千字二話:メモリーセラー
指紋認証で重厚な扉を開けると、目の前に広がっているのは巨大なワインセラーのような部屋。
正面と左右、下から上までボトルで埋まった壁面。
その栓はどれもこちらを向いている。その光景に、最近観た古い映画のワンシーンが思い浮かんだ。
大勢の敵に囲まれて銃口を突きつけられた主人公も、きっとこんな気分だったのだろう。
いや、実際このボトルの中に収まっているものを考えれば、それは銃撃を受けるのと変わらないようなものかもしれない。
「若気の至りとはいえ、よくもまあこれだけの苦い想い出を…」
医療と科学の発展は、我々の生活に大きな変化をもたらした。
その結果かつては80数年だった寿命は倍以上に伸びて、人は200年以上生きられるようになった。
肉体年齢は若く、見かけも若々しくいられるのだ。楽しいに決まっている。
これが老いてお迎えを待つ時間が長くなるだけなら苦しいだけだが、人生を楽しむ時間が増えるのだ。こんなに楽しいことはない。
当然、最初はみんな喜んだものの、やがて彼らは悔やむようになった。
なぜなら生きる時間が長くなるということは、楽しいことだけじゃなくて、辛いことも多くなるからだ。
思えば人間の寿命が80数年だったのも、そのためだったのかもしれない。
200年という時間は楽しめることが多い分にはありがたいが、辛さや悲しさを抱えながら生きるには長すぎる。
やがて若々しいまま200年生きられるにも関わらず、自ら命を断つ人たちが増え始めた。
それは最初、ほんの数人から始まって、数年後には全人口の4割を占めるようになった。
おまけに自分が楽しく生きることしか考えなくなった人々は子孫を残すことに興味を失っており、出生率も劇的に下がり続けていた。
このままでは、やがて人類そのものがこの世界から消えてしまうかもしれない。
そこで高度に発展した科学と医療を活かして考案されたのが、このメモリーセラーだった。
「うん。この記憶も、そろそろ飲み頃かな」
人の記憶を抽出してボトルに収める技術を開発した人類は、それを本人だけが出入りできるメモリーセラーと呼ばれる部屋に保管するようになった。
辛い記憶や悲しい記憶を自ら切り離し、ボトルに閉じ込めたそれは、言わば昔の自分からの手紙のようなものかもしれない。
セラーに収めたボトルを1本取り出し栓を開けた。
あの頃苦みしか感じなかった記憶は、今もやっぱり苦い香りがしたけれど、どこか甘くて懐かしい香りもした。