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驟雨(SKOL)

 イサーン

 その当時、東京で何者でもない生活を送っていたぼくは、チャオカイ・プラパンポンから一緒にタイに行かないかと誘われた。行きつけにしていたパッガパオガイカイダーオ(バジルと鶏挽肉の炒め物に目玉焼きを乗せたご飯)が名物の、タイ料理屋で知り合ったチャオカイは、ぼくの住んでいた界隈ではちょっとした有名人で、いつでも公園脇の街灯の下にいる立ちんぼだった。いわゆるナシナシ(竿ナシ玉ナシ)のガトゥーイ(レディボーイ)だ。肩甲骨の下まであるストレートヘア、胸のふくらみもしっかりとしたもので、誰もが羨む八頭身美人だったが、喋り出すと地声の野太い獣の咆哮のような声の低さで、如実に男が露顕した。それはチャオカイ自身も気にしていて、できるだけ裏声(ファルセット)で喋るようにしていたが、それがなおさら相手に奇異の念を抱かせるのだった。怖いもの見たさなのか、見てくれさえ誤魔化してくれたらあとは何であろうとお構いなしなのか、客はよくついた。つけまつげとリップとハイヒールだけは棺桶の中まで着けていく、そこはプロの女の鏡だった。ぼくがタイという国に勝手に持っていたイメージを羅列してみる。トムヤムクン、ガパオライス、象、ムエタイ、映画「マッハ!」、金色の仏塔(パゴダ)、横臥する涅槃像。観光ポスターには「微笑みの国タイ」と書かれ、行きつけのタイ料理屋には金の額縁入りでプミポン国王の写真が飾ってあった。両掌を鼻の下で合わせ、心持ち頭を傾けるのが挨拶(ワイ)の仕方。サワディ・カー(おはよう)コップン・カー(ありがとう)アロイ(おいしい)、この三つの言葉だけ知っていた。
 ぼくはパスポートを取得し、老後のために貯蓄していたお金を崩した。ビザは必要なかった。タイは最長30日間、ビザなしで滞在できる。あとで知ったことだが、チャオカイはまさかぼくが本当にタイまで一緒に来るなんて思ってなかったそうだ。チャオカイは来日して2年半で、「謙虚・謙譲・謙遜の国」「自己卑下・自虐史観・自己満足の国」日本の男の子は、誘っても一度は絶対に断る、しつこく二度三度と誘って初めて渋々うなずくと学んでいた。だからぼくが二つ返事で一緒に行くと言った時、正直「バカか」と思ったそうだ。何かしらの企み、たとえばぼくが運び屋で、都合よく一枚嚙まされたんじゃないかと、疑ってもみたそうだ。タイ人は家族、親戚、友人とはひどく親密な関係を築くのに、赤の他人、会社の上司、お店の店員に対してはひどくシビアなところがあった。ぼくとしてはただ素直に、海外に行ってみたいというだけのことだったのだが。
チャオカイの誘いの船に乗ったおかげで、イサーン(東北タイ)の強烈な洗礼を受けるはめになってしまった。

 待ち合わせ場所に現われたチャオカイは白のタイトスカート、ノースリーヴのシルクのシャツ、ゴールドのブレスレット、スモークブラウンのサングラス、空色のハイヒール、真っ赤なキャリーケースを引いていて、どこから見ても世界を股に掛けるセレブな社長(CEO)だった。紐に吊るした段ボール箱をひと箱、手首に引っ掛けて持っていた。中には日本のお菓子、抹茶味のキットカット、キャラメルコーン、カール、グミが入っていて、親戚の子供たちのおみやげにするそうだ。タイは一年中ギラギラとした太陽が照りつけ、雨季と乾季しかないと思い込んでいたぼくは、ポロシャツ、チノ短パン、素足にスニーカー、バックパックにTシャツとビーサンだけ詰めて来ていた。
 水なしで服用できる酔い止めの薬を飲んで、出国ゲートをくぐる。チャオカイが予約したLCCの格安チケットで、羽田から約6時間のフライトだった。機内ではずっと緊張のしっぱなしで、CAさんの化粧の厚さばかり気になった。チャオカイはハンサムなパーサーばかり目で追っていて、パーサーの方もまんざらでもなさそうだった。意識をとにかくCAさんの顔から逸らそうと、スマホのアプリからダウンロードした映画「じゅぜっぺ・かのんの華麗なる失敗の連続劇」を、まんじりと見続けた。今思うとよくもまあ、あんな下らない下衆の極みのような映画を眠気ひとつ催さず、見てることができたものだ。それでも非日常の旅の途中で観た映画、読んだ本、聞いた話、見た夢は妙に心に残った。ここにそのストーリを記しておこう。

「じゅぜっぺ・かのんの華麗なる失敗の連続劇」

すべてのことは、女の男選びの失敗から始まる。

情熱的な愛の告白。甘い言葉。約束の羅列。天使の囁き。焦らしのテクニック。ミラー効果。サプライズパーティー。フラッシュモブ。些細なことからプチ喧嘩。ほんの出来心からの浮気。修羅場。しばしのお別れ。寂しさ。空しさ。偶然の再会。再燃。焼け木杭に火。確信。盲念。そしてティファニーの永遠の輝きに幻惑、翻弄され、ひとつに溶け合う。このひとしかいない。このひとしか見えない。考えられない。このひとじゃないとイヤだ。死んじゃう。このひとしか愛せない。これ以上ない最高の相手(パートナー、伴侶)との結婚。

無知でおバカでいた方が生きてて楽しい。

結婚はしても子供はいらない。プライベートな自分だけの時間を楽しみたいと思っていた妻は、ピル(経口避妊薬)を服用していた。用心を重ねて夫にも毎回、コンドーム(避妊具)を着けるよう頼んでいた。しぶしぶ従っていた夫だったが泥酔して帰って来たある日、妻をベッドに放り投げた。殴られ蹴られ髪を鷲掴まれた妻は、強姦(レイプ)のように犯された。たった一度の過ちでドンドンピシャリ。月のモノが止まる。吐き気。めまい。立ち眩み。頭痛。歯痛。だるさ。下痢。アンチョビばかり食べるようになる。まさかと思った時にはもう5ヵ月を過ぎていて、やぶ医者も闇医者も堕胎手術を拒んだ。なんとか流してしまおうと、冷たい川の流れに身を晒す。妖しげな薬売りの老婆から間引きの粉薬を買って煎じて飲む。それでも、あれよあれよとやや子はお腹を蹴るようになる。
胎教のためにはバッハやモーツァルトが定番なのに、夫がそれをすべてヘビメタ、デス・ゴアメタルに変える。憎悪と暴力の嵐吹き荒れる家の真っ只中に、ひとり息子じゅぜっぺは生を享ける。笑いながら生まれてきたという。
これから舐め続けることになる苦汁と辛酸に満ちた一生のはじまりとも知らずに。

生まれてきたこと自体が失敗だと、モンテーニュは言う。

母親は間違えて子供をストーブの上に座らせて、お尻に一生消えない焼き印を押す。歩けるようになったかと思うとたちまちこけて、顔面をアスファルトでしたたかに打ち鼻ぺちゃになる。じゅぜっぺのおねしょ、おもらし、失禁、脱糞は14才まで毎日続けられ、それ以降もちょくちょく、大事な場面、決定的瞬間のたびに繰り返された。おいたをした際の父親の打擲、折檻、躾(しつけ)という名の虐待は日ごとに度を越し激しさを増していった。日頃の鬱憤鬱積を晴らす格好の餌食となったじゅぜっぺ。家からの締め出し、放置、果ては地下室への監禁、青バケツに食餌、ピンクのバケツに糞尿、最終的に飼育放棄(ネグレクト)。

子は親を選んで産まれてくると、輪廻論者(リンカーネイショリスト)は言う。

教室でのおもらし、ゲップ、おならは言うに及ばず、数々の失言、失態の限りを尽くして、クラスのみんなから失笑を買う。算数の時間になんの脈絡もなく「お○んこ!」と口走って以来、担任教師から目の敵にされ、手を上げても当てられなくなる。理科の実験中、ガスバーナーの供給弁を反対に回して天井を焦がし、水泳の時間、飛び込んだ拍子に海パンが脱げ、そのまま25m泳ぎ切ってプールサイドで見学していた女子の面前に仁王立ち、猥褻物を陳列する。自転車置き場の自転車をドミノ倒し、女子トイレ、女子更衣室、試着室、授乳室、女子専用車両に故意か過失か立ち入って袋叩きにされる。向かいのホームのベンチに座る女性の、タイトスカートの奥を覗こうと首を伸ばしているうちに、入って来た電車に顔を弾かれて鞭打ちになる。
下りのエスカレーターで踏み外し、乗っていた人を上から下まで将棋倒し、エレベーター内でドカンと一発、盛大ど派手に放屁して顰蹙(ひんしゅく)を買う。定員オーバーなのに無理やり乗ろうとして箱が止まる。運動会のメインイベント、クラス対抗リレーでバトンを蹴っ飛ばし来賓席まですっ飛んでった時は、クラス全員から吊し上げにあい、掃除用具ロッカーに閉じ込められる。合唱コンクールでひとりだけ音を外した時、口の中にガチョウの羽根を詰め込まれ「屋上から飛べ」と。そうしたらもっと目立つだろうとののしられた。
このようなじゅぜっぺの毎日にも、恋する予感、異性に目覚める春の季節が訪れる。渡り廊下で待ち伏せてすれ違いざまに渡そうとしたラブレターを、隠れて煙草を吸っていた不良少年たちに奪われて、昼休憩の時間、放送室から全校内へ朗読された。じゅぜっぺの存在は学校中に知れわたり、「詩人(ポエム)」というあだ名で呼ばれるようになる。不肖の息子を持った父親はじゅぜっぺを「職業訓練コース」に進ませ、自分の食い扶持くらい自分で稼ぐ男になってくれと願う。

バカ息子ほどかわいいものはない。

しかし子を思う道に惑うた母親は、「この子はやればできる子なんですから」と、「進学試験コース」を断固として主張し譲らない。いつもは夫の剣幕に脅え、ご機嫌を伺い、おべっかを使う性奴隷のような生活をしていた母親が、ことひとり息子の先行きのこととなると様相が一変し、血相変え血眼になって夫に食ってかかる。殺るの殺すの夫婦喧嘩を皮切りに、今までのすべての鬱屈が爆発、ただちに離婚調停が開始される。泥沼の家庭環境の下、じゅぜっぺは大学入試の試験当日を迎える。40度5分の高熱を押して家を出たものの、試験会場を間違えて遅刻して行くと受験カードを忘れたことに気付き、再発行してもらってほっとしたのも束の間、教室内の石油ファンヒーターがとっても温かくてついうとうととし、試験官の見守る中ぐっすりと寝入る。
自動車教習所ではアクセルとブレーキを踏み間違え、なぜか助手席に座る指導官補助ペダルが効かず、フェンスを突き破り駐車してあった指導官の愛車シトロエンを大破させ、もろとも川に落ちる。指導官は愛車を潰された怒りを歯を食いしばって懸命に堪え、外したシートベルトの先端で窓ガラスを割り、パニックになっていたじゅぜっぺの頬をぶっ叩いて(そこに私情が1ミリも含まれていなかったといえば噓になる)正気に戻し、窓から体を引きずり出して川縁の土手に引き上げ、人工呼吸と心臓マッサージを繰り返しじゅぜっぺの一命を取り留める。

道草、寄り道、まわり道。

三浪した末ようやく進学を諦めることにしたじゅぜっぺは、職業斡旋所(ハローワーク)へ足繁く通い始める。片っ端から紹介された会社の面接を受けに行ったが、不安と緊張でどもり、吃音、訥弁、舌を噛み、言葉がもつれ、ブタ鼻で笑い、失禁脱糞、面接官を困らせる。それでも雇ってくれる奇特な会社が存在し、その会社のホームページにはこのようなことが書かれている。「ほとぼりが冷めるまで身を潜めていたいあなた。都会の喧騒に紛れてひっそりと暮らしたいあなた。密入国管理局、不法滞在取り締まり課、麻薬捜査官、税務調査官が嫌いなあなた。逃げて来た新興宗教団体、カルト教団、秘密結社、広域指定暴力団の追っ手から姿を晦ましていたいそこのあなた。そんなあなたのためにマンション、アパート、借家、倉庫、コンテナの又貸しします。」
身寄りのない年金生活者、生活保護受給者、障がい年金受給者のための保護施設、養護施設、ケアハウスの管理・運営。アダルト業界との太いパイプが自慢の社長が、自信を持ってお届けする女性・男性(性別問わず)のスカウト、マネージメント、紹介、仲介、斡旋全般。このようなことを生業とする企業だった。

若者は血気盛ん、鬱勃としたむらむら若気のいきり立ちを鎮めるために、いろんなことをする。

じゅぜっぺが「チェリーボーイ」と知った会社の上司は、いい子がいる「ちょんの間」にじゅぜっぺを連れて行く。ピンクの間仕切り、ピンクの壁紙、ピンクのマット、ピンクの照明、ピンクのネグリジェ、ピンクの口紅、ピンクの髪(ウィッグ)、ピンクのネイル、ピンクのカラコン。50年増のスペシャリストの女性相手に、じゅぜっぺは勃たなかった。

