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ゲンツの生き様

自己紹介

【みんなを明るく照らす太陽のような存在になりたい☀️】

太陽は、暗闇を照らし植物を成長させ動き続ける。太陽が通った後は明るくなり、人々は元気になる。太陽はそれを常に見れる位置にいて、全体を優しく見守っている。俺は主人公じゃなくていい、関わった人たちの成長やつながりをもたらして、心が豊かになってくれたら嬉しい😌

という思いで、月100人を超える人に会い続け、自分を高めています!

中学3年の時に抱いた『救急救命士』になる。という目標を叶え、現役の消防士兼救急隊員として働いています。

しかし、職場の古い風習やしきたりに疑問を抱きはじめました。また、この仕事をしていると"生と死"に直面する機会が数多くあります。そんな中で、『人はいつか死ぬ』というのを実感しています。

みんな仕事を頑張っているのも「いい老後のため」とか「仕事を辞めて好きなことをするため」などという人も多いと思います。果たしてそれは正しいのでしょうか?

いくらお金があっても人はいつ死ぬかわかりません。1年後かもしれないし、明日かもしれない。もしかしたら、あと10分後には死んでしまうかもしれません。

そこで、私は思ったんです。「好きなことを今からやらなければ手遅れになる。」好きなことをやるために2.30代を捧げる人生なんて嫌だ。もっと好きなことを好きなだけやって死にたい。

そうなってからは止まることができず、とにかく人に会おうと思い1年が経過しました。最初は騙されることもあったけど、今は自分のことを面白いと言って応援してくれる人も増えてきました。

この1年で人と会うことによって人生は変わる。熱量を持って会い続ければ、熱量は伝播するということを体感しました。この体験を他の人にもしてもらいたいと思い、11月からゲンツ主催のイベントをやっています!!


【趣味・好きなこと】

○サウナ

3年前からはまっているサウナ!!
この3年で60ヶ所以上のサウナを訪れました!
今後は、マイサウナを持ちサウナイベントもやりたい!消防士の熱波を受けてみませんか?

サウナイベントの1枚!マイサウナ作りたい


吉祥寺にあるモンスターサウナ。誰か100人チャレンジ一緒にやりませんか?🧖


○登山

2年前から始めた登山!最初は、東京のコンクリートジャングルから抜け出すため始めましたが、今ではどハマり!山歩くの好き!山小屋建てたい!

自然だとサイレンの音が聞こえないから最高。


栃木にある茶臼岳(那須岳)


○旅行

本当は海外に行きたいけど行けないので、国内を旅行しまくってます!個人的に好きなのは四国!ご当地の美味しいものとそこでしか味わえない自然を見に行くのが好きです!

しまなみ街道の展望台からの写真。綺麗すぎる
下鴨神社(京都)のみたらし祭!水が鬼冷たい

○DIY

今の私がいるのも大家さん達のおかげ!将来自分も大家業をやるため、今はひたすらDIYのお手伝いで全国を飛び回っています!
今んとこできるのは、壁紙、クッションフロア、パテ、石膏ボード取り付け、塗装など…まだまだ技術上げねば!

初めて自分で貼ったクッションフロア!
トイレの解体作業。意外とストレス発散になる

○グルメ、居酒屋巡り

とにかく美味しいご飯が好きで、中でも雰囲気のいい居酒屋が大好きです🏮 インスタで趣味でグルメアカウントもやっているのでぜひフォローしてください!

京都のイソイズムという京野菜の居酒屋!おすすめ!
イソイズムのポテサラ!店によって違いの出るポテサラ好き

○筋トレ

アメフト部に入ってから始めた筋トレ、今は少し落ち着いたけど、前はほとんど毎日2時間筋トレしないと気が済まないくらいやってました。笑
ちなみにスクワットは、ベスト202.5kgです!

【幼少期】

千葉県成田市の一般家庭で爆誕。初孫でそれはそれは可愛がられたそうです!笑

生後半年のゲンツ。控えめにいってかわいい

○フライング離乳食

ミルク生活が終わり、人生初めての離乳食を皿ごと蹴っ飛ばし台無しに…あまりにもテーブルが吹っ飛んだため、この頃からサッカーの才能はあったのかもしれません。

5月人形との写真!金太郎みたい



○ハイハイ競争

1歳で挑んだ市内のハイハイ競争。ルールはシンプル、どの赤ちゃんがハイハイで1番早くお母さんの元に辿り着けるかというもの。

決勝戦では、一回転しながら圧倒的なスピードで他者を寄せ付けないレースだったといいます。

優勝商品は、なんと賞金10万円と特大のトロフィー。びっくりするくらい立派なトロフィーで今までもらったメダルとかの中で1番立派。(ちなみに賞金の5万円は、親戚含めて飲み会で使ったらしい)

ハイハイ競争の優勝トロフィと若かりし母
チャンピオンゲンツ

○スピーカー

保育園の頃から声がデカく、伝言ゲームが3人先の人まで聞こえてしまいスピーカーと呼ばれる。(この頃から応援団長の素質あり)

両親は共働き、祖母の家に泊まることが多かったです。初孫だったこともありめちゃくちゃ食べさせられブクブク太った。保育園児にもかかわらず回転寿司では寿司を10皿、さらにデザート。祖母の家では餃子2人前など、とにかくパックマンだったそうです。

【小学生時代】

○デブ事件

入学して1週間で、友達に「デブとは遊ばない」とののしられ、衝撃的な小学校デビューを果たす!痩せるのを決心しサッカーを始めました。
ちなみに、小1なマラソン大会25人中23位。
(サッカーを続けてたおかげで少し痩せ、最終的にマラソン大会は6位入賞まで達成。)

サッカーやってた写真。控えめに言って太り過ぎ


○小学生の頃ハマっていた遊び

ムシキングやドラゴンボールにどハマりし、小さい大会に出ては優勝していました。

プレステーション2の「アイトーイプレイ」、「ドラゴンボールネオ」、「サルゲッチュ」にはまる。ひたすらゲームをやりまくりました!

秘密基地作り。1個目は高架下、2個目は竹藪を伐採しひたすら竹で戦っていました。

グローブジャングル。みなさんはこの悪魔の遊具を知っていますか??
回転する鉄の球体。これを計6人ほどで回し高速回転させ、それにぶら下がって落ちないようにするという訳のわからない遊びをめっちゃやってました。凄まじい遠心力のため手を離すと吹っ飛びます。面白いぐらい人が飛んでいきます。今は安全上回らないように固定されているものが多いですが、見つけた際はぜひ遊んでみてください。

グローブジャングル。これまじ危ないんで!



小4のマラソン大会の時にスタートダッシュで友人と盛大に転ぶ。一気にビリになりかなりの差がつけられた。ただ、その時リミッターが外れたことを覚えている。結果は7位、小3は14位。今思えばこの時に負けず嫌いになった気がする。

一緒に転んだ友人。今でも親友
意外と怪我大したことなかった笑 友達は9位


○おでこカサブタ


小学校2年生の時、学童や通っていた私は外遊びの時間にブランコの手すりを鉄棒に見立てて前回りをしました。

その時です。「ジャッ」という音がおでこから鳴りました。その後に激痛。おでこを触ると血はついていないものの何か違和感。

急いで学童に帰り鏡を見ると、、、
おでこに500円玉サイズの擦り傷、やってしまった。笑笑
次の日には特大のかさぶたがおでこにあり、まぁそれは恥ずかしい1ヶ月を過ごしました

☆人生のターニングポイント① 白組応援団長


小学校6年生で白組応援団長に抜擢される。

応援団なんて入ったこともないし、みんなのリーダーなんて無理だと思い、断ろうとしたら
母親から「お母さんは学生の時に副団長やった。本当は団長をやりたかった。こんなチャンスないから絶対にやりなさい。必ず何が変わる。」
と言われ、あまりの説得力に「やらせていただきます!」と答えたのを覚えています。笑

最初はかなりきつかったです。声を出すのも、みんなを指揮するのも。ただ、練習を重ねていくうちにみんなが自分についてきてくれるのを感じました。それに負けじと練習から声を枯らしながら応援を続け、運動会前日には声が枯れてでなくなったけど、それでも本番全力で声を出し、みんなを鼓舞し続けました!

