僕たちはコロンブスを誤解していたかもしれない

ミセスグリーンアップルの新曲「コロンブス」のミュージックビデオ(以下MV)が炎上した。
歴史上の偉人、コロンブス、ナポレオン、ベートーヴェンに扮したミセスグリーンアップルの3人が、辿り着いた無人島で猿たちとパーティを催すと言った内容だ。


指摘された問題点

指摘された問題点は大きく以下の2点。
・コロンブスに対する歴史認識がアップデートされていなかった
 (偉大な探検家から残虐な侵略者への認識転換)
・劇中に登場した類人猿に対して差別的な表現が見られた

確かにMVを確認する限り、ポップでコミカルな演出ながら明確にそのような表現がされている。ミュージシャンは無教養な若者と蔑称をつけられ大いに炎上した。

恥ずかしながら自分自身は、コロンブスについての歴史認識は過去のまま、いわゆる偉大な探検家というところで止まっていた。本件で歴史の学び直しの機会をもらい、また識者の意見も参考にしながら、なぜこのような演出になったのか考えていった。

一見、露悪的な演出が散見される本作だが見方を変えていくと、次第にその真意に気づいていく。もしかしてとんでもなく大きな誤解をしていたのではないか。本作は無知な若者達が作った稚拙な作品ではなく、深いテーマ性、メッセージ性を持った作品なのではないか、と。

彼らは言い訳をせずにMVを取り下げたが、彼らの名誉を守るためにも擁護が必要ではないかと思い、考察してみた。


コロンブスが本当に伝えたかったこと

本作の考察については長くなるので先に結論を言ってしまおう。
本作のテーマは「人類の負の歴史についての贖罪」である。またこの歌には「負の歴史を繰り返してきた愚かな人類であるが、それでも反省しながら前向きに生きて、同じ過ちを繰り返さないよう人生を謳歌したい」という力強いメッセージも含まれている。

公式発表では以下のように釈明している。

「こちらの意図する物語の展開としては、歴史的時間軸は存在せず、類人猿も人の祖先として描きたかった。そして時間の垣根を越えてホームパーティーをする。」

「類人猿は人の祖先」とのことから、MVは人類の負の歴史をやり直したかった”if”の世界線の物語を描いている。
・もし過去に戻れたなら凄惨な歴史を、より良い歴史に塗り替えることが出来たのでは?
・現実的に歴史を改変するのは無理だとしても過去の過ちを反省し、より素晴らしい未来を築きたい。
・そうすればこの先、神様の逆鱗に触れることはないのでは?すなわち人類が滅亡するという最悪の結末を回避できるのではないか?

本作にはそんな願いが込められた歌なのではないか。

歌詞とMVの考察

歌詞とMVを見ながら少しずつ読み解いていく。

いつか僕が眠りにつく日まで

ここからの歌詞は
「僕」を「歴史上の加害者、その子孫である僕たち」
「君」を「歴史上の被害者」
と置き換えると理解が捗るのではないだろうか。

歌詞は人類の歴史が終わるまでにしたいことの宣言から始まる。
壮大なテーマだ。

気まぐれにちょっと
寄り道をした500万年前
あの日もやっぱ君に言えなかった

「ごめんね」
それは一番難しい言     
大人になる途中で
僕は言えなかった

人類誕生は500万年前(諸説あり)
MVでは現代に至るまで、人類が歩んできた輝かしい進化の歴史、また侵略、奴隷、文化強要、差別、戦争といった歴史の負の側面についても振り返っていく。
”大人になる途中に言えなかったごめんね”とは、文明の進化を辿る上でこの負の歴史に向き合わず、反省してこなかったことを意味する。そしてこれは現代にも通じる問題である。

作中の登場人物はミセスグリーンアップル扮する以下の3名
コロンブス、ナポレオン、ベートーヴェン
加えて、文字だけではあるがエジソンも登場する。

誰もが知る偉人達である。
コロンブスはアメリカ大陸の発見者として知られ、ナポレオンはフランスの皇帝としてヨーロッパの政治地図を変えた。
ベートーヴェンは芸術面、またエジソンは発明で人類の進化に大きく貢献している。

そして近年、コロンブスとナポレオンの2名についてはその歴史認識を大きく変えることになった。
コロンブスは大陸の発見に伴い、先住民に対する暴力、奴隷化、搾取、文化の強要で先住民への壊滅的な影響をもたらしたことが批判されている。
またナポレオンも他国への侵略でヨーロッパ全土に戦争と混乱をもたらし、女性差別や奴隷制度を復活させた独裁者として批判されている。
近年のキャンセルカルチャーの対象として浮上している2人だ。この人選にしたのも偶然といえるのであろうか。

MVに話を戻そう。
問題となったのは各々の乗り物で荒野を疾走するシーン。
コロンブスはキックボード、ナポレオンは馬、そしてベートーヴェンは人力車ならぬ猿力車に乗っている。猿が頑張って車を曳いていることから奴隷として使役している様に見える。

たしかに問題がありそうな映像である。しかしなぜか猿力車に乗るのはベートーヴェン。一見辻褄が合わないようにも見えるが、逆にコロンブスやナポレオンが猿力車に乗ってしまうと明らかに奴隷を想起してしまう。
制作者側としてもギリギリの表現だったのではないか。

また猿力車→馬→キックボードと異なる時代の乗り物に乗っていることから人類の進化の過程という表現をしているようにも読み取れそうだ。

舞台設定や小道具のこだわり

舞台設定や小道具についてもこだわりが垣間見える。

・なぜ猿たちが住む島に漂着したか
コロンブスは新大陸を発見したと広く知られているが、正確にはバハマ諸島に到達し、これらの島々を「西インド諸島」と名付け、原住民を「インディアン」と呼んだとのこと。(外観がカメハウスなのはご愛嬌)

