懲役A犯の話
長野の刑務所に半年ほどいた時期があり、当時の同期など今でも多く収監されているかも知れず記録を残しておく。(罪状は窃盗)
当時の部屋には4人おり、それぞれ個性豊かなメンバーだった。
俺は4工に配属され、そこで色々な出会いをすることになる。
まず、飯・工場・運動・工場・風呂の繰り返し。
部屋へはだいたい16時には戻り、みんなで寝る。
雑居だと飯の支度から厳しく言われたり、掃除でしごかれたりするが、とにかく老害と一緒の部屋になるときつかった。
手紙のルールなどもあり、部屋ごとの決まりは他に聞かれたくないので固く守られている。
そんな退屈な日常の中での娯楽がテレビとボードゲームとラジオ。
残り1ヶ月ぐらいで嫌がらせにあい、そのまま独居に移った時に講習のテレビを見せられたが内容は本当にくだらないものだった。
俺はひたすら周りの話などを気にしていたが、とりあえず出たら更正保護施設に移り、その後住居を転々として東京へ戻った。(裏技を使ったのは言うまでもない)
懲役の楽しみは風呂と飯しかない。3畳ほどの部屋に居て、色々感じることも多かったが、あまり楽しいことはない中でもなぜかぐっすり眠れた。
寝る時のサインがなぜかあり、そこでは謎の不協和音みたいなものが流れる。
今思い出してもあの日々は退屈で窮屈だった。
面白くないムショ生活で対して金も溜まらず、東京に戻ってからも生活保護とMNP乞食みたいな詐欺まがいの仕事と言えないような仕事をして過ごしていた。
不思議なことに、地方にない仕事が東京にはある。汚い汚れた仕事も、東京では受け入れられるのだ。
俺はそういう醜い仕事の現場の人たちがなぜそんなにも一生懸命になるのかわからない。
だがなんだかそこにある日々が懐かしく、ゴミみたいな幼虫でもときおり生きていていいと思わせてくれた。
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