柄谷行人と東浩紀
※本稿は大学での発表に加筆修正したものである
①はじめに
本発表は、柄谷行人と東浩紀の「他者」観を比較することで、東の「他者」観を明らかにし、その新規性及び臨界点を提示することを目的とする。では、東の「他者」観を考える上で、なぜ柄谷との比較が必要となるのだろうか。 ここで、『ゲンロン0 観光客の哲学』(東浩紀、ゲンロン、2017年。以下、『観光客の哲学』と表記)の冒頭を想い起こすことは有効であろう。そこで東は、『観光客の哲学』の序章的役割を果たしている『弱いつながり』を参照しながら、『観光客の哲学』は柄谷の「他者」論を「観光客」論へと更新し、それによって発生する両者のニュアンスの差異について考えるために書かれたのだと述べている。
「ぼくは二〇一四年に『弱いつながり』という本を刊行した。そこで、ぼく は、村人、旅人、観光客という三分法を提案している。人間が豊かに生きていくためには、特定の共同体にのみ属する「村人」でもなく、どの共同体にも属さない「旅人」でもなく、基本的には特定の共同体に属しつつ、ときおり別の共同体も訪れる「観光客」的なありかたが大切だという主張である。この議論は予想外の反響を呼んだ。(中略)けれども、思想や批評を少しでもかじった読者であれば、そんな話はありふれていると感じたはずである。(中略)そもそもそれ以前に、ぼくが強い影響を受けた批評家の柄谷行人が、似たようなことを言っている。ある時期の彼は、「共同体」は閉じているからだめだ、「外部」からやってくる「他者」が必要なのだと説き続けていた。ぼくの議論は、柄谷のその議論を更新するものである。『弱いつながり』は、その点では本質的に新しいものではない。(中略)むしろ、哲学書としての『弱いつながり』の本質は、その新しいテーマーを新しいスタイルで語ったところ、つまりは本質でない意匠のほうにあるのかもしれない。(中略)『弱いつながり』の観光客論の本質は、あるていどその非本質的なスタイルのほうにある。というのも、ぼくがそこで企てたことは、ひとことで言えば、いままで「他者」や「遊牧民」といった、左翼的で文学的で政治的で、そしてどこかロマンティックな言葉で語られていた概念を、「観光」というじつに商業的で即物的で世俗的な言葉に結びつけてしまうことだったからである。(中略)観光客論と他者論は、本質は同じかもしれない。しかしそれでも、「他者が大事だ」と主張するのと「観光客が大事」と主張するのとでは、ニュアンスは大きく異なる。そして本書は、まさにそのニュアンスの差異がいま重要だと考え、その差異の意味を理論的に基礎づけるべく書かれた本である。」(★1)
このように、東は、柄谷的な「他者」論を更新する際に「観光客」論という新たな視点を導入し、それらの内容は「本質的」に同じであるとしながらも、そのニュアンスに差異を見出している。そのため、柄谷的な「他者」論と東の「観光客」論のニュアンスの差異について考えることによってはじめて、東の「他者」論≒「観光客」論を考察することが可能となるのである。 そこで本発表では、東が自らの「観光客」論と柄谷的な「他者」論の差異を、理論的言説ではなく「ニュアンス」という些か印象論的な言説で説明しているという点に着目する。なぜ東は自らの「観光客」論と柄谷的「他者」論の差異を「ニュアンス」という言葉で説明したのだろうか。あるいは、なぜ「ニュアンス」という言葉でしか説明できなかったのだろうか。そこに、東の「観光客」論の意義と臨界点を考える鍵があるように思われる。 そこで本発表では、大きく3つのパートに分けて考察を進める。第一に、両者の「私」観の違いをついて明らかにする。柄谷においても東においても、ひとは「私」の限界から逃れるべくは「外部」に出るのだとした。しかし、両者の「私」の限界の捉え方は些か異なる。では、それはどのように異なるのか。このパートではそれを明らかにする。その上で、第二に、両者の「他者」観の違いを明らかにし、東の「観光客」論の意義を指摘する。そして、最後に東の「観光客」論の臨界点を指摘しまとめに変える。 なお、本発表は、主に「「共同体」は閉じているからだめだ、「外部」からやってくる「他者」が必要なのだと説き続けていた」ある時期の柄谷の仕事、すなわち『探求』シリーズ(本発表では主に『探究Ⅱ』を取り上げる)で展開されていた柄谷の「他者」論(★2)と『観光客の哲学』及びその序章的役割を果たしている『弱いつながり』で展開された東の「観光客」論の比較に焦点を絞って、両者の「他者」観の違いを明らかにすることを試みる。
②「私」観の違い