結果は、応援優勝を獲得。総合優勝はできなかったけど、応援団長の使命は果たせたんじゃないかと思います。
運動会の結果よりも、それまで人の前に立つのが苦手だった自分が、人前に立ちみんなを応援しリーダーシップを発揮できた!そして、応援優勝もできた!間違いなくその時自分の中で何かが変わりました。

人の前に立ちリーダーシップをとり、みんなを盛り上げることの楽しさを知りました!

白組応援団長げんつ


騎馬戦

騎馬戦の大将は応援団長がやるという風習があり、小学生にしては体重が重かった私はとても苦戦しました。私を支える下の3人のうち2人が私より体重が軽く、しかも熱で休んでおり一度も騎馬を組んだことがない状況で本番を迎えました。

よろよろの騎馬で戦い3人の敵を薙ぎ倒し、大将戦になり、相手の帽子をとったが飾りだけが壊れるというアクシデント、その隙に帽子を取られ敗北。めちゃくちゃ悔しかったのを今でも覚えています。またやりたい、

自分より細く、体重の軽い人たちでできた木場にのるゲンツ

【中学校時代】


○ゲンツ誕生の秘話


中学校1年生の時、「げんた」というあだ名をつけられる。眉毛が太く体格の良かった私は、サッカー部の先輩からコナンくんのげんたに似ているという理由で、げんたというあだ名をつけられる。その後、漫画のガンツにハマりげんたとガンツが合体し、現在のニックネームである「ゲンツ」が誕生する。

ちなみにGANTZマイナスが好きです


○サッカー部に入部


サッカーに捧げた3年間。休みは月曜の朝練のみ、毎週土日は練習試合や大会の日々。今思うと昭和のようなサッカー部だった。勝っても負けても外出を走らされる日々、総体では毎年優勝していたが、なぜか中学3年間県大会に出ても1回戦負け、1番成績が良かったのがU13で県ベスト16。

ただ、あのサッカー部時代があったから多少の理不尽に耐えられるんだと思います。笑

中2で挑んだ富士山!顔疲れすぎ😂


○白組応援団長に抜擢


中学3年生で、再び白組応援長に抜擢される。小学校の頃とは規模も3倍の全校生徒450人で、中二病の奴らが応援なんてするわけもない。笑

小学生の10倍まとめるのが大変でした。ただ、小学校の頃と違ったのは仲間がいたということ。各クラスの応援団が各々のクラスをまとめ、それを自分が統括する。新しい経験でした。仲間がいると大勢をまとめることもずっと楽で、しかも楽しい。

同じ目標を持った仲間といると、自分も自然と仲間のために頑張ろう!という気持ちになり、自分1人の時よりずっと努力できた。この時に、将来は人の役に立つ仕事がしたいと思いました。

応援パフォーマンスの写真
小学生の頃は綱引き強かったです💪


○人生初の彼女爆誕


中学3年生9月、人生初の彼女ができる。

小柄で可愛い彼女でした!特に聞いてほしいのが、友達から彼女になるまでの過程。皆さんも付き合うまでの過程が1番楽しいですよね!!(ここでいうのは恥ずかしいので直接聞いてください)

人生初の浴衣デートもいい思い出です。地元の祇園祭最高なので皆さんぜひきてください!

☆救急救命士を目指したきっかけ


当時私は、人の役に立ちたいという漠然とした目標しかなく将来の夢がありませんでした。

彼女には看護師になりたいという夢があり、人の命と関わらるなんてすごいなと思いました。
そのことを母親に話したところ、「あんた救急救命士になれば?」と言われ、私は「何それ?海猿?それはきついよ」と答えたのを今でも覚えています。母親もよくこの話をネタにしています。笑

救急救命士を知らない方のためにも説明すると、救急救命士(以下救命士)は、救急車に乗って具合が悪い傷病者の元に、誰よりも先に駆けつけ適切な処置をしながら病院へ搬送する仕事です。

この仕事を知った時に、「医者よりも先に具合が悪い人を助けられるなんて、なんでかっこいい仕事なんだろう。自分も人助けがしたい!!」とやる気で満ち溢れたのを覚えています。

そこから私は、救命士になる方法を調べ国家資格を取得することができる大学を調べました。

そして、中学3年生にもかかわらず、大学の資料請求をし自分が行きたい大学を決めました。(高校より先に大学選びという順番逆やろ笑)

中学校3年生の3月に当時付き合っていた彼女とは、お別れましたが彼女がいなければ私は救急救命士という仕事にも出会わなかったので、本当に感謝しています。ありがとう!!

○悲劇!!デ○ズニー○ーで食中毒!?


これは遡ること離任式の2日前、家族ぐるみで仲の良かった友人家族と2家族でデ○ズニー○ーに行きました!

とても楽しくまさに夢のような時間だったのですが、翌日なぜかものすごくお腹が痛いんです。ずーっとトイレに篭りっぱなしでお腹はピーピー、しまいには39度を超える熱を出してしまいました。

さすがにまずいと思い近くの病院を受診しましたが、インフルは陰性、胃腸炎か食中毒かもしれないという診断でした。ここ最近生物を食べた記憶もなく、家族は誰も熱を出していません。

しかし、一緒にデ○ズニーへ行った友人が全く同じ症状で苦しんでいたのです!!!!!!

そして2人の共通点を必死に考えました。そこでの結論は、デ○ズニー○ーの大人気中華レストランで食べた豚の角煮でした。今思い出すと、2人して若干酸っぱいねと言って食べていました。まさかそんなところからお腹がピーピーになるなんて思ってもみませんでした。

結果、2人とも離任式は行けず先生やクラスのみんなに会う最後のチャンスを逃してしまいました…

それ以来、デ○ズニー○ーのチャ○ナボイジ○ーは怖くて行けません…

タイのパチミッキー

【青春の高校時代】


ついに街にまった花の高校生!!!
私の入学した高校は、通称チャラ北高校と呼ばれなにかと問題の多い楽しい学校でした。

なんと後期の入試の倍率が0.9倍!1倍を切る!
俗にいう店員割れというやつですね。笑
同級生の中には、総合得点90点という猛者もいました。(彼は1年生でやめました。)

高校に入ってびっくりしたのは、お互いを呼び合う時に男女共に下の名前で呼び合っていたこと。高校生すげー!って感じでした。
中学の頃は付き合ったカップルのみが許される下の名前呼び。それをさも当然のごとく呼び合っていて、自分には衝撃的でした。笑