15分、三千円。

男一代、末代までの恥を晒したその夜、股間がかゆくなり毛虱を伝染されている。捲土重来、再度の奮起を誓ってモーテルにコールガール派遣を要請する。チェンジチェンジを繰り返し、ようやく自分好みのハニーポットが目の前に登場する。先にじゅぜっぺがシャワーを使って体を綺麗にしている間に財布を盗まれて、110番して警察を呼ぶのも恥の上塗りで、泣き寝入りだった。それでも懲りずに三度目の正直、ネットで「まったり山満」の書き込みを見つけて、深夜のセルフサービス・コーヒーショップで自称17才のJKを待つ。現れた彼女の生い立ちをじゅぜっぺは薄いブラック、彼女は抹茶フラペチーノを飲みながら聞く。親のDV、いじめの毎日、教師の無視、親の離婚、過大な期待、将来への不安、絶望、ふたりの何もかもが似通ってるねと意気投合する。

偶然このように出来損なった、末法澆季(ぎょうき)のろくでもない世界。

宿世末世で会って結ばれようと、ふたりは心中を決意する。この世の悲惨さ
辛酸さ、岬を巡って橋の上、欄干を跨いで身を乗り出すと、下は目も眩む奈落の淵。ふたり手を繋いで飛び込む刹那、女はいきなり手を離してじゅぜっぺの背中を突く。あはれじゅぜっぺ、波の目逆巻く奔流に呑み込まれ、一気呵成に川下へと流され一巻の終わりを覚悟する。通り掛かった島間定期連絡船の船長は、はじめそれをオットセイと間違えた。次に土座衛門と勘違いし、そしてそれが生きていると分かって、やっと浮き輪を投げる。
最後の頼みの綱は結婚相談所。真面目に真剣なお付き合いのできる運命のひとを求める。会費月々1万6千円、登録された会員の中から条件の合った人たちがグループ分けされ、パーティーが催される。趣味・趣向に合わせてカテゴリーを変えていけば、無限の出会いの可能性がそこに開けているはずだ。旅行好きな人たちを集めたパーティーにじゅぜっぺは興味を持ち、参加を決める。ベトナム料理が得意だという彼女は、パーティー会場に手作りバインミー(フランスパンのサンドイッチ)を持参している。連絡先を交換した次の日にはもう会いたい、会って話して食事して将来のこと、結婚を前提に清い交際を始めたいというメールが届く。じゅぜっぺはディップで髪をテカテカにし、オーデコロンをたっぷり振りかけて出かける。待ち合わせは蔦屋のカフェバーで、本を逆さに持って読んでいた彼女とおち合う。美味しいベトナム料理を出すお店でフォー・ボー(牛うどん)ネムル―(手巻き春巻き)ホワイトローズ(米粉の皮に海老のすり身を詰めて蒸したもの)。ルアモイ(ベトナムウォッカ、米の焼酎)で乾杯。
とんとん拍子に家の合い鍵、お互いの両親の紹介を兼ねた食事会、パソコンのパスワード・銀行口座、マイナンバーカードの暗証番号の共有、受け取りを彼女名義にした生命保険への加入。それから1日経たずに向かった岬へのドライブ。立ち寄ったドリンクバーで睡眠薬入りのスミノフアイスを飲まされ、じゅぜっぺは前後不覚。意識朦朧とした厚い雲の中から、次第に浮かんで見えてきたのは白衣を着た男と女の顔と顔。車は断崖の下でぺっしゃんこ。彼女は姿形、跡形もなく消え失せており、「あなたは岩肌から突き出していた松の枝に引っ掛かって、九死に一生を得た」んですよと、医者が言う。

女は醜い化け物より一層美しい化け物と眠狂四郎(市川雷蔵)が言う。

その日、じゅぜっぺは朝から腹を下してピーピーでトイレを出たり入ったりしていた。社長のペット、ドーベルマンの「美雪ちゃん」の散歩から戻ってくると、社長から直々に「キャピタルホテルの605号室に大事な客を待たせている」から迎えに行くように言われる。ドアをノックすると、屈強な男ふたりが顔を見せ、じゅぜっぺを部屋に引きずり込みそのまま出ていく。部屋の真ん中にはタイヤを3つ重ねたみたいな椅子、アイリーン・グレイ作「ビバンダム」が置かれており、そこにほうれい線をくっきりと浮かべて笑う女性が、背筋をぴんと伸ばした正しい姿勢で座っている。間接照明に薄暗く照らし出された、その古風な着物姿の女性を見た瞬間、ついにじゅぜっぺの猫じゃらし(エノコログサ)は、ここぞとばかりに三日月バナナに反り返る。

ことの終わり、後朝(きぬぎぬ)の朝。

女は真っ赤な薔薇の花咲かせた純白のシーツを両手に掲げて、じゅぜっぺに即刻結婚を迫る。後から聞いた話、その女は社長がまだ駆け出しのぺーぺーだった頃、借金の形に差し押さえたマンションのクローゼットの隠し戸棚の奥深く、身を潜めていた債務者の箱入り娘だった。水商売、ポールダンス、ストリップ、風俗(ソープ)、マッサージ、ホテトル、デリヘル、覗かせ屋、大道芸、蹴込み、夜鷹、立ちんぼ、門附け。何をやらせてもてんで駄目で、社長はほとほと手を焼き持て余していた。じゅぜっぺが30でいまだ童貞、ひねもす無料エロ動画サイトにアクセスし放題のひとり竿しごきで、自己満足のソロ活動にいそしみ自己憐憫に浸っていると聞いた社長は、割れ鍋に綴じ蓋の粋な計らいでじゅぜっぺを男にした。
チャペルでの厳かな結婚式。ライスシャワーを鳩がついばみ、盛大な披露宴で初めての共同作業。ケーキ入刀。緊張と興奮から初夜の寝床で失禁脱糞の一大粗相を犯し、花嫁を汚穢まみれにしてのける。たまらず新妻が窓を全開にして匂いを外に出すと、町じゅうのなんの罪咎もない、市井の人の眠りを醒まし、下水管破裂騒ぎでパニックに陥れる。

男子一生の不覚。

ハネムーンはベトナム。タクシー運転手にぼったくられ、シクロ運転手にぼったくられ、ハロン湾の水上マーケットのおばちゃんにぼったくられる。オンボロスーパかぶたくられ、シクロ運転手にぼったくられ、ハロン湾の水上マーケットのおばちゃんにぼったくられる。オンボロスーパーカブに撥ねられて尾骶骨を打ち、不味いフォー屋台に当たり、なぜかホーチミンを侮辱した廉で一週間拘留される。
帰国後、じゅぜっぺがひとり暮らしをしていた築40年、木造モルタルアパートでの新婚生活が始まる。新妻は初日早々、テレビの前に敷いた布団に寝転んだまま、昼はハッピーターンを食べながらリモコン片手にザッピングの女王、夜の営みは築地(豊洲)のマグロと成り果てる。駄菓子、化粧品、バッグ、パンスト、18金入りフェイスパック、高級ランジェリー、各地の名湯秘湯入浴剤、オーナメント、カトラリー、調理器具、ロイヤルゼリー、タラバガニ、ローストハム、A5ランクの牛肉、各地のお取り寄せ名産品、モンドセレクション金賞受賞食品、スーパーフード、サプリメント、プロテイン、筋トレマッシーン、エクササイズ用品がアマゾンの箱で、ドローンで運ばれ玄関先に届く。

神の悪戯、計画的犯行、確信犯的やり口。

自分を最後にこの失敗に継ぐ失敗の連鎖を断ち切ろうと、じゅぜっぺは厚手の避妊具(コンドーム)をしっかり二重に着けていたにも拘わらず、先っぽが破れている。十月十日テレビノイズとけたたましい抱腹絶倒、大爆笑の連続胎教。ラマーズ法と48時間の産みの苦しみの末、帝王切開(カエサル)で息子と娘が誕生する。一卵性双生児だった。父親の暴力、隷属する母親、幼少期のつらい記憶が今も消えずに燻り続けているじゅぜっぺに、理想の父親像なんて何もない。とにかく同じ過ちだけは繰り返したくない、それだけは確かだった。ただ愛してやればよかったのに、じゅぜっぺは完全放任主義を徹底的に貫いていく。それは父親になることから逃げたということだった。

自分で蒔いた種は、自分で刈り取らなければならない。

生活費、光熱費、家賃、養育費、車のローン、各種保険、年金、マイホームの積立預金のため、じゅぜっぺはあこぎな商売に手を出す。夜の公園にたむろする家出娘を、会社に内緒でビデオ制作会社に紹介・斡旋し、マージンをせしめようとする。ところがたまたま声をかけた子が、運び屋(トラフィッカー)に接触しようとしていたヤクの売人(プッシャー)だったから、話がややこしくなってしまう。じゅぜっぺがヤクを持ってないと分かると、その子は「このオジさんがコートの前をはだけて見せた」と、じゅぜっぺを派出所に突き出す。警察での事情聴取が一昼夜ぶっ通しで続き、社長が保釈金を積んで釈放。白々明けの朦朧とした頭のまま、社長にお礼を言おうと会社に顔を出すと、社長は「一度警察沙汰を引き起こした人間は、うちの会社にとって致命的」だからとクビを言い渡される。
転職サイトで見つけた運送屋で積み荷をあべこべに運んでクビ。食品製造工場のベルトコンベア作業中、服を機械に巻き込んで全行程がストップ、その日の出荷予定をパーにしてクビ。ファミレスの深夜シフトですべての皿をドミノ倒してクビ。交通整理中、我慢できずに道の真ん中でこんもりとやって交通網を麻痺させクビ。おでん、石焼き芋、ピザ、よもぎ餅、焼き立てパン、豆腐、ラーメン、アイスクリーム、廃品回収、竿竹、網戸の張替えの車を川に落としてクビ。

喧嘩上等、極道への道をひた走る放蕩息子。万引き常習、パパ活援交5千お口3千手千で噂のアバズレ娘。

双子は家裁、鑑別所、少年院、感化院、更生施設、少年刑務所を出たり入ったり、保護司にも見放された野放しの愛すべき子供たち。リレーアタックで盗んだベルファイヤーを酒気帯び無免許未成年で乗り回し、人身物損事故を起こす息子。15で娘が家に連れて来たのは黄色いモヒカン、黒のグロス、舌ピアスびっしり、チェーンをじゃらじゃらさせた袖無し革ジャン、二の腕に漢字で「全自動洗濯機」と入れ墨している地獄の亡者のような男。こんな男と夜毎獣のようにまぐわって腹ぼてになった娘は、じゅぜっぺに有無を言わさず「産む」と言う。
古女房は興信所の男と騙らってじゅぜっぺの浮気をでっち上げ離婚を迫り、弁護士の女と結託して莫大な慰謝料を請求してくる。

生きることはままならぬが、死ぬことだけは手の内にあるとセネカは言う。

浴槽の中、じゅぜっぺが取り出したカミソリの刃は錆びて使えず、車の中で練炭を焚いたら、タカタ製のエアバックが破裂して窓ガラスが割れる。町一番ののっぽビルの屋上目指して一目散に階段を駆け上がっていると、テロリスト警戒中の自警団員が自爆テロと勘違いして発砲する。生から逃れようと死に急いでいたじゅぜっぺが、死から逃れようと必死の形相で死にもの狂いでひた走る。

与えられたのなら受けとめよう。

ネオンの灯る街の人波の間をかき分け、雑踏に紛れて揺れ動いていく。すれ違った誰かの手がじゅぜっぺのジャケットに何か、すべり込ませて過ぎる。チラシを配っていたメイドカフェ店員のツインテールの子が、作り笑いを浮かべてじゅぜっぺの腕に手を回す。胸をぐいぐい押し付けられて促されるままラヴホテルに向かって歩いていく。自販機で部屋を選択、取り出し口に落ちてきたキーを拾って狭い階段を上がる。先を歩く女の子の襞襞のペティコートの奥、真っ白い太ももが覗く。色付き小窓が菱形に嵌め込まれたドアを開ける。部屋に入った瞬間、彼女はエプロンのポケットからベレッタ銃を取り出し、じゅぜっぺのこめかみに突きつける。
「両手を壁に、頭を下げて、足を開いて。」身体検査され、ジャケットのポケットから白い粉100グラムの入ったパケットが出てくる。末端価格にして300万。彼女はおとり捜査をしていた厚生労働省の麻薬捜査官、通称マトリだ。じゅぜっぺは事実無根の濡れ衣、ハメられたと無罪を主張したが、現行犯の上、押収した麻薬の量も多く以前、嫌疑不十分で不起訴処分となっていた猥褻物陳列の、いかがわしい行動があったことも裁判官の心象を悪くした。法廷で懲役二年、執行猶予なしの実刑判決が下される。

