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noteを書くと、どこにいけるのか

かつてmixiという媒体があった。私は週に1回ぐらいのペースで日記を書いていた。あの頃は、社会人になって3年が経って少し余裕が出てきた頃で、20代特有の悩みや馬鹿ばなしをエッセイ風にしたためて楽しんでいた。友達を中心に50名ぐらいの人がその日記を見てくれており、コメントを通じてつながることを楽しみにしていた。地元の友人、高校のクラスメイト、大学のサークル仲間。遠くに離れてしまっていても、ふんわりと繋がり続けることができる空間が、心地よかった。

あれから20年。日記よりも短い「つぶやき」が世界的な人気になり、今も影響力をもっている。そして更に写真や動画によって「つぶやく」ことで膨れ上がり、もはや誰にも制御ができない、人間の欲望や不安といったものが丸裸になっていったような気がする。人間の生々しい部分がそのまま世論になる時代。そしてその情報が蓄積され、ネット上のロボットによって文章化され、鏡のように突きつけられる時代。どんなに文化的でインテリジェントな生活を送っていても、結局はオマエはこんなもんだ、こんな性癖の塊であり、一歩間違えばすぐにでも、そっち側にいくのだと日々脅かされているように感じる。

そんな中でnoteを毎週書いてみようと、書いてみたのだが、ほんとうに20年前とはまったく違う感触がある。なんというか、20年前の私には、情報の既視感がなかった。今は、何かを書いてみても、こんなことはきっとまたどこかで誰かが書いているのだろう、という諦めのような気持ちが湧いてしまう。20年前は、まだまだブルーオーシャンなネット空間だったので、そこで生まれるものに鮮度が残っていて、何を書いても、何をしても楽しかった。まあ、私自身が40代の後半になったというのもあるとは思う。しかし、改めて感じるのは、もう表現の世界に新しさが無いということだ。

お笑い、音楽、アート、流行のスイーツ。もう何をみても二番煎じ感が否めない。うちにはまだ小学生と幼稚園児がいるので、彼らと一緒にテレビをみると新鮮味を感じることはある。とはいえ、アイドルが何かに挑戦してたり、お笑い芸人がどっきりで驚いていたり、パンツ一丁になってテンションを上げていても、それを観たいとは思わないし、見ながらも既視感がすごすぎて、テレビに感情移入ができないのだ。

このnoteを書いた当初は、そこまで既視感に悩むことはなかった。自分にしか書けない視点や表現方法があるのだと信じて、それなりに自尊心のようなものを掲げて、気合を入れて書いてみたりもしたのだが。でもだんだん、そこに既視感の渦がまとわりついてきて、書きながら鮮度を失ってしまい、やる気も無くなってくる。まったく困ったものだ。

さて、こんな事を書いたのは、きっと5月8日から世の中があまり変わらないことへの嘆息と、GWを開けた後の、例の燃え尽き症候群のような、億劫な気分を可視化したかったからなのだろう。コロナが明けてパーッと世の中が開けるかと思ったが、まだ曇り空が晴れなくてどんよりしている。ウチの会社もマスク解禁になり、昨日は数名がマスク外していたけど、周りが外してないのを見て、やっぱり付けていたりする。そんな同調圧力な社会を見ると、なんだかやっぱり日本人は変われないのかとガッカリする。

何をやっても既視感しかない、というのは、翻って考えてみれば、現状に満足していないということでもある。新しい価値観に向かっていきたいのに、なんだか同じ場所をぐるぐる回っていて、前に進んでいないと感じる閉塞感。そこにチャットGPTなんか出てきちゃって、EVは世界に乗り遅れちゃって、技術が進化しても、世の中は変わらないんじゃないかと、何かつまんないのだ。だから多分、観光客がいっぱい来てくれて、日本ってスゲー!って褒められる映像や、海外でごみを拾ってスタジアムを綺麗にするサポーターばかり取り上げられるのだ。

日本は今まで3度、開国を経験したという。1つは1万年つづいた縄文時代を終わらせた中国人による稲作文化。2つ目は、270年近く続いた江戸時代を終わらせたアメリカの黒船。3つ目は、天皇陛下を神様から人間にもどした、広島と長崎への原爆。

さあ、4度目の開国である。コロナウイルスによって日本人の同調圧力、ルールに従う姿勢は顕在化された。一方で、世界の貿易のルールが変わったりパワーバランスが変わって、中国、ロシア、韓国、北朝鮮、アメリカといった強いリーダーがいる国に囲まれた日本は、立ち回りが大変である。そこを上手くやってくれていた安倍さんがいなくなってしまい、日本はまだずっと羅針盤を失い続けたままだ。大谷翔平のような若い怪物が、政治や経済にも現れてほしいものだ。

と、いうようなことを整理するのにnoteというツールは本当に便利である。たとえ既視感に悩ませられたとしても、それでも、かき集めれば自分らしいものができる。そう信じて、ちょっとずつでも、前に進んでいきたいと藻掻く私。あと20日で45歳になります。


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