高2の時に誕生日を祝ってもらった!毎日のようにみんなの誕プレを祝ってた😂
高2の文化祭終わりの宝島。なんで高校生って無理に食べようとするんだろう
高3の体育祭!結構この写真好き
高3の集合写真!理系で若干陰が強めだったけど、めっちゃいいクラスだった!
卒アルに書き切れないほどたくさんのメッセージを書いてもらったのは今でも嬉しい
コイツほんとに笑


☆持ってるカードで勝負することの大切さ


高校1年生の時、私には当時悩みがありました。それは、通っている高校の子たちが何かと自分ができないと、人のせいにしたり、ゲンツだから出来るんだよ。と言われるようになったことです。

私は、「ゲンツだからできるんだよ。」という言葉がすごく嫌いでした。あたかもゲンツ努力してなくてもできる。そう言われた気持ちになりました。

少なくとも私は、一生懸命努力していたと思います。行きたい大学も決まっており、指定校推薦を狙っていた私は、試験期間中は1日10時間を超える勉強をしていました。そのおかげでクラスでは常に1位、学年でも一桁の順位しか取っていませんでした。

その悩みを近所の女子に話したところ、「ゲンツは持ってるカードで勝負するタイプの人なんだね。」と言われました。

最初私は彼女が何を言っているのか分かりませんでした。彼女がいうには、その言葉はスヌーピーの中で出てくると言います。
新しいカード(能力など)を無闇に欲しがるのではなく、まず自分の持っているカードを見つめそれを全力で使って戦う。そう言った戦い方ができる人なんだね。というのです。

確かにそうかもしれない。自分が持ってるカードを最大限に使い、全力で突き進む。それで壁にぶつかったら新しいカードを手に入れる。自分を見つめ、自分に何ができるのかを常に考えていました。

「持ってるカードで勝負する。」めちゃくちゃ自分にあっている言葉だなと思いました。今でもこのポリシーを持ち物事を考えるようにしています。


○げんちゅ爆誕


高校1年生の文化祭!お化け屋敷は他のクラスに取られ、飲食も取られた我々2年B組は、奇策「おかま屋敷」をすることになりました。

教室の半分を暗闇の迷路クイズにし、その奥に待ち構える女装したおかまたち、ピンクの空間でおしゃべりし写真を撮る。そして投票する。というよくわからない出し物をやりました笑

見ず知らずの人と毎日何人も話をする。あっちはオカマだと喜び勢いよく話しかけてくる。対するこっちは乗り気じゃないオカマのげんちゅ。もちろんやられそうになる事もありましたが、そこはもう気合いでひたすら盛り上げ続けました!!!

そしてなんと見事人気投票1位!!!!
中には、げんちゅをもとめ3回も来てくれた女の子もいました。笑

そこでコミュニケーション能力の大切さ、人と話すことのを面白さを学び、恥じらいを捨てて全力でやることはカッコいいなと思いました。(オカマも全力でやればカッコいい!??)

げんちゅ高2バージョン。高1のは見つからず…



番外編

ちなみに、なぜか翌年もげんちゅをやって欲しいという猛烈なオファーを受け、文化祭の出し物と全く関係ないのにオカマやりました笑

文化祭の宣伝

母校には文化祭の開会式で伝統の各クラスの出し物の宣伝会があります。
それはそれは物凄い宣伝会で、何がすごいってどのクラスも一切自分のクラスのブースの宣伝をしないんです。

じゃあ何をするかって?

それは、出し物!!
お笑い、映像、歌にダンス、ほんとうになんでもありです!!!笑

全校生徒の前で、一人で一発ギャグをやる先輩や漫才をやる先輩、セクシー着替えショーなど、中でも特に印象的だったのが、出し物の説明が終わり振り返るとおしりを半分だしているというもの。控えめに言って最高すぎましたが、その先輩は停学処分になっていました笑

○サッカー部?柔道部?


高校でもサッカー部に入りました!
レベル的には県大会に出られないレベルでしたが、先輩たちが面白く楽しい部活でした!

顧問はカーネルサンダースにそっくりでした!
部活終わりはコンビニでジュースやお菓子を買い、みんなで夜遅くまで人狼ゲームをする!
控えめに言ってめちゃくちゃ楽しかった。

ただそんな楽しいサッカー部も突然の終わりが来ます。

高校2年生の5月、なんとゲンツは柔道部に入ります!!!!

なんで柔道部か?
答えはシンプルで、純粋にやってみたかった!
武道、格闘技をやってみたいとは思っていたものの、人を殴るのに抵抗があり柔道部にしました!

部員は男女合わせても4人…
廃部寸前でしたが、顧問の先生がリアルゴリラみたいな感じだったので楽しかったです!

初めて寝技、立ち技をやった時は本当にキツくて、人と戦うってこんなに疲れるのかと思いました。
ただ、戦っている時のワクワクして血がたぎる感覚は最高でした。サッカーでは感じたことのない高揚感。心臓が上がる感じ。めちゃくちゃ楽しかった。勝っても負けても楽しくてしょうがなかった。(悟空の気持ちがわかった。)

相手をぶっ飛ばす時の楽しさを学んだ。笑
なんか違う気がする笑笑

順調に練習を重ね、黒帯を取るための昇段審査には1発合格することができました!!
ただ、公式戦では1勝しか上げることができずに引退しました。

また柔道やりたいなー、

高校サッカー部の写真


○ファンタスティック修学旅行!


高校2年生の10月、待ちに待った修学旅行!!
目的地は沖縄!!
初の沖縄ということもありみんなワックワク!

それはそれは楽しい修学旅行でした!
1番楽しかったのは移動中のバスの中!
ミラクルバナナという遊びを考えてキャッキャしながらバスガイドさんの話を無視して遊んで怒られたのを覚えています。笑

2日目の夜、友達の誕生日を急遽サプライズでお祝いすることになりました!
ホテルの売店でありったけのハーゲンダッツを買い占め、クラスのみんなにプレゼントしました!
その時に、お祝いをしたり人を喜ばせるって楽しいな!と思いました。

それから、2年生が終わるまでひたすらクラブ全員の誕生日をあの手この手でお祝いしたのを覚えています。(流石にやりすぎた気がする。笑)

何やかんやで高校生活で1番楽しかったのは2年生の時でした。

クラスのいつメンってやつ


男子メンツ


クラス全員!めちゃ仲良かった


○悲劇。焼肉ストーブ


皆さんの高校には暖房がありましたか?
私の高校には、冬キンキンの教室を温めてくれるのはストーブのみでした。
高校2年の冬、その事件は起きました。

みんな待ちに待ったストーブが配置される日!
その日は休み時間になるとみんながストーブを囲んで暖をとっていました。

そんなクラスのアイドルであるストーブが配置された初日、C組でその事件は起きました。

ことの発端は、ある男子生徒が弁当に持ってきたお肉をストーブの上で温めたのが始まりでした。(男子はこういう悪いことやりたいんですよ笑)

美味しくお肉を食べるまでは良かったのですが、悪ガキが箸をストーブの中に突っ込んだのです、少し煙くなった教室に先生が入ってきて大騒ぎ。ただ、その悪ガキが先生に「焼肉やったのは俺だけじゃない。」と言い出したのです!!

その結果私を含めた23人が職員室に呼び出されるという悲劇。そして反省文。
もっと最悪だったのが全クラスストーブ没収という。。
ストーブ配置初日にして、全てのクラスからアイドルはいなくなり、とてつもない女子からのブーイングにあいました。笑

○教室内プール


みなさんは高校時代プールってありましたか?
私たちの高校にはプールがありませんでした。

って事で高校3年生の最後の登校日にあることを決行しました。。

そう。教室内でプールやってみた!!!!!
しかも3月!!!!!

