(第4話)Twitter社創業物語【創作大賞2025ビジネス部門応募作】2024/08/25公開
第4話: 上場への道
2012年、Twitterは新たな転換点を迎えていた。急速な成長を続ける一方で、収益化の課題に直面していたのだ。ジャック・ドーシーは、会長としてこの重要な局面に深く関わっていた。
1月26日、Twitterは重要な発表を行った。中国、エジプト、タイ、イランなど、特定の国からの要請があった場合に、その国でのみツイートをブロックできる機能を導入すると発表したのだ。
この決定は、Twitterの経営陣にとって非常に難しいものだった。ドーシーは、深夜まで続いた役員会議を思い出していた。
「これは難しい決断だった」とドーシーは後に語っている。「我々は言論の自由を重視している。しかし同時に、各国の法律も尊重しなければならない。グローバル企業として、このバランスを取ることは非常に難しい。」
会議室には重苦しい空気が漂っていた。ドーシーは窓の外を見つめながら、深く考え込んでいた。
「我々の使命は、世界中の人々の声を届けることだ」とドーシーは静かに語り始めた。「しかし、それは時に法的な問題を引き起こす可能性がある。我々は、可能な限り多くの情報を共有しつつ、各国の法律も遵守する方法を見つけなければならない。」
この決定は、多くの批判を浴びることになった。言論の自由を制限するものだという声が上がったのだ。しかし、Twitterはこの決定を擁護した。
「我々の目的は、可能な限り多くの情報を世界中で共有することだ」とTwitterの公式声明は述べている。「この新しい機能により、特定の国でのみコンテンツをブロックし、他の国では引き続き閲覧可能にすることができる。これは、以前のように全世界でコンテンツを削除するよりも、情報の流れを制限しない方法だ。」
3月、Twitterは広告プラットフォームを大幅に拡充した。小規模企業向けのセルフサービス広告プラットフォーム「Twitter for Small Business」を立ち上げたのだ。これにより、中小企業もTwitter上で簡単に広告を出稿できるようになった。
ドーシーは、この新しい広告プラットフォームの発表会で熱心に語った。「Twitterの力を、あらゆる規模の企業に提供したい」と彼は述べた。「大企業だけでなく、街角の小さな店舗も、世界中の潜在的な顧客とつながることができるはずだ。我々は、ビジネスの民主化を目指している。」
この動きは、Twitterの収益化戦略の重要な一歩となった。広告収入は急速に増加し、Twitterの財務状況は改善していった。
6月、Twitterはロゴを刷新した。シンプルな青い鳥のデザインは、Twitterのブランドイメージを一新させた。
新しいロゴの発表会で、ドーシーは熱く語った。「この新しいロゴは、Twitterの本質を表現している」と彼は説明した。「シンプルで、力強く、そして自由。まさに我々が目指すものだ。鳥が飛び立つ姿は、情報が世界中に広がっていくイメージを表している。」
しかし、2012年最大の出来事は、11月6日のアメリカ大統領選挙だった。この選挙で、Twitterは政治コミュニケーションの新たな舞台として、その存在感を示すことになる。
選挙当日、Twitterのオフィスは異常な熱気に包まれていた。ドーシーは、大型スクリーンに映し出されるリアルタイムのツイート数を見つめていた。
選挙当日、1分間に最大327,452件のツイートが投稿された。オバマ大統領の再選が確実になった瞬間には、「Four more years」というツイートと共に投稿された抱擁する夫妻の写真が、瞬く間に80万回以上リツイートされた。
「これは、Twitterの力を如実に示すものだった」とドーシーは振り返る。「政治家と有権者が直接つながり、リアルタイムで対話できる。これは、民主主義の新しい形だ。」
しかし、この出来事は新たな課題も浮き彫りにした。選挙期間中、Twitterでは多くの偽情報や誤解を招くツイートが拡散された。これらの問題に対処するため、Twitterは fact-checking(事実確認)の取り組みを強化することを決定した。
「我々には、健全な対話の場を提供する責任がある」とドーシーは語った。「自由な表現を守りつつ、同時に有害な偽情報の拡散を防ぐ。これは簡単なバランスではないが、我々は最善を尽くさなければならない。」
2012年末、Twitterの月間アクティブユーザー数は2億人を突破した。1日のツイート数は5億件に達し、毎秒5,700件のツイートが投稿されていた。
この急成長は、Twitterに新たな挑戦をもたらした。サーバーの負荷は増大し、システムの安定性を維持することが重要な課題となった。同時に、スパムや不適切なコンテンツへの対処も急務となっていた。
