることを心に誓った。
この話で登場した心理学の概念と新出用語:
二次被害(にじひがい):犯罪や事故の被害者が、事件後に周囲の言動や対応によってさらなる精神的苦痛を受けること。英語では "Secondary Victimization"。"Secondary" はラテン語の "secundarius"(二次的な)に由来し、"Victimization" は "victima"(生贄)から派生した "victim"(被害者)に基づいている。この話では、DVの被害者である吉田が、支援者である藤原の行動によって精神的苦痛を受けている状況を示唆している。
登場人物:
桜井由香(18歳):主人公。新人女性刑事。鋭い洞察力を持つ。
村上健太(40歳):主要容疑者。藤原の元恋人でDV加害者。
田中美咲(32歳):容疑者の一人。藤原と支援方針で対立していた同僚。
藤原美樹(35歳):被害者。DV被害者の自己決定権を重視するボランティアスタッフ。
吉田理沙(38歳):支援グループのカウンセラー。アリバイが崩れ、主要な容疑者として浮上。
佐藤美香(36歳):吉田の親友。吉田のために偽証をしていたことを告白。
中村警部(50歳):由香の上司。ベテラン刑事。
第9話終わり
次は第10話
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