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短編小説③『都会における狩猟採集生活の記録』/ユウイ
冬が近づいて来ていました。
私がこの生活を開始して、すでに三か月が過ぎようとしています。
場所は公園の片隅です。大都会のど真ん中にある、広くて自然豊かな公園です。その隅の人目に付かぬ一角にビニールシートのテントを建て、私は暮らしているのです。
公園の周囲には四方をぐるりと囲むように高層ビルが建ち並んでいます。木々の向うにほの見えるそれら巨大なビルの群れは、私がこの場所から出ることを阻む無慈悲で堅固な壁のようにも、あるいは、逆に、都会の毒から私を守る柔和な保護膜のようにも見て取れます。
私はこの公園で狩猟採集生活をしています。この大都会という名の現代の森で、生き物を捕らえ、植物を採取し、それらを日々の糧として、命を繋いでいるのです。
始まりは夏の終わりのことでした。突然の、予測不能の、急転直下のリストラです。新卒で入って二十五年。会社のために文字通り身を粉にして働いてきた私のことを、会社はあっさりと見捨てました。続く不況による経営戦略の抜本的見直し。到底納得できそうもない、そんなざっくりとした理由でした。
そして、そんな状況に陥ってしまった私のことを、妻も即座に見限りました。家族のことを顧みずに働き続けた私に対して、積年の不満が募っていたようです。リストラを伝えた翌日には、彼女は中学生の息子を連れて家を出ました。謝罪し、説得する時間すら、私に与えてはくれませんでした。
上手くいかない再就職、これからが本番の養育費、年老いた両親の医療介護費、預貯金の底が見えるのはそう遠くない未来に思えました。私は仕方なく家を売り、子供と両親のための今後の資金を妻に託すと、全てを捨ててここで暮らし始めたのです。
初めての獲物は小さなアメリカザリガニでした。場所は公園の中の池。道具は道端に捨てられていた洗濯ネットとプラスチックパイプを再利用したお手製の網。もちろん、田舎育ちの私にはザリガニ獲りの経験はありました。ですが、子供の頃のお遊びと、今回とでは、全く意味合いが違います。
これは最初の一歩なのです。都会での狩猟採集生活という、前代未聞のチャレンジにおける、記念すべき一歩なのです。網の中でビクビク跳ねる小さな生物の愛らしさと、胸の奥から湧いて来る狩猟民としての本能的な喜びを、私は一生忘れはしないでしょう。
二時間ほどの狩りのすえ、結局私はその日合計四匹のアメリカザリガニを捕まえました。私は意気揚々とテントに戻ると、さっそく調理を始めました。
茹でてみようかと思いましたが、泥臭いかもしれないので、油で炒めることにしました。家から持参したカセットコンロに火を点けて、こちらも持参のフライパンに油を引きます。熱せられたフライパンからフワフワと白い湯気が立ち昇り始めたのを確認すると、私は水洗いしたザリガニを一気に放り込みました。ジューと大きな音が立ちました。
味付けは塩と醤油のみ。火が通り真っ赤になったザリガニをさっそく一口食べてみますと、やはり多少泥臭かったのですが、涙が出るほどの美味しさでした。
公園における私の狩猟採集生活が、このようにして始まったのです。
主な獲物はザリガニと亀。それから鯉や昆虫類。園内に茂る野草や木の実を集めたり、人目を盗んで噴水広場に群れている鳩を素手で捕まえたり、そういったことも行いました。選り好みせず、食べられる物はなんでも食べるスタイルです。まさに狩猟採集生活そのものです。
何故私がこんな無謀な暮らしを始めたのか、その理由をそろそろお話しすべきでしょう。
それは一言で言えば復讐のためです。私をこんな目に合わせた当事者たちへの命を懸けたリベンジとして、あるいは抗議活動として、私はこの暮らしを始めたのです。
リストラのあと私は必死に考えました。悪いのはいったい誰だろう、と。私をこんな目に合わせた張本人は、いったい何処の誰だろう、と。ですが、どれだけ考えてみたところで、一向に答えは見えてきませんでした。
直属の上司はどうでしょうか? 会社の社長はどうでしょうか? いえ、違います。彼らは与えられた役割をきちんと果たそうとしただけです。では、会社の株主はどうでしょうか? 不景気を放っておいたこの国の政治家たちはどうでしょうか? それも違います。彼らだって社会のシステムにただ従順に従っているだけです。
私はようやく気づきました。そうです。悪いのはシステムだったのです。当事者など何処にも存在しなかったのです。私をこんな目に合わせた張本人は、特定の個人などではなく、資本主義というこの国が採用しているシステムそのものだったのです。大量消費社会という、我々が無意識に選び取ってきた生活様式それそのものだったのです。
資本主義に目にものを見せてやろう。
それが私の目標になりました。そのための手段として私が選択したものが、都会での狩猟採集生活という、今の生き方だった訳です。
