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(第2話)メルカリ創業物語【創作大賞2025ビジネス部門応募作】2024/08/22公開

第2話: 世界への挑戦

2014年夏、東京・六本木のオフィス。メルカリの創業者、山田進太郎の目は、大きなスクリーンに映し出されたグラフに釘付けだった。

「月間流通総額が50億円を突破しました」COOの小泉文明が興奮気味に報告した。

会議室に集まった幹部たちから、歓声が上がる。

山田は満足げに頷いたが、すぐに真剣な表情に戻った。「これは通過点に過ぎない。次のステージに進む時が来た」

「次のステージとは?」CTOの名村卓は、眉をひそめた。

山田の目が輝いた。「アメリカだ」

一瞬の静寂の後、部屋中がざわめいた。

「アメリカ?でも、そこには既にeBayやCraigslistがあります」マーケティング責任者の富島寛が懸念を示した。

山田は立ち上がり、ホワイトボードに向かった。「確かに競争は激しい。でも、我々には武器がある」

彼は「シンプル」「安全」「スピード」と書き出した。

「これらが、メルカリの強みだ。日本で培ったこの強みを、アメリカ市場でも活かせるはずだ」

会議は白熱した。リスクとチャンスが議論され、様々な意見が飛び交った。

最後に、山田が決断を下した。「行こう。アメリカに」

その日から、メルカリの挑戦は新たなフェーズに入った。

山田は、アメリカ進出のリーダーとして、当時CTOだった鶴岡裕太を指名した。

「鶴岡、君に任せたい」山田は真剣な表情で言った。「君ならきっとやれる」

鶴岡の目に決意の色が宿った。「はい、必ず成功させます」

2014年10月、鶴岡率いるチームがサンフランシスコに飛んだ。

現地での立ち上げは困難の連続だった。オフィス探し、人材採用、法的手続き。すべてが日本とは勝手が違った。

ある日、鶴岡は深夜までオフィスで作業を続けていた。疲れ切った表情で画面を見つめる彼に、同僚の佐藤健(仮名)が声をかけた。

「大丈夫ですか、鶴岡さん」

鶴岡は苦笑いを浮かべた。「正直、簡単じゃないな。でも、諦めるわけにはいかない」

彼らは夜遅くまで、アメリカ版メルカリの開発に没頭した。

2014年12月、ついにメルカリの米国版アプリがローンチした。

しかし、初期の反応は芳しくなかった。ダウンロード数は伸び悩み、ユーザーの定着も難しかった。

東京のオフィスに悪いニュースが届く度、チームの雰囲気は重くなった。

ある日、山田は緊急の幹部会議を招集した。

「現状を正直に教えてくれ」

鶴岡がビデオ会議で報告した。「正直に言って、厳しい状況です。競合との差別化が難しく、ユーザー獲得に苦戦しています」

会議室に重苦しい空気が流れる。

しかし、山田の表情は冷静だった。「分かった。でも、ここで諦めるわけにはいかない。むしろ、ここからが本当の勝負だ」

彼は立ち上がり、ホワイトボードに向かった。

「まず、ローカライズを徹底する。アメリカの文化に合わせたUIの改善、現地のニーズに応じた機能の追加。それと、マーケティング戦略も見直そう」

山田の言葉に、チームの目に再び光が宿った。

それからの数ヶ月間、日米のチームは昼夜を問わず働いた。

アプリは何度も改良され、マーケティング戦略も大幅に見直された。特に、若い世代をターゲットにしたSNSキャンペーンが功を奏し始めた。

2015年半ば、ようやく明るい兆しが見え始めた。

「山田さん、アメリカでのダウンロード数が急増しています」鶴岡が興奮気味に報告した。

山田の顔に笑みが広がった。「よくやった、鶴岡。みんなの頑張りが実を結び始めたな」

しかし、彼はすぐに真剣な表情に戻った。「でも、これはまだ始まりに過ぎない。本当の勝負はこれからだ」

アメリカでの挑戦が続く中、日本でのビジネスも急成長を続けていた。

2015年3月、メルカリは日本郵便と業務提携を発表。これにより、メルカリで売れた商品を全国のコンビニエンスストアから発送できるようになった。

「この提携で、ユーザーの利便性が大幅に向上します」記者会見で、山田は自信を持って語った。

提携の効果は絶大だった。取引数は飛躍的に増加し、ユーザー数も急増した。

「山田さん、月間流通総額が100億円を突破しました!」小泉が興奮した様子で報告した。

山田は満足げに頷いたが、すぐに次の課題に目を向けた。「よし、次は250億円を目指そう」

チームの士気は上がり、全員が新たな目標に向かって邁進した。

一方で、急成長に伴う課題も浮上していた。

「不正利用の報告が増えています」セキュリティ担当の浜川泰介(仮名)が報告した。

山田の表情が引き締まる。「ユーザーの信頼を失えば、すべてが水の泡だ。セキュリティ強化は最優先事項だ」

チームは再び昼夜を問わず働いた。AI技術を活用した不正検知システムの導入、本人確認プロセスの強化、24時間体制のモニタリングチームの設置。次々と新しい対策が実施された。