・壁に飾られたバッファローのツノ
先住民にとって神聖な動物
「平和」「感謝」「魔除け」の意味を持つとのこと

・MONKEY ATTACKというタイトルの映画の上映会
赤色(赤色人種=先住民)のハチマキをした猿の軍人が白色(白色人種)のハチマキをした瀕死の猿の軍人を抱擁している、そのシーンで涙を流しながら鑑賞

・ベートーヴェンが類人猿にピアノ(シンフォニーの楽譜)を教え、その姿にナポレオンがサムズアップする

・類人猿による軍隊の敬礼のポーズ

ホームパーティの真意

これら演出について先住民や戦争による支配の歴史について丁寧に下調べされていることが伺える。
仮にコロンブスが偉大な探検家という認識しかないのであれば、先住民についてこれほど調べることはないはず。逆にコロンブスと先住民の関係性を調べていくと嫌でも歴史の負の側面と向き合うことになる。
ナポレオンとベートーヴェンの関係性についてもエスプリが効いている。

またホームパーティとの弁の通り、類人猿を奴隷として無理やり使役するという描写は一切ない。劇中の3人と類人猿が仲良くしていることからもわかるように、コロンブスやナポレオンによる先住民や属国民の奴隷支配や文化強要を”if”の世界線として両者が仲良く生活している歴史として改変したかったのではないかと考えられる。

ここまで来ると赤色のハチマキをした猿の軍人が白色のハチマキをした瀕死の猿の軍人を抱擁しているシーンの違和感にも気付くのではないか。
赤色のハチマキの軍人は赤色人種の隠喩である。白色人種に迫害され続けた赤色人種が白色人種を抱擁することはあり得ないのである。
このことからも侵略による支配でなく、柔和な友好関係が築き上げられた世界ということがわかる。

偉大な大発明も
見つけた細胞も
海原に流れる
炭酸の創造

文明の進化も
歴代の大逆転も
地底の果てで聞こえる
コロンブスの高揚

これは1コーラス目、2コーラス目のBメロに該当する歌詞であるが
1番目に人類の輝かしい文明開化を伝える一方で、2番目には文明の進化に伴い歴史認識の逆転により、自身の評価が最悪に陥ったコロンブスの呪詛を伝える対比の構造となっている。
現代におけるコロンブスのパブリック・イメージを強く自覚していることが伺える。

あなたとの相違は
私である為の呪いで
卑屈は絶えないが
そんな自分を
本当は嫌えない
あぁ 愛すべき名誉の負傷が
盛大に祝われる微妙が     
大切な様な 

ここでの「私」はミュージシャン自身、「あなた」は「神様」でないかと推測する。
旧約聖書では神は自身の姿を模して人間を作ったと言われるが
人間は神になることは出来ず、過ちを犯し続けてきた。そんな負の側面に直面しても自分たちは人間を嫌いになりきれず、愛と憎しみの間で揺れる複雑な心境を描いている。

そして物語のクライマックスでは、島を後にする3人の足元に瓦礫が映し出される。瓦礫にはbabelという文字が描かれており、ここでのbabelはバベルの塔を想起させる。

バベルの塔とは、同じく旧約聖書の「創世記」に登場する物語である。
人類が塔をつくり神に挑戦しようとしたため、逆に神の逆鱗に触れ、塔を崩されてしまったといわれる「人間の驕りの象徴」だ。

バベルの塔は様々な物語に引用されている有名なモチーフだ。本作でも映画「猿の惑星」との関連を指摘する意見が少なくなかった。

昨今の不安定な世界情勢を鑑みても、戦争を始めとした負の連鎖による人類滅亡は決して空想の話ではない。一つの可能性として実現し得る問題だ。
これ以上、負の歴史を繰り返して最悪の未来を迎えないように彼ら自身、警鐘を鳴らしているのだろう。

何処かへ続いて
不安だけど確かなゴールが、  
意外と早い日常が、
渇いたココロに注がれる様な
ちょっとした遊びにクローズアップ
繋がり合うでしょう。
ただただただくたばるまで
あなたと 飲み干したい 今日を

“君を知りたい”
まるでそれは探検の様な
誰も知り得ない
優しい孤独にそっと触れる様な
“君を知りたい”
まるでそれはオーロラの様な
未だ知り得ない
素晴らしい絶景に
やっと辿り着いた様な
ほら また舟は進むんだ
出会いや別れを繰り返すんだ
潤んだ瞳の意味を生かすには
まず1個 宝箱を探すんだ

涙なしで語れない凄惨な歴史もしっかりと向き合い、自分の血肉として、同じ轍を踏まぬよう、また誰一人として被害者を出さぬよう、前向きに人生を謳歌していこうという力強いメッセージで締めくくられている。


最後に

多くの人に誤解を与えることになってしまったが、このような批評性に優れた作品を世に送り出したミセスグリーンアップルに敬意を表したい。
万人に親しみやすいポップソングでありながら、いくらでも深読みできる熱量の高い作品に出会えたことに感謝する。
(これほど難しいテーマでありながらスポンサーにまで配慮した歌詞の表現は素晴らしい、ちゃんとコーラを飲みたくなった)

MVはすでに削除済で今となっては確認することも容易ではないが、近視眼的に非難した人もその意図に気づいてほしかった。

願わくば、もう一度MVを公開し再評価されてほしい。世間の誤解が解かれ、歴史認識が変わったコロンブスのように。


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