(第8話)言葉の力 - 弁護士の交渉が照らす社会の闇【創作大賞2025ミステリー小説部門応募作】2024/07/30公開
第8話「揺らぐアリバイ」
佐藤麻美は、加藤裕次との面会を終え、重い足取りで法律事務所に戻った。彼女の頭の中では、加藤の言葉が何度も反芻されていた。
「確かに高橋さんとは親しかったです。でも、それは単なる取引関係です。殺人なんて、とんでもない」
麻美は、加藤の表情や態度に違和感を覚えていた。彼の言葉は滑らかすぎるように感じられ、どこか作り物めいた印象を受けた。
事務所に着くと、先輩弁護士の伊藤雅彦が麻美を出迎えた。彼の目には、若い後輩を気遣う優しさと、事件への鋭い関心が混ざっていた。
「麻美さん、どうだった?」伊藤が声をかけてきた。
麻美は深呼吸をして、整理した思考を言葉にした。「加藤さんは、高橋さんとの関係を認めましたが、殺人への関与は強く否定しています。でも…」
「でも?」伊藤は麻美の言葉を促した。
「何か引っかかるんです。証拠はないんですが、直感的に…加藤さんは何か隠しているように感じました」
伊藤は麻美の言葉に真剣な表情で耳を傾けた。彼は若い後輩の鋭い直感を信頼していた。「なるほど。その直感は大切にしたほうがいいな。具体的にどんなところが引っかかった?」
麻美は自分の観察を細かく説明した。加藤の微妙な表情の変化、言葉の選び方、体の動きなど、彼女が感じた違和感のすべてを伝えた。
伊藤は麻美の説明を聞きながら、頷いていた。「よく観察している。これらの情報は重要かもしれない。警察にも伝えてみよう」
二人は警察に連絡を取り、加藤との面会で得た情報と麻美の感じた違和感を伝えた。警察は、この情報を基に更なる調査を約束した。
翌日、警察から連絡が入った。加藤のアリバイに疑問が生じたというのだ。
「加藤は、山田社長殺害の夜、自宅にいたと主張していますが、その時間帯に会社の近くで目撃証言があがっています」刑事は慎重に言葉を選んだ。
麻美はこの情報に、心臓が高鳴るのを感じた。彼女の直感が間違っていなかったことの証明だった。「これは重要な情報です。ありがとうございます」
伊藤も真剣な表情で頷いた。「これで事態が動き出すかもしれないな」
麻美は、この新しい情報を元に、依頼人である山田直樹との面会を決意した。彼女は山田に連絡を取り、急ぎの面会を申し入れた。
翌日、山田が事務所を訪れた。彼の表情には疲れが見えたが、目には希望の光があった。
「山田さん、新しい情報が入りました」麻美は丁寧に説明を始めた。「加藤さんのアリバイに疑いが出てきたんです」
山田は驚いた様子で答えた。「そうですか…加藤が?彼とはあまり接点がなかったのですが…」
麻美は慎重に質問を続けた。「加藤さんと高橋さんの関係について、何か知っていますか?些細なことでも構いません」
山田は少し考え込んでから答えた。「そういえば、二人がよく一緒にいるのを見かけました。でも、仕事の話をしているものだと思っていました。ただ…」
「ただ?」麻美は山田の言葉を促した。
「最近、二人の様子が少し変だったんです。何か緊張感があるように見えました」
麻美はこの情報を注意深くメモに取った。彼女は、加藤と高橋の関係が事件の鍵を握っているという直感を強めていた。
面会後、麻美は伊藤と相談し、警察に更なる調査を依頼することにした。彼らは、加藤のアリバイをより詳細に調査するよう要請した。
数日後、警察から新たな報告があった。加藤の自宅付近の防犯カメラ映像を分析したところ、彼が主張していた時間帯に外出していた形跡が見つかったという。
麻美はこの情報を聞いて、興奮を抑えきれなかった。「これは大きな進展です」
伊藤も同意した。「ああ、加藤の証言の信憑性が揺らいできたな。でも、まだ決定的な証拠ではない。慎重に進めよう」
麻美は再び山田との面会を設定した。彼女は、この新しい情報が山田にとってどのような意味を持つのか、慎重に説明する必要があった。
「山田さん、加藤さんのアリバイが崩れかけています」麻美は静かに、しかし力強く言った。「これは、あなたの無実を証明する大きなチャンスかもしれません」
山田の表情に、安堵の色が広がった。「本当ですか?ありがとうございます、佐藤さん。あなたの尽力のおかげです」
