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母が2度目の退職をした話

我が家の母は昭和22年生まれ。75歳。今日パート先の施設の退職の日だった。
花束とお酒やお菓子などを大量に抱えて帰宅した。

寺の坊守をしながら、脳腫瘍の父の介護をし、父が亡くなった後は老健施設の看護師をした人だった。
その前は65歳まできっちり病院の総師長を務めた。

母はキャリアと、仕事への姿勢、利用者さんの事をいつも考えていた。今コタツで眠っている。
「明日からは編み物と畑に打ち込みたい」と言っていた。

凄い人だと思う。でも、仕事に打ち込みすぎて、
小さい頃の私に愛情をあんまりくれなかった。
寂しかった。幼い私は金曜ロードショーが中盤になるまで母を起きて待っていた。

母とやっと最近色々話すようになって来た。私達母娘はお互い未熟な母娘である。
「お前を育てるのに必死だった」と言うが
本音は厳しい義父と寺の下僕のような生活から目を逸らすために仕事に生きがいを見出したのだと、
私は思って見ている。

いつまでも、いつまでも「寂しかった」と恨めしく暮らすのは不毛だ。母を凄いと誇らしく思う気持ちと、仕事が終わるまで食事を用意して待つ寂しい気持ち、両方とも私の気持ち。

母さん、お疲れ様。一緒に今年もじゃがいもを植えようね。

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