ここでは、柄谷と東の「私」観の違いについて整理する。その前に、両者の「私」観が同じような問題意識から出発していることを指摘しておきたい。その問題意識とは、「私はありふれた人間にすぎないと知っているにもかかわらず、なぜ私は他のだれでもないと感じてしまうのだろうか」というものであるといえる。 その問題意識は柄谷においては、 「私は十代に哲学的な書物を読みはじめたころから、いつもそこに「この私」が抜けていると感じてきた。哲学的言説においては、きまって「私」一般を論じている。それを主観といっても実存といっても人間存在といっても同じことだ。それらは万人にあてはまるものにすぎない。「この私」はそこから抜けおちている。(中略)といっても、私がこだわってきたのは、「私」のことではない。また「この私」が特殊であるといいたいのではない。私はすこしも特殊ではない。私は自分がいかにありふれているか知っている。それにもかかわらず「この私」は他のだれでもないと感じている。(中略)私はここで、「この私」や「この犬」の「この」性を単独性と呼び、それを特殊性から区別することにする。単独性は、あとでいうように、たんに一つしかないということではない。単独性は、特殊性が一般性からみられた個体性であるのに対して、もはた一般性に属しようのない個体性である。(中略)「この私」や「この犬」は、ありふれた何の特性のなにものであっても、なおも単独的なのである。」(★1)
と表現され、東においては
「ぼくたちは環境に規定されています。「かけがいのない個人」などというのも存在しません。ぼくたちが考えつくこと、思いつくこと、欲望することは、たいてい環境から予測可能なことでしかない。あなたは、あなたの環境から予測されるパラメーターの集合でしかない。(中略)しかし、それでも多くのひとは、たったいちどの人生を、かけがえのないものとして生きたいと願っているはずです。環境から統計的に予測されるだけの人生なんてうんざりだと思っているはずです。ここにこそ、大きな矛盾があります。ぼくたちひとりひとりは、外側から見れば単なる環境の産物にすぎない。それなのに、内側からはみな「かけがえのない自分」だと感じてしまう。」(★2)
と表現されている。柄谷は、「私」は一般性からみた特殊性で説明できてしまうように思えるにもかかわらず、我々はそうした特殊性には還元されえない単独性を感じてしまう矛盾を指摘した。一方、東は、「私」は環境から統計的に予測されるパラメーターであるにもかかわらず、我々は自らを「かけがえのない自分」だと感じてしまう矛盾を指摘した。その上で、両者はその矛盾を乗り越える契機として「他者」を捉えたのである。 柄谷と東は、「私」を取り巻く同じような矛盾に直面した。だとしたら、両者の「私」観の違いはどこにあるのだろうか。結論から先にいってしまえば、その違いは、両者の「私はありふれた人間にすぎない」ことを指摘する表現方法の違いに現れていると思われる。すなわち、「私」はありふれている人間であるということを、柄谷は特殊性と表現したのに対し、東は「私」は環境から予測されるパラメーターである表現した。私は、この表現方法の違いこそ、両者の「私」観の違いを捉える上で重要だと考える。どういうことだろうか。 その前に議論を簡潔にするために、ここで新しい用語法を導入したい。ここからは柄谷の記述に基づき、単独性と固有名を、そして特殊性と確定記述をほぼ同一のものとして扱うことにする。(★3)柄谷によれば、固有名は決してその定義の束である確定記述には還元されえない。そのことは、反実仮想を考えるときに明らかになる。固有名は確定記述に還元され得ないのだとすれば、それは単独性と特殊性の関係とパラレルなものだと捉えることができるだろう。(★4) この整理に基づけば、「私はありふれた人間にすぎない」ということを、柄谷は特殊性、すなわち「私」は確定記述の束(定義付けの束)に回収されてしまう(ように感じる)と表現したのに対し、東は「私」は環境から予測されるパラメーターにすぎない(ように感じる)と表現したといえる。ここには明確な違いがあるといえよう。それは、「私はありふれた人間にすぎない」ということを、「私」は定義可能な存在なのだと表現するか、「私」は予想可能なのだと表現するかの違いである。 「私」は定義可能だとする立場は、「定義する」という行為が現在から遡行的に見出された諸性質を列挙する行為なのだとすれば、過去から直前までの「私」が定義可能であるということを悲劇だとする立場であるといえ、一方、「私」は予測可能だとする立場は、未来の「私」が予測可能なパラメーターにすぎないことを悲劇だとする立場であるといえる。