京都・街の湧水8

28下鴨神社の御井、三本杉の井


 下鴨神社の社域は水の宝庫だ。湧水の多さでは京都の古社寺で最も多い。賀茂川と高野川が合流して伏流水が豊かな三角デルタ、水を蓄える糺の森があることもあって、いたるところに湧水がある。
 境内に瀬見の小川、奈良の小川、高野川の分流・泉川の細流があることも湧水の多さにつながっている。しかも湧水の井戸がそれぞれ個別になっていることがすごい。

御神水をくむ御井

神饌用の井戸・御井。左は大炊殿

御井は奥の院

 本殿に向かって左側にある三井社の祠が神社の主祭神。主祭神は「水の神」であることが推察できる。三井社の左手に小祠3殿があり、中央が「水分(みくまり)神」。3殿のわきに古井戸がある。その左側に神様の台所である大炊殿(おおいどの)と古井戸の「御井(みい)」がある。大炊殿も御井も古都らしく古格な風情の建物だ。

 大炊殿は神前に供えるご飯などの神饌(しんせん)を古代様式で調理する建物。火を扱うので、本殿からできるだけ離れた場所にあり、神饌調理に水を用いるので、建物のわきや近くにはたいがい井戸がある。

神饌用を調理する大炊殿。右は御井

 かつて、主に穀物を調理する大炊殿のわきに魚介類を調理する贄(にえ)殿と酒殿があった。1467年から10年間続いた応仁の乱で焼失。大炊殿だけが再建されたという。大炊殿は公開され、竈(かまど)のある「おくどさん」や調理具、神饌などが展示されている。
 古代から日本人が神々に何を備えてきたか、家屋の構造が大きく変化し、家屋敷に井戸や竈などもなく神々がどこにいるのかも知らない世代が増える中、大炊殿に展示の神饌を見ておいた方がいいと思う。

神饌を展示


イセエビ(手前)など神饌が展示された大炊殿

 下鴨神社で湧水の格付けナンバー1は、何と言っても神社の真正な御神水をくむ「御井」。「今でも湧水があります」と巫女(みこ)さんが教えてくれた。「御井」は本来、元旦の寅の刻(午前4時)に初春の若水をくみ上げ、神前にお供えされる。多忙な元日におごそかな神事をやる時間がないので例年、師走のうちに厳粛な若水神事が行われ、薬種の仕込みにも利用されるため、御井からの水が桶いっぱいにくみ上げられる。

御井の内部。御神水をくむ桶が2つあった

神降臨の水ごしらえ場

 「御井」の説明版によると、井戸の井筒(づつ)を井戸屋形といい、建物の上屋を井戸屋と言って、全体で「御井」と呼ぶ。「御井」の南前に神が寄り付く磐座(いわくら)があり、ここが「水ごしらえ場」とされている。水はまず神々が依(よ)る磐座に、磐座の場で献上されるのだ。
 磐座は京都市左京区松ヶ崎にある古社「末刀(まと)社」の神か、京都市内最高峰の愛宕山(標高924㍍)の「火伏神」が降臨した場所とされている。
 「末刀社」は松ヶ崎・林山の斜面にある。本殿はなく山そのもの、岩そのものが神体山、御神体。磐座そのものを拝礼する形だ。磐座の岩質はチャート。「末刀岩上神社」といわれ、かつては「岩神大明神」ともいわれた。祖霊や神々が磐座に寄り着くとされる古代の磐座信仰が今も生きている。

御井と手前の磐座が神降臨の水ごしらえ場

薬種は参拝者にも有料授与

 若水神事は下鴨神社でもかなり古くから伝わる神事の一つだ。御井の水は、大炊殿で調理される神前供えの料理や神酒「お薬酒」用の水や市中の料理屋、和菓子屋が使う正月料理、和菓子にも使われるという。「お薬酒」は10数種類の薬草をブレンドして清酒に浸した酒。参拝者は神事の後、有料で授与される。

