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【ジャニーズ性加害問題】元ジュニアの僕が見た景色

ジャニーズ事務所性加害の件

僕がジャニーズ事務所に居たの1970年代。当時のジャニーズ事務所の主なタレントは、フォーリーブス、郷ひろみ、ジャニーズJr(ひろみ君のバックダンサーとして誕生した1期生9人)。僕はそこに新人4人のメンバーとして加わった。郷ひろみさんはその後バーニングに移るが、かろうじて”よろしく哀愁〟のバックで踊ることができた。

僕がジャニーズ事務所に入ったのは雑誌セブンティーンのオーディションにクラスの子が応募したのがキッカケだった。(よく聞く話しだが本当の話)

書類選考に通りクラスの仲間とオーディション会場に向かい、そこでジャニーさんと初めて出会った。僕の番になりダンサーに合わせ踊るが、ジャニーさんに「ユー、ダンスは良いから唄って」と言われ別室で生ピアノをバックに何曲か唄わされた。そこへメリーさんとスタッフが現れ「この子いいね」とメリー、ジャニーさんに言われ、あっけなく3千人難関オーディションに合格。それが1974年5月、ジャニーズJr4人新メンバーとしてのスタートだった。

同年9月、当時の人気歌番組「ベスト30歌謡曲」のオープニングで西城秀樹さんと歌うというデビューが決まり、その年の夏休み踊りと歌の猛特訓が始まった。初台にある当時の日テレリハーサル室には毎日Tシャツを10枚持って行っても足らない程の汗をかいた。他の3人のメンバーはダンスレッスンで帰れるが、僕はそこから代々木に移動、終電まで唄のレッスンが続いた。今なら許されるはずもないが、当時の芸能界はこれが当たり前だった。

デビュー後は晴れてジャニーズJrの一員となり、テレビ曲の楽屋では山口百恵、桜田淳子、西城秀樹、野口五郎等、当時のスター達に交じり、気がつくとそれがあたりまえになっていった。どこに行ってもキャーキャーワーワーの日々。ひろみ君に付いての移動が続く時は、ほとんど学校には行けなかった事を思いだす。

ジャニーさんは、人前で踊る・唄うの他に、話す・食べる等、社会でジャニーズJrとして恥ずかしくない立ち振る舞いを教えてくれた。挨拶の仕方からナイフ・フォークの使い方、良いものを見せようと美術館、映画館などには時間が許す限り連れて行ってくれた。純粋に僕らを育てようとしてくれた事は今も記憶にしっかりと残っている。

さて、現在報道されているジャニーさんによる性加害の問題について正直本当に驚いている。何故なら私自身が性加害を受けた事もなかったし、いわゆるジャニーさんの自宅謙合宿所には幾度となく宿泊した事はあったが、報道にあるような性加害が常態化しているような事は、少なくとも私は見た事もないし、聞いた事もなかったからだ。

報道を見る限りジャニーさんによる性加害が行われた印象は否めない。これが事実なら決して許されるものではないし、傷ついたジュニアの心痛計り知れない。しかし、一方で加熱する報道がジャニーズ全てがそうであったかのように伝えられている事に、少々違和感があったというのも正直なところだ。

ジャニーズJrとしていっとき、ひろみ君やフォーリーブスと行動し、ジャニーズど真ん中にいた者として、そうした性加害に気がつく事も、感じた事すらなかったということを言う必要があると思った。

僕は知らなかった
少なくとも僕は全く知らなかった
これが僕から見たジャニーズ時代の景色であり嘘偽りの無い本当の話しなのです。

最近、周辺や妻にまで実際どうなの?と聞かれてしまうので、僕の知るジャニーさん、そしてジャニーズの事を少し伝えておこうと思いました。

(親が記念に取っておいた雑誌から)



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