なぜか教室内でプールをやるというね、はい。馬鹿なんですようちの高校は。決行はお昼休み。
昼のチャイムが鳴った途端に、2つのチームに分かれる。全力で膨らますチームと全力でで水を汲んでくるチーム。

2つのチームの頑張りで見事プールに入りながらご飯を食べることができました!!!
めっちゃ楽しかった。こういう無駄な頑張りってなぜか達成感半端ないですよね!

みんなで団結し、何かを成し遂げるということの素晴らしさを知りました。笑


高3の昼休みに決行した教室プール。ちなみに3月で、寒いし片してるところを先生に見られました😊

【怒涛の大学生生活】


晴れて希望の大学に入ることができた私は、実家から片道2時間かかる大学に通うことになります。
救命士の勉強とは別に部活に入ることになりました。

そう、アメフト部に入ることになるのです!!

私の大学生活は、アメフトなしでは語れないというほど7割の時間をアメフトに割いていました。
火、金以外は土日も含めて部活。なかなかハードな大学生活でした。

【大学生活①】

夢と希望を持った大学生活!を期待していた私ですが、現実はそう甘くはありません。

まず大学生といえば、男女の友達!!サークル!!飲み会!!バイト!!
をイメージする方が多いと思いますが、うちの大学はそれとはかけ離れていました……

救命士コースは、1学年60名!男子55人、女子5人!
はい、おわりーー。男女キャッキャするキャンパスライフは終わりです!笑
しかも最寄駅からバスで20分て!!遠すぎやろ!
駅に居酒屋すらない!飲み会もない!!

ってな感じで不安だらけの大学生活の始まりでした!笑

救命士学科の同期達

○アメフト部①


サークルを探していた私は、ふとトレーニングルームに入りました。

すると急にごっつい人に肩を組まれ「アメフトやろうぜ!!!」と絵に描いたように部活に誘われました笑
アメフトなんて痛そうだし自分にはできないと思っていました。ただ、ラグビーが流行っていたこともあって部活の見学をに行くことに。

とにかくゴツい人たち!痛そうな音!土日もフルで部活だし入りたくないなと正直思いました。

しかし、一緒に見学に来ていた同期が基礎練でやたらと褒められていたんです。
なのに自分はあまり褒められず、なんかめっちゃ悔しかったんですよ。笑

めちゃくちゃ負けず嫌いな私は、意地でもそいつより褒められたくて練習にも何回か参加しに行きました。
気づいたら、先輩たちの雰囲気もありアメフト部に入ることになりました!!

本当に自分って負けず嫌いだなって思いました。笑

試合中のハドルの写真。51番がゲンツ



○アメフト部②

みなさんアメフトとラグビーの違いわかりますか??

皆さんきっとサッカーとフットサルくらいの違いだと思っていませんか??

実は、アメフトとラグビーは野球とサッカーくらいルールが違うんです!

ラグビーはサッカーと同じようにボールがコートの外に出るまでプレーが続きます。
一方、アメフトは野球と同じように1回1回の攻撃が分けられているんです。そして、ヒットを打つと出塁できるように、アメフトは4回以下の攻撃で決まった距離(10yd以上)進むとまた、4回攻撃ができます。(次のバッターにチェンジみたいな)

詳しいルールが知りたい人は直接聞いてください!懇切丁寧に説明します!笑

ちなみにアメフトで使う道具一式を揃えるのには、約10万円かかります。
(ヘルメット3〜5万、ショルダー3万〜5万以上)

とにかくアメフトはお金がかかります。支援してくれた親には感謝しかありません。

○アメフト部③

アメフト部の練習は過酷そのものです。基礎練、スキル練、ラントレ、トレーニング、食トレ、ミーティングなどとにかく時間がかかります。

そして他の球技と違いとにかく体へのダメージがすごいんです。人と人が全力でぶつかり合うので体への衝撃もすごく、怪我も多いスポーツです。

ただ、どのスポーツにも変え難いような絆とメンタル、体力が付くのは間違いありません。
これほどまでに情熱的かつ冷静さが必要なチームスポーツはなかなかありません。

ゆえに、アメリカでは野球、バスケをしのぎ人気No. 1のスポーツはアメフトです。別名、キングオブスポーツとも言われています。

本場アメリカで行われるスーパーボウルは、チケットの当選確率が宝くじよりも低いと言われているくらい人気です。テレビでお馴染みのハーフタイムショーは、アーティストの名誉でもあり、夢でもあります。それほどまでにアメリカではアメフトが愛されています。

○アメフト④

アメフト部では本当に色々なことを学びました。
上下関係や礼儀、新しいことを始める楽しさや難しさ、集団を回すことの楽しさや大変さ。本当にアメフトなしには、私の人生は語れないほどのたくさんの思い出が詰まっています。

今の私のポリシーでもある、上からの恩を下に繋ぐということ。

これは、私の大恩人である先輩が私に教えてくれたことです。
いつも先輩は、ご飯を奢ってくれました。「強くなれよ。デカくなれよ。後輩ができたら、そいつに奢ってやるんだぞ。」そう言いながら、常に腹一杯ご飯を食べさせてくれました。

そのおかげでメキメキと体は大きくなり、入部当初80キロだった体重は1年の夏には85キロ、2年の夏には95キロまで増えました。(太り過ぎ笑)

それにしてもアメフト部の練習はハードでした。部活のオフは毎週火、金曜のみで土日は朝から夜まで練習がありました。

ただでさえ、実家から大学まで通うのに2時間かかっていたのでいつも家に着く頃には22時を回っていました。もちろんバイトができるわけもなく、稼いでも毎月1.2万のバイト代のみでした。

○アメフト⑤

アメフトの練習は、とにかく基礎練が大切。ステップにセット、全て動く前の準備が大切なスポーツです。

そんな中でもアメフトの醍醐味といえば、ヒット、そしてタックル。これぞアメフトの代名詞。

とにかく衝撃マジやばいですよ?笑
首吹っ飛びますよ?笑
交通事故ですからリアルに笑

そんな過酷な練習を繰り返した後に、試合形式の練習をする。アメフトの試合ってめっちゃ楽しいんです。とにかく高まる。なんかこう野生の感みたいなのが研ぎ澄まされるんです!笑(経験者にはわかるはず。)

どんないいキャッチ、ランプレーよりも渾身のタックルを決めた方が気持ちいい!!これは間違いない!!そして、会場もめっちゃ湧く!!

結論アメフトは、どれだけ最高のタックルを決められるかというスポーツです。(全然違う)

○アメフト⑥
ここまでたくさんアメフトの話をしてきましたが、自分の大学はエリアといって1番レベルの低いリーグだったので、そんなに偉そうなことは言えません。

ただ、強豪校とは違い弱小校には弱小校ならではの楽しみがあります!

それは、リャンメンつまり攻撃と守備のどっちも経験できるということ!