神饌用の素材を保管する氷室

 大炊殿の北側に三角屋根の「氷室」がある、屋根はヒノキの樹皮の檜皮(ひわだ)葺(ふ)き。屋根の下に石囲いの浅井戸(深さ約1㍍、横1・5㍍、縦1㍍)がある。井戸といっても常時、水がない空井戸。この浅井戸に冬場に張った氷を入れ、ワラやむしろをかぶせて融解を防ぎ、夏場の暑い盛りに使ったとみられる。
大炊殿のあたりは神社でも奥の院。有料で特別公開され、御手洗社の奥に入り口がある「浦」の回廊から社殿の裏側を通るので、神社の古くからの成り立ちをも知ることができる。

三本杉の井

独自の水源を持った三本杉の井の手水場

自慢の湧水の1つ

 下鴨神社にはきれいな水が湧き出る「御手洗(みたらし)の水源が幾つかある。西門にある「三本杉の井」もその一つ。社伝によると、1161(応保元)年の式年遷宮の記録に載るという。神社自慢の湧水の1つだ。

舟形の磐座を用いた手水場

 湧水が数ある糺の森の中で独立した井戸の一つ。手水場は舟形の磐座(いわくら)だ。2023年1月9日に訪れ、手洗いのついでに水を飲んだ。井戸水らしく温く、やわらかい。神社は飲用を薦めていないが、うまい水だった。

 

手水場は舟形の磐座

 三本杉の手水場近くの駐車場からの入り口にも似たような手水場がある。やはりやわらかな口あたりの良い水が流れている。推測だが三本杉の井戸と同じ水源だと思った。

手水場の背景は古代の記録から独特の透塀(すきべい)

 

御手洗社の湧水

 下鴨神社境内は湧水の宝庫だけに境内摂社、末社を含めて何カ所も湧水箇所がある。楼門内にある井戸でも社殿わきにある御手洗社、比良木神社、楼門外の糺の森にある、河合神社真向かいの三益社、古格な装いの馬場わきの垂水がある。そのうち手水場が設けられている湧水について、神社は薦めていないがほとんど生水で飲める。

社殿に向かって右側にある御手洗社からの湧水がせせらぎとなって御手洗池に注ぐ

 垂水隣の河崎社の池に2カ所湧水があるが、残念ながら手水場がない。また奈良の小川の水源も湧水だが、やはり手水場がない。あれば飲めるはずだ。

河崎社の湧水箇所は左端上と右端下の2カ所にある

29賀茂波爾神社の波爾井御薬水


賀茂波爾(はに)神社の入り口

 賀茂波爾(はに)神社の湧水は御薬水とか波爾井御神水と呼ばれる。場所は京都市左京区高野上竹屋町36。叡山電鉄・一乗駅近く、東大通りからやや西に入った一乗寺の住宅街にある。
 1年中、社殿手前右手の2カ所から地下水が湧き出ている。一帯は埴(はに)川=現在の高野川=の河川敷だった。高野川の伏流水と東山丘陵の森が蓄えた水が交じり合って、豊かな水が湧き出している。

1本目の水くみ場

人気の水くみ場

 湧水の水くみ場は社殿の右手前に2カ所ある。1年中、水が流れ続けている。近所の人がポリタンクやペットボトルを持って続々と水を入れに訪れる。人気の水くみ場だ。
 12㍑入りポリタンクとペットボトルを持ってきた若い男性は「母親に長生きしてもらいたいので、お袋が使う水はすべてここの水。自分も家を持ったら井戸を掘りたい」と話した。この水は無病息災の健康水であり長寿水だった。水をくむ人たちの間では薬水信仰が続いている。京都市民が井戸を大切にする心が今も生きている。

2本目の水くみ場

 社伝によると、高野川が河川改修前の埴(はに)川は洪水を起こしたり、水枯れが起きたりで治水が難しい川だったという。神社はかつて埴川左岸沿いにあった。洪水で社殿は流失した。
 埴川は現在の神社に近い東寄りを流れていたといわれ、河川改修で現在の流路になった。境内に「高野川開墾来歴碑」が建つ。流域は江戸時代中期の1671(寛文11)年、大坂の商人が一帯を開墾し、近在の農民らが入植して新しい村ができた。