『弱いつながり』で東が出したグーグル検索のカスタマイズの例に即せば(★5)、前者は過去の検索履歴から「私」が定義されることを悲劇だと捉えるのに対し、後者は将来の「私」がグーグルの予測から逃れられないことを悲劇だと捉える。 では、どのようにすればその悲劇から逃れることができるのだろうか。すなわち、どのようにすれば、私たちはかけがえのない個人として生きていくことができるのだろうか、あるいは生きているふりをすることができるのか。それに対し、大まかにいえば、両者とも「私」の「外部」にいる「他者」と出会うことが必要だといった。しかし、先ほど確認したように、両者の「私はありふれた人間にすぎない」という悲劇の捉え方には差異がある。そのため、両者が提案する悲劇の克服方法は異なっている。そして、それは両者の「他者」の捉え方の違いへと連なっているのである。
③「他者」観の違い
ここでは、柄谷と東の「他者」観の違いを明らかにすることを試みる。大きくいえば、両者は「ありふれたふれた人間」として生きたくないのであれば、「他者」と出会うべきなのだといった。では、両者の「他者」観はどのように異なるのだろうか。ここからは各人の「他者」論を分析していく。 柄谷は、どのようにすればひとは「他者」や「外部」と接触することができると考えたのだろうか。結論から先にいってしまえば、それは「超越論的自己」を獲得することによって可能になるとなるのである。では、「超越論的自己」とはなにか。 一言で言ってしまえば、「超越論的自己」とは、自らの「共同体」のシステムを絶えず疑い続ける自己である。柄谷はデカルトを引きながら、次のように言っている。
「デカルトのいう"神"は、人々がそれぞれ信じそのために互いに殺し合っているところの神ではない。そのような神こそ幻想である。いいかえれば、他の人間が夢をみているだけだから眠ざめさせねばならぬと考える者、つまり自らを"超越的"な立場にあるとみなす者こそ、夢をみているだけなのだ。デカルトは、そのような人々の間にまじって「真理」を説くことを回避したが、というのも、彼の懐疑は、どのような共同体(システム)にも属さない空=間においてしか根拠がなかったからである。それは、さまざまな真理を幻想とみなすメタレベルではありえない。(中略)彼は超越的な立場を斥ける。彼の方法は、カントやフッサールの方法といえば、超越論的なのである。超越論的方法によってしか、幻想を幻想とみなす、逆にいえば真理を基礎づけることはできない。が、超越論的とは、上方や下方に向かうことではない。それはいわば横にでることだ。」(★1)
ここで柄谷は、「超越論的」態度と「超越的」態度を対置させている。「超越的」態度は「さまざまな真理を幻想とみなすメタレベル」、すなわち種々の「共同体」の上に立とうとするニヒリスティックな態度である。一方の、「超越論的」態度とは、種々の「共同体」の「慣習としてのシステム」(★2)を徹底的に疑い、それらの「共同体」から「横にでること」である。柄谷にとって、「「疑う」という意志は、共同体(システム)のあるいは同一性から外に出ることを意味するのであり、それは単独的かつ外部的な実存」(★3)なのである。 「共同体」のシステムを疑い続けることこそが重要である、これが柄谷が「超越論的自己」という概念を出すことにより提案したことである。絶えず「共同体」を疑い続け、「真理」を告発する(例えば、全ての「共同体は虚偽である」)ことなく、種々の「共同体」の横に出ることで「他者」と出会うこと。柄谷は、こうすることによって、ひとは「単独性」を獲得するのだと、すなわち「かけがえのない自分」になるのだと主張した。 しかし、柄谷の「他者」論には大きな弱点がある。それは、原理的に彼が「単独者」が立っていると主張する「共同体」の「外部」は定義不可能であるという点だ。柄谷は、図らずも自らの議論の弱点を告白してしまっている。
「われわれはあるシステムのなかにあるのではないかと疑うとき、われわれはどこかそのシステムにとって"外的"な場所に立っている。それは、しかし、「どこでもない」。それはメタレベルではないし、そんな"立場"もない。あるとすれば、それはまた別のシステムにすぎない。」(★4)
このように、柄谷は「外部」を「~ではない」という否定表現の集積でしか提示できなかった。東は、このような「否定を媒介とした存在証明の論理、たとえば「他者は存在しないことによって存在する」や「外部は存在しないことによって存在する」という論理」(★5)を「否定神学的」と表現し、批判している。では、なぜ、東は否定神学的な論理を批判するのか。東はネグリらが提出した「マルチチュード」を否定神学的な理論だとしながら、次のように述べている。