これらの取り組みが実を結び、メルカリの評判は着実に向上していった。

2015年も終わりに近づいたある日、山田は東京タワーの展望台に立っていた。眼下に広がる東京の夜景を見つめながら、彼は過去2年間の軌跡を振り返っていた。

創業時の不安と興奮。初めてのサービスローンチ。急成長の喜び。アメリカ進出の苦労。そして、今なお続く挑戦。

「まだまだ道は長い」山田は呟いた。「でも、必ず世界を変えてみせる」

その時、ポケットの中の携帯電話が鳴った。画面には「鶴岡」の名前。

「もしもし、鶴岡か」

「山田さん、アメリカでビッグニュースです!」鶴岡の声は興奮に震えていた。「TechCrunchが我々を『最も注目すべきスタートアップ』の一つに選んでくれました!」

山田の目が輝いた。「やったな、鶴岡!みんなの頑張りが認められたんだ」

電話を切った後、山田は再び夜景に目を向けた。東京の輝く街並みが、今や世界に広がるメルカリの可能性を象徴しているかのようだった。

「世界を、もっと素敵なマーケットプレイスに」

山田の心に、創業時の決意が再び燃え上がった。

2016年、メルカリの挑戦は新たな局面を迎えた。

1月、山田は全社員を集めて重要な発表を行った。

「みんな、聞いてくれ」山田の声には力強さがあった。「我々は次のステージに進む。今年中に東証マザーズへの上場を目指す」

会場にどよめきが走る。

「上場?」「もうそんな段階なのか?」社員たちの間で興奮が広がった。

山田は続けた。「上場は通過点に過ぎない。我々の目標は、世界中の人々にとって、なくてはならないサービスになること。その実現のために、もっと大きな舞台に立つ時が来たんだ」

その日から、メルカリのオフィスはさらに活気に満ちた。上場準備のための新たなプロジェクトチームが発足し、全社一丸となって取り組みが始まった。

しかし、道のりは決して平坦ではなかった。

4月、突如として障害が発生。アプリが数時間にわたってダウンするという事態に見舞われた。

「原因は何だ?」山田の声には焦りが滲んでいた。

「サーバーの過負荷です」CTOの名村が報告した。「想定以上のアクセスが集中して...」

山田は深いため息をついた。「すぐに対策を。そして、ユーザーへの説明と謝罪を」

チームは徹夜で対応に当たった。システムの増強、負荷分散の見直し、緊急時の対応プロセスの再構築。様々な施策が矢継ぎ早に実施された。

この危機を乗り越え、メルカリのシステムはより強固なものとなった。

6月、ついに上場申請のニュースが発表された。

「メルカリ、東証マザーズ上場へ」

大手メディアが一斉に報じ、業界に大きな衝撃が走った。

「山田さん、おめでとうございます!」小泉が興奮した様子で駆け寄ってきた。

山田は微笑んだが、すぐに真剣な表情に戻った。「ありがとう。でも、これはゴールじゃない。むしろスタートラインに立っただけだ」

その言葉通り、上場に向けての準備は全社員の総力戦となった。財務諸表の精査、企業統治体制の強化、投資家向けプレゼンテーションの準備。すべてが初めての経験だった。

そんな中、アメリカでも新たな展開があった。

「山田さん、アメリカでの月間流通総額が1000万ドルを突破しました!」鶴岡が興奮気味に報告した。

山田の顔に笑みが広がった。「よくやった、鶴岡。君たちの頑張りが実を結んでいるな」

アメリカでの成功は、上場に向けての大きな後押しとなった。

2016年も終わりに近づいたある日、山田は六本木ヒルズの展望台に立っていた。眼下に広がる東京の夜景を見つめながら、彼は過去3年間の軌跡を振り返っていた。

創業時の不安と興奮。初めてのサービスローンチ。急成長の喜び。アメリカ進出の苦労。そして、今や上場を目指すまでに至った現在。

「ここまで来られたのは、みんなのおかげだ」山田は心の中で呟いた。

その時、ポケットの中の携帯電話が鳴った。画面には「小泉」の名前。

「もしもし、小泉か」

「山田、大変だ!」小泉の声には焦りが滲んでいた。「上場審査で重大な指摘事項が出たんだ」

山田の表情が一瞬で引き締まった。「分かった。すぐに戻る」

電話を切った後、山田は再び夜景に目を向けた。東京の輝く街並みが、今や世界に広がるメルカリの可能性と、その前に立ちはだかる課題を象徴しているかのようだった。

「必ず乗り越えてみせる」

山田の心に、新たな決意が燃え上がった。メルカリの挑戦は、また新たな局面を迎えようとしていた。

(続く)

#創作大賞2025  #ビジネス部門


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