アメフトは、人数がいればいるほど有利。後退の人数制限もありません。なので、通常オフェンスとディフェンスでメンバーをそう入れ替えします。そうすることで、各メンバーがオフェンスかディフェンスに体力を全振りすることができます。

人数が少ないチームは、攻守共にやらなければいけないため、多少体力の調整が必要です。
ただ、オフェンスとディフェンスどちらも経験しているとお互いにやられたら嫌なことを理解するので、成長は早いかもしれません。

○アメフト⑦

人生初の練習試合は、真夏の8月に埼玉で行われました。
それはそれは暑い日で、最高気温は35度を超えていたと思います。

相手は格上、私は1年生で唯一ディフェンスで長く出場しました。
とにかく最初は訳が分からなくて、ボールを追うので精一杯。タックルなんてできませんでした。

そんなこんなで試合は敗退。罰則のトレーニングが始まりました。

なんとか罰則が終わった後、ふとベンチを見ると
先輩がスタッフに囲まれています。
どうしたのかと思い近づいてみると、声をかけても反応がなく何度も嗚咽を繰り返しているような状態でした。

結論『熱中症』というやつです。しかも今思うと3度に近い2度。痙攣や嗚咽でかなりまずい状況でした。先輩は救急車で搬送されてしまいました。

その時、なんでやばい部活に入ってしまったんだろうと少し後悔したのを覚えています。笑

熱中症で倒れた先輩。一番お世話になった✨



○アメフト⑧

大学2年の公式戦で、目標として掲げていたリーグ優勝を達成し、3部入れ替え戦に臨みました。
会場は、アメフトの聖地アミノバイタルフィールド。本当に最高の場所でした。

相手は格上、十分に相手の分析をしかつ算段は十分にありました。

前半1.2Qが終了した時点で、13対0。このままの流れでいけば勝てる。誰もがそう思っていました。

第3Qが始まり、その瞬間はやってきました。

相手のランプレー、私は一目散にタックルに向かいました。目の前にはブロッカーが1人、そいつを払い除ければタックルできるというタイミングで、目の前のブロッカーが視界からいなくなりました。

その瞬間右足に激痛が、なんと相手が自分の足にネブロ(寝てブロックすること)きてきていたのです。突然の激痛に何が起こったのかわかりませんでした。激痛のあまりその場で座り込んでしまいました。

足をつくたびに激痛が走り、立っているのがやっとの状態、交代を余儀なくされました。

私のポジションは、ディフェンスの心臓部であり変えのメンバーがいないポジションでした。

そこからディフェンスの歯車が狂い始め、失点を重ね結果13-14。1点差で敗北してしまいました。
アメフトは、1タッチダウンで6点、+キックやプレーである1、2点加算される点数形式です。

この1点は、キックを決めていれば取れていた。プレーで得点していれば15-14で勝っていた。アメフトの試合で1点差はよくあることですが、本当にちょっとの判断ミスで勝っていたと悔やまれるような点数です。

私は、自分のせいで負けたと本気でそう思いました。怪我さえしなければ、失点しなかったんじゃないか。勝ってたんじゃないか。そんなのは、誰にも分からない。でも、その時はそうとしか思えませんでした。

いやー、本当に悔しかったんですよマジで。笑
未だにあの時のことを思い出すと涙出てくる。笑
だって勝ってたじゃん!このままいってたらって、何度も何度も頭の中で考えました。

ちなみに、私の怪我は右足の靭帯3本損傷だけで済みました✌️(全治3ヶ月)

引退試合の写真。47番がゲンツ(左太腿肉離れ中笑)




【新卒社会人】


ついに夢にまでみた社会人!!
第一希望の職場に入社し、これから順風満帆な社会人ライフを!!

と夢を膨らませていたところに、奴がやってきたのです。

『COVID-19』

そう。こいつが来たことにより、卒業旅行なし。
研修でもかなりの制限を設けられました。マスク生活、友人とご飯に行くことも叶わない。実家に帰ることも許されない。そんな新卒社会人の半年間を過ごしました。

ただ、コロナ禍で良かったこともたくさんあります。普段なら、週末は皆実家に帰り遊んでいたはずが、全員が学校に閉じ込められていたため、同期の絆がめちゃくちゃ強くなりました!

私は、約4ヶ月間○○学校(牢獄)に閉じ込められて生活していました。
毎朝決まった時間に起き、点呼、掃除をし訓練で1日を終え、その後自主トレや訓練、勉強の時間に充てて1日を終えるという。まさしく軍隊のような生活でした。

特に辛かったのが、2ヶ月間の在宅勤務を終えて学校に戻ってきた時に、そこから1ヶ月間毎食冷たい弁当生活を送ったことです。

部屋に電子レンジがないため、朝昼晩3食全て冷たい弁当。しかも、朝から中華が出る時もありました。笑 
そんな中でも厳しい訓練は毎日行われます。

その結果、学校に帰ってきて1ヶ月で8キロも体重が落ちました。(ダイエット成功!)

弁当生活が1ヶ月を過ぎ、ついに土日の外食が認められることになりました!
一番最初に食べたのが、あっつあつのハンバーグ。ソースはガーリック。
これがとんでもなく美味しいんですよ!!!
まず温かいご飯が食べられるという喜び!!!
そして肉!!とにかく肉が足りなかったんです!
あの時の感動は今でも忘れられません。笑

○地獄の体操


私の学校では、訓練が始まる前に必ず体操をするんです。私は、クラスの体育係長でもあり体操や体力錬成の指揮をする立場にあります。

学校の体操は少し特殊で、掛け声も皆さんがよく知る体操とはまるで別物です。
そのため、助教からはじめての訓練日はみんなで一緒に体操をやろうと言われていました。

しかし、それは突然起こりました。

なんと、はじめての訓練日に忘れ物をした人間が2人もいたのです!!
鈴木と中村(仮名)が、二人揃って階級章(名札のようなもの)を忘れたのです。

もちろん助教はブチ切れ。めっちゃキレまくりました。そして、なんと階級章を忘れた2人に体操の指揮をやらせるというのです。

もちろん2人は、体操指揮なんてできるはずもありません。何もわからない中で、体操が始まりました。

なんとか怒られながらも体操の体型を取り、1つ目の膝の屈伸から始めますが、それすらまともに出来ませんでした。ひたすら「さっせん!!さっせん!!(すみませんのこと)」と謝り続けた結果鈴木は、当分の間さっせん鈴木とイジられるようになりました。

もちろん中村も惨敗。
そして、助教が「この中で体操指揮できるやつ!!誰だ!出てこい!」

全員の心の声「えーーーー!!!そんな無茶振りある??教えるって言ったやん!!!」

しかし、このままでは初日の訓練が台無しになる。誰かが手を上げなければいけない。体育係長であった私は、一応体操指揮を覚えていました。
やるしかないと覚悟を決め、右手を全力で真上に上げ「はい!!!!」と素晴らしく良い返事をしました!笑

助教「おし。やってみろ。」

やると言ったは良いものの、みんなの前でやるのはもちろん初めです。しかし、ここで私がやらなければ終わる、ミスったら終わる。ガクガク震えながらもなんとかちょい怒られで体操をやり切ることができました。

この時、チームワークの大切さを学びました。笑

○腕立て、懸垂、1500m


私の職場では、腕立て、懸垂、1500mのタイムがとても大切になってきます。

腕立ては、足を椅子の上に乗せた状態で2秒に1回下ろして100回できれば凄いと言われるレベル。
懸垂は、3秒に1回懸垂をし30回できたら凄い。
1500m走は、5分以内、4分30秒で速い。

いやいやいや、どれもきついから普通に!
これシンプルにどれもキツいんです!腕立てはもちろん、懸垂も普通にやるならまだしも3秒に1回て、キツすぎやん。1500m走も体重が重いし、そこまで走るの得意じゃないのできつ過ぎました。

