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どれだけ嘆いても、そこそこ幸せ?

ずっと焦りを感じている大学生の春休み。

ストレス社会に出て、生き抜くために、自己研鑽しなければ…


変な緊張感が抜けず、心と体が休まらない。

そんな自分に気がつき、益々将来が不安になる。

こんなストレスに弱い人間が、
社会から任されるお仕事なんてあるのだろうか…


自分の無能さを嘆いても現実は変わらない。

しかし、自己憐憫は癖になるとある意味快感なのである。

無能な自分、周りから必要とされない可哀そうな自分。

「あぁ、なんて不幸な人生なのだろう。俺が嘆くのは仕方がないことだなぁ。生まれつきなんだ、社会が悪いんだ、決して自分のせいじゃない。」


そんな嘆いている自分は果たして本当に不幸なのだろうか?

冷静になってみると、思っているほど不幸ではない気がしてきた。

なぜなら、そんなどうしようもない考えを1日巡らしても生きていける環境で生活しているからである。

今を生きるので精一杯の人々(栄養失調の子供、難民等)は同じ地球にごまんと存在している。

彼らは本当にしんどい生活をしているのだと思う。

自分が想像しているしんどさを遥かに超える、生きることの厳しさがある。

だからといって自分の人生が満足したものであると決めつけるわけではないし、自身が日々感じる苦痛(劣等感や無能感、閉塞感など)が無くなるわけではない。

しかし貧困層の人々や発展途上国の人々と比較すると、圧倒的に恵まれているし、その幸運に感謝すべきだ。

ありがたいという言葉では言い尽くせない程の幸運を土台にしながらも、
毎日が辛いと嘆いている自分を客観視してみた。

実に情けない。なんてちっぽけな人間なんだ。

同じ地球のどこに生まれるかという違いで、人生ゲームの難易度はかなり違う。誰が決めたわけでもない、無慈悲というべきか、偶然がもたらしているのだ。

問題が山積の日本だが、なんだかんだ先進国の日本。

安心して暮らせる国に幸運に生まれた自分にはどのように生きるべきなのだろうか?

まずは、自分ひとりの人生でもいいから、幸せな人生を送ることではないだろうか。

そのうえで世界に関心を向けて、想像力を働かせる必要があると思う。

無関心でいることは、その存在を殺しているのと何ら変わりないと思う。

高度なメディア社会だからこそ、フェイクニュースに騙されず、冷静に社会を見つめる必要がある。

最後になるが、自分よりも恵まれてない人に、自身が負い目を感じるのはやめよう。
自分が悪いわけではないから。胸が痛いけども、やはり自分が負い目を感じる必要はないと思う。

そして、自分の人生こそ責任をもって生きるべきだ。自分の人生にはいくばくか関与することができる。嘆いてる暇があったら、自分や周りの人を笑顔にするようなアクションをとっていきたい。

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