かつて赤の宮

 明治政府は寺社に対して所有地を没収するなど好き勝手なことをやったが、「赤の宮神社」「赤の宮稲荷」の社名で江戸時代、地元住民に慕われていた社を賀茂御祖神社の境外摂社にしてしまった。稲荷の名残として社殿に向かって右側に稲荷社と鳥居がある。
 上賀茂神社の境内摂社・土師尾社に相当するともいわれ、下鴨神社の宮司が赤の宮を勧請したことや古代からのつながり、縁からやむを得ないこともあるが、地元住民は戸惑ったと思う。

かつて赤の宮とよばれた社殿

 賀茂波爾神社は平安時代に編さんの延喜式神名帳に載る古社。近世以前の所在地がどこだったか不明。江戸時代の1679(延宝7)年に下鴨神社の宮司がこの地に移したといわれる。現在の本殿が造られたのは1855(安政2)年。
 1877(明治10)年に下鴨神社の第4摂社になった。水量の豊富さから、摂社のなかでも最も下鴨神社に似つかわしく、ふさわしい摂社といえる。

賀茂波爾神社の拝殿

 賀茂波爾神社は、賀茂建角身とその娘とされる玉依媛を祀る御蔭神社と同じように下鴨神社の境外摂社。御蔭神社での御蔭祭の際、御蔭山で迎えた建角身と玉依姫の荒魂(あらたま)を下鴨神社に送る途中、赤の宮に寄って道中の無事を祈願したという。

30上賀茂神社の井戸舎

酒水に利用

 上賀茂神社で最も格式が高く由緒ある井戸は社域の東側にある井戸舎(いどやかた)。この井戸に詳しい神官によると、天皇の御代(みよ)が代わる大嘗祭(だいじょうさい)の儀式の時だけ、井戸の水をくんで白酒の仕込み水と、灰をまぶした黒酒をつくる際の水として利用されてきた。この酒水の利用は古代から続けられ、皇居が東京に移った後も大正天皇の大嘗祭まで行われてきた。

水が利用されなくなった井戸舎

 

炊飯にも

 井戸近くに細長い平屋建ての北神饌(しんせん)所と校倉(あざくら)造りの米蔵がある。観光客を中心にした参拝者はほとんど訪れることがない、社域東北の静かな場所にある。
 江戸時代までは、この水を使い、お米を炊(た)いて神前に供えてきた。明治時代に入って、だれでもお参りして神饌を供えられるよう、神饌のやり方が変わった。お米は炊かなくて洗うだけの「洗い米」でもかまわなくなった。

木の蓋が井筒の上にかぶせられた井戸舎の内部

 

大正天皇まで使う

 井戸舎の内部は井筒の上に木の蓋(ふた)をかぶせてあるだけだった。由緒ある井戸水もここしばらく使っていないという。使うとなれば、井戸水をきれいにするために井戸の縁や底の方まで清掃する「井戸さらいが必要」という。
 神官は「井戸舎には水があるので出ていると思う。古くからの伝統的なしきたりや神饌の扱い方などが国の命令で変わるようでは・・・」と話した。古代からのしきたりや伝統を国の考えで改変してはならないと思う。
 上賀茂神社で同等に由緒ある井戸水は、本殿そばの神饌所わきにある浅井戸からわく水だという。
この井戸舎の水も先に取り上げた下鴨神社・御井の水も普段から日常的に飲むことはできないが、由緒ある井戸水なので取り上げた。

神山湧水の手水場。水は飲める

 

売りは神山湧水

 また、拝殿前の太鼓橋をくぐって流れる御物忌川と賀茂川の派流や御生山(丸山)などの湧水、沢水などの流れが合流しナラの小川となる場所に、地下30㍍までボーリングした水をひっぱった「神山湧水」がある。2007年に完成した手水場だが、きれいな水でここだけは飲用できる。神社で売り出し中の井戸だ。(一照)(つづく)

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