「マルチチュードは(中略)多様な生を多様なまま共通点なくして連結する、「否定神学的」な連帯の原理に依存するものだと考えられていた。ひとことで言えば、マルチチュードはなぜ生まれるのか、そのメカニズムがうまく説明されていなかったし、また生まれたあとの拡大の論理にも無理があった。それゆえ、ネグリたちの運動理論はじつに文学的でロマン主義的な、ほとんど信仰と言ってもよいものに堕する危険を抱えていたのである。」(★6)
このマルチチュードの批判は、そのまま柄谷的な「外部」の批判だと読み替えることができる。たしかに、柄谷は、自らのいう「外部」はどのように生まれるのか、そして、それをどのように拡大するのかを説明できていない。そして、そのような「外部」に立つ「単独者」という響きは、どこか文学的でロマン主義的である。そのため、柄谷の理論は「単独者」として生きようという安易な信仰を可能にしてしまう危険がある。なぜならば、「外部」立つ「単独者」は実体のない否定の集積にすぎないがゆえに、いくらでも都合よく解釈する余地が残っているためである。 柄谷は、「単独者」として、つまりかけがえのない個人として生きたければ、「共同体」の「外部」に出ろといった。しかし、その「外部」は否定神学的な理論によって支えられたものであった。では東は、否定神学的性格を帯びた柄谷の「他者」論を、どのようにして乗り越えたようとしたのだろうか。 そもそも東は、「私」が環境から予測されるパラメーターにすぎないことを悲劇だとしていた。その悲劇を克服し、かけがえのない個人として生きるにはどうしたらよいのか。それに対する東の答えは非常にシンプルだ。それは「環境を意図的に変える」(★7)こと。なぜそれだけでよいのか。それは、「同じ人間でも、別の場所でグーグルに向かえば、違う言葉で検索する。そして、そこにはいままでと違う世界が開ける。」(★8)からである。この結論は些かシンプルであるように思えるかもしれない。だとすれば私たちは、なぜ東はこのようにシンプルかつ実践的な提案を行えたのかを問わなければならない。そこにこそ、柄谷の「他者」論の乗り越えがあるはずだからだ。そこで、ここからは、なぜ東はかくもシンプルな提案ができたのかという問いを二つの点から考えていく。 それは、第一に柄谷と東の「私はありふれた人間にすぎない」という悲劇の捉え方の違うことにあると思われる。柄谷は「私」が定義可能なことを悲劇だと捉えた。一方、東は「私」が予測可能なことを悲劇だと捉えた。柄谷のいう悲劇を乗り越えるためには、「共同体」から与えられる「私」の定義を絶えず切り捨てる必要がある。だからこそ、柄谷は、「単独者」は、どの「共同体」でもない否定神学的に示される「外部」に立ち続けなければならないといわなければならなかった。しかし、未来の「私」の行動が予測可能であることを悲劇と捉える東には、過去の「私」との断絶を要請する必要はなかった。今の環境から未来の「私」が予測可能であるならば、環境を変え予測不可能にすればよいのだ。 ところで、柄谷は過去の「私」との断絶を要請する必要があったのに対し、東はその必要がなかったという違いは、東の柄谷批判を理解する上で極めて重要であるように思われる。たとえば東は、「どの共同体にも属さない「旅人」」は「サステナブルは生き方でない」(★9)と批判している。東のいう「旅人」と種々の「共同体」の「外部」に立ち続ける「単独者」を並置することができるのだとすれば、それはそのまま東の柄谷の「他者」論批判として読むことができる。たしかに、「単独者」=「超越論的自己」は、次の瞬間に「超越的自己」に転化してしまう可能性がある。だからこそ、「単独者」は絶えず疑うことが要求されるのである。 更にいえば、たとえば柄谷の理論的パースペクティブにおいて「観客」の位相が欠けているという東の批判は、「単独者」は次の瞬間にも「単独者」でいることを原理的に保証されていないという問題を考えることでよりクリアになる。東は、柄谷を次のように批判している。
「柄谷は「共同体」よりも「他者」を好んだ。けれども、「他者」という言葉には、とくに「命がけの跳躍」と組み合わされ使われるときのこの言葉には、妙に実存主義的でロマン主義的な響きがある。ぼくがきみ(他者)に命がけで言葉を届ける、それが奇跡であり批評なのだといった素朴な理解を呼び寄せる危険がある。けれど本当は批評はひとりでやるものではない。ふたりでやるものでもない。ぼくがきみに命がけで言葉を届けたつもりだったとしても、それが奇跡の名に値するかどうかを判断するのは、横から見ている第三者でしかない(恋に落ちたふたりは、つねに自分たちは奇跡のなかにいると判断するだろう)。ひとりだけの、あるいはふたりだけの「命がけの跳躍」は、そもそも飛躍として登録されない。(中略)批評は、原理的に、それが批評であるか否かを判断する共同体を、言い換えれば批評という病=ゲームを鑑賞し、その成否を判断する「観客」の共同体を要請する。批評はそもそもが無根拠なゲームなのだから、ゲームをゲームと見なすひとがいなければ、自然に消滅する。」(★10)