三食飯付き、屋根、ベッド、トイレのある生活。

監獄内でのじゅぜっぺは自分の番号を言い間違えたり、おねしょ、おもらし、象並みのうんこで便器を詰まらせ獄中を水浸しにしたりする。それ以外は極めて真面目な模範囚として、一年が過ぎようとしていた時、隣りの独房の男に脱獄を持ちかけられる。男は「一年かけて床下を掘り続けてきた。」
「ちょうどあんたの部屋の下まで掘り進んだところだ。」「次はあんたが排気口ダクトのある通路まで掘り進める番だ。」「夜中の11時、1時、3時に牢番の巡回がある。」「見張りにはおれが立つ。」「安心して仕事をしろ。」牢番が懐中電灯で房内を照らしながら巡回していく。遠去かるのを見届けて、じゅぜっぺは静かに起き出し、床石を剥がす。掘り進めようとしたその時、なぜかふたたびライトが点灯する。独房内の真ん中に跪いてスプーンを持ったじゅぜっぺの間抜けな姿が、まん丸く照らし出されている。これで刑期が五年に延びる。隣りの独房の男が特赦で出所していった。
それからは真面目にこつこつ残りの刑期を務め上げようと、毎週金曜日に行われる典獄長の講話に欠かさず出席し、有り難いお話に熱心に耳を傾ける。

刑期最終年にあたる春の日。

借りた本を日の当たる中庭のベンチで読んでいたじゅぜっぺの隣りに、最古参の囚人仲間が座る。そして「とうとう完成した。」とつぶやく。男はじゅぜっぺの読む「モンテ・クリスト伯」の上に、詳細な脱出経路の記された見取り図を開いてみせる。問題は典獄長が腰に肌身離さず身に着けて持ち歩くマスターキーを、ダミーキーにすり替えることだった。
「そこでだ。」男はさらに声を低める。「おまえはこの5年間、模範囚として立派に、バカ正直に刑期を務めてきた。典獄長のおまえに対する信頼、確信、驚嘆、尊敬、愛情は誰よりも深く強く、揺るぎないものになっている。そこでだ、じゅぜっぺ・かのーん。おまえにマスターキーとダミーキーのすり替えを頼みたい。」「じゅぜっぺ・かのーん。おまえしかいないんだ。これができるのはおまえだけだ。みんなを救ってやってくれ。」「これは誰にでもできることじゃない。おまえにしかできない。唯一無二の存在の、おまえの力が必要だ。」讃美歌のように自分の名前を何度も呼ばれて、じゅぜっぺは恍惚となる。こんなにも誰かに必要とされリスペクトされたことは、生まれてこの方、一度たりとてなかったことだ。ベットの足からヤスリで削って作ったダミーキーを男から受け取る。

鍵は鍵穴を塞ぐためにあるのではない。秘密の扉、神秘の小筥を開くためにある。

金曜日、2時間余りの講話の後じゅぜっぺはひとり居残って、壇上の椅子に座る典獄長のそばで機会を伺っていた。典獄長はそんなじゅぜっぺの奇妙な行動、思わせぶりな身振り、食い入るように自分の腰のあたりを見つめ続けるその血走った目を、深く秘め隠した愛のしるし、燻る暗き炎(ほむら)、禁断の果肉を求めてやまぬ狂おしいまでの欲情の発露と勘違いする。典獄長はやおら椅子から立ち上がると、じゅぜっぺに歩み寄りやさしく抱擁する。臭く荒い息を吐き、口で口を吸い、耳元で囁く。
「ここは監獄、罪を償う者の集う聖なる祈りの場。悔悟と慰安を見い出す最後の楽園だ。ここにこそ生命の樹は宿り、禁断の木の実はたわわに実っている。じゅぜっぺ、おお地底に取り残された最後の天使よ。なにも怖れることはない。すべてをわたしに委ねてしまえ。共に禁断の果実をもぐことにしよう。アダムとアダムとして。」
典獄長に両腕を完璧に決められ身動きできない状態に抑え込まれる。耳の穴に伸びてくるオオアリクイのような舌先を懸命に首を振って逃れ躱しながらじゅぜっぺは、「マスターキーをダミーキーと交換して下さい!」と叫んでいる。刑期がさらにもう五年延びる。典獄長はことあるごとにじゅぜっぺを辱しめ、獄中の笑いもの除けものにし、性奴隷以下の虫けらのように扱う。
気の遠くなるような十年。誰ひとり面会にも来なければ差し入れひとつ、手紙の一枚来ない。やがて娑婆の、堅気の清く正しく美しい空気を吸える日がやって来る。

「もう二度とこんなところへ来るんじゃない。」と、輪廻する魂に言ってやりなさい。

塀の外、誰もお迎えに来ていない。自分で豆腐を買って食べる。娘は夜遊び、火遊び、男遊びが禍して梅毒とHIVに感染している。残された時間、誰彼構わずヤリまくってウイルスを広める「愛(エロス)と死(タナトス)の伝道師」になるんだと、父親に夢と希望を込めて語った娘は、瘦せ細って骨と皮だけになった肩を震わせて泣く。息子は生まれ育ったこの界隈からふっつり姿を消している。絶対に儲かるうまい話に乗って莫大な借金を背負い込んだとか、組の金に手を付けて女とトンズラしたとかいう話を、方々で聞く。出所後のじゅぜっぺはリサイクルプラントのゴミの仕分け、ゴミ屋敷の清掃、遺品整理・処理、廃品回収などで生計を立てながら、息子の居場所を訪ねて歩く。昔心中未遂をやらかした、いつかの橋の下に段ボールのダンボールの家を作る。アルミ缶でいっぱいにした袋を自転車の荷台にくくり付け、川べりを押して歩く。沈む夕日に燃え上がる川面の目映い光に目を細めながら、段ボールの家に辿り着く。七輪の上でゲソを炙って、ワンカップ大関片手にひとり乾杯する。
ある日、狆ころ回し、タイヤ乗りの芸で門附けする双子の兄弟が家の青いビニールシートの間仕切りをめくって、S&B食品のカレー粉の缶詰と紙切れを一枚、置いていく。

"世界は丸い。〇井埠頭、第三倉庫で待つ"

とある。埠頭に着いた頃にはもう日はとっぷりと暮れ、船の汽笛と遠く明滅する灯台の光だけが眩しい。夜空に巨大な陰を切って並ぶ倉庫の、小さな出入口から光が洩れている。中に一歩、足を踏み入れた途端、強烈な悪臭が襲ってきて口と鼻を手で覆う。天井からぶら下がるチェーンで両手両足を縛られ、顔じゅう腫れ上がった息子が、血溜まりのドラム缶の中に浮かんでいる。じゅぜっぺはそこらじゅうべっとり飛び散った血糊に足を滑らせながら、血みどろになってドラム缶から息子を引き出そうと躍起になる。間違っていようと、失敗しようと、何をしでかそうと、おまえはおれの息子、しっかりとおれに抱きつけ、抱きついたらおれを離すな。パトカーのサイレンが埠頭全体にリフレインし始める。現れた警官にじゅぜっぺは

「わたしがやりました。」

と自白する。不良息子を持て余しての残虐非道な行為、血も涙もない人非人、親子の絆の失われた現代の象徴(イコン)として、メディア・マスコミ各社はこぞってセンセーショナルに取り上げる。じゅぜっぺは世間で悪魔同然の扱いを受け、じゅぜっぺについた国選弁護人の精神鑑定請求も却下される。裁判員裁判で極刑の死刑判決が、異例の驚異的スピードで決定する。じゅぜっぺは控訴しない。国民の80%以上が死刑制度を是とする風潮で、法務大臣が粛々と刑執行に判を捺す。

じゅぜっぺ・かのん 58歳10月と10日。

13階段をのぼって輪っかを首に、阿鼻叫喚の階(きざはし)に立つ。床が抜けずに失敗。極度の緊張状態から解放されて失禁、脱糞。この日は延期に。翌日早朝、電気椅子に座らされ、両手両足を金具でしっかりと固定される。死刑執行人(サンソン)が配電盤のレバーを引く。ところが今日からC
O²排出削減のため、官民挙げてのクリーンエネルギー月間にあたっており磁気パッド程度の電流が流れる。じゅぜっぺはあまりの心地好さについ括約筋が緩む。

絶対失敗しない、たったひとつの冴えたやり方。

革命広場に地獄の断頭台(ギロチン)を設置、公開処刑を執り行うと法務大臣が発表する。革命広場には国の内外から見物に集まった老若男女、貴富卑賤。各国メディア・マスコミ各社のカメラが決定的瞬間を捉えようと三脚、脚立、クレーンを並べ、ドローンを飛ばす。木にのぼる者。電柱にしがみつく者。親に肩車された子供。バルコニーからオペラグラス片手に。竹馬に乗って。自撮り棒着けたスマホかざして。ビルの窓から。病院の屋上から。工事現場の足場(キャットウォーク)から。上空をヘリコプターが旋回し、熱気球が浮かび、飛行船が飛び交い、ドローンが舞い上がり、今か今かと待ち構える。窓に鉄条網が張られた護送車の中から、刑務官ふたりに挟まれて出てきたじゅぜっぺの表情は、晴れ晴れとしている。

死に至る病。

絶望を目の前にして身も心も軽やかに、後ろ手に縛られた胸を堂々と張って断頭台に向かう。その姿を目の当たりにした見物人は一瞬、気圧された形となり、じりじりと畏怖・畏敬にも似た気持ちに満たされていく。革命広場はしわぶきひとつしない。死刑執行人(サンソン)がじゅぜっぺを跪かせ、首を木枠に嵌め込む。父親の最期を、おまえは見ているか。娘は今も病院のベッドの上で全身黒ずみ、汗ばんだ肌、ちいさく縮んだ身体を痛みに引き攣らせながら人類への復讐を誓っているか。持ち上げられたギロチンの刃が日の光にきらめき、見物人が息を吞む。執行人(サンソン)が振り上げた斧を一閃、強く張られたロープに打ち下ろす。ところが地獄の断頭台が稀代の奇術師フーディーニ仕様のものであったため、じゅぜっぺの首は落ちない。

神が恩寵を垂れたまいて(デウス・エクス・マキナ)。

バチカン264代教皇と国王王妃両陛下の印璽の入った勅裁が下され、法務大臣が特赦を出す。じゅぜっぺ・かのんはまだまだ生きる。生きてるだけで丸もうけだし、命あってのものだねだ。

                              fin

 パーサーの尻を追いかけ回すのにいい加減飽きてしまったチャオカイは、自分のスマホでB級カンフー映画を観始めた。

「リトルカンフーロード」

 少年海星(ハイシン)の長く短い、遅くて速い一日は、家の中庭で祖父にみっちりつけられる功夫(クンフー)の稽古で始まる。朝四時に叩き起こされ、吹っ飛ばされたりぶっ叩かれたりひねり潰されたりぎゅうぎゅう締めつけられたりして、身体じゅう痣だらけになる。失神寸前の落ちる間際というところで、祖父が手をゆるめて拱手し、海星は跪き頓首して稽古は終わる。汗を流すために海星が井戸で水を汲んでいると、学校に登校していく春花(チュンホア)に出くわす。春花は海星に見向きもせず、ツンとすまして行ってしまう。海星は最近、急に背が伸びて足が長くなった春花の後ろ姿に向かって舌を出した。春花は小学校に上がるまで毎日、海星と一緒に祖父に稽古をつけてもらっていた。それが突然来なくなって、祖父も理由を話さなかったし、海星もこっちから訊くのもなんだか癪に障るし、ばつが悪くて理由は分からずじまいだった。

 「都市再開発用地」と大書された看板が立つ更地で、今日も朝から国の施策に反対する胡同(フートン)の住人が集まり、白い息を吐きながらシュプレヒコールを上げている。
「再開発に反対!」「胡同を守れ!」「都市開発は誰のためだ?」「人民の声を聞け!」「上に施策あれば下に対策あり!」
拳を突き上げ「加油(ジャーヨウ)」(がんばろう)を繰り返す。国はこの古臭いゴミ溜め、社会のクズが寄り集まった黒山鬼窟(政府の広報担当官はこう言った)、天外魔境を地域から一掃し、次世代に残していくに相応しい世界、緑豊か(エコ)でひとにやさしい(バリアフリー)、景観に配慮(ラウンドスケープ)した近未来型ウォーターフロンティアを建設する計画を発表した。国が発表した以上、この構想計画は絶対確実に実行に移される。昔からこの地区に住み慣れ親しんできた住人は、安い補償金でもって家を逐われ、郊外に突貫工事で用意された集合アパートに転居を迫られた。クソ味噌のコケ扱いされた胡同住人の中から、いの一番に反対の声を上げたのは町の世話役の王(ワン)さんだった。それに呼応して海星の一家をはじめ、春花の両親、海星と春花の同級生小龍(シャオロン)の一家も加わり、国を相手どって徹底抗戦の構えを見せる。学校、職場、市場、井戸端、家の中でも外でも移転する、しないで胡同住人の意見は真っ二つに分かれる。
断固居座るべき。新天地で新生活をはじめよう。はした金で故郷を売れるか。お上の気が変わらないうちにもらえるものは貰っておけ。
 そうこうして意見がまとまることなく、すったもんだしているうちにひとり、ふたりと補償金を懐手に夜中のうち、家財道具一式荷台に積み込んでトンズラを決めこく。朝覗いてみると、家はすっかりもぬけの殻という事態が増え始めた。今や胡同に残って頑張っていたのは、反骨精神漲るほんのひと握りの人たちだけで、今日も朝から怪気焔を上げていた反対住人の中には、海星、春花、小龍の両親もいた。

