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1000文字小説(108)・ピエロ(シュール)
「先生、恐怖ってさ……」
クニヲが話しかけてくる。
美術室。
棚の上に、マルクスやブルータスの石膏像が置かれているはず。
だが、美術室は真っ暗だ。
理由は後で述べる。
私は美術教師として、この男子高校に赴任してきた。
高校に2名しかいない女教師として、男の子たちの羨望の的となっている。
当然だ。
ぴちぴちの女子大生ではないが、匂い立つような美貌に惹かれぬ男子などいない。
クニヲは、受け持ちの生徒。
エキセントリックな天才肌。何を考えているかわからない。
「先生、答えてよ。本当の恐怖さ」
たどたどしいしゃべり方。
舌の先を切って、蛇のような二股にしているのだ。
「スプリットタン」
クニヲは、教えてくれた。
人体改造の一つらしい。
クニヲと二人きりになったのは、初めてではない。
赴任してすぐ、クニヲの自宅に行った。
「クニヲが、首をつっているの」
両親から、呼び出しがあった。
クニヲは懸垂トレーニング用のバーに、ロープを引っかけていた。
それから、8回、自殺未遂をしている。
ほぼ月一回のペース。
「先生。ほら、来たよ。ピエロ」
私とクニヲは、机の下だ。
校内放送があった。
「学校の敷地内で、ナイフを持ったピエロがうろついています。至急、校外へ避難してください……」
私たちは逃げ遅れた。
クニヲと、美術室の机の下で危機が去るのを待っている。
「わからないわ」
「死だよ、先生。人は死が近づいてくる危険性があると、恐怖を感じるんだ」
「死?」
「ええ。僕が自殺するのは、恐怖を克服するためです。死ぬことによって」
廊下から物音。
生徒は誰も残っていない。
殺人ピエロが、とうとうやってきたらしい。
「怖いわ」
遂に、口走る私。
教師の言うことではない。
「死のうよ。そうすれば、もう怖くないから」
錠剤を、スプリットタンの上にのせているクニヲ。
「ばか、やめなさい」
「グッバイ。先生。あっちで待ってるよ。すぐに先生も薬のんで」
クニヲは動かなくなった。
扉が開いて、足音が近づいてくる。
ピエロだ。
「死にたくない、死にたくない」
震えている私。
恐怖のあまり、目を瞑った。
誰かの手が肩にかかる。
ピエロだった。
ギラリと光るナイフ。
「先生、命乞いなんてやめろよ」
聞き覚えのある声。
ピエロが、マスクを脱いだ。
「ハロー」
マスクの下から現れたのは、クニヲだった。