毎日ひたすら腕立てと懸垂をやりまくりました。腕立ては1日3〜500回、懸垂は100回以上やっていました。

学校卒業する頃には、腕立て100回、懸垂25回、1500m走は5分15秒。1500m走だけは、あまり速くなりませんでしたが、懸垂や腕立てを伸ばすことができました。

これを達成したのは、毎日のように一緒に筋トレをした仲間がいたからこそです。結局人は、一人でやるよりも同じ志を持つ仲間といた方が、2倍も3倍も力を出すことができます。正直言って私は、めっちゃ負けず嫌いです。自分が負けるのなんて、許せないんです。常に1番でいたい。先輩後輩なんて関係なく、努力して、1番になりたいんです。ただ、1番になるにしても一人でやるには限界があります。必ずどこかで人の助けが必要になります。そんな時に、一緒に高みを目指してくれる仲間が私は欲しい。

これはあくまで個人的な考えですが、どんなことにも一緒懸命やった方が楽しいじゃないですか。中途半端って、なんかこうモヤモヤして嫌なんです。とりあえず全力でやってダメならダメ、上手くいったらもっとやる。意外とシンプルです。自分の持ってるカードを最大限に活かすしかないんです。自分は何ができて何ができないのか、自分のカードの組み合わせを考えて全力で戦う。それでも勝てなかった時に、はじめて新しいカードをゲットすれば良いんです。最初から、諦めて他の人の能力を羨ましがるのは何も成長につながらない。

※写真はイメージです


○仲間との別れ、戦いの始まり


4ヶ月の学校生活を終え、ついに現場に解き放たれる時が来ました。

クラスメンバー47人が、それぞれの勤務先を伝えられここからは個人での戦いが始まります。残酷なのは、47人全員が違う勤務先であり交代制のためもう2度とクラスのメンバー全員が集まることができないということ。ただ、唯一集まる可能性があるのが…

「クラスの誰かが死んだ時。」

それ以外よっぽどのことがない限り、クラスの全員が集まることは2度とありません。逆に集まるようなことがあってはいけないんです。

今まで4ヶ月間の共同生活から、急に1人きりの生活。正直言ってめちゃくちゃ悲しかったし、不安でいっぱいでした。でも、次同期と会う時に胸を張って頑張ってると言えるように全力で頑張ろうと心に決めました。

卒業時の集合写真。みんな号泣😂

○初の災害出場


現場に配属され待っていたのは厳しい現実。何をしても怒られる。あっちからこっちから、ボッコボコに怒られました。ただでさえ本来6ヶ月ある学校を4ヶ月で卒業しているため、学校で習うはずのことを習っていなかったみたいです。上司や先輩からは、「学校で習っただろ!」と言われるため、「習ってません!!」と思わず言いそうになることを我慢し、「はい!すみません!」を繰り返す毎日でした。

そして、初の災害出場!火災です!!
凄まじい緊張感で、みんなのスイッチが入るのがわかりました。私自身緊張して、心を落ち着かせるのに必死でした。

現場に到着し、隊長の後に続き建物を確認しに行くと調理中の煙であったことが判明。火災ではなかったため、とりあえず一安心。現場の空気感は凄いなと思いました。早く一人前になって、現場で活躍したい!と強く思いました。

○資機材搬送訓練


うちの職場の訓練は、実践訓練に始まり、体力錬成、資機材取扱訓練などさまざまなことを勉強しなくてはいけません。

その中で大体訓練終わりにやるのが体力錬成です。中でもきついのが資機材搬送訓練でした。

10キロの重りを両手に持ち、厚着しひたすら階段を昇り降りするというもの。体力というよりは、精神力と握力をかなり消費するものです。

これシンプルにめっちゃキツいんです。これならラントレしていた方がまし。先に心が折れそうになり、重りを置きたくなる気持ちをグッと堪えて先輩たちについていきます。みんなでかつを入れながらじゃないと絶対に辛くてできない。

そしてもう2度とやりたくない。笑

☆真夜中3時の流れ星


それは、現場に出て3ヶ月ほど経った日でした。
いつも通り夜中3時ごろにタバコのゴミを集めていた時に、ふと空を見上げました。もちろん東京の空には、うっすらとモヤがかかっており星なんて見えるはずもありません。

ベンチに座りながら、その見えない星を見てまでいると目から流れ星がスーッと流れ落ちました。
今振り返ると、当時の私の心はひどく疲弊していました。

怒られる毎日。うまくいかない同期との関係。コロナ禍で友達にも会えない。体重は3ヶ月で5キロも落ちていました。そう、私の心は気づかないうちに疲れてしまっていたのです。

ふと、「辞めたいなー、」と口からこぼれる始末。

このままではまずい、かなり追い込まれていると思い、何か変えなきゃ。でも何をしたら良いんだろう。その時に、私にはたくさんの友達や仲間、家族がいることを思い出しました。

すぐに時もの友達や同期に連絡し、素直に心が疲れてるから会いたいと伝えました。みんな快く受け入れてくれて、たくさんの友達に会いに行きました。

友達と会い感じたのは、「辛いのは私だけじゃない。」ということ。今までは自分だけが辛い思いをしている、大変な目に合っていると思い込んでいました。しかし、現実はどの職場であっても大変だということ。

そして、何をするかではなく誰と働くかが一番大切だということに気がつきました。また、自分にはたくさんの仲間がいることを思い出すことができました。


【2022年12月】


当時2年付き合っていた彼女とわかれました。別れると言っても、別に嫌いになったわけではなくお互い結婚となると、考え方に違いがあったため、それぞれの道を進むことになりました。だから、お互い仲の良いまま「ありがとう!」と言ってわかれました。

何を話したいかというと別れたのは一旦置いておいて、別れてすぐ何かがふっと舞い降りてきたような気がしました。

まるで頭に「今年だよ。行動するなら今年だよ。」と天使に囁かれたような気がします。笑

「26歳になる今年は必ず行動しまくって何かしら辞める道を作る!!」と強く決心しました。

というのも、職場に入ってから人間関係の悩みや公務員としての自覚や、旅行届けなど自由とはかけ離れた生活をしていました。それがどうしても自分には不自由に感じてしまったのです。

元々旅行が好きで、海外やロングトレイルに行ってみたいと思い、本気で将来を考えるようになりました。

今までなんとなく仕事をやめたい。こういうことをしたいというのはありましたが、口だけで全く行動に移せていませんでした。口だけで終わるのは嫌だ。でも、どうすれば良いのかわかりませんでした。一体何からすればこの現状を辞められるのか。一度調べ始めたらもう止まれなくなっていました。

○いろんな罠に引っかかる


仕事を辞めるために行動すると決心し、ネットやSNSで検索し始めると大体出てくるのが、『副業』です。その中でも、株や仮想通貨、ネットワークビジネス、MAM、アフィリエイト、ワンルームマンション、情報商材……
大体みなさんが仕事を辞めようと思ったら、最初に考えることです。私も同じように最初はこれから入りました。

ほんと今思うと当時の自分はマジでカモでした笑
本当に世間知らず。世の中のことを何もわかっていませんでした。(今もだけど)辞めたい心が先行し、相手からお金を稼ぐ術を教えてもらうとその人がヒーローに見えてくるんですよ!!!!!