 胡同の小学校は今月いっぱいで閉校と決まっていた。このまま反対運動を続け胡同に居座るとなれば、郊外の学校まで三時間歩いて通うことになる。海星と小龍が暗たんたる気持ちで灰色に霞む窓の外を見ていた休憩時間の教室に、サーモンピンクのネクタイに縦縞のスーツをぴっちり着込んだちっちゃいおっさんと、襟元のボタンを二つ外したワイシャツにタイトスカート、ピンヒールのでっかい女が入ってきた。生徒ひとりひとりにパンフレットが配られ、手渡されていく。表紙にはコンペティションによって選ばれた一流建築家による近未来型都市、客家(はっか)の住む土楼からインスパイアされたクグロフ型の建物が、外縁を接して蛇の目状に建ち並ぶ構想図が描かれている。でっかい女が教壇に立ち、ちっちゃいおっさんはその隣りで机から目だけ覗かせた。でっかい女のぶ厚く、真っ赤な唇が開く。
「今、ここに誕生するウォーターフロンティアは、あなた方のために創造される、あなた達自身のものです。よりよい社会、住みやすい安全安心な都市空間、誰もが喜び勇んで駆けつける住環境、クリーンで持続可能な生活スタイル、明るい未来に生きるあなた方が主役です。あなた方自らが街づくり積極的に参画し、あなた方から親御さんに説明し、説得し、説教して下さい。
この街は古臭い肥溜めの糞詰まり、お先真っ暗の冥府魔道、すぐ土の下に棲まうことになる大人たちのものではなく、太陽の下で手のひらをかざして笑うあなた方、子供たちのものなのだから。」
でっかい女は喋ることに酔って口角に泡をため、拳を振り回して力説した。ちっちゃいおっさんは聴き慣れた歌を聴くように舟をこぎ、机の後ろに見えなくなった。純真無垢(イノセント)で何も知らない、真っ白なキャンバスのような子供たちから手懐けていって洗脳し、その親を籠絡しようという姑息でいやらしい魂胆に海星は腹わたが煮えくり返り、拳を固めて飛びかかってやろうとしたが、小龍が必死に止めるんで歯軋りして堪えた。教壇の真ん前に座って大人しく話を聞いていた春花が、突然大きな声を出して
「黙って聞いてればいけしゃーしゃーと。未来はバラ色、可能性は無限みたいな噓八百、御託を並べ立てて。これが大会社のCEOともあろう、いい大人のあなたがすることですか!」と啖呵切つた。
でっかい女は目を細めて春花を見下し、ちっちゃいおっさんはビックリして目を覚ました。背伸びして机の角から目の前の春花の、怒った顔を凝視する。
「結構。大変よくできた立派なお子さんですこと。ご両親も鼻高々でさぞお喜びでしょうとも。」
春花を凝視したままま兵馬俑のように固まっていたちっちゃいおっさんの襟首を引っ掴んで、でっかい女が教室から出て行くと、クラスメイトはヒロインになった春花を囲んで拍手し、褒めちぎった。海星と小龍は教室の後ろの棚の上に座り、それを横目に
「おれが一発ガツンと食らわしてやれば、おれがヒーローだったんだ。」
海星は小龍のどてっ腹に一発、ガツンと食らわせた。

 これからの再開発反対闘争をどのように展開していくか、話し合うために集まった岳飛廟前の集会で、悲観的な意見が相次ぐ中、薬局屋を営む老羅(ラオルオ)が「クラウドファンディングで資金を募り、闘争資金に当てよう」と言い出した。
「それより会社を設立してネットで株を売り出し、この闘争を全国区に広げ世論の後押しでもって政府に働きかけていこうではないか」と誰かが言う。
「利益も生じない、なんのメリットもないのに誰が株を買ったりするものか」という反論に、
「スポンサーを募って鉢巻、プラカード、看板、横断幕、Tシャツ、帽子、ブランケット、幟旗に会社名やロゴ、商品名、キャッチコピーを入れアッピールするんだ」という意見が出て、全員総出の企業巡りが始まった。反対住人は無い袖を振り、懐を叩いて金を捻出し、なけなしの金で設立した新会社の自社株をこぞって買った。反対派の急先鋒だった春花や小龍の両親は、家にあった目ぼしいものは一切合切売ってしまって、借金までして株を買い、ますますこの闘争に血道をあげのめり込んでいくのだった。

 公園のシーソーの両端に立つ少年ふたり。体重の軽い小龍の方が持ち上げられて高止まりしている。小龍が反動をつけて跳び上がり、板の上に着地する。撥ね上げられた板に合わせてジャンプした海星は、空中でとんぼ切って板の端に着地する。少年ふたりは互いに鎬を削りながら高く跳んでは回り、ひねりを加え、さらに高く飛翔する。
「今年はサンタさん、うちには来ないんだって。」
「おれんとこは毎年、どんな欲しいものを書いて靴下に入れといたってヌンチャクとか、棍棒とか、三節棍とか。」
「春花が誕生日に何もらったか、知ってるか。」
「関係ないね。あんな奴のことなんか。」
「トーシューズだって。あいつ、バレリーナになりたいんだって。゛強さより美が欲しい゛なんてぬかしちゃってさ。」
「強さと美はひとつだ。そう、小李(シャオリー)のように。」
夕闇迫る真っ赤に染まった公園に、ふたつの影が交互に空高く舞い上がる。

 反対運動が最高潮に達していた最中に、その事件は起きた。反対住人代表のひとりだった、高校で英語を教える嵩翠鳳(スウツイフォン)が闘争資金をごっそり丸ごと持ち逃げしたのだ。不倫相手の体操教師と示し合わせての駆け落ちだった。それを「守株待兎(しゅしゅたいと)」待ち受けていたかのように株の暴落が始まる。株を大量に購入し株価を不当に吊り上げていたのは、政府が資金を提供していた投資会社で、最高値を更新したその日、すべてを売り抜けて株は暴落、一気に紙くず同然の値になった。なす術なく茫然とパソコン画面上の株価チャートを見つめているしかなかった胡同住人たちの前に、謎のブローカー達が浮塵子(うんか)のように湧いて出て群がった。彼等は住人たちに向かって、保有している株を購入時の額面通りに引き受けるかわりに、直ちに反対運動を諦めてすみやかに郊外に転居するよう説いて回るのだった。英語教師嵩翠鳳をかどわかした体操教師は国からの回し者で、陰ですべての糸を引き牛耳っていたのは、都市計画を推し進める建設会社CEOのでっかい女と、街覇(チェパー、街のボス)ちっちゃいおっさんだったと、胡同の住人はすべてのことが済んだ後で聞かされたが、あとの祭りだった。

 債権を肩代わりした破落戸(ゴロツキ)どもが連日連夜、取り立てに現われ激しく戸を叩いて回るようになった。胡同は死者の町のようにひっそりとした。時折、悲痛な叫び声、怒号と嘆願の泣き声が入り交じり遠くまで響き渡った。
海星が祖父との朝の稽古を終え中庭の掃きそうじをしていた所に、ひとりの住人が慌てて海星の家の門をくぐった。祖父と父が住人と一緒に走り出ていく。海星は胸騒ぎがして三人のあとを追った。三人が入っていったのは小龍の家で、戸は開け放たれ、飾り格子の窓に朝日の差し込む清冽な客間の一室に、小龍の両親、小龍、妹の玉藍(ユイラン)、祖母の蘑婆(モオボー)、一家五人が梁から垂らした縄で首を吊っていた。海星は垂れ流しの糞尿の匂いも構わず小龍の体に飛びつき、遮二無二首から縄を外そうと踠いた。祖父と父がふたり掛かりで海星を引き離し、路上へと引きずり出す。むやみやたらに暴れ回る海星を、祖父は何度も引っ叩いて正気に戻そうとした。そこへ取り乱した春花の父親が駆けつけてきて、祖父に紙切れを渡しながら告げた。朝起きるとベッドに春花がおらず、枕の上にこんなものが置かれていたと。
゛土地を手放すこと。さもなければ三寸金蓮の姑娘(クーニャン)は阿片漬けにされ、幼児ポルノ業者に売り渡されてしまうだろう。゛

 海星は祖父に羽交い絞めにされながら、半狂乱になって踠き足掻いた。ものの弾みで右足の踵が祖父の睾丸に的中し、「ウッ」と悶絶してうずくまった祖父の腕から逃れ出た。海星は建設会社のオフィスが入る飛蝗ビルに向かって走り出した。そのビルは新都心ベイエリアに禍々しく、総ガラス張りの壁面に朝日を受けて壮烈に、傲然とそびえ立っている。

 白のタンクトップ、足の裏を通したゴムで裾からぴっちりとめた白ズボン、器械体操選手のような恰好の少年が飛蝗ビルの監視カメラに捉えられたのは、午前九時過ぎ。高さ30メートルの巨大ツリーが飾られたエントランス・アトリウムから、エスカレーターを三段飛ばしで上がってくる少年の情報は、オフィスにいたCEOでっかい女と街覇ちっちゃいおっさんにいち早く報告されていた。少年に対する手厚いお出迎えに、中山服で狗皮帽(ゴウピーマオ、犬の毛皮で作った耳垂れ付き防寒帽)を被った男たちが向かう。両手両足を縛られ猿ぐつわを噛まされながら、挑戦的な目つきで見返してくるソファーの上の春花を、ちっちゃいおっさんが舐めるように見ている。

 中山服に狗皮帽の男たちのお手やわらかな「熱烈歓迎光臨」の挨拶を、海星は燕飛脚(インフェイジアオ、両足を交互に頭より上に蹴り上げる技)で返礼していく。終わりなく続くかと思えた長大なエスカレーターを上りきると、海星の前に筋肉ムキムキの黒人男が上半身裸で立ちはだかって、対峙する。真っ皓い歯とピンク色の歯茎を剥き出しにして、次々と繰り出してくる黒人男の拳は強く、速く、受ける腕が痙攣するほどで黒人男の蹴りを一発、腹に食らった海星は思わず後方に飛び退って蹲った。長い廊下を間を取ろうとどんどん後退る。逃がすまいと間合いを詰めてくる黒人男。
海星は奇声一吼、黒人男めがけて走り出す。海星、相手との間合いに入る間一髪、踏み切って黒人男を跳び越えざまとんぼ切り、右足を思いっきり後方へ弾き出し蹴り上げる。踵が黒人男の後頭部にめり込み、醜い肉の塊りと化して地中深くに沈み込む。
 ビロードの絨毯の敷かれた廊下の終わり、「CEO」とネームの入ったドアを蹴破る。でっかい女はイームスのビジネスチェアに座り、白檀の机の上ピンヒールの足を乗せ、人民元の札束をピラミッド状に積み重ねて待っている。ちっちゃいおっさんは縛められた春花を盾に壁際まで後退る。でっかい女は肉厚でてらてらした、ラヴメイトのような真っ赤な唇に舌をひと巡り、ふた巡りゆっくりと這わせ、歯を剥き出しにした。
「坊や、お父さんとお母さんにお言い。このお金で美味しい春捲児(チュンチュアル、春巻き)でも食べようよって。」
春花が首を振り猿ぐつわの下から懸命に声を出す。怒りで目を剥き、歯軋りし、拳をぷるぷる震わせながら海星が一歩、足を踏み出しでっかい女に近づいた瞬間、床に穴が開いて海星は落ちた。スイッチを押したでっかい女の弾ける哄笑が部屋中に木霊したかと思うと、はたと止まる。札束越しに角度を変え机の向こうを覗き込むと、穴の縁にかろうじて海星の二本の指が掛かっている。でっかい女は札束を蹴散らし白檀の机を乗り越え、奈落の淵で持ちこたえている海星を見下す。ジミーチュウの赤い足裏のピンヒールで海星の二本の指を踏み躙る。へばり付いてなかなか落ちない糞に業を煮やしたでっかい女は、タイトスカートから卑猥な下着が露わになるのも構わず、思いきり足を振り上げ一撃必殺、止どめを刺そうとする。その瞬間に隙が生まれ、海星は女の軸足を掴んで自分の体を持ち上げ、かわりにでっかい女を穴の中へ引きずり込む。流れ落ちていく断末魔の叫びが、永遠と思えるほど穴の中で轟き続けた。ちっちゃいおっさんは魂消てズボンの前を濡らし、春花を放り出して逃げた。壁際の暗証番号を押してCEO専用隠しエレベーターに飛び込む。海星は春花の縛めを解き、猿ぐつわを外す。
「もうこれ以上、誰も傷つけないで!ひとを傷つけるくらいなら自分が傷ついた方がましよ。」
「おまえは黒孩子(ヘイハイズ、誘拐された子供は子供のいない夫婦に売られたり、移植のために臓器を売られたり、不具にして物乞いにさせられたりする)になるところだったんだぞ!小龍は‥‥みんな死んだ。傷つけられた者は、黙って見ている訳にはいかないんだ。」
「ひとを傷つけるのは強さじゃない、ひとを癒すのが本当の強さよ。功夫(クンフー)はひとを攻撃するためじゃない、自分を守るためのものだって師匠(シュウホー)に教わったわ。」
「そうだ!おれは守るために、家を土地を家族を胡同を、大切なものを守るために功夫を使う!」