柄谷の理論的パースペクティブには「観客」の位相が欠けている。東は、このように指摘しながらも、「単独者」である「ぼく」が、なぜ「観客」を形成できないのかを明らかにしていない。しかし、私たちはそれを明らかにすることができる。なぜならば、「単独者」が「観客」を形成できない原因は、「単独者」が次の瞬間にも「単独者」でいることを原理的に保証されていないことにあるからだ。つまり、時間的永続性を保証されていない「単独者」は、原理的に、そこでのゲームをなんとなく見ている観客を一定時間楽しませる(entertain)ことができない、すなわち観客を一定時間(enter)掴んで離さない(tain)ということができないのである。 更に付け加えておけば、批評が「観客」という「共同体」により存在しているという観点、すなわち、ある現象の存在に先立ってそれを支える「共同体」が存在しているとする東の観点は、彼の仕事の通奏低音をなしている。ここでは、『動物化するポストモダン』とその続編『ゲーム的リアリズムの誕生』で展開された二次創作論と、「観光客」論の理論的類似性を指摘しておく。二次創作と「観光客」、その類似点はどこにあるのか。東は、両者には、消費対象に無責任であるにもかかわらず、いつのまにかそれなしでは消費環境が成立しなくなってしまう逆説を生み出すという類似点があり、そのダイナミズムを捉える必要があるのだと指摘している。
「観光客は住民に責任を負わない。同じように二次創作者も原作に責任を負わない。観光客は、観光地に来て、住民の現実や生活の苦労などまったく関係なく、自分の好きなところだけを消費して帰っていく。二次創作者もまた、原作者の意図や苦労などまったく関係なく、自分の好きなところだけを消費して帰っていく。したがって、観光客が観光地の住民から嫌われるように、二次創作もまた原作者や原作の愛好者から嫌われることがある。(中略)さらに踏み込めば、観光も二次創作もともに、最初は嫌われるにもかかわらず、時間が経つにつれ受け入れられ、いつのまにか住民や原作者の経済がそれなしには成立しなくなってしまう、そういう皮肉な過程があるところも共通している。(中略)現在のオタク文化は二次創作なしには存在しない。いくら二次創作が嫌いで否定したいと思ったとしても、もはや原作の市場そのもがそれなしには経済的に成立しない。同じように、いまや少なからぬ地方自治体の経済が観光に依存している。(中略)現代においては、作品の内部(作品そのもの)と外部(消費環境)を切り離し、前者だけを対象として「純粋な」批評や研究を行うという態度、それそのものが成立しない。外部が内部にどのように繰りこまれているのか、そのダイナミズムを理解しなければ批評も研究も存在できないのだ。」(★11)
東の理論的パースペクティブにおいては、先に「純粋な」批評が存在し、その後に「観客」の「共同体」が存在するのではない。「観客」の「共同体」がゲームとしての批評を生み出し、その環境を織り込んだ新たな批評が、また新たな「観客」を生み出すのである。 とにかくここで重要なのは、東が「私はありふれた人間にすぎない」という悲劇を将来の「私」が予測可能なことだと捉えたことで、柄谷の「単独者」が陥った否定神学の罠を回避し、その悲劇からのシンプルかつ実践的な逃走線を引くことができた点である。これは、東の「他者」論あるいは「観光客」論のひとつの大きな意義だといえる。 なぜ東はかくもシンプルな提案ができたのか。それに対する二つ目の理由として、東が、ある「共同体」の外に出ようとする欲すひとの感情と同じ感情で柄谷的な「共同体」が生成したと捉えたことが挙げられる。その特徴は柄谷と比較することでより鮮明に理解することができる。 先ほど述べたように、柄谷は、ひとが「共同体」の外へ出るには「「疑う」という意志」が必要だと捉えた。更に、柄谷は「共同体」を所与のものと捉えているためか、その生成過程を全くといっていいほど説明していない。東は、こうした柄谷の視座に疑義を呈している。そのことをよく理解するには、東がよく用いる「郵便」や「誤配」という概念を知っておかなければならない。では、「郵便」や「誤配」とはなにか。「郵便」や「誤配」は、東が否定的に評価している「否定神学」と対置されている概念である。東は次のように説明している。
