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雷に打たれた話

雷に打たれたことがある。最近の話ではない。その時は、田舎の高校生だった50年近くも前、1970年代の終わり頃だ。

十代の青年には、ほおっておくと、何かにのめり込んでバランス感覚がおかしくなる者がいる。私も、そんな高校生だった。放課後になると、自転車で30分ほど田舎道を飛ばして帰宅すると、2階の自室に駆け上がり、短波放送の受信機のスイッチを入れる。夕方の数時間にわたって、中南米のローカル局が低い周波数帯で聞ける可能性があるのだ。ポルトガル語やスペイン語のアナウンスで局名を確認しながら、周波数、番組内容、電波状況、混信の有無などを記録する。

夕方以降も時間が経つにつれて、キャッチできる放送局も徐々に移っていく。アジア、オセアニア、中東、ヨーロッパ、そして、夜中から朝方には、アフリカの国際放送やローカル局というように。電波状況が日々異なるので、受信できる局や聞きやすさも毎回異なっている。異なる複合要素に釣果が左右される魚釣りのようなスリルもある。また、この熱中を通して外国語に興味を持ち、のちに外語大で中国語を学ぶことにつながった。

さて、雷だ。家族に疎まれながらも、自宅の二階建て木造家屋の屋根にアンテナを2本立てていた。1本は、十字形の基盤にリード線を蜘蛛の巣状に張り、可変コンデンサーを繋いだ指向性アンテナ。もう1本は、3メートルほどの金属バーを垂直に立てた自作の無指向性アンテナ。この2本のアンテナと受信機の間にはスイッチを取り付け、雷が近づいたら、アースとアンテナを直結できるようにしてあった。

ある7月の午後、学校から自転車で帰宅途中に雲行きが怪しくなり、遠くで稲光が見えた。思いっきり自転車を漕いで息を切らしながら帰宅した頃には、雨も降り出し、雷も近くなっていた。必死で2階に駆けあがり、アースに接続するスイッチのツマミに手をかけた瞬間に、目の前が明るく光って、ボッという鈍い音がしたのを覚えている。また、もう死ぬんだなと思ったのも覚えている。

目が覚めたとき、自分は床に仰向けに横たわっていた。起き上がると、ところどころ黒く焦げた受信機があった。後で、洗面台へ行って鏡に顔を映してみると、前髪と鼻毛が焼けて縮れていた。まだ生きているのを確認して、なんだか笑いがこみ上げてきたのも覚えている。

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