 CEOの部屋から飛び出し廊下の手すりから身を乗り出す。吹き抜けになったエントランス・アトリウムを見下ろした海星は、受付係が座るフロント脇の隠しエレベーターから出てくる人影を見つける。ちっちゃいおっさんは海星の方を見上げ、にやりと笑う。アトリウムのグラウンドフロアから高さ30メートルのクリスマスツリーが、きらびやかな電飾でデコレイトされて立っている。海星は手すりの上から防護柵をよじ上る。
猿声一吼、クリスマスツリーめがけて飛んだ。樅の木の枝と電飾配線に鞭打たれ、スパークする電飾が光の花を咲かせて春節の連なる爆竹のように弾け続けた。海星はツリーの根元をこんもりと覆う、綿毛で作った雪の中に落下する。ふたたび失禁し生まれたての仔牛のように震え慄き、足が竦んで一歩も動けないちっちゃいおっさんのところまで、海星は口の中に入った綿毛を吐き出しながら歩いていく。まず小龍の分を一発、ちっちゃいおっさんのどてっ腹に叩き込む。
「やめて!」
目玉飛び出さんばかりにひん剥いて蹲ったちっちゃいおっさんを無理やり立たせ、妹の玉藍の分を一発。
「もうやめて!海星!」
恐怖の目を血走らせ必死になって後退るちっちゃいおっさんを追い詰めて、もう一発。
「海星!もうやめて!」
エスカレーターを駆け降りてきた春花が海星に飛びつき、思わずふたりの唇が重なる。キスするふたりの間で阿呆のように目を丸くしてちっちゃいおっさんがふたりを見守る中、エンディングロールが流れ始める。

                              終劇

 到着までまだあと2時間近くあったから、もう一本ドキュメンタリー番組を観た。

「アイム・ユア・キャプテン」

 わたしはその何年かのち、捕鯨調査船の船長に雇われ太平洋の大海原に乗り出した。順風満帆と思われた航海も束の間、わたしが異変に気づいた時にはもうすでになす術がなかった。すべては太平洋のど真ん中、見渡す限りの海と空と雲が光り輝く夕凪に起こったことだ。わたしは一介の雇われ船長でしかなく、乗組員のことはほとんど教えられていなかった。その捕鯨調査船には複数のSS(シーシェパード)のメンバーが、密かに紛れ込んで乗船していた。SSメンバーは船の出航直後から盛んに他の乗組員にアジをかけ、積み荷の詰まった船倉で真夜中、密かに集会を開いては日和っていた船員をひとり、またひとりと反捕鯨へと転向させていった。そこではクリスチャン・リース・ラッセンの美しい絵が堂々と額縁に入れて飾られており、
「いまはもう誰もクジラの肉を食べたいと思っている野蛮な人間などいない。」とSSメンバーは話した。船の操舵手を仲間に引き入れた段階で、SSは捕鯨調査船奪取の決行を図った。最後まで頑強に抵抗し従わなかった者は、拘束して船倉に閉じ込め、もののたった5分で船の掌握に成功したのだ。
 なにも知らなかったのは船長のわたしだけで、わたしはタイタニック号の鼠のように甲板(デッキ)の上、船橋(ブリッジ)、船室(キャビン)、機関室(エンジンルーム)、食堂(ダイナー)、厨房(キッチン)を奔り回り船員ひとりひとりに説得、懇願して回った。最後は泣いてわめいてすがりつき、土下座までして翻意を促した。甲板上に陣取る反捕鯨に転向した反乱分子の中でも、血気盛んな急進(リベラル)派の者たちは、船の舳先に据え付けられた銛突き銃座を海から反転させ、矢先をわたしに向けるのだった。
船橋にいた一等航海士はわたしが命令しても双眼鏡から目を離そうとせず、じっと遥か海の彼方を見つめたまま、わたしの方を見向きもしなかった。機関室の機関士長はエンジン音のせいで身振り手振り口角泡を飛ばし、血まなこになってわめき叫ぶわたしの言葉に、耳に何度も手を当てて聞こえない振りを繰り返した。最後に向かった食堂で厨房から出てきたコック長は、黙ってカウンターにコニャックの入ったショットグラスを置いた。わたしは汗だくになった顔を手のひらで拭うと、置かれたショットグラスを一気にあおった。
 わたしは太平洋上に無数に浮かぶ無人島のひとつに、ジャックナイフと縄ひと巻きだけ与えられ取り残された。水平線に遠去かる船を見つめながら、わたしはなぜかだんだん故郷が近づいてくるのを感じていた。

 スワンナプーム国際空港からタクシーに乗ってバンコク市内に向かう。清潔な空港から冷房の効いた車内。チャオカイとタクシードライバーの甲高いタイ語の会話。窓の外には近代的な建物、タイ語の看板、標識、案内板、トゥクトゥク(オート三輪タクシー)が走る。モーチット駅の近くでタクシーを降りると、途端に蒸し暑さで体が沸騰した。バスターミナルでコーンケーン市行きのバスを待つ間、ペットボトルの水をひっきりなしに口に運び続けていたぼくを尻目に、チャオカイは化粧崩れひとつしていない顔を金箔の扇子であおいでいる。
コーンケーン市はタイ東北部(イサーン)に位置する大きな町で、チャオカイの実家のある村はそこからさらに2時間、ロットゥー(乗合いバン)で走ったところにあった。青々とした田んぼに水牛。椰子の木。バナナの木。金色の仏塔(パゴダ)。ゴムの木。両頬にシッカロール(白いパウダー)を塗った女の子たち。鶏。アヒル。犬。天秤棒でパクチー、空心菜、レモングラス、なんきょう(タイ生姜)、マックルー(こぶみかん)を売る農夫。バイクの荷台に冷蔵庫を積んで走る若者。
 村にはチャオカイの祖父母と両親、弟ふたり、妹ふたり、兄夫婦とその子供たち、伯父夫婦とその子供たち、叔母、その娘と子供たち、その他遠い親戚、近くの他人、もろもろ含めて12世帯76人が住んでいた。息子(娘?)の帰郷を知った両親が家の畑から出てくる。村の人たちが次々にチャオカイの家に集まってくる。着古したTシャツ、短パン、サンダルといった格好の村の人たちの間で、ノースリーブのシルクシャツ、白いタイトスカート、空色のハイヒールというチャオカイの姿はやっぱり異質だった。
「わたしは生まれた時からガトゥーイ(レディボーイ)だった。」
帰りの飛行機の中でチャオカイはスモークブラウンのサングラスの下、涙を流していた。
「子供の頃、村のモータム(悪霊祓い師)はわたしをひと目見るなりピーポープが憑いてると言った。ピーポープは禁忌(タヴー)を犯した呪術師の神秘的な力(ウィサー)が変質したもので、呪術師の力が強ければ強いほどそのピーポープも強くなる。除霊するため、わたしの家族は供物盆カンハー(5本の白い花、5本の蝋燭を盆に乗せたもの)、香水、聖水、炒り米を用意した。モータムはわたしの首、両手首、両足首を聖糸で縛り、供物の花の上で蠟燭の火を回しながら呪文を唱えはじめた。わたしに息を吹きかけながら聖水を飲ませ、体全体に浴びせていく。聖棒で肉体の門を叩き、足の親指に向けてピーポープを追いつめていく。最後に家の周りを聖糸で囲い、呪文を吹きかけた小石を家の床にばらまいた。それでもわたしはガトゥーイのままだった。学校で無理やり女の子たちに犯されて童貞を失った。抵抗していたのに、わたしのアレが大きくなったのを目の当たりにして、女の子たちは
「ほら、やっぱりね。」と、わたしのアレを指差して笑い合った。
わたしは自分の体が信じられなかった。ただただ怖くて恥ずかしくて、本当に悔しくて泣いた。わたしの心は血を流し「もうやめて!」と泣き叫んでいたのに、体はどこまでもわたしを裏切っていきり立ち、快楽の渦に呑み込まれていく。自分は本当にピーポープに憑かれている、化け物なんだと思った。女の子たちに弄ばれあらゆる手練手管でイカされるたび、憎悪と快感、嫌悪と歓喜で気が狂いそうになった。女の子たち、快楽に打ち震えている自分を憎んだ。頭か体か、どっちかをメコン川に投げ捨ててしまいたかった。」
「悪の根源(ピーポープ)を断つ(パイプカット)にはどうしてもお金が必要だった。学校をやめてバンコクに出ると、ナナプラザのゴーゴーバー、パッポン通り奥ソイ・トワイライトのMP(マッサージパーラー)、ラムカムヘンの置屋、タニヤ通りのカラオケバー、シーロム通りで立ちんぼしてお金を稼いだ。病院で手術してナシナシになったわたしは、やっと本当の自分になれた。もうどこから見ても男には見えないし、無いアレが立って笑われたりしない。どこへ行っても誰が見ても「綺麗」でいられる。」
「パタヤのクラブで知り合ったDJトム・ボーイには、日本人の友達がたくさんいた。その友達の紹介で職業実習生という形で日本に行けることになった。パッポンにやって来る日本の男たちはわたしの知るかぎり、誰もお金をけちったり文句を言ったりしなかった。最悪だったのはインド・パキスタンの男たちで、わたしが「ヒジュラ」と分かると足もとを見てきて、なんだかんだクレームをつけ1バーツでも値切り倒そうと延々2時間、お金を払おうとしなかった。そんなことがあると、みじめで本当に嫌な気持ちになったりするけど。日本の男たちは基本やさしい。お金のことでごねたりしないし、声を荒げることもないし。日本に来てよかったと思ってる。」

 チャオカイの家の庭に精霊の家(サーンプラプーム)を建てるため、村の人たちが集まっていた。精霊を呼ぶ儀式の前に精霊の像、精霊に仕える召使いの像、乗り物である象と馬の像、花、蝋燭、線香、白黄ピンクの布が揃えられていく。バーイシ―というお供え物はバナナの葉を何層も重ねた器に炊いたご飯、フルーツ、お菓子を盛り花を飾り、てっぺんに殻を剥いたゆで卵が細い棒で刺してある。お坊さんが来る前に誰かがお酒を持ち込んで勝手に飲みはじめる。象のラベルのビアチャーン。白地に獅子のビアシン。ラムカーオ(焼酎)。サンティップ(安ウイスキー)。メコン(安ウイスキー)。プラ―デック(アンチョビ)。トードマンプラー(さつまあげ)にナムチムガイ(チリソース)、ナムプリック(ナンプラー、にんにく、唐辛子、ライムなどで作ったディップ)をお好みでつけて。牛肉のラープ(生肉を血と胆汁と一緒に混ぜ唐辛子、ライム、ナンプラー、ミントで和えた料理)。コオロギ、セミ、タガメ、ゲンゴロウ、カブトムシの素揚げ。トカゲ、蛙のレモングラス蒸し。赤アリ、サソリ、もち米をナンプラー、唐辛子、ニームの葉で炒めたもの。
全部の料理がなくなるまで宴会は終わらなかった。この旅で少し自信がついたぼくは、ようやく一歩踏み出す決心をつけることができた。