この大都会の真ん中で資本主義とは正反対の縄文の暮らしをしてやろう。そして、それを成功させることで、人々に資本主義の愚かさを心底思い知らせてやろう。公園の内外を歩く以前の私と同じような疲れた顔をした人々。それでもシステムに従って黙々と会社に通い続ける人々。この生活に成功し、獲得した豊富な獲物の真ん中で高笑いする幸福な私のその姿を、彼らにしかと見せつけてやろう。私はそう思ったのです。
いずれ賛同者も出てくるかもしれません。苦しんでいる人々の中から、仲間が現れるかもしれません。やがて私の小さなテントの周りには、賛同者たちが集まって出来た大きな大きな集落が、姿を見せるかもしれません。
目先の貯えのためだけに豊かな狩猟採集生活を捨て、農耕を開始した人類を、そのことから生まれた所有や分業や身分の格差に自らがんじ搦めになっている人類を、私はそんな仲間たちと一緒になって嘲笑ってやるのです。それこそが私の目指す復讐なのです。
ですが、冬が近づいて来ていました。収穫量は目に見えて少なくなってきていました。
主食だったザリガニと亀、彼らは冬眠でも始めてしまったのか、それとも私が獲り過ぎてしまったせいなのか、最近ではほとんど姿が見えなくなってしまいました。愚鈍なはずの鳩たちも私の顔をすでに覚えてしまったようで、私が近づくだけで一斉に飛び立ってしまうようになりました。それに、人目は気にしていたはずですが、公園の鳩を獲っている男がいる、との噂が広まってしまったようで、今まで以上に人々の視線も厳しいものになっていました。
周囲の公園もここと状況は変わりません。何処も獲物が乏しくなり、例えその出張先で僅かに獲物が獲れたとしても、そこに向かうために使ったカロリーとどっこいどっこいといった感じでした。
空腹はすでに限界を迎えていました。
都会はやはりひどく貧しい森でした。大都会という名の現代の森は、縄文人でも生きていくのが難しそうな、ひどく貧弱な森でした。
もう動く気さえ起こりません。私は今日もだらりとベンチに腰掛けて、ぼんやりと空の様子を見つめています。場所はテントの近くの砂の広場。いつも私が使っている水飲み場の傍にある、広場の隅の木のベンチです。
日当たりのいいこのベンチに体を投げ出すように腰掛けて、日がな一日空の様子を見つめるのが、最近の私の行動の全てです。
今日は憎たらしいほどいい天気です。このまま太陽の光に体の色素を漂白されて、透明で不可視の存在になってしまいたい気分です。
広場の真ん中のところには今日も少年の姿があります。子供用のサッカーボールでリフティングをしています。最近ここによく来る子で、まだサッカーを始めて間もないのか、技量はひどく拙いようです。リフティングは最高でも五、六回しか続きません。それでも少年は夢中な様子でボールを蹴り続けています。
そんな少年の様子を私はぼんやり見つめます。チームの揃いのユニフォームなのか、今日も朝から寒いのに半袖半ズボンの格好です。年の頃は小学二年か三年か、もう会えない私の一人息子より、だいぶ年下の男の子です。
当然私は息子のことを思い出します。息子はどうしているでしょうか? 健康で元気に暮らしているでしょうか? こんな風になり下がった父親のことを、彼は今いったいどんな風に思っているのでしょうか?
ふいに情けない音で腹が鳴ります。私は再び己の空腹に囚われます。
この三か月で私はかなり痩せてしまいました。収入の少ない人間が貯金を切り崩して暮らすように、会社員時代にストレス発散のために行った暴飲暴食の結果としての余分な内臓脂肪を消費することで、今の私は暮らしています。それだけが今の私の命を繋いでいます。これを皮肉と言わずして、何を皮肉と言うのでしょう。
山に行こうか? と私は何度も思いました。そこには鹿や猪もいるし、食べられる植物なども多いでしょう。しかし、山に行っては駄目なのです。都会でなくてはなんの意味もないのです。
ゴミ漁りでもしようか? とも私は考えました。しかし、それも絶対いけません。コンビニの裏のゴミ箱に捨てられる消費期限切れの大量の食品。それを捨てに行く店員さんとこの間偶然目と目が会いました。彼はなんとも胡乱な目付きでもって、私のことを見つめました。
私はそんなに物欲しそうに見えたのでしょうか。何故あんな目で見られなくてはいけないのでしょうか。まだ食べられる食品をあんなに大量に、しかもなんの悪気もなく廃棄しようとしているあの男と、私と、いったいどちらが異常なのでしょうか。
山に行くことも、ゴミ漁りも、やはり絶対に駄目でした。それは資本主義への明確な敗北宣言でした。敵の総本山であるこの大都会の真ん中で、しっかりと自力でこの生活を成功させることが、何より大事なことなのです。
もう考えることすら億劫になってきました。本当にもう駄目かもしれません。飢餓の本当の恐ろしさというのは、体が動かなくなることではなく、こんな風に頭が働かなくなることだと、私は初めて知りました。