「「否定神学」は(中略)存在しえないものは存在しないことによって存在するという、逆説的な修辞を指す言葉である。(中略)それに対して「郵便」は、存在しえないものは端的に存在しないが、現実世界のさまざまな失敗の効果で存在しているように見えるし、またそのかぎりで存在するかのような効果を及ぼすという、現実的な観察を指す言葉である。本書ではその失敗を、『存在論的、郵便的』を引き継ぎ「誤配」と呼ぶ。」(★12)
東は、この「誤配」や「郵便」といった概念をコミュニケーション論に接続させることで、ネグリらのマルチチュードを乗り越えるべく「郵便的マルチチュード」という概念を提案している。
「ネグリらのマルチチュードは、あくまでも否定神学的なマルチチュードだった。だからこそ、彼らは連帯しないことによる連帯を夢見るしかなかった。けれどもぼくたちは、観光客という概念のもと、その郵便化を考えたいと思う。そうすることで、たえず連帯しそこなうことで事後的に生成し、結果的にそこに連帯が存在するかのように見えてしまう、そのような錯覚の集積がつくる連帯を考えたいと思う。ひとがだれかと連帯しようとする。それはうまくいかない。あちらこちらでうまくいかない。けれどもあとから振り返ると、なにかしら連帯らしきものがあったかのような気もしてくる。そしてその錯覚がつぎの連帯の(失敗の)試みを後押しする。それが、ぼくが考える観光客=郵便的マルチチュードの連帯のすがたである。」(★13)
ではなぜ、ひとはひとと連帯しようと試みるのか。それは、東の考えでは、柄谷のような「疑い」ではなく、単に好奇心や性欲やかわいそうといった「ふまじめな」理由、すなわち理性的なものの外部にある感情ゆえである。 「ひとは性欲があるからこそ、本来ならば話もしなかったようなひとに話しかけたり、交流をもったりしてしまうのです。(中略)人間は、目のまえでひとが血を流していたら思わず手を差し伸べてしまうし、目のまえ異性に(あるいは同性)に誘惑されれば思わず同衾してしまう、そういう弱い生き物であり、だからこそ自分の限界を超えることができる。」(★14)
ひとは「ふまじめ」な理由から「他者」に偶然声をかける。そして、そのコミュニケーションは絶えず失敗する。しかし、コミュニケーションをしたという事実が集積すれば「共同体」が生成する(かのように思える)。そして、それはいつしか将来の「私」を予測する環境として機能するようになる。あるいは、偶然、好奇心で観光客が観光地に赴くと、それはその土地の風景を必然的に変えてしまう効果を及ぼす。私が観光先で偶然新たな検索ワードを手に入れれば、それは私の生を必然的に変える効果を及ぼす。このような偶然と必然の相互関係こそ東が捉えようとしたものである。 東は、この偶然と必然の相互関係に着目することで、一見強固な「共同体」のように思える「家族」もまた、偶然の関係の最たる例なのだと主張している。ここで東が着目したのは親と子どもの関係である。子どもは「基本的に精子と卵子の偶然の組み合わせでしかない」(★15)だとすれば、「この」子どもは偶然授かった子どもにすぎない。しかし、親にとっては偶然であっても、子どもからすれば、自らが「この」親から生まれてきたのは必然の結果である。このように、一見強固で必然の「共同体」かのように思える「家族」でさえも、実は先ほどの偶然と必然の関係に帰着するのである。 柄谷は、ひとは「まじめ」に疑い続けなければ「共同体」の外に出られないと考えた。だからその理論には無理があった。これに対し東は、ひとが「共同体」を形成する理由と「共同体」の外に出ようとする理由の共通点を見出すことで、それを解決しようとした。本来的にひとは「共同体」の「外部」へと出ようとする欲望を持っている。それは、現に「共同体」を形成しているからである。だとすれば、その欲望に適切な出力を加えることで、「共同体」の形成を欲す欲望を「共同体」の「外部」を志向する欲望に変えることができる。東は、柄谷が問わなかった「共同体」の生成要因を問うことで、「共同体」が形成されているという事実からスタートしたからこそ、シンプルかつ実践的な提案ができたのである。これが、もうひとつの意義である。
④臨界点