 ダバオ

 母親に会いに行く飛行機の中でぼくは、坂崎淳平の「枡」を読んでいた。

 「枡」

                        坂崎 淳平
 日曜日の朝早く、小熊まらき(40才無職)は幼女殺害と死体遺棄の容疑で逮捕された。平成二八年5月9日午後4時頃、表町4-9の家の庭に幼女がうつ伏せで倒れているのを、幼女の家のベビーシッターが発見した。遺留品はなく、幼女の首には条状の青紫の痣がついていた。死亡推定時刻は発見された午後4時から約1時間前。幼女の衣類に付着した体液から、幼女のものとは別のDNAが検出され、幼女となんらかの関わりがあった人たち、家族、親戚、近隣の住民、通っていた保育園、小児科医院関係者から虱潰しにDNAを採取・照合していった。その結果、幼女の家から200m離れた場所にあるアパートの住人、小熊まらきのDNAと幼女の衣服に付着していた体液のDNAが99・999%一致した。小熊まらきは一貫して無実を主張し、犯行を否認し続けた。犯行当日、彼と一緒にいた人はおらず、アリバイを証明できるものは何もなかった。DNAが一致したことで物的証拠十分と判断した地検特捜部の担当検事は、小熊まらきを幼女殺害・死体遺棄の容疑で起訴した。
近所の人に話を訊くと一様にとても驚いた顔をして「まさか」とか「あの人が」とか、「普通のひとでした」「これといって変わった様子はなかった」「会釈をすれば会釈を返すくらい」で「とてもそんなことをするような人には見えなかった」そもそも「住んでいたことすら知らなかった」という人が大半で、なかには「いい迷惑」「資産価値が下がる」「変な噂が立たなきゃいいけど」「どうだっていい」といった反応も聞かれた。小熊まらきは職を転々としていたらしく、最近まで派遣登録していたアウトソーシング会社の担当社員は、小熊まらきのことを「真面目」で「一生懸命」「言われたことを黙々とこなし」「派遣先でのトラブルもなく評価もよかった」しかし「ある時から急に仕事場に来なくなり」「何度も彼のアパートを訪ねたが居留守を使われた」と。担当社員はマニュアルを棒読みする紋切り型回答を用意していた。適材適所と言えば聞こえはいいが、似たり寄ったりの人間が出たり入ったりする派遣の仕事を、パズルピースを当て嵌める作業とだけ見ていた担当社員は、並べて出された5人の男の顔の中から小熊まらきを選ぶことができなかった。小熊まらきのことをさらによく知る人物を探していると、以前、建設現場で一緒に働いていたことがあるという男と連絡がとれた。
 待ち合わせた喫茶店に現われたのは20代後半の茶髪で眉毛を細く整えたアイドル系の男だった。仕事の休憩時間の合間だったらしく裾を絞った作業ズボン、ハイネックの黒のネルシャツの上にクロムハーツのブレスレット、耳の縁に沿って5つのピアスが光っていた。休みの日、彼は濃いフィルムを貼ったベルファイアに嫁と子供を乗せてびっくりドンキーに向かう。地元スポーツチームの熱烈なサポーターで、ホームの試合には家族全員で応援に出かける。それぞれ好きな選手のレプリカユニフォームを着て、ロゴ入りブランケット、メッセージボード持参でスタジアムをチームカラー一色に染め上げる。男はコーラとチョコレートマフィンを注文する。小熊まらきは「ペーパードライバー」で「車」にも「バイク」にも「パチンコ」にも「スロット」にも興味がない。「煙草」も「アイコス」も「大麻」も吸わない。一回風俗に誘ったら、小熊まらきはその昔初めて行った「ファッションヘルス」で指名した子が、写真とは似ても似つかない子でその「オバちゃん」に超絶テクニックで「7回」イカされ、それが「トラウマ」でこりごりなんだと断った。カラオケに行くと一曲だけ「仰げば尊し」を歌った。悪い奴じゃないけどリアクションが薄くて付き合いにくい。みんなとつるんで「ワイワイやる」方じゃない。要するに「コミュ障(人づきあいが苦手)」で「誤解されやすい」タイプだった。
小熊まらきの過去をさらに深く掘り下げるため、彼が高校を卒業してすぐに就職した運送会社に足を運んだ。当時、彼と同期入社して今は係長補佐をしている社員は言いにくそうにしながら「14年前」、小熊まらきは福岡への配送途中、居眠り運転で「衝突事故」を起こしたと語った。前の車を運転していた女性は「腰椎圧迫骨折」「脳挫傷」「脊髄損傷」で右半身に麻痺が残った。小熊まらきは「業務上過失運転致死傷罪」で書類送検されたが、「示談」が成立して「不起訴処分」になった。ここを辞めたあと「離婚」したと聞いた。あれから会っていないという。
 小熊まらきの元妻椿季は再婚して別の県に引っ越していた。お茶うけに羊かんを添えて宇治茶を出してくれた。小熊まらきと会社で同僚だった友人に「いい人がいる」からと言われて、彼と付き合い始めたという。第一印象は「なんとも思わなかった」。「いい人」だと周りのみんなが言うから、わたしもなんとなくその気になった。友達が結婚していくのを見ているうちに「焦る気持ち」がどこかにあったかもしれない。「後悔」はない。「殿人(でんと)」がいるから。小熊まらきが事故を起こした当時、殿人くんは3才になったばかりだった。おかっぱ頭でそこらじゅうをウロチョロして、覚えたての言葉を舌足らずにしゃべるのがなんともかわいらしくて、見ている大人の誰もが笑顔になる。椿季は子供を実家の親元に預け被害者、被害者の家族、弁護士、検察官、運送会社、保険業者、ほうぼうに頭を下げて回った。示談が成立した後、彼女は極度のうつ状態になった。双方の親同士が相談した結果、円満離婚という形がとられた。精神病院で三ヵ月の療養を経てうつ症状から回復した彼女は、交通遺児のためのNPO活動に積極的に参加するようになる。そこで役員をしていたのが今の夫で、結婚して12年になる。現在、高校生の殿人くんに3才で別れた小熊まらきの記憶はない。彼がこんな事件を引き起こした以上、殿人に「本当の父親」のことを話すつもりはない。本当の父親が「猟奇的殺人鬼(シリアルキラー)」だと知ったら、殿人はどうなる。「救いようがない」。自分の内に流れる浅ましい「血」を呪って自ら「命」を絶つかもしれない。椿季は元夫小熊まらきが幼女殺害事件の犯人だと確信していた。一度ひとを殺しかけた人間は、今度は本当にひとを殺さずにはいられなくなる。そして一度ひとを「殺めて」しまったら、ひとを「殺す」ことが「快楽」になる。最後は平気になんとも思わなくなって、自らの命が燃え尽きるまで「止まらなくなる」。

 小熊まらきの実家は日本海に面した山陰の寂しい港町にあった。父澄吉はイカ釣り漁船に乗る漁師で、夜中のアオリイカ漁を終えるのはいつも早朝だった。倉庫で漁に使う網の修繕をしていた澄吉は一切、口をきいてくれなかった。母当麻(たえま)は肌の色の白い、体つきのふくよかな当たりの柔らかいひとで、海の見える縁側に昆布茶を出してくれた。「遠慮せずにどうぞ」と勧められるまま、炙ったイカをあてに地酒まで御馳走になった。小熊まらきは飼っていた猫が死ぬと、庭の五月の植え込みの下にお墓を作って「毎朝」、学校に行く前に手を合わせていたという。お婆ちゃん子で12才まで「お婆ちゃんと一緒」にお風呂と布団に入っていた。わざと用水路に落ちて心配させて「お婆ちゃんの愛」を確かめようとした。妹のサンダルが溜め池に落ちた時、釣り竿の先で水面を叩いて岸に近づけようと頑張った。高校に入ってすぐ、まらきが不登校になった時お婆ちゃんは「行かんでもいい」とかばった。イカを干すお婆ちゃんの隣りで「週刊少年ジャンプ」を読んでいた。お婆ちゃんは「正月に餅を詰まらせて」、当麻に言わせると「幸せな死に方」をした。生前に書き残していた「エンディングノート」に「樹木葬」と記されていて、「樹木葬」とは何か家族でいろいろ調べた。この辺りで「樹木葬」を許可している自治体がなくて、腐るに任せておく訳にもいかず結局火葬にし「遺骨」を裏山の麓に一本立つ「柏」の木の下に埋めた。漁に出かける間際、澄吉は重い口を開いて話してくれた。まらきは「待っていた」んだと。祖母に抱っこしてもらってイカ釣り漁船の「集魚灯(いさり火)」を見ながら、星の流れる夜空の下で船の帰りを待っていた。まらきが産まれる日、船から見た夜明け前の北の空をきらびやかに彩る「北斗七星」が、今も目に灼きついて離れないんだと。
 小熊まらきの妹歩(あゆむ)は市の養護施設で介護士をしていた。結婚して子供がふたりいる。歩は施設裏の小さな喫煙スペースで「メビウスエクストラライトメンソール」を忙しなく吸っていた。子供の頃のまらきは「暴力的」で歩はいつも泣かされてばかりいたそうだ。気に入らないことがあると家の壁を殴って大きな穴を開けた。「バカ」で「女々しく」て「弱虫」のくせに、わたしの前でだけは「エラそう」にして「ジャイアン」みたいに威張っていた。そんな兄をわたし以外の家族はみんな許していた。それがわたしには許せなかった。学校に行かない兄を蔑んだ目で見下していたし、周りから兄妹だと思われるのが死ぬほど嫌だった。今思い出してみても許せないのは、兄の叩きつけた野球盤でわたしの手首の骨が折れたのに、家族みんなで口裏を合わせ「階段から落ちた」ことにし、医者にも隣り近所にも学校にも「嘘をついた」ことだった。わたしは本当のことが言えずに、自分の友達にも嘘をつくしかなかった。生まれた町には何もいいことなんかなかったし、兄とはもう何年も会っていない。

 幼女が発見された表町4‐9の家に戻って、第一発見者のベビーシッターに話を訊いた。いい感じに年を取り赤縁の眼鏡をかけた受け口の女は写真が趣味で、庭にうつ伏せに倒れていた幼女の写真、違う角度からの幼女の写真、午後の光が家の周りの木々と庭に降り注ぐ俯瞰(ロング)で撮った幼女の写真、青紫の条の痣がくっきりと浮かぶ首のアップの写真まで、チェキカメラで撮っていた。彼女は未婚で両親はすでに他界し身寄りもなく、ベビーシッターという職業上、斡旋所からの紹介状と以前働いていた家族の推薦の手紙を持って、比較的裕福な家々を転々とする根無し草のような生活を送っていた。彼女を雇った家族の中には斡旋所に苦情を申し立てる者も少なくなかった。気に入らない子に嫌いな食べ物を無理やり食べさせたり、おやつを出さなかったり、かりんとうばかり出したり、無視したりした。言うことをきかないと服で隠れて見えない体の一部をつねったり、ブランコに乗せて天まで高く後ろから突いたり、公園に置き去りにして自分ひとりだけ先に帰ったりした。
 小熊まらきと中学の三年間一緒のクラスだった横内あきらは、自分と「小熊まらき」「幸まゆみ」「平郷ひとみ」は親友だったと語った。暴力に満ちたろくでもない世界だった中学に入学して一ヵ月は、新入生の誰もが先輩の「標的(えじき)」になった。横内あきらが先輩に囲まれ「体育館裏」に連れて行かれそうになった時、ちょうどそこへ「小熊まらき」が現れてなぜか
「犠牲獣(スケープゴート)」が「あきら」から「まらき」に、取り換えられた。理由は今も分からない。先輩から見ればふたりとも「新入生(ヒヨコ)」だったし「最弱(チキン)」だったし「のび太」だった。兄姉が上の学年にいるわけでも、「コネ」や「ツテ」があるわけでもない。だからまらきに対して、あきらにはどうしても「負い目」のようなものが残り、あの時連れて行かれるまらきの「哀しそうな目」が忘れられなかった。ふたりはいつ先輩に捕まるかビクビクしながら学校に行き、自然とふたりつるんで行動することが多くなった。小熊まらきは「いい成績」「いい内申点」「いい高校」「いい大学」「いい就職」「いい会社」「いい給料」「いい結婚」「いい家」「いい家族」「いい老後」という電車から降りていて、なんとなくみんなと違った。違っていることを怖れてなかった。「蕎麦」の食い方の汚い奴は「死ね」とつねづね言っていた。そのくせ店で出てくる盛り蕎麦になぜ「蕎麦湯」が付いてくるのか知らなかった。
同じクラスの「平郷ひとみ」はその頃「医療器具メーカー」で働く「既婚の男」と付き合っていた。「平郷ひとみ」が青い線の浮き上がった妊娠検査キットを見せると、「既婚者の男」は「20万」出して「清算」した。真冬の日本海に入っていこうとしたひとみを、「幸まゆみ」が止めに入った。ふたりずぶ濡れになって海から上がってくると、焼け焦げた林檎のような夕日が水平線に溶けていった。「産婦人科病院」から出てくるふたりに、自転車をふたり乗りしていたあきらとまらきはちょうど鉢合わせた。4人は「既婚者の男」の乗るランクル70に、男がドアを開けた瞬間「爆竹」を投げ込んだ。「ぼくら」は部活終わりに待ち合わせ、「ステーキハウス」をやっているひとみの家の二階でダラダラするようになった。まらきは「速攻帰宅部」だったが他の3人の部活が終わるまで、運悪く先輩に「シバかれ」たり「パシらされ」たりせずうまく逃げおおせることができれば、学校近くの公園で「ぶらここ」したり本屋でマンガを立ち読みしたりしていた。
中三になるとぼくらのつねに10メートル後ろを「ストーカー」のように付きまとう一年女子の後輩がいた。部活終わりのその日、いきなりその子が4人の目の前に飛び出してきて「妹にして下さい!」と180度頭を下げて叫んだ。「切実」で今にも泣き出しそうな「暗い星空の」目だった。彼女が学校校舎の屋上から飛び降りた日、ひとみの家の二階に通じる外階段の上に一通の手紙が置かれてあった。この暴力に満ちたろくでもない世界のことだ。
「わたし」は自分が「ブス」だと知っています。でも「知っている」からといって「許される」ことはありません。「醜い」のは「罪」だと、クラスの子は言います。「罪を償う方法」をわたしはたったひとつしか思い浮かびませんでした。頭が悪くてすいません。手紙の最後に先輩たち4人はわたしの「生きる光」でしたとあった。
ぼくらはブレザーの襟の縫い合わされたボタン穴を破って「黒蘭」の花を挿して登校した。「妬み」「嫉む」者はすべてぼくらに石を投げた。夜、学校に忍び込んでベニヤ板で封鎖された階段を「バールのようなもの」で「破壊」して、屋上に上がった。フェンスをよじ登って校舎から張り出した「階(きざはし)」に立った。おれたち「飛ぼうか」とまらきが言った。