今思えば完全に悪党そのものなんですが、当時は全部信じちゃうんです!相手に言われるがまま、楽だから、仕事続けながらでも簡単にできる、すぐ仕事よりもたくさんのCFが入ってくるようになる……そんなわけないじゃないですか!うまい話なんてこの世にあるわけがないんです。

でもそんなことなんか全く知らない25歳の公務員は、ホイホイとお金を使ってしまいます。株系に30万、情報商材(営業、コンテンツビジネス等)に150万、大体200万くらいはパーにしましたね。
今思えば馬鹿だったなと心底思いますが、それはそれで経験、一概に全てがダメだったかと言われればそうではありません。

多分このお金を払わなければ、今の自分はないと思います。というのも、とあるセミナーに出席することになりそこで運命的な出会いがありました。

セミナーの後に自分に話しかけてきた人がいました。Tさん「経営者の方ですか?」と言われただの公務員です。と答えると彼はとても面白がって私をカフェに誘ってくれました。

○白熱若手BBQ


上の話の続きになりますが、セミナー後に話しかけてくれた方とカフェに行き、学生起業家等が集まるバーベキューに誘ってくれました。学生〜28歳くらいの社会人まで様々な人が集まりました!

自分と違う業種、特に勢いのある学生と話すのは初めてだったのでとても刺激になりました!
みんな各々夢ややりたいことがあり、学生でありながら自分で起業している人もいました。

公務員である自分の周りにいる人たちとは違う。みんな目がキラキラしていて、高みを目指している。こんな人たちともっと知り合って自分もやりたいことが欲しいと強く思いました。

☆島根県の筋トレ村


みなさんは『パクチー大原』というYouTuberをご存じですか?島根県の山奥にある古民家に住みながら、世界を回ったり狩猟をしたり、いわゆるセミリタイアという暮らしをしている方です。

私は、パクチーさんの動画が大好きでした!!自然の中で生き生きとしていて、イノシシを狩って食べる。そんな生活がしたいと思いながら、YouTubeを見ていました。

ある時、普段全く開かないTwitterを開くとパクチーさんが村でDIYをしてくれる人を募集していたのです!カレンダーを見て行ける日を確認し、すぐに連絡しました。すると、快くOKしてくれました!

しかし、さすが山奥というだけありレンタカーでなければ近づけない場所。1泊2日間交通費だけで10万円もかかります。でもなぜかその時は、「これに行かなきゃまずい。会いに行けば必ず世界が変わる。」という溢れんばかりの希望とワクワク感が止まらなかったのを覚えています。

到着した初日は夜も遅かったため、最初から『UTAGE』が始まりました!夢にまで見たパクチーさんと筋トレ村、それだけで来てよかったと思いました。他にも埼玉の大学生、バンライファーの方が来ていました。

2日目

この日は、お手伝いで障子の張り替えやゴミ捨て、掃除を主にやりました。

すると、パクチーさんの仕掛けていた罠にイノシシがかかったのです!!
大柄なイノシシですごく暴れていました。いつもはパクチーさんが最後トドメを刺しているんですが、怪我をしていたため狩猟協会の方が銃で倒してくれました。

とても大きな音で正直ビックリしました。
イノシシをみんなで引っ張りながら村まで連れて帰り、早速卸すことになりました。

毛は針金のように硬く、皮も分厚い、でも思ったより肉に油が乗っていて豚肉と変わらないような感じでした!

お腹を割り、内臓を引っ張り出し皮を剥ぎ取る。その後肉を部位ごとに解体する。慣れてきないということもありますが、めっちゃ疲れました笑
最初は可哀想だと思っていた猪がだんだん美味しそうに見えてきて、慣れって怖いなと思いました。

もちろん最後は囲炉裏で焼いて食べました!少しワイルドな感じもしましたが何よりも美味しい!そして自分達で捌いたという達成感。命のありがたみを感じるとても素敵な体験でした。

実は、2日目帰る予定だったのですが、他の方達が帰らないほうがいいと熱弁されてまさかの飛行機をキャンセルし3泊滞在することに!(これがのちに大きな転機もたらしました)

猪の骨にかぶりつくゲンツ🐗



3日目

3日目はなんと8人もの方が村に来たのです!!カメラマン、旅人、工務店、殺○屋、お掃除屋さん、銀行員、大家さん…本当にたくさんの方と会うことができ、中でも殺○屋と大家さん!この2人には感謝しても感謝しきれません。

今私が目指していることの半分は、この2人から受けた強烈なインパクトによるものでした。

まず、我らが殺○屋ことYBさんはとにかく色んなことをやっている方です!
ジビエ、蜂の駆除、ラーメン屋、寿司屋、掃除、木を切る、車の改造などなど。
もうカッコよすぎる!!話のネタが尽きなさすぎる!どの話を聞いてもワクワクして自分もやってみたい!と本気でそう思えるような方です!
YBさんは今でも繋がりがあり、ラーメン行ったりさせてもらっています!

そして、大家のYさん!この方がいなければ、今の私はありません。本当に。Yさんが自分のことを東京の大家さんに話してくれたからこそ、今自分が本気でやりたいことの一つである『大家業、シェアハウス』を目指すようになったのです。Yさんは本当に気さくな方で、みんなに愛される!輪の中心にいる素敵な方です。東京の大家さんだけだなく、関西の大家さんにも自分を紹介してくれました。この恩は一生かけてお返しします。

そんなこんなで、3日目の出会いは私の人生を変えたと言ってもいいほどの出会いでした。これほどまでに充実した時間はなかったと思います。次々と出てくる知らない世界。こんなにも世界には楽しいことがあるんだと。自分ももっともっと挑戦して、やりたいことをやり尽くしたい。他の人にどうみられるかではなく、自分がどう生きたいか、どうやって道をつくっていくのか。もっと自由を、もっと時間を!やりたいと思ったら止まらない性格の私は、そこから他の世界を知るために色んな人に会いにいくことになります。

パクチー大原さんの筋トレ村に集まった方達!


○東京のセミナー


東京で開かれた民泊セミナーに参加しました。そこでは、民泊の女王率いる総勢150名もの大家さんがずらり!!もちろんその中にお手伝いでYBさんもいます!!笑

どこを見渡しても大家さんばかり。自分にとってはみんな凄い人です。
レンスペ、民泊、築古、マンション…一口に大家業と言っても様々な手法があります。

物件を1つ持っている方から100軒持っている方まで本当に色々な方が来ていました!
そんな中にポツンと大家とは?民泊?みたいな自分が1人。もうね、圧倒されました、笑

ただ、そんな私が周りの人に負けないことがあります。それは、若さ!熱量!!筋肉!!コミュ力!私の武器たちは大家さんに意外と刺さってくれました。笑

熱量のある若者が少ない大家業界、みなさん喜んで私の話を聞いてくれました。物件も持っていない、知識もない、こんな小僧の話を真剣に聞いてくれおもしろいと言っていてくれる大家さん達の器の大きさ、かっこいい。どんなに物件を持っていても気取らず、周りにギブし続ける。しかも、しっかりと結果を残すことができる。

大家業やりたい!!と心が叫んでいました!笑

○人に会い続けるということ


人に会う。みなさんは人は好きですか?私は好きです!人と話していると、とっても刺激をもらえるし、知らない自分にも会うことができます。

確かに、全員が全員素敵な人ということはありません。でも、全員素敵なところがないという人はいません。私は、第一印象でいくら合わないな、嫌だなと思う人であってもその人を嫌いになることはできません。

もしかしたら、その人自身、その人の友達に私の運命を変える人がいるかもしれないからです。そんな可能性を一瞬の感情で捨てるわけにはいきません。

諦めるということは、相手から逃げるのではなく自分から逃げていること。もしかしたら、結果的に自分が傷つくことになるとしても、相手を傷つけるよりはマシです。

私は、人と話す時にどんなに合わないなと思う人がいても相手の良いところを探すようにしています。そのように接することで、相手も自分のことを好いてくれて結果的に仲良くなれるということが非常に多い(あくまで自己体験談ですが)
もし、なかなか人と仲良くなれないという人は実践してみてください!きっと相手から手を差し伸べてくれるようになるはずです!