ここでは東浩紀の「他者」論=「観光客」論の臨界点を指摘することで、まとめに変える。東は偶然と必然のダイナミズムを捉えることにより、柄谷が陥った否定神学的な「他者」論を回避した。では、そんな、東の「観光客」論の弱点はなんなのだろうか。その弱点は、『観光客の哲学』が最終的に、子供たちに囲まれた「不能な父」あるいは「不能な主体」になることこそが観光客の主体なのだと主張しながらも(★1)、「不能な父」と子どもをつくったはずの「母」のパースペクティブが(おそらくは意図的だろうが、)完全に抜け落ちてしまっている点にある。どういうことだろうか。議論を明確にするために、ここで補助線を引いてみる。 ここからしばらく私たちは、片渕須直監督のアニメ映画『この世界の片隅に』のラストシーン、すなわち主人公のすずが偶然出会った原爆孤児を引き取るシーンにおける、東の評価と宇野常寛のそれを比較する。東は、そのシーンを家族の柔軟性や偶然性を表すシーンとして肯定的に評価している。(★2)これに対して、宇野はこのシーンを否定的に評価している。なぜ宇野は否定的に評価しているのか。 宇野は、幼少期のすずが人さらいの妖怪と接触していたことに着目し、幼少期の彼女は「異界を覗く力」(★3)を持ち「日常の、「いま、ここ」の世界に留まったままその内部に異界を覗くことがで」(★4)きていたとしている。しかし、「成熟するとそのすずの能力は、性的な回路に置き換えられていく。」(★5)それは、「座敷わらし」に疑似家族的に接していた幼少期のすずと原爆孤児を引き取った時のすずの差異に直結する。宇野は次のように言っている。
「戦争が始まる前、すずはその異界を覗く力で座敷わらし=浮浪児に対し、疑似家族的に接する。しかし、成人した彼女は、夫の馴染みの娼婦となった女に対し当然かつてのように接することはできない。そして原爆によって死亡したことが示唆される彼女の生まれ変わりとしてとして、すずは第二の座敷わらし=原爆孤児の少女に出会う。そして彼女は今度は「母」として迎え入れる。すずが彼女を受け入れることができるのは彼女が自分から夫を取り上げる可能性のない「子」だからだ。」(★6)
絵を描くことが好きだったすずは、被弾したため右腕を失った。また、終戦日にすずは体制批判を口走っていた。しかし、原爆孤児を引き受けたことで、右腕は疑似的に回復し、終戦日に口走った体制批判を忘れ、アメリカの核の傘に守られた戦後民主主義体制に順応しながら「誰も傷つけないくすりとした笑いに支えられた日常」(★7)へと回復していく。原爆孤児を引き受けたことで、むしろすずは「異界」や「外部」に接近することがなくなり、箱庭的な「矮小な父性と肥大化した母性との結託による「母性のディストピア」」(★8)を形成することになるのである。 宇野は、東が家族の柔軟性あるいは偶然性を見出した『この世界の片隅に』を分析することで、「不能な父」あるいは「矮小な父」(★9)と「母」の結託が、「母性のディストピア」、すなわち必然性が充満した箱庭空間が形成されることを提示した。(★10)私たちは、なぜ東は家族のメタファーに依拠しながらも、「不能な父」と関係を持っているはずの「母」について書かなかったのかを問うていた。宇野の『この世界の片隅に』の分析を知った私たちは、それは、「不能な父」と「母」が結託すれば、偶然に開かれた「家族」が「母性のディストピア」へと、すなわち強固な「共同体」に容易に転化することを暴いてしまうからだといえるだろう。自らの夫を奪われたくないという情念、すなわち「肥大化した母性」を持った「母」の存在を隠すことによってでしか、東は「家族」の偶然性を提示できなかったのである。ここに東の「他者」論の臨界点がる。 ところで、私たちは最初に、なぜ東は自らの「観光客」論と柄谷的「他者」論の差異を「ニュアンス」という言葉で説明したのだろうか、と問うていた。それは、東が、柄谷がみなかった偶然と必然のダイナミズムをうまく機能させ、「共同体」的であると同時に偶然性に開かれた空間を完全に提示することができなかったからである。ひとは「ふまじま」な動機(たとえば性欲)により、「共同体」の外に行き「他者」と交流する。しかし、同じ「ふまじめ」な動機が「共同体」を閉じてしまうこともあるのだ。 東の「他者」論の臨界点を考えること。それは、偶然が必然に、あるいは非合理的なものが合理的なものに容易に転化してしまうことを考えることでもある。偶然の記憶を持ち続けたまま「共同体」の中で生きること。どうすれば、そのような生き方が可能になるのか。それは、東が初期の仕事から問うていた問題である。東は、その問題をデリダの脱構築という概念を参照しながら次のように述べている。
「ソクラテスは忘却されたかもしれない。彼の無知の知に、イロニーに回収されなかったかもしれない。その偶然性の記憶が、脱構築を駆動する。哲学の歴史は固有名の集積である。そしてそれは偶然的かつ経験的に成立したものでありながら、必然的かつ超越論的に真理を語る。」(★11)
