そこに立つ
強く光れば 影が出来る
といった
2極の世界にいつまでもいないで
光と闇 の その前に立ちなさい
あなたは その前に立つ存在であるということ
(イメージ:キャンドルの
その前に立っている。
蝋燭の光とゆらめく影
それを見ている人間がいる)
光と闇 の 2極世界で
物事を押し図る見方は
これから古くなる
あなたがたが考えることは
そこに何もない
自身の光が強くなった時
その分の影も強くなる
と考えるのは自由だが
じきに、その考えも
古くなる
表があって 裏がある
と考えるのも自由だが
じきに、その考えも
古くなる
あなたは そのものなのだ
(これは、以前
コインの表と裏の話で伝えた。
あなたは表でも裏でもないコインそのものである。)
仮に自分の知らないところで
影があったとして
だから なんなんだ
仮に自分の知らない自分に
気づいたとして
だから なんだ
よいか
この世界の
光と闇 は あなたがたが
考えて取り組むようなことじゃない
表と裏 は あなたがたが
考えて取り組むようなことじゃない
あなたがたは
そこに立ち
創造する
ただそれだけだ
命ある者すべての使命で
言ってしまえば
やることは それだけだ
あなたがたに
どうにかしていただかなくとも
世界の光と闇の総量は
いつも常に対局としてそこにある
気づきは ただの 気づきだ
仮に“光の気づき”と思おうが
仮に“闇の気づき”と思おうが
その違いに意図的に特別な意味を持たすことも、自由だが、
わたしからすれば
それらは 同一 で
気づき は 気づきだ
天使と悪魔も
昔から同一の存在だと
言うも者いたように
それらは同一である
表裏一体とは
そういうことだ
あなたが
切ろうとしても
切り離せないもので
あなたが
繋げようとしなくとも
最初から繋がっているものだ
見方や考え方を
もっと根本的な
“一なる存在”として
見なさい
そこに 特別な意味はなく
そこに 特別な色もない
光として見ることも
闇として見ることも
どちらも自由に出来るのが
“一なる存在”のあなたである
そのことを忘れずに
まず そこに立つことで
光として見ることや
闇として見ることに
真の価値がある
わたしから言わせれば
初めて価値が生まれる
まず 立ち
それから創造しなさい
意味を持たしたければ
意味を持たすことが
出来るのがこの世界だ
逆に意味を手放したければ
意味を捨てることも
出来るのがこの世界だ
そして それは 確かに
この世を楽しむ要素だ
あなたがたは
自由に意味を見出せる
なぜ それが出来るか?
答えは
宇宙はそこに
特定の意味や
特別な意識や
特別な価値をつけていないから
この圧倒的な仕組みに
圧倒される気づきが
かつては悟りと言われていた
真の価値は
“意味をつけられる”あなたがたにある
欲しいならあなたがつけなさい
欲しいならあなたがつくりなさい
今世 この体で
体験できる間に
あなたが自分の人生に意味を見出し
あなたが世界に意味を見出し
あなたが透明の場所に色をつけなさい
それは
魂 と 心 と 体 を
使って取り組むことだ
わたしたちが伝えたいのは
そこに唯一の価値があるのだ
あなたは
一なる者としてしっかりと立ち
創造しなさい
それが全てである
敢えて言うなら
それが出来る舞台ということが
素晴らしいということだ
有と無
光と闇
表と裏
それが同時に存在して
それが真実は同一であるこの舞台の圧倒的な完璧さに驚愕と畏敬の念を抱ける人物は本物である
人間が特別な意味を見出せるのは
宇宙の仕組みである舞台があるからである
---今日の御神託---
・あなたがそこに立ち創造すること
・欲しいように意味を見出す
今日は以上よ
御神託先生