麻美は山田の言葉に、責任の重さを感じた。「まだ終わりではありません。これからが正念場です。真相を明らかにするため、さらに調査を進めていきます」
面会を終えた後、麻美は事務所で深夜まで資料を調べ続けた。彼女は、これまでの証言や証拠を丁寧に見直し、新たな関連性を見出そうと必死だった。
そんな中、麻美の携帯電話が鳴った。画面には「匿名」の文字。彼女は少し躊躇してから電話に出た。
「もしもし、佐藤です」
電話の向こうから、か細い声が聞こえてきた。「佐藤さん…私、重要な情報があります。加藤さんと高橋さんのことで…」
麻美は息を呑んだ。この匿名の情報提供者が、事件の真相を握る鍵を持っているかもしれない。彼女は、これからの展開に身を引き締めた。
「お話しいただけますか?」麻美は落ち着いた声で尋ねた。
「はい…」情報提供者は躊躇いながらも話し始めた。「私、加藤さんと高橋さんが密会しているところを見たんです。それも、山田社長が亡くなる直前に…」
麻美は急いでメモを取り始めた。「具体的に、いつ、どこで見たのか教えていただけますか?」
情報提供者は詳細を話し始めた。その内容は、加藤と高橋が事件の前日、会社近くの喫茶店で激しく口論していたというものだった。
「二人とも興奮していて…高橋さんが『もうやめよう』と言っていたのを覚えています」
麻美はこの情報の重要性を即座に理解した。これは、加藤と高橋の関係が単なる取引以上のものであることを示唆していた。
電話を切った後、麻美は伊藤に連絡を入れた。深夜にもかかわらず、伊藤はすぐに電話に出た。
「伊藤さん、新しい情報が入りました」麻美は興奮を抑えきれない様子で報告した。
伊藤は麻美の報告を聞いた後、しばらく沈黙した。「これは重要だな。明日、早速警察に連絡を取ろう。でも、匿名の情報提供者の証言だけでは不十分だ。裏付けが必要になるぞ」
翌日、麻美と伊藤は警察に情報を提供した。警察は即座に動き出し、加藤と高橋が目撃された喫茶店の防犯カメラ映像の確認を始めた。
数日後、警察から連絡が入った。防犯カメラ映像で、確かに加藤と高橋が激しく口論している様子が確認されたという。
この新たな証拠は、事件の様相を大きく変えた。警察は加藤を任意で事情聴取することを決定し、麻美たちにもその場に立ち会うよう要請があった。
事情聴取の日、加藤は明らかに動揺した様子で警察署に現れた。麻美は、加藤の表情の変化を注意深く観察した。
「加藤さん、あなたと高橋さんの関係について、もう一度詳しくお聞かせください」刑事が尋問を始めた。
加藤は言葉を選びながら答え始めた。「高橋さんとは…確かに取引以上の関係がありました。不正経理に関与していたんです」
麻美はこの告白に、事件の核心に迫った感覚を覚えた。彼女は、加藤の言葉の一つ一つに耳を傾けながら、真相に迫る決意を新たにした。
【登場人物の整理】
佐藤麻美:主人公。新米弁護士。鋭い直感と粘り強さで真相に迫る。
伊藤雅彦:先輩弁護士。麻美の直感を信頼し、サポートする。
山田直樹:被害者の息子。麻美の依頼人。
加藤裕次:会社の外部関係者。不正経理に関与していた疑いが浮上。
高橋信也:経理部長。加藤と共謀していた可能性が高まる。
【重要な用語の説明】
・アリバイ(alibi):犯罪が行われた時、被疑者が犯行現場以外の場所にいたことを示す証拠。ラテン語の「他の場所で」という意味の "alibi" に由来する。
【弁護士の交渉術のまとめ】
観察力:麻美は加藤の微妙な表情や態度の変化を見逃さず、重要な情報を引き出した。
情報の共有と協力:警察との適切な情報共有により、捜査の進展につながった。
依頼人との信頼関係:山田との面会を通じて、新たな情報を引き出し、信頼関係を深めた。
粘り強い調査:深夜まで資料を調べ、新たな関連性を見出そうとする姿勢が重要な情報につながった。
冷静な判断:匿名の情報提供者からの情報を慎重に扱い、裏付けを取る必要性を認識した。
これらの交渉術は、真相に迫る上で非常に重要です。初心者の弁護士も、これらのポイントを意識しながら業務に臨むことで、スキルアップを図ることができるでしょう。
第8話終わり
次は第9話
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