○月100人と会う


私は、7.8.9.10月とはじめましての人と100人は会っています。これは、意識しているのではなく気づいたら毎月100人以上の人とお会いしているんです。

学生、社会人、社長、大家さんさまざまな方とお会いしています。よくたくさんの人に会っていると、意味なくない?もっと自分の必要な人に絞った方が良くない?と言われます。それはもちろん正しいと思います。ですが、私が人と会う理由は相手から刺激をもらったり、自分を知ってもらったり、新しい世界を知ることももちろんですが、一番の理由は、『最終的に自分がどうなりたいのかを見つけるため』です。

色んな人と会っていると、「夢は何?最終的にどうなりたいの?」とよく聞かれます。
その時に言語化できていない自分と対面する機会が多々あります。そんな時は正直に、「最終的にどうなりたいのかがわからないので、それを見つけるために色んな人に会っています。」と答えます。

最終目標が決まってないとダメだよと言われたり、直近の目標を決めて段々と目標は新しくなっていくよ。と言われることもあります。

最近これについては少しだけ答えがわかってきた気がします。私は将来「会った人に夢や、希望を与えられる存在になりたい。」とても抽象的な目標ではありますが、ひとまずこれで良いと思っています。これを達成するためには、自分の心が豊かであること。まず自分自身が豊かでなければ他の人を豊かにすることはできません。自分が豊かになるためには、たくさんの知識や経験、人脈、財産が必要だと思います。

ただ、それよりも大切なのは志を持ち、信念を貫くということ。よく、成功者は周りに何を言われても自分なら成功できるという圧倒的な自信、信念を持っていると言われています。

また、自己肯定感を高くすること。シンプルなようで意外と難しい。自己肯定を感じられるかどうかは、その人次第。自分はそこまで自己肯定感が高くありません。なので、まだ何をしようか、なんなら成功できるのか、これといった軸がありません。ただ、それはそれでいいかなと最近思っています。

自分の軸は、元々自分自身でもっている人もいれば周りから必要とされてそれを軸にする人もいます。どちらにしても、自分で立てた軸を真っ直ぐに突き進めるかが大切です。

必ず行動を積み重ね、自分の軸を確立する!!

【自分の夢】


私には、一生かかっても叶えられないほどの大量の夢があります!!!

え?夢を語るなんて恥ずかしい?他の人に馬鹿にされる?何をバカなことを言ってるんだい!笑

夢は語ってなんぼ!!夢は周りの人に語れば語るほどより叶えたいものになり、叶えられる確率も上がる。語れば同じような夢をもつひとに出会い、自然と引き寄せ合い、夢を叶えるきっかけになる。

現代の日本人、特に子供が夢を持てない傾向が高まっている。それはなぜか?親が夢を見ていないから。自分の現状に満足、いや、無理やり満足していると思い込んで次に挑戦しない。そんな大人で日本は溢れている。だから子供が夢を見ない。公務員になることが夢だという小学生すらいるほど。そんな大人恥ずかしくないですか?いつまでもやりたいことをやって、やろうとして、夢語ってカッコつけて、失敗して、でも諦めずに突き進んで。そんな大人がいたらカッコ良くないですか??カッコいいんですよ!!笑

俺の1番の夢は「かっこいい大人になること!」いつまでも子供のように夢を語り、他人を巻き込み、みんなで一緒に成長する。そして夢を次々と叶え、その度に新しい夢を見る。そんなふうな大人に俺はなりたい。自分の子供に自信を持って父ちゃんカッコいいだろ?将来父ちゃんみたいになるんだぞ?って言いたい。常に走り続け、成長し続ける。そんな父ちゃんかっこいいやろ!!俺はそうなる。誰がなんと言おうとバカだろって言われても。なんせ俺は負けず嫌いで、プライド高くて、夢語ってばっかでまだまだ夢を叶えられてないけど、いつか必ず全部の夢を叶えてみせる。

今ある夢だって本当にたくさんある。
・ロングトレイル制覇!
・日本100名山の登頂!
・世界一周!
・日本中に拠点を作る!
・クラシックフィジークの大会に出る!
・ジビエを狩る!
・自分のサウナを持つ!
・ゼット世代の若者や社長まで色んな人が集まるコミュニティバーを作る!
・夢に向かって一歩目を踏み出せるシェアハウスを作る!
・イベントを開催しまくる
・家族に世界旅行をプレゼントする!
・友達1万人!!

まだまだ上げたらキリがないけど、特に叶えたい夢を述べました!賛同してくれる方、一緒にその夢叶えたいよって方がいたら大歓迎!!一緒に夢語って行きやしょう!!

○夢の実現のために


さて、それじゃ上の夢を叶えるためにはどうするのか。ただ夢を語っているだけじゃ妄想で終わってしまう。有言実行するためにはどうするのか。
まず現状を知ること。そして夢を叶えるための手段を考えること。そして実行すること!!最後が一番大事!どんなに準備をしても結局やるのは自分。自分で1歩踏み出さなきゃ何も始まらない。

よく周りで、マインドができたらとか気持ちが固まったら行動するって人がいるけどそれじゃ一生成功できない。

○シェアハウスアオイエ

私は、現在アオイエというコミュニティ型シェアハウスに所属しています。「皆表現者」というテーマのもと学生から社会人まで、年齢も様々、いろんな方が自分を表現しあい交わることで生まれる可能性の数々。とても楽しいシェアハウスです。いろんな人と出会い意見を交えることでどんどんインスピレーションが湧いてくる。
お手本であり、いつか肩を並べたいコミュニティです😌

おでん🍢✖️日本酒🍶会
アオイエ合宿🏕️
アオイエ7周年パーティ✨

【これからやること】

  1. 夢に向かって『1歩目』を踏み出せるコミュニティ型シェアハウスを立ち上げる。

  2. 地方の空き家を再生し、サウナ、コワーキングスペース、カフェ、民泊等を全国に作りハウス住民の拠点にする。

  3. 様々なイベントを毎月開催する。

  4. 全国のコミュニティを繋ぐプラットホームを作る。(コミュニティ、マガジン、スラッグ等)

  5. 自分、仲間のやりたいことを最大化させ、実行して形にすること。

【会いたい人】

コミュニティ関係(ハード、ソフトともに)

シェアハウス関係(住居人、運営人)

イベント主催者

地域創生をしている方(やりたい方)

人材関係

とにかく面白い人(志の高い人)

サウナ関係(サウナ好きな人、やりたい人)

自然好きな人(農家、ジビエ、登山

ゲンツに興味がある人

※その他ゲンツに会わせたい人がいれば誰でも

○SNS関係

もしこの記事を読んで興味を持ってくれた方がいれば、ぜひSNS等追加していただけると幸いです😌

Instagram

https://instagram.com/gentz122?igshid=MzMyNGUyNmU2YQ%3D%3D&utm_source=qr

X(Twitter)

https://x.com/dreamergentz?s=21&t=W6UJAozX8Gn1wWVQhvDRxA

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