 小熊まらきの小学1・2学年の担任だった教師はすでに定年を迎え、年金生活を送っていた。まらき少年がどのような子供だったのか、元教師はまったくなにも憶えていなかった。40年の教職員生活で出会い、別れた生徒の顔が木漏れ日のようにまたたいて消えた。玄関先の土間で俯いていたまらきの前のドアが開いて、迎えに来た先生が立っている。はじめてのさんすうの時間、まらきにだけさんすうセットに入っている「おはじき」がなかった。
まらきは教室の中で宙に浮く「透きとおった魚」になった。誰にも気づかれることのない「自由な魚」だ。「自由」だけど、とっても「さびしい」んだ。そこに殺人を犯す「自由」もあったのか。あの時「誰か」がこの少年を「どこかの楽園(ネバーランド)」に「救え」なかったかと思う。
幼女が通っていた保育園の保育士は泣き腫らした目を充血させていた。ぽちゃぽちゃっとした体型に短い髪を栗色に染め、上目遣いで見上げてくるのが癖の彼は、さくらの花びらを象ったピンクのワッペンを左胸につけぴちぴちのジーンズをはいている。殺された幼女は園内で一番かわいらしく「キラキラ」していた。はきはきとなんでも受け答えができてみんなにやさしく、「天使のよう」だったと語った。話している間じゅう瞳孔が開きっぱなしで鼻息も荒く突然、震える両手で口を抑えたかと思うと慟哭し始めた。保育士は同棲中のキャバクラ嬢に身も心も、魂まで奪われて生きていた。「なんでも」知っていて「なんでも」教えてくれる。何度も「イカせ」てくれるし何度も「愛してる」と囁いてくれる。だから彼女の言うことを「なんでも」きいて何度もうなずき「愛されよう」とした。彼女のすることなすことは「なんでも」善くて、悪いことは何ひとつない。「なんでも」許されているんだ。事件当日の前夜、つば広の帽子、パステルカラーのスカーフ、夏物のニット、シルクのベルト付き膝丈ワンピース、ウォーホールのモンロープリント柄トートバッグ、籐編みの厚底パンプスという出で立ちで地域を回っていたハウスマヌカン(訪問販売員)は、アパートのゴミ置き場からゴミ袋を持ち去る不審な人物を目撃している。少しでも向上心を持って学び続けていれば、きっと幸せになれると信じて、学費を稼ぐためにバイトを三つ掛け持ちしている大学生のハウスマヌカンは、夜霧の深い今夜も白百合の花のように歩いていた。
 小熊まらきが月に数回訪れていたスナック「市松」のママは、「ものを知らなくて何が悪い」と若者が嘯いて「無知」を「売り物」にする「開き直り」の時代だから、「おバカ」な「お客」は金輪際「お断り」だと話した。グラスにアイスピックで割った氷を入れ、お酒の瓶が並んだ後ろの棚から一本のキープボトル「白州」を取り出す。例えば「誰か」の出したゴミから盗んだティッシュの体液を使えば、簡単に「罪」をなすりつけることができる。小熊まらきはママに、「葬式」「戒名」「お墓」一切無用、遺骨はどこの海にでもいい、「散骨」してほしいと話していた。

 マニラ国際空港でトランジットしてミンダナオ島ダバオに向かう。空港を出ると、この国もまた強烈な暑さの宝庫だ。ジープニー(けばけばしい装飾過多の乗合いジープ)乗り場を探してウロウロしていると、だんだん気分が悪くなってくる。ニュースで見た取り締まりに脅える麻薬の売人。半裸の囚人たちが折り重なって眠る刑務所の光景。熱狂する国民に応える脂ぎったドゥテルテの顔。そんなものがごっちゃになってちらつく。岸辺に打ち上げられた魚みたいにぐったりしていると、ひとりの男から声をかけられた。日本人には日本人が分かる。ダバオにはかつてマニラ麻、さとうきびの栽培、バナナ農園の経営のために多くの日本人が海を渡った。日系の人たちがまだ多く住んでいる。男は髪も髭もぼさぼさで手にハロハロ(プリン、小豆、コーン、フルーツ、アイスをごた混ぜにしたかき氷)を持っている。彼はダバオ在住でもなんでもなく自称バックパッカーで、フィリピンに沈没して一年、似と名乗った。食事に誘われて似の行きつけの店に入る。気だるい熱波に呑み込まれ頭がぼーっとしている。とにかくどこかに座ってゆっくりしたい、それしか思い浮かばない。
 サンミゲルビール。シニガン・ナ・ヒーポン(エビ、大根、玉葱、南瓜、空心菜の入った酸味の強いスープ)。バロット(孵化直前のアヒルのゆで卵)。アドーボン・マノック(鶏肉料理)。ブス(握り飯を編んだ植物の葉で包んだもの)。次々と料理が注文されていき、勘定は間違いなくぼくだろうが、ぼくには食欲がまったくなかった。似は
「自分の中に拭い難く生き残り、しぶとく棲食って存在し続けているアジア的なもの、エスニックなものに対する優越感、蔑視、差別感。身障者、貧困を目の前にした時の薄っぺらい同情。欧米諸国に対する劣等感、盲従、羨望。そのことごとくに打ち克ち、越えていくために世界中を旅しているんだ。」と、目の前に並べられた料理を猛烈な勢いで食べ嚥下、咀嚼し、また呑み込み、喉を鳴らし、唾を吐き散らしながら喋った。その時は全然気づきもしなかったが、日本に帰って来た後、はじめて彼が政務調査費の私的流用、女性スキャンダルで政治生命を断たれた元代議士だったと知った。彼は自分のことをとにかく誰かに話したくてたまらず、だから相手は特にぼくじゃなくても、日本人であれば誰でもよかったのだと思う。

 似の話

 あの当時、わたしはやっと初当選を果たしたばかりの何も知らない青二才で、どこか雲の上を歩いているようなふわふわした落ち着かない気持ちだった。地元でも東京でも来る人、会う人、すれ違う人、肩を叩く人、握手する人に頭を下げて回る。そんな毎日が繰り返されていた。国会に初登庁したその日から○○会と名の付く委員会、作業部会、勉強会に手当たり次第に顔を出し、資料コピーの山を持ち帰った。議員宿舎で同じ陣笠の一年生議員たちと侃々諤々、夜が白むまで議論を戦わせた。それと並行して同じ派閥の、大学の同窓の、地元の先輩議員のパーティー券(一枚二万)を売り捌くため東奔西走、右往左往した。
 山田総裁が嫌疑不十分で拘置所から釈放された時、わたしはちょうど地元の後援会の席に呼ばれ帰郷していた。慌てて左襟の議員バッジをかざしてフリーパスの新幹線に飛び乗り、東京駅からタクシーで党本部に駆けつけた。ところが本部には所属議員、秘書はおろか関係職員、守衛ひとりいない。まったくのもぬけの殻だった。わたしは焦った。一分一秒、総裁への顔出し出所祝いの挨拶が遅れるごとに、二度目の当選が薄れ遠退き、かすんでいってしまうように思えた。天下御免で公道を罷り通る国会議員も、落選してしまえばただの人以下、無為徒食無職のプー太郎だ。党本部のすぐそばにある総裁の個人事務所に行ってみる。誰もいない。
まったくの放心状態で途方に暮れていたわたしの前に、パリッとしたピンストライプのスーツに縹(はなだ)色のポケットチーフ、サーモンピンクのタイを合わせた粋な着こなしの50前後の男が現れて、「案内しましょう」と申し出てくれた。
「渋谷宏之です。よろしく。」選挙演説で何度も潰した低音(バリトン)のビブラートのかかったいい声で自己紹介した。整髪料でぴっちりてかてかの七三に分けた、濃い加齢臭をムンムンに放つ渋谷と握手する。肉厚で吸いつくようにねっとりとした、一度掴んだら二度と離さない執着心の塊のような手だ。渋谷は厚生労働省上がりで当選四回を重ねた中堅の元代議士だった。
「選挙のたびに親、兄弟、親戚、知人、友人から金を借り、土地と家を抵当に入れ銀行から融資を受けた。消費者金融からも借金した挙げ句に落選だ。議員だった時、満腔の笑みで近づいてきて握手を求め、嬉々として湯水のように快く金を貸してくれた人たちが手のひら返しで、蛇口をギチギチに閉め金を返せと催促に来た。督促状でポストが埋まり、取り立てに来た怖いお兄さんが家のドアを蹴り上げる。壁には赤いペンキで「サギ師」「ペテン師」
「色事師」と落書きされた。自己破産と離婚と親の死が世界の終わりのように一遍にやって来た。10年来の付き合いだった愛人に手渡す手切れ金すらびた一文、手元になかった。そこへ山田のおっさんから羊かん(二千万)と
四箇条のメモが届いた。
一、まず土下座。
二、一千万でケリをつけろ。
三、残りの一千万で身辺整理し、なくなったら俺のところへ来い。
四、全額、返済無用。」
「それはまるで、隣りでつぶさにことの成り行きを見ていたかのような絶妙なタイミングで、風呂敷包みを持ったおっさんの「金庫番」保手川喜樹が現れて、羊かん二本を置いていった。泣きながら押し戴いて一生、山田のおっさんについていくと誓った。」
タクシーで総裁の自宅に向かいながら「おっさんの恩に報いるためにも、あともう一回返り咲いて大臣の椅子に座るのがわたしの夢なんだ。」と、渋谷は語った。大臣になるためには当選5回以上というのが党内の必須条件で、この条件を満たす者が党内にはうじゃうじゃいた。現職の大臣が椅子から転げ落ちるか、内閣改造を今か今かと心待ちにしているのが、大臣未経験者の偽らざる心境だった。
「ひとりで堕ちていくのは寂しいものだが、二人で堕ちていくのはおつなものだ。」
門前でタクシーを降りる間際、渋谷はわたしの耳元に口を寄せこんなことをつぶやき、わたしを当惑させた。強烈な加齢臭と相まって嫌悪感しか抱くことができなかったが、渋谷に導かれて行ったその先は文目も分かぬ闇また闇で、自分ひとりではとうてい踏み入れることができなかった奥の奥まで垣間見ることができたのだった。

 「山田のおっさんの後ろ盾(フィクサー)として政界の裏で絶大な影響力を行使しているのが、宗教団体『結の手鏡』教祖の狸穴(まみあな)融だ。この宏大な敷地面積を誇るおっさんの邸宅が「狸穴御殿」と呼ばれているのも、教祖の狸穴が無償提供しているためだ。゛マスター゛と宗徒から呼ばれている狸穴は、おっさんの父親、元首相にして自守党十三代総裁「山田聖(ひじり)」の時代からの関係で、狸穴は父聖の背後に「ひまわり」を、息子新(あたらし)の背中に「もっと大きなひまわり」を観たという。」
恩に報いるとか、一生ついていくとか殊勝なことを言いながら、渋谷は総裁のすべてをこと細かく調べ上げ、「山田新」を丸裸にひん剥いていった。なろうことなら秘密、弱みのひとつや二つ固く握りしめて、みごと議員に返り咲いたあかつきには大臣に抜擢してもらう切り札(ジョーカー)にもしてやろうという、下劣で卑しい根性が剥き出しだった。
「さらにすごいのはおっさんの母親将子(まさこ)で、秦財閥六代目のひとり娘だった。秦財閥は銀行、保険業をはじめ商事会社、投資信託、クレジット会社、証券会社、建設・不動産業、ホテル・マンション・ビル開発・経営、航空会社、運輸会社、旅行会社、病院、製薬会社、外食チェーン店、化粧品会社、デパート・アウトレットモール・テーマパーク・ボールパーク・スタジアム事業、スポーツクラブチーム・アスレチックジム経営、養護老人・福祉介護施設経営。ありとあらゆる企業を経営傘下に収める巨大コンツェルンだ。」
「父聖の幼なじみには広域指定暴力団「堀田組」会長戸部実がいて、山田家の者は代々「堀田組」構成員によって陰日向、24時間3交代制で付かず離れず身を守られている。何百億という裏献金で昭和の政商といわれた甲上王子の仲介で、聖と将子は香港で引き合わされ結婚した。」
「おっさんの祖父康造という人がまたぶっとんだ人で、右翼団体「憂国義会」の会頭だった。祖母は華族の御令嬢。おっさんの妻伶正夫人は台湾出身の客家で、「フォルモサ」グループ創業者の娘。ふたりの仲を取り持ったのは゛マスター゛狸穴融だ。二人の息子秀晴はアメリカ留学を経て大学卒業後、父親の秘書を二年間務め国政に立候補した。盤石の地盤・看板・鞄でもってシレっと当選3回、現在、首相への登竜門といわれる青年部会長を務める若手のホープ、王子(プリンス)、サラブレッド、なんでもありのやりたい放題だよ。」
「秀晴の嫁は日本医師会理事も務める馬間総合病院長の娘。おっさんが元ホステス荒本琴音に産ませた娘かごめは、元宝塚歌劇団の男役で退団してすぐに結婚。相手はリーガエスパニョーラで活躍するイタリア代表のプロフットボウラーだった。」
知れば知るほど怖くなってくると、渋谷は語った。天網恢恢の見えない網の目が、そこにもあそこにも開いていてどこにも逃げ場がないし、何も変えることができない気がしてくる。ひとたび網に触れたら最後、どこか遠くでベルの鳴る音がする。いつの間にかこの世界から消されていて、誰の記憶にも残っていない。「記憶にございません。」のひと言で、すべての片がつけられてしまう。
黒大理石と白大理石が贅沢に使用された玄関間で延々待たされた末、割烹着のお手伝いさんが上がり框で三つ指ついてあいにくの、主(あるじ)の不在を告げる。どこにいるのかとんと見当もつかないという。

