45歳になったとき、こんな風に思いますよ。
「それはさー、よっぽどさー、面白いよね」
ウチの5歳になる娘が「よっぽど」を覚えた。「すごい」「かなり」「超」と同じ使い方だと思っているみたいだけど、ちょっと違う。えーと、どう違うんだっけか。例えば「よっぽど悔しかったんだろうね」とか「そんなに一気に食べるなんて、よっぽどお腹が空いてたんだね」というような感じか。だから、「よっぽど」の後は、マイナスな感情と、それを推しはかるような表現がくるみたい。でもウチの娘は、よっぽど楽しい!とか、よっぽど美味しい!なんて言葉を連呼している。・・・まあ、いいか。かわいいし。もう少し大きくなったら説明してあげよう。
他にも、「パパ見て!人々がさー、いっぱいいるね!」という表現。
「人々」は、文字で見ることはあっても、音声では聞きなれないので、最初はなんか「べとべと」みたいなことかと思った。
いや、でもこれは中々面白い発想だ。「人」の複数形が「人々」なんだから、「人がいっぱいいる」よりも「人々がいっぱいいる」方が、主語と述語がちゃんと合っているじゃないか。複数形を意識するなんて英語みたいだ。この子は案外、語学センスがあるかもしれない(親バカってやつですね)
それにしても、娘はよくしゃべる。5歳になると、にわか仕込みで覚えた言葉も、自分なりのルールに落とし込んでどんどん使うから語彙が広がっていく。そしてかわいい勘違いをして、時にはミスを指摘されるけど、別に凹むわけじゃないし、それを修正してまたどんどん言葉を使っていく。この絶え間ないトライ&エラーによって、日本語という難解な言語を自由に使うおしゃべりさんになっていく。オトナなんかよりも、よっぽどスゴイ。(あれ、マイナスな感情じゃなくても使えるな。。)
というわけで、私、45歳になりました。
どういうわけでしょうか。いや、誕生日って前日に急に意識したりしますよね。あ!俺、明日から45歳だ!って。そしたら何だか一応、急に人生を軽く振り返ったりする。
45年って意外とキリがよくて、ああ、45年間も俺は生きてきたのかーなんて、それなりに感慨深いものがある。これが44歳の時は、ああ、44歳になっちまった。もう若くないなあ、オッサンだなあっていう気持ちもあったけど、45歳ってのは、もうその壁を乗り越えた感じ。
むしろ、45歳っていう一つの山を一個築いたような。45年もちゃんと生きたんだぞ!っていう、ちょっとした自信と、次に向かう勇気みたいなものをくれた年齢でした。
8歳の息子と、5歳の娘が、ちゃんとハッピーバースデーを歌ってくれて、飾りつけもしてくれて、手紙もくれました。
そんな風に歌ってもらいながら、ああ、45年間かけて、俺が俺自身の手でちゃんと手に入れたものは、この子供たちなんだなって思った。お金で買ったものでもなく。自分で生み出して、自分で育てたもの。そうやって自分の財産を増やして、感慨に浸るのが、この後半の人生の誕生日の過ごし方なのかもしれません。そのほうが、よっぽど楽しいかも。これからも頑張ります!