ドーシーは、深夜のオフィスで一人、これらの課題について思索を巡らせていた。窓の外には、サンフランシスコの夜景が広がっている。
「我々は、成長のスピードに追いつくのに必死だった」とドーシーは後に語っている。「技術的な課題、倫理的な問題、法的な問題。すべてが同時に押し寄せてきた。しかし、これらの課題に真摯に向き合うことで、我々は強くなれると信じていた。」
2013年に入ると、Twitterの上場に向けた動きが本格化していった。3月21日、Twitterは音楽発見サービス「Twitter #music 」を発表。これは、Twitterのデータを活用して、ユーザーに新しい音楽を推薦するサービスだった。
発表会でドーシーは、熱心に新サービスについて説明した。「我々は常に新しい可能性を探っている」と彼は語った。「Twitterは単なるテキストベースのプラットフォームではない。音楽、映像、あらゆる形のコンテンツを、人々がより簡単に発見し、共有できるようにしたい。」
しかし、この試みは期待通りの成果を上げることができなかった。翌年、Twitter #musicは終了することになる 。
この失敗は、ドーシーに大きな衝撃を与えた。しかし、彼はこの経験から学ぶことを決意した。
「失敗を恐れてはいけない」とドーシーは社員たちに語りかけた。「重要なのは、失敗から学び、次の挑戦に活かすことだ。イノベーションの道には、常に失敗のリスクがある。しかし、そのリスクを恐れて挑戦をやめてしまえば、我々は成長することができない。」
6月、Twitterは動画共有サービス「Vine」を立ち上げた。6秒間のループする短い動画を共有できるこのサービスは、瞬く間に人気を集めた。
「Vineは、Twitterの哲学を動画の世界に拡張したものだ」とドーシーは説明した。「短く、簡潔で、創造性に富んだコンテンツ。これこそが、我々が目指すものだ。」
9月12日、Twitterは極秘裏に提出していた新規株式公開(IPO)の申請書を公開した。この発表は、テクノロジー業界に大きな衝撃を与えた。
ドーシーは、この重要な発表の前夜、オフィスの屋上で深い思索に耽っていた。サンフランシスコの夜景を見下ろしながら、彼はTwitterの journey を振り返っていた。
「これは、Twitterにとって新たな章の始まりだ」とドーシーは語った。「我々は、より多くの人々に価値を提供し、より大きな影響を与えることができる。同時に、株主に対する責任も負うことになる。これは大きな挑戦だが、我々はその準備ができている。」
IPOに向けた準備は急ピッチで進められた。Twitterは、財務状況の改善、ガバナンスの強化、そして新たな収益源の開拓に全力を注いだ。
11月6日、Twitterはニューヨーク証券取引所に上場した。初値は26ドルで、取引開始後すぐに45ドルまで上昇。時価総額は250億ドルに達した。
上場の日、ドーシーはニューヨーク証券取引所の前に立ち、感慨深げに空を見上げた。7年前、彼が最初のツイートを投稿した時には、まさかこのような日が来るとは想像もしていなかった。
「これは、Twitterの歴史における重要な節目だ」とドーシーは報道陣に語った。「しかし、我々の使命は変わらない。世界中の人々の声を届け、対話を促進し、情報へのアクセスを民主化すること。これからも、この使命のために全力を尽くしていく。」
Twitterの上場は、シリコンバレーの成功物語の象徴となった。小さなスタートアップから始まり、世界を変えるプラットフォームへと成長し、そして今や公開企業となった。その道のりは決して平坦ではなかったが、ドーシーとTwitterチームの情熱と努力が、この成功を可能にしたのだ。
しかし、上場はゴールではなく、新たな挑戦の始まりでもあった。株主の期待に応え、継続的な成長を実現すること。そして同時に、Twitterの理念と使命を守り続けること。これらのバランスを取ることが、Twitterの新たな課題となった。
ドーシーは、この新たな局面に立ち向かう決意を新たにした。「我々はまだ旅の途中だ」と彼は語った。「Twitterの可能性は、まだ十分に引き出されていない。これからも革新を続け、世界により大きな影響を与えていく。それが、我々の責任であり、使命だ。」
Twitterの上場は、テクノロジー業界に大きな影響を与えた。多くの起業家たちが、Twitterの成功に刺激を受け、新たな挑戦に踏み出した。ドーシーの物語は、夢を持ち続け、挑戦し続けることの重要性を示す象徴となったのだ。
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