 渋谷はわたしを半ば強引に、総裁の資金管理団体「満山会」の事務所に引っ張っていった。わたしは総裁に会うことができず絶望し、ほとほと疲れ果ててもいたが、事務所前に並ぶ陳情者を目にした途端、その数の多さに圧倒されてしまった。三百人近くの人が列を作って自分の番が来るのを待っている。これが毎日の当たり前の光景だと言う。陳情者に対応しているのは三人。渋谷はひとりひとり指差して教えてくれた。
「後援会長の磯征繁。おっさんの地元で土建屋をやっている。ユンボウとトラック一台で始めた会社を、三年で年商百億の会社にしたワンマン社長だ。そこまでの急成長はおっさんのバックアップなしにはとうてい不可能だ。おっさんの後援団体は全国各地に51団体存在している。関東に16、北陸に3、東北3、東海6、関西9、中国・四国5、九州7、北海道・沖縄に1つずつ。」
「公設第一秘書「筆頭」の床元阿美。50人近くいる転んでもただでは起きない、死体にたかるハエ、落ちたアメに群がるアリのような秘書連中を彼女がひとりで牛耳っている。おっさんとの肉体関係はたぶんない。生粋のブッチ(レズの男役)でウィーガン(完全菜食主義者)だ。」
「会計責任者「金庫番」の保手川喜樹。風呂敷に包んで座布団(一億)を持ち運ぶ男だ。受託贈収賄の罪でおっさんと一緒に逮捕されたが、釈放後早速こっちに来ている。」
「山田のおつさんは当選11回。通商産業相、国土交通相、大蔵相、外務相、自守党幹事長を歴任し自守党総裁・内閣総理大臣になった。歴代でもっとも長い在任期間を目下更新中だ。山田派閥の領袖でありパーティー券を千枚単位で引き受ける。派閥メンバー以外の党内若手議員、覚えめでたい官僚諸氏にも夏は氷代、冬は餅代、冠婚葬祭には野党党首にまで花代を誰よりも多く出す。」
「陳情者は全国各地津々浦々から、降って湧いて出たボウフラのように引きも切らずワンサカ、来る日もくる日もやって来る。公共事業の斡旋、調整。
各種事業・権利の許可取得・認定への口添え。電力・エネルギー事業、運輸・流通事業、通信事業、タクシー・バス・汽船・鉄道・航空・運転代行・旅行代理事業、医療・福祉・介護・ヘルスケアサービス事業、宿泊・温泉施設、養護老人施設、保育施設の許認可。ビル・マンション・ゴルフ場・ショッピングモール・リゾート・レジャー施設の建設許認可。クラブ・キャバレー・ディスコ・ファッションヘルス・マッサージ・サロン・風俗・各種衣料・飲食サービス店舗営業の許認可。留学・研修・就労・興行ビザ、難民・移民・帰化申請の認定。国有地の払い下げ。金融・融資・投資の仲介。大学裏口入学の口利き。公務員の採用、民間企業への就職の口利き。交通事故・違反のもみ消し、示談、和解の仲介、各種免停の取り消し。不法滞在、密入国の外国人ダンサー・エンターティナー・ホステス・タレントの在留資格取得。保育園入園、病院入院、介護・福祉・養護施設入居の口利き。コンサート・ライヴ・フェス・演劇・アミューズメントパーク・エンターテイメントショー・スポーツ観戦チケットの融通。」
「ひと・モノ・金は切っても切り離せない。ひとが生きていくため、世の中が回っていくためには国の借金が月にまで届いても売り買いしていくしかない。この大いなる環は誰にも止められない。」
 この事務所にも総裁は不在で、わたしはまったく落胆してしまった。陳情が受け入れられたのか、すっきりした表情で談笑しながら帰っていく人たちを見送る。時間だけが空しく過ぎ、惨めな気持ちで半泣きだったわたしの肩をポンと叩いて、渋谷は「知ってる場所がある」と言って、断るわたしを無理やりタクシーの中に押し込んだ。
「おっさんの女性関係がどうなっているのか、すべてを知ってるのは本人とお釈迦様だけだが、少なくとも三人は有名で顔と名前が世間によく出ている。ひとり目は元ホステスで、おっさんとの間にできた娘かごめを生み育てた荒本琴音。今は赤坂の料亭で女将をしている。ふたり目はおっさん付きの番記者をしていた柴村礼子。三人目は現内閣官房参与の国枝あかりだ。」

 薄暗く入り組んだ露地に入っていくと、一見普通の家としか思われない料亭があった。渋谷の顔と名前だけで奥へ通され、箱庭の見える洒脱な造りの細長い廊下を、渋谷のあとからついていく。盆を持って下がる仲居さんの開け閉めした襖から、奥の座敷が垣間見えた。自守党幹事長市倉純。政務調査会長源一郎。総務会長士師戸有。党三役が揃い踏み、末席に連なるのが内閣官房参与の国枝あかり。総裁特別補佐官梅高千草。わたしは全身総毛立ち、膝が震えてくるのを抑えることができなかった。権力の中枢にもっとも近づいている予感に失禁寸前の有様だった。渋谷はわたしに膝と膝、顔と顔、額と額を突き合わせ、目を逸らすことなく淀みなく、止めどない奔流のように言葉を発し喋り続けた。口の縁に泡をため見開いた目の瞳孔が虹彩と共に透明度を増し、真っ白になる。わたしは怖れ戦きながら魅入られたように渋谷の顔から目が離せなくなる。頭の中に侵入され、洗脳されていく愉悦に打ち震えた。それは性の快楽にも似た純粋な、うねりを持った歓びだった。

 わたしと渋谷がタクシーで党本部まで戻って来ると、玄関前は黒山の人だかりで足の踏む場もなかった。どこから湧いて出てきたのか、誰も彼もが解散総選挙で大勝した時のような浮かれ騒ぎで、熱気と興奮で顔を上気させお祭り気分で犇き合っている。芋を洗うような混雑の中を、渋谷は有象無象をかき分け強引に中央突破を図る。異臭にも似た加齢臭を放つ渋谷を隠れ蓑にして、わたしは必死にあとを追いかける。
「山田のおっさんが逮捕されたそもそもの発端は、政治資金収支報告書の虚偽記載、記載漏れが政治資金規正法に引っ掛かったためだ。地方秘書の皆井隆生、「金庫番」保手川喜樹との共同正犯に問われた形だった。他にもあることないこと、余罪の追及や別件の疑いで拘留期間は延びに延びた。特捜検のいつもの遣り口だ。」
「架空事務所経費計上、斡旋利得処罰法違反、脱税(所得税法違反)、公金横領、迷惑防止条例法違反、公職選挙法違反、児童買春(ポルノ禁止法違反)、闇献金(受託収賄罪)、官製談合(公正取引法違反)、投資詐欺、紙幣偽造、恐喝、脅迫、誘拐、監禁、暴行、傷害、姦通、強姦、家宅侵入、盗聴、盗撮、売春斡旋、轢き逃げ(危険運転致死傷罪)、薬物所持・使用・売買(麻薬取締法違反)、威力業務妨害、公務執行妨害、殺人などの教唆・共同謀議の罪、銃刀法違反。」
「政治家は権力のためなら誰とでも寝るし、親兄弟の寝首もかく。」
 各部の会議室には自守党議員をはじめ、野党各会派の議員たちも大勢顔を見せていた。立錐の余地もない鮨詰め状態の部屋の中、渋谷はわたしの耳元に口を寄せひとりひとりを指差しながら、どこの誰なのか教えてくれた。政治家になる資質とは、一度会った人間の顔と名前を完璧に覚えて忘れないことだと、渋谷を見ていてつくづく感じた。
「経団連会長山根静乃。日経連会長横塚明徳。日本商工会議所会頭三浦墨子。日銀総裁花藪敬太。民本党代表植本心。地検特捜部検事小野れおな。国家公安委員長宝宗人。政務補佐官小田美羽。政策秘書加藤一馬。右翼団体「憂国議会」会員、広域指定暴力団「堀田組」組長戸部満。東京都知事鍋丈史。韓国LPグループ会長イ・パクソ。朝鮮総連代表チョン・テギョル。台湾ワンタイ社長柯芳棻。検事総長六健太。東京大学院名誉教授高橋貴文。エコノミスト徳本知香。政治評論家梅若五朗。内閣官房長官真壁葉子。アメリカ駐日大使ロバート・マッキャン。中国駐日大使何翠。」
その他諮問機関メンバーの名前。各省の事務次官・官庁の長官の名前。新聞、雑誌、週刊誌、テレビ局、共同通信の番記者の名前。
会議室にいい匂いが漂い始め、自守党本部名物のカレーが寸胴の鍋ごと運び込まれてくる。旭酒造の純米大吟醸「獺祭(だっさい)」の封が切られ、ひとりひとりに振るまわれていく。にわかに湧き起こったどよめきと割れんばかりの拍手喝采の中、自守党総裁、総理大臣の山田新(あたらし)が片手を上げてみんなの前に姿を見せた。すぐに万歳三唱が始まった。

 母親が父と離婚してフィリピンに帰国したのは、ぼくが13才の時だった。ダバオ市内からジープニーで15分ほどの家を訪ねると、母親は再婚した夫とふたりで始めたサリサリストア(雑貨屋)で、店番をしていた。すこし太って、だらしないムーミンママのようになっていた。「フィリピンの気だるく(アンニュイな)、しまりのない暑さのせいだ」と母親は言った。彼女がはじめて家にやって来た時のことを憶えている。ぼくは5才だった。彼女はまだ若く肌がピカピカしていて、どこまでも明るい琥珀色の目をしていた。人見知りするぼくにしゃがんで目を合わせて、つたない日本語で一生懸命に話しかけてくれ、本当の親子になろうとしてくれた。
サリサリストアの奥には彼女の母親と兄夫婦、甥っ子、姪っ子たちが一緒に住んでいた。壁も天井もボロボロでベニヤ板やトタンで穴を塞ぎ、部屋の中は継ぎ接ぎした絨毯を直接、土の上に敷いて床にしている。まだ作りかけのキッチンの隣りにコンクリートブロックがうず高く積まれている。排水溝に溜まったゴミと便所の匂いが広がる裏庭のベンチに腰を下ろしていると、塀の上、柵の間からぼくのいとこたち、近所の子供たちが顔を覗かせた。母親が店から持ってきたパップ(コーラ)、チチャロン(豚の皮を揚げたスナック)、タホ(砕いた豆腐に茶色いシロップをかけたおやつ)をテーブルに並べる。家族の生活を少しでもよくするために、ぼくの母親は18の時、ダバオからマニラに出て働き始めた。KTV(カラオケレストラン)、ビリヤードバー、ゴーゴーバー。店で一緒に働いていた女の子から、日本で働いて帰って来た子が地元に大豪邸を建てた話を聞いたそうだ。思いきり背伸びして手を伸ばせば届くかもしれない夢が、そこにあった。その時から日本に行きたいと強く思うようになった。養成したタレントを日本に送り込むエージェンシーを友達に紹介してもらい、契約を交わしてプロモーションに入った。タレント寮で自分と同じような女の子たちと共同生活しながら、日本語の勉強を兼ねてエルミタにある日本人向けカラオケバーで働き、それからボイストレーニング、ダンスレッスンの毎日。一年後、エンターティナーとして興行ビザを持って日本に来ることができた。埼玉、大宮のフィリピンパブで母親と父親は出会った。なしくずし的に始まった父とぼくとの生活は、彼女の思い描いていた結婚とは似ても似つかない、かけ離れたものだったと思う。強権的な家父長意識に凝り固まった父の命令口調、絶対服従、暴力は執拗で終わりがない。躾という名の体罰。骨の髄まで因習的な男尊女卑の世界に今もなお浸りきって生きている祖母のいじめ。ひとはどこまでも醜くなれるし、ひと殺しよりも酷いことがあると、ぼくは思う。
 ぼくの生みの母親と彼女はときどき連絡を取り合っていた。生みの母親がぼくに会いに来ようものなら、父は間違いなく彼女を殺していたと思う。ぼくと、生みの母親と、育ての母親と。この小さなトライアングルだけが子供だった頃のぼくの安心できる、唯一の信じられるもののすべてだった。
「あのひとは今シンガポールにいるよ。」
母親は三年前に届いた彼女からのポストカードを見せてくれた。マーライオンの写真、彼女が住み込みで働いている家の住所が小さく書いてあった。

 シンガポール

 機内で金子光晴「マレー蘭印紀行」を電子書籍で読みふける。LCCエア・アジアがチャンギ国際空港に到着する。地下鉄(MRT)に乗ってティオンバル駅で下り、メモした住所を頼りに母親が住み込みで働く家を探す。漢字と英語とマレー語がごっちゃになった世界に迷い込む。中国系、インド系、マレー人、インドネシア人、プラナカン(マレー人と結婚した中国人)、白人。これらの人々がケバヤ(民族衣装)を着ている、ティカ(額につける赤い印)をしている、スレンダン(頭から被る布)をしている、カラフルなマスクを着けている。地上二十階の集合団地群棟(HDB)に空を埋め尽くされた、取って付けたような椰子の木が残る、住宅街の一画にその家はあった。出てきたメイドはスレンダンをしたマレー系の女性で、ぼくが母親のことを訊くと、彼女は露骨に嫌な顔をした。
「もうここにはいない。」
ではどこにいるのか。
「彼女はクアラルンプールのルマ・ブロンポアンにいる。」
「マレー蘭印紀行」にもこの言葉は出てくる。ルマ・ブロンポアンとは娼家のことだ。
 ライトアップされたスーパーツリー・グローブの下、ぼくはいま改めて「マレー蘭印紀行」を開く。シンガポールの章、新世界の段。シンガポールは90年前も今もルナ・パーク式民衆娯楽場のままだ。

 アルバート街の縁日人出から、ジャラン・ブッサールへかけて、あらゆる                                         
 職業階級の支那人が、わめいたり、口穢くやりとりしながら雑鬧しかえし
 ていた