ロールプレイング思春期

若者に人気のロックバンドの人が「俺は苦労した!鍵のかかった病棟に入れられたりもしたよ!」と言っているライブ映像が流れてきていた。精神疾患にかかったことで有名なボーカルの人だ。けれどなめんな。精神科入院は必ずもれなく閉鎖病棟だ。そんな当たり前のこと、大声で自慢げに言うことじゃない。
一般人には響く話なのだろう。けれどこちら界隈では入院=閉鎖病棟だ。骨折で入院しても、精神疾患があれば閉鎖病棟へ入れられる。
そういう、無知を食い物にするインフルエンサーに、ときどきどうしようもなく腹が立つ。
そりゃあ「鍵のかかった病棟に入れられたりもしたよ!」の言葉で泣ける人はお気楽で羨ましい。
けれど、私は鍵よりも、あの狭い空間にあった沢山の人いきれの方が怖い。逆に静かな病棟なら、いくら閉じ込められても何も感じないんだろうと思う。
閉鎖病棟へたどり着いたときは、やっと安静にして暮らせる。適切な薬をもらえると安心した。すぐに人いきれの多さに後悔したけれど。
あのミュージシャンは、ただのパフォーマーだと思う。
まあ私の場合は、同じレベルで悩んでくれる人が欲しかったんだな、と今なら思う。
安心できる場所が、ただ安心できる場所が欲しかっただけなのだと。
それは今、福祉の力で実現されている。
同レベルの人と切磋琢磨しながら、背伸びしすぎることもなく、また、ぬるま湯に浸かりすぎることもなく。
それは中学校にも高校にはなかったもので、何処にもなかったもので、此処にしかなかったものだと思う。
そのお陰か、やっと、思春期になれた気がする。
恥ずかしい。
大声で声高に正義を叫んでいたことや、ちっぽけな自分の物差しで周りを計っていたこと。
全部、空虚で、小さくて、幼くて、そんな自分が恥ずかしい。
精神病とは、心の病気なのだな、と思う。心が子供のまま、成長できなかったんだなと、今ならわかる。
そういう意味では、私は本当に恵まれていた。周りは本当に大人だったんだな、と感心してしまう。
同級生含め、周りは凄く大人だったんだな。今気付いた。凄い人達に恵まれてたんだな。凄いなあ。
凄く、そう思う。
精神病の患者の例に漏れず両親の話をすると、両親共に、私の成長になんか興味なかったんだろうな。悲しいな、と嘆いてしまうほどには、今が充実している。
自分の成長に興味を持ってくれる人がいる今、感じるようになった。
私ずっと、悲しかったんだな。

成長といえば、人に嫌われるって事への膨大なエネルギーの必要性を、この歳になって初めて実感した。
無意識に戦闘モード入ってしまうぞ、アレ。心の奥底で「負けないぞ」って思ってる人に影響されてたのかもしれん。
でも、勝ち負けじゃないんだよな。
ちょっと保留。
それよりは心の奥底で「負けないぞ」って思ってる人との対応を考える。そっちが先だ。
心の奥底で「負けないぞ」って思ってる人と話すときは、私も「負けないぞ」って思わないと話が成立しないから疲れるな、と思う。
昔は私も「負けないぞ」と思っていた。常に笑顔の裏で思っていた。
そういう時は、心無い言動を取ってしまうものだ。
子供のいない夫婦の旦那さんに「貴方の子どもになるのはなんかやだー」と言ってしまった事は、一生後悔すると思う。
なめられたくなかった。学校へ行っていないこと、朝の来ない生活を送っていること、それを揶揄されているような気持ちになっていること。
生活の全てが筒抜けの世界で、それでもその生活を選んだのが自分である事実に絶望しないように、責任を取らなくちゃと思っていたから。「負けないぞ」って思っていた。
今なら思う。子供を産むかどうかは選べる。産まなくても養子だって取れる。けれど産まれてしまった環境を選んだのは、私じゃないよ。選んだけど、「合わない」と「合わない」の内からより暴力のない方を選んだだけでしょう? と。
「負けないぞ」と思っている人は戦っているんだと思う。
その人に対して、私に出来る事はないけれど、話し相手すら儘ならないけれど、せめて受け入れようと思う。
暴言を吐いても良い、嫌っても良い。関わらないよ。貴方とは、関わらないよ。貴方の癇癪は、本当は私に向けたものじゃあ無いじゃない。

空は青く澄み渡り、海を目指して歩く。

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