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水没「長生炭鉱」、朝鮮人含む183人の遺骨引き上げに取り組む山口県市民団体の活動報告

 日本ジャーナリスト会議(JCJ)が主催した12月集会で基調講演した毎日新聞学芸部専門記者の栗原俊雄氏は、「『永遠の戦後』のために―常夏ジャーナリズム」と題した講演のなかで、山口県宇部市の海底炭鉱「長生炭鉱」について触れていた。第2次大戦中に「水非常(みずひじょう)」と呼ばれる水没事故で183人が亡くなったが、80年以上たっても犠牲者の遺骨が眠ったままで日本政府は何もしていないと憤っていたのが強く印象に残った。
 この遺骨を引き上げる計画を進める市民団体「長生炭鉱の水非常を歴史に刻む会」(略称刻む会)の山内弘恵氏が婦人民主クラブ発行の24年11月5日号「ふぇみん」で刻む会の活動を報告している。
 1932年(昭和7年)から本格操業した長生炭鉱は、42年(昭和17年)2月3日、海底に延びた坑道の約1㌔沖合で水非常が発生。日本軍による真珠湾攻撃から2カ月後だった。犠牲者183人のうち7割の183人が朝鮮半島出身者。当時、いく度も出水を繰り返し危険な炭鉱のため働き手は地元の人が少なく、低賃金の朝鮮人労働者を使い事業を拡大させていた。事故後、事業は縮小し、敗戦を機に炭鉱は閉鎖された。
 人々の記憶から忘れ去られようとしている91年に刻む会は発足。①現地に全犠牲者の名前を刻んだ追悼碑の建立、②海面から突き出たピーヤと呼ばれる排気・排水筒の保存=写真=(刻む会HPから)、③証言・資料の収集と編さん―の3つの目標を掲げた。
 2013年2月にようやく追悼碑建立を実現した後、刻む会は遺族会が求めていた遺骨収集・発掘を目指し再スタート。これまで日本政府に3回、韓国政府に2回交渉した。所管の厚生労働省は「見える遺骨」だけ扱うと回答。今年7月15日「坑口を開けるぞ!」集会を引き金にクラウドファンディングなどで資金を集め9月から工事に着手。10月1日、横幅220㌢、縦幅160㌢の坑道を掘り出した。
 今後はこの坑道からあるいはピーヤからダイバーの力を借りて潜水調査を実施する。「一日も早く遺骨を見つけ出し、家族の元へ帰したいと切に願っている」と刻む会は述べている。
 日本政府の冷たい態度に改めて腹が立つ。

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