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この重さは生きづらさだったのかと気づいた40代 前半

こんばんは☺ 
現在47歳。今私は自分の気質をHSPだと認識してる。
(HSPなど存在しないという人もいますね色んな認識ありで)小学校は純粋に友達と笑い合い、何かを作り出したり毎日を楽しんでいた。
ただ高学年になると好きな男子と全く話せなくなったりと自意識が芽を出し始めていた。
中学校でも毎日友達といれば楽しかった。けど中2のクラス(暗黒の時期)は部活の友達一人としか仲良くなるきっかけがなく、常にその子を楽しませなきゃと、そして私も楽しいふりをしなきゃと漫画本を貸したり、
毎日飽きさせないようにと注力した。今思えば気質もさることながら独りになりたくないってことの裏返しだったと思う。
でもその子も話す子はほぼ私だけだったから、私が休んだらその子が独りになるからと中2は皆勤賞だった(;'∀')。
そしてその頃から心で思う事は気づかぬふりをしていたのかも・・・
中2で行く宿泊体験も本音は行きたくなかった。一人の時間が長くあったら
周りの目も怖かったし、気を遣う時間の為になんでいかなければならないのかと悶々としていたが、親に心配をかけるわけにはいかないと常に通常運転を装っていた。

高校生になると自意識はどんどん私の本音を覆っていった。
ただ誰とでも表面上はすぐに仲良くなれたから、例えば朝のバス待ちで顔見知りとかになればスマイル0円で相手をたてては自虐ネタで学校に行くもんだから誰にも会わず学校に行きたいと願ってたなあ笑。
一方で素敵な友達には恵まれバンド活動もしたり自意識の強さよりも毎日自由な10代を楽しんでいた。

結婚して子供が生まれると今度は友達ではない同年代とその場だけ公園で
話す機会がわんさかある。  苦手だった。うまく話せるかな?とか話すことがないというか・・・同時に表面上で話すことの退屈さを感じていた。
私が話したいのはもっと違う個としての話だとか、たかだか公園で一瞬話すだけなのにこんなにもいろんな事を考えて疲れていた。

あと苦手なのは複数での飲み会。立ち振る舞いがわからない。
そして一人一人と仲良くなれるが二人きりでどこかに出かけるのも気を遣いすぎて苦手。
子供が幼稚園にいくようになりパートをはじめた。
どう立ち振る舞えばその場が楽しくなるかっていうことには慣れていたのでそれなりにすぐ仲良くなれる。素敵な方にもたくさん出会えた。
けどどこかいつも他のひとよりピエロであり、何かミスしても〇〇ちゃんだから~って思ってもらえることの安堵感と悲壮感があった。
そして小さな職場なので社長も業務に就くが、常にみられている気がして(パート初日にどう利用者さんにはなしかけてよいかわからなかった時に、そんな所に突っ立てないでといわれたこともずっと残っており・・・)
ほんとに気が休まらなかった。
みんな社長とはいろんな思いがあってもうまくはなしてるのになぜ私はこんなにも意識してしまうのか?
でもその時はまだHSPなんて言葉も知らなかった・・・続く


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