『軽く狂った感じのショートホラー本が頭に当たった!』~プロローグ~
~プロローグ~
ゴンッ!
「痛ってぇ~! イテテテテテテテテテ! 痛ってぇよ、何だよ!」
季節は春、連休前の金曜日、時刻は午後10時41分と32秒のタイミングで、アルバイト先から自宅に戻る立希(たつき)は頭に衝撃を受けた。
立希は地方の大学に通う学生であり、今年、4年生になったばかりである。
彼女もおらず、大して仲の良い友達もいない立希だが、かと言って勉強に専念し、人間関係を築く余裕が無かったのかと言われると、そうでもない。
これまでの3年間、さほど勉強熱心な学生とも言えず、ダラダラと過ごしてきたと自覚している。
そんな彼も、最近は就職活動のことで悩み始め、今日の午後10時41分と31秒あたりまでは珍しくもマトモなことを考えていたところであった。
――暫しの間、状況を呑み込めずにいた立希は、衝撃の正体を見付けた。
足元に転がる薄いハードカバーの本。
これがどうやら、頭の上に降ってきたのであろう。
どこかの家の窓から誰かが外に放り投げたものか?
立希は空を見上げ、それから周囲をキョロキョロ見回した。
……そこは閑静な住宅街で、周りには誰もいない。
そして、高層マンションやオフィスビルなどの建物もない。
それに加え、立希はちょうど民家が途切れ、両側を小さな川と畑に挟まれた一画に佇んでいた。
従って、どこかの家の2階あたりの窓が開け放たれ、そこから誰かが本を外に放り投げた……ということもなさそうである。
「何だよ……全然訳分かんねーじゃねぇか……」
戸惑う立希は、何気なく足元の本を手にとった。
表紙には、薄暗い倉庫の壁のようなグレー色を背景に、ピンク色の鳥が逆さ吊りにされた不気味なイラストが描かれている。
……いったい、どんなセンスの人間が、こんな悪趣味なイラストを描いたのだろう。
どこか納得いかない表情をした立希が本のタイトルに目を向けると、そこにはこう書かれていた。
『軽く狂った感じのショートホラー本』
……ホラー?
元来、海外の暗号モノのミステリー小説や国内の古い怪奇小説が好きな立希は、本のタイトルに些か興味を覚えた。
それにしても……『軽く狂った感じ』というのは、どういうことだ?
その意味不明なタイトルの付け方に頭を捻りながらも、立希は表紙をめくってみた。
……?!
最初のページにはテキストがなく、ページいっぱいにアヒル口をした美女のイラストが大きく描かれていた。
これは……絵本か何かか?
立希は気になって、後ろの方のページをパラパラとめくってみたが……そうでもなさそうである。
後ろの方には、文字が印刷されているので、普通の本なのであろう。
試しに、アヒル口美人のイラストのページをめくってみると、次のページから本文が始まっていた。
「アラ? あなた、さっきのページで目が合ったわね。私の名前は『アヒル口の麗子』。よろしくね。ピヲピヲ。あなたはこの本に軽く頭を殴られた時点で、軽く狂い始めているわよ。この本を読み終える頃には、軽く狂った世界の入口を通過していることでしょうね。本の世界に入り込むのはいいけれど、無事に戻って来られるかしらね。あなた、のめり込みやすそうなタイプに見えるから、読まない方がいいと思うわ。この本、川か畑の中、どっちでもいいから捨ててしまいなさいな。フフフフフ」
立希は、自分好みのイントロダクションであると感じ、それと同時に背筋が少しぞっとするような感覚を覚えた。
なるほど……。
この『アヒル口の麗子』というのは、どうやらこの本のストーリーテラー的なキャラクターなのであろう。
これまで読んだオムニバス系のミステリー小説やホラー漫画なんかでも、そのような設定の本はいくつかあったな。
特に真新しさも感じないし、「本の世界に入り込む」なんてのも手垢の付いた表現である。
ただ、『アヒル口の麗子』が最後に言った「この本、川か畑の中、どっちでもいいから捨ててしまいなさいな」というセリフ……。
今、正に両側を小さな川と畑に挟まれた場所に佇む自分のことを見られているようで、何とも不気味に感じる。
立希は頭を軽く振って、そんな自分の馬鹿げた考えを恥じた。
……そう言えば、さっきまで何を考えていたのだったっけ?
立希は、ふと我に返った。
あっ、そうそう、明日からの3連休をどう過ごすかってことだ!
自分もいよいよ、就職を考える年になったんだし、少しは就活の準備…SPI検査……だったか、そんな勉強でもした方がいいんだろうな。
どうせ、彼女も友達もいないし、バイトも朝から晩までって訳でもないし……。
思えば、これまで(と言っても20年とちょっとだけど)我ながらダラダラと生きてきたもんだよな。
進学だって、希望の大学は軒並み不合格。
何とか滑り止めで受けた今の大学に辛うじて合格したけど、ろくに勉強もせずに気付けば、もう卒業の年か……。
親父は、子供の頃から1人っ子のオレを男手1つで育ててくれたけど、「勉強しなさいっ!」なんて言われたこともないな。
そんなこと言ってくれる母親でもいれば、少しは人生違ってたのかな……って、すぐに何でも人のせいにするんだよ、オレって男は。あぁ、ダメだ、ダメだ。親父なんて、オレに親身になってくれる唯一の人間なんだし。オレは、こんなんだから……。
立希は、先の見えない自分の将来について、いつも通りのグルグル思考を続けていたが、もう一度、手にした『軽く狂った感じのショートホラー本』を見下ろした。
……この本……ちょっと読んでみようかな。
就職活動のことが気にならない訳ではなかったが、見たところ薄い本のようだし、早ければ、今晩の内に読み終わるかもしれない。
冒頭の不思議なメッセージに刺激された立希は、頭の中で何度か自問自答を繰り返した後、本を片手に近くの小さな公園に移動した。
住宅街にあるその公園は、休日の昼頃であれば、家族連れや子供で賑やかなものである。
ただし、この夜も更けてきた時間帯、公園には誰1人いなかった。
集中して本を読むにはちょうどいい。
立希は1人、公園のベンチに座り、先程の『アヒル口の麗子』のメッセージの次のページをめくった。
いよいよ、本編が始まるようである。
そこには、第1話のタイトルが書かれていた……。
『第1話 昔の人たち博物館』
(つづく)
第1話以降