必然的かつ超越論的な「真理」に絶えず偶然の位相を入れること。その一方で、なおも「この」世界で生きること。私たちの多くは、それは難しいと考えるだろう。けれども、北條すずが、「異界を覗く力」を有したまま原爆孤児と共に生きることくらいはできたかもしれない。だとすれば、私はそれを表現するための理論的道具を探さなければならない。(了)
①はじめに
★1 東浩紀『ゲンロン0 観光客の哲学』、ゲンロン、2017年、14-15頁。
★2 『探究Ⅱ』のあとがきで柄谷行人は次のように述べている。「私が『探究』の連載で問いつづけてきたのは、「間」あるいは「外部」において生きることの条件と根拠だといってよい。(中略)むろん、これはたんに理論の問題ではなく生きることの問題である」。柄谷行人『探求Ⅱ』(講談社学術文庫版)、講談社、1994年、268頁、なお本発表での『探究Ⅱ』の引用は全て講談社学術文庫版。柄谷のいう「共同体」の「間」および「外部」には「他者」がいる。すなわち、柄谷に於いて「外部」において生きることは、「共同体」に安住することでなく、「共同体の「外部」からやってくる「他者」」と生きることを意味するといえるだろう。
②「私」観の違い
★1 『探究Ⅱ』、10-11頁。
★2 東浩紀『弱いつながりー検索ワードを探す旅』、幻冬舎文庫、2014年、13-14頁。
★3 『探究Ⅱ』、29頁以下。
★4 東浩紀『存在論的、郵便的ージャック・デリダについて』、新潮社、1998年、40-41頁参照。
★5 『弱いつながりー検索ワードを探す旅』、9頁。
③「他者」観の違い
★1 『探究Ⅱ』、106頁。
★2 前掲、107頁。
★3 前掲、123頁。
★4 前掲、133頁。
★5 『観光客の哲学』、149頁。
★6 前掲、155頁。
★7 『弱いつながり』、14頁。
★8 前掲、10頁。
★9 前掲、50頁。
★10 『ゲンロン4』、ゲンロン、2016年、45-46頁。★11 『観光客の哲学』、46-50頁。
★12 前掲、156-157頁。
★13 前掲、159頁。
★14 『弱いつながり』、106-107頁。
★15 『弱いつながり』、131頁。
④臨界点
★1 『観光客の哲学』、292頁。
★2 前掲、220頁。
★3 宇野常寛『母性のディストピアⅡ 発動編』、ハヤカワ文庫、2019年、189頁。
★4 同上
★5 同上
★6 前掲、191頁。
★7 前掲、187頁。
★8 前掲、192頁。
★9 宇野は「不能な父」と「矮小な父」を並置している。「「不能の父」とは、まさに本書で述べる戦後的な「矮小な父」の言い換えだ」。(『母性のディストピアⅡ』、272頁参照。)
★10 この『この世界の片隅に』におけるラストシーンへの批判は、十分に考察に値するものだと思われる。だが、すずの「異界を覗く力」を人々に授けてものとしてGoogleのポケモンGoを取り上げ、それを肯定的に評価する宇野の手付きは些か乱暴であるといわざるを得ない。「『この世界の片隅に』の北條すずは(戦後日本のサブカルチャーは)日常の「この」世界の片隅の中に異界を発見する能力を、成熟(戦後的アイロニズムへの接続)と同時に失ってしまった。そしてGoogleが日本的「妖怪」としてのポケモンたちを取り込むことで実現したのは、情報技術の支援によって幼少期のすずが持っていた能力を世界中の老若男女に均等に付与することでもあったのだ。」(『母性のディストピアⅡ』、253頁)にもかかわらず、宇野は、東の提示する「観光客」的主体あるいは「不能な父」を「市場と程よく距離を取る賢い消費者像」であるとし、「「観光客」「不能な父」といった主体は、むしろ戦後的な「母性のディストピア」の枠内にある」(『母性のディストピアⅡ』、272頁)と批判している。宇野による「観光客」的主体への批判に即せば、彼が評価するポケモンGoで遊び「異界」と戯れているプレーヤーは、グローバル市場が提供する消費環境で「賢く」楽しむ消費者として本来批判されるべき対象なはずだ。このように、東の「観光客」的主体を批判しながら同時にポケモンGoを肯定する宇野の態度は、端的に矛盾しているのである。
本発表で紹介した宇野の理論は『母性のディストピアⅡ』の「「政治と文学」の再設定」と題された第6章で展開されている。ここで宇野は、「政治」と「文学」、すなわち大文字の社会・思想とコンテンツ批評の統合を図っている。そして、両者の蝶番としてポケモンGoの話題を提示している。しかし、その手付きには先に指摘した矛盾があった。このように、宇野の批評は、「文学」=コンテンツ批評の部分には目を見張る点があるが、それを「政治」と接続させる際に失敗しているように思われる。おそらくこの原因は、宇野の「政治」を語る語彙が、「文学」を語るそれよりも過剰に少ないことにあるといえよう。★11 『存在論的、郵便的』、66頁。