広場の中央では少年のリフティングが続いています。ポン、ポン、ポン。ポン、ポン、ポンと、リズミカルに続いています。その音が空っぽの私の胃袋に虚ろに空しく反響して、私はなんだか悲しくなります。
もうすぐ死んでしまうなら最後に何が食べたいだろう、と、私はふとそんなことを考えました。ピザ、寿司、カレー、ハンバーグ。中年になってから避けていた脂っぽいメニューばかりが浮かんできて、それが我ながらなんとも子供っぽくて、思わず一人で苦笑します。
でも、やっぱりステーキかな、と私は独り言ちました。私はステーキが好物なのです。血の滴るようなレアのステーキに味の濃いソースをたっぷりかけて食べるのが、若い頃から私は大好きだったのです。ステーキだけは中年になってからもよく食べに行っていたくらいです。
ああ、ステーキが食いたいな、と私は再び独り言ち、ふと先日の犬のことを思い出しました。先日起こった奇跡のこと、それからそれの顛末のことを、再び思い出したのです。
先日私は偶然野犬を捕獲したのです。池のところで亀がいないか探していた時、私の足元に突然のように現れた小犬。なんの警戒心もなく近づいて来たその小犬を、私は一瞬のうちに捕らえました。なんの苦労もいらぬまま、瞬時に胸に抱きかかえました。
それは真っ白い小犬でした。コロコロと丸く太っていました。これは神の恵みに違いないと心の中で思いながら、涙が出るのを必死になって堪えながら、焼いて食おうと思いました。久しぶりのステーキだ、と、心の中で叫びました。
ですが、奇跡は一瞬で終わりました。意気揚々とテントのほうへと歩き始めた私の前に、老夫婦が現れたのです。私の胸に抱かれた白い小犬に目をやるや、老婆のほうが叫びました。
「……タロちゃん!」
老爺のほうも続きました。
「ああ、タロ! 良かった、良かった!」
そうです。こんな都会に野犬などいるはずないのでした。小犬はただの迷子の飼い犬でした。犬種はシーズー×マルチーズで、名前はタロちゃんとのことでした。その首にしっかりと空色の首輪が装着されていることにすら、私は気づいていなかったのです。私はそれほど追い詰められていたのです。
「急に逃げ出しちゃって困ってたんです。ああ、ありがとう、ありがとう!」
老夫婦はそう言うと私の手に千円札を握らせました。そして、幸福そうな笑顔のまま、犬を抱き、そそくさとその場を去って行きました。老婆の胸に抱かれた小犬が私のほうを振り返り、くぅーんと小さく鳴きました。
私は手の中の千円札をじっと見ました。それからその匂いを嗅ぎました。使ってしまおうか? そんな考えが当然頭をよぎりました。駅前の牛丼屋では確かステーキ丼フェアが開催されているはずでした。千円でお釣りがくるほどの値段であることを私は確認済みでした。想像するとさっきの小犬の鳴き声のような、くぅーんという情けない音が、空っぽの腹で鳴りました。
五分ほどの逡巡のすえ、私は紙幣をくちゃくちゃに丸めました。そして、えいやっと目をつぶってそれを池へと放りました。
それが五日前の出来事です。
そのあと私は何かを口にしたでしょうか? もう全く覚えていませんでした。すでに意識が朦朧としてきているようでした。
ポン、ポン、ポン。ポン、ポン、ポン。リフティングの音が続いています。
本当に限界が近いのか、その音がまるで甘美な音楽のように私の耳には響きます。
とその時、ふいに少年が、あ、と小さな声を上げました。また失敗してしまったようで、ボールが広場の端へと転がって行きます。
追いかけようとした少年が転び、膝を擦りむいてしまったようでした。
少年は慌てて水飲み場に駆け寄ると、蛇口をひねって膝を水で洗い始めました。痛みで顔を歪めていますが、決して泣きはしませんでした。
私は相変わらずぼんやりとそんな様子を見つめます。可哀相ですが声を掛ける気力さえ今の私には残っていません。
擦りむいた少年の右の膝小僧からは、わずかに血が出ています。内側に見えるピンクの皮膚が初冬の日差しに照らされて、テラテラと艶やかに光っています。
再び私の腹が情けない音で鳴りました。私は思わずベンチから立ち上がりました。そして、ゆっくりと少年のほうへと近づきました。
「ねえ、ボク?」
私は少年に声を掛けます。少年がふっと顔を上げ、子鹿のようなキラキラ光る黒い目で、私のことを見つめます。
「大丈夫? 血が出ちゃってるみたいだね?」
ああ、どうして今まで気づかなかったのだろう? と私は心の中で自問しました。なんたる不覚、と思わず独り言ちました。
そうです。私はようやく気づいたのです。ここが縄文の森さえかなわない、とても豊かな森であることに、ようやくのことで気づいたのです。
私は続けて少年に言います。身内に走る突然の歓喜に、声が震えてしまわぬように、小さな声でこう言います。
「バンソ―コー貼ってあげるから、おじさんのテントまでついておいで?」