幹と枝葉
今日は御神託について再確認して欲しいことを伝える
この“御神託”というのは
チャネラーのMIKAが降ろしているけど
「高次元から降ろす」とか「チャネラー」とか
ハッキリ言ってそう言う部分はどうでもいいの
そんなの、あなたにとって、どうでもいいことじゃない?
大事なのは、そのメッセージが本質的かどうかという事と、【あなたにとって、価値があるかどうか】よ。
あなたの本質的な幸せと本当の望みに対して、利用価値があるかどうかで、メッセージは取捨選択して欲しい。
気づいていなかった部分に、気づきが訪れたり
気づいていたけど、取り掛かれなかった部分に光が差したり、勇気が出たり、
自分の感覚と一致するメッセージで確信が強まったり
使い方は様々だけど、【あなたにとって利用価値があるかどうか】で厳しく精査してね
自分の本質を中心に選択することは、本質を見極める目を養う行為になるし
「自分は自分を丁重に扱う者です」という、宇宙や周囲に宣言し続けていることになる
メッセージを伝えている者が、何であっても、誰であっても同じこと
アニメのキャラクターが言っていたり、学校の先生が言っていたり、近くの家族や友人が言っていても、同じで、全ては【あなたにとって価値あるかどうか】ということ
理解しておいて欲しい大切な部分
“なにを”とか“だれが”とかの前に
第一に“本質かどうか”から入ることが大事
木で言うと根から伸びる幹の部分
それから枝葉(その人物のやっている内容/行動面/立場/キャラクター/肩書き/実績など)
枝葉部分に拘ってから、信じるか信じないかを決める順番で本質か見極めることも勿論できるけど、その順番でしか見れないと、しばしば、余計なフィルターで目が曇ることがある
枝葉も、もちろん重要。
その人が発言している本質的なメッセージに一致した行動や在り方で生きてるかを見る部分だから。
だけど、何でもかんでも、初めから枝葉から入ると、あなた自身の軸がブレたり、見るべき大事な部分が見えないままに翻弄されてしまいやすくなるわよ
枝葉で判断するほうが早い
(かもしれない)
枝葉で判断するほうが
楽(かもしれない)
でもあなたが見るべき本質を見抜く目は、磨かれない(かもしれない)
その“かもしれない”の視点を
持ってみることは、あなたを磨くための大切な見方よ
良いと信じてることも
いつのまにか固定したものになると
あなたの柔軟性や
新たな可能性が
狭くなってしまうということ
宇宙の在り方も取り入れて生きるなら
・常に余白と柔軟性を持っておくことが大事
それと同等に
・周りからなんと言われようと、自分を信じるということも大事
その2つは同じぐらい大事だということ
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最後にピリッとお伝えするけど
他人を批判する前に
自分を見なさい
自分の幹と枝葉にも自信があるなら
いちいち、人の幹と枝葉に
とやかく言う方にエネルギー向かないのよ
あなたが反応するのは
納得しきれない外側の誰かや何かではなくて
あなたのその信じてる
幹や枝葉に自信が持ちきれていないから
正しさを主張したくなるし
揺れるし、揺れを感じないように
強く見せようとするのよ
辛いかもしれないけど
自分にその部分があるかもしれないと思うなら
“そうかもしれない”の視点で顧みてみること
そして、その部分あったなと、認められたら、あなたは晴れて成長し、また更に自分という木が好きになるわよ
想いを主張するなとか
表現するなと言うわけじゃない
それが、驚くほど、もっと軽やかに私はこうですって言えるようになるわ
大きく見せる必要も
小さく遠慮する必要もない
あなたはあなたらしく立派な木として
堂々とそこに立っていたらいいのよ
だれも変われないし
だれとも違う
あなたという木は
必要でここに存在している
あなたでしか成長できない
あなたでしか存在できない
ピリッとしたメッセージもあったけど
誰もの中にもあり得る潜在意識のバリアのような反応の一つだから
それがあったとて、特別、自分を批判したり、凹む必要はない
ただ素直に、あるなら認めることで、本当の自分と繋がれて、ちゃんと幹の栄養になるからね
それだけの話
特別なことなんて何もないのよ
メッセージも、誰もかれも
敢えて言うなら
あなたにとって一番特別なのは“あなた自身”であることね
世界中のすべての命に当てはまる真実は、
それだけ
ただそれだけ
そこに集中しなさい
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今日の御神託まとめ
・幹から入り、それから枝葉
・本質を見極める目を養う
・自分という木に集中する
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わたしの存在も、あなたにとって、通りすがりの風のようなもの。
そうであるほうが、わたしも嬉しい。
では、またね。
御神託先生