#1-① 癌だと診断されたあなたへ。隆起性皮膚線維肉腫の経験
最初の記事で私は、noteを始めた理由の1つとして、私の経験を誰かの役に立てたいという旨のことを書きました。
そのはじめとして、私の病気の経験を、もしかしたら今この病気で苦しんでいる人に向けて書くことができのではないかと考えていました。
私は医療的な知識を持っているわけではありません。
しかしこの記事を読んで、少しでも多くの人が目の前の不安や絶望を乗り越えることができるきっかけになればと思います。
この記事では以下のような順で話していければと思います。
1.検査に至るまでの経緯
2.検査
3.思いもよらない結果
4.入院と手術
5.その後の経過
6.隆起性皮膚線維肉腫だと診断されたあなたへ
1.検査に至るまでの経緯
私は幼いころは病気がちで鼻血をよく出す子供でした。
今思えば小さい頃は「分からないもの」に対して大きな恐怖を感じていたために大変な偏食で、ジュースと焼き肉のたれご飯とお菓子で生きていたような子供でした。
しかし幸いなことにアレルギーなどがなかったため、大きくなるとそれなりに色々なものを食べることができるようになり、ピタッと病気をしなくなりました。
そうしてすくすくと大きくなり、浪人までした大学受験が終わり、不安から解放された19歳のある時、ふと鎖骨の上あたりに青いアザがあることに気が付きました。
振り返ってみると、中学生の時からあったような、高校生の時からあったような、お風呂に入る時に見てはいるのだろうがとりとめて気に留めることもないような青いアザのことを、大学受験が終わった19歳の3月に気に留めるようになりました。
思い返すと時々友人や友達の家族と温泉などに行ったとき、「そのアザどうしたの?」などと聞かれたこともありました。しかし私は、おそらく小さい時に転んでできたアザがそのままシミのように残っているだけだろうという勝手な解釈で、気に留めませんでした。
2.検査
そうして大学受験が終わり、少しだけ気になっていた自分の青いアザを、家族などの心配もあり、「何もなかったらそれでいいか」くらいの気持ちで検査を受けることにしました。
そうして最寄りの病院に行き、服を脱いで先生にアザを見せると、自分の思ったように「何かの拍子にできたアザがシミとして残っているだけだろう」という返答が返ってきました。
私はその結果に安心し家族にそのことを話し、家族もそれならよかったと言って安心してくれました。
そうして少しした後、年頃だった私は耳にピアスを開てもらうため、また同じ病院に行きました。
すると先生に「あのアザ、やっぱり気になるからほかの病院でも診てもらいなさい」と言われ、紹介状を持たされ、近くの少し大きい大学付属病院に検査をしに行くことになりました。
その大学付属病院に行くと、若い女医の先生が診察をしてくださり、アザの一部を切り取って検査に出すことになりました。
最初は女医さんが綺麗だったこともあり、年ごろの私は少し嬉しくなって軽い冗談などを言っていたくらいでした。
「まあ、これで安心できるなら安いものだろう」くらいの気持ちで、アザに部分麻酔を打ち、メスで軽く切り、特殊な液に入れて検査に出しました。
3.思いもよらない結果
そうして少し時間がたったあるとき、病院からの電話で「結果が出たので病院にいらしてください」と言われ伺うことになりました。
忘れもしないもうすぐ私の20歳の誕生日の前の週のことでした。
大学生になる私は、そろそろ必要になるだろうという理由で、地元横浜の老舗スーツ屋さんに行き、病院の後に初めて自分のお金で自分に合った白いワイシャツを買いに行こうと計画していたところでした。
母と共に病院に行き、以前診察をしてくれた女医さんが神妙なお面持ちで座っていました。
嫌な予感がしました。
しかしどこか「まあ大丈夫だろう」という余裕もありました。
椅子に座り、女医さんが口を開きました。
「結果が出ました。」
「隆起性皮膚線維肉腫という結果が返ってきました。」
最初は何を言っているのか分かりませんでした。
その病気がなにかもわからない私は必死に「癌ではないということか」と心の中で解釈しようとしました。
すると母が震えた声で
「癌ということですか?」
と女医さんに質問しました。
すると女医さんは
「癌の一種ということになります。私もあまり聞いたことのない病気です。」
と言いました。
全身から血の気が引く音がしました。
病室から出て、待合室の長椅子に座ると今まで感じたことのないような不安が私を襲いました。
そして同時に自分が癌であるという実感が押し寄せてきました。
「なぜ今なのだろう。なぜ自分のなのだろう。」と答えの出ない問いに悩みながら、噛みしめるように泣いたのを覚えています。
この癌は珍らしい癌だったこともあり、また紹介状をもらい、皮膚がんの分野で有名な先生に診てもらうことになりました。
するとその先生がたまたま有明にあるがん研有明病院という病院に移ったらしく、幸運なことに様々な設備がそろった病院で治療を受けることになりました。
長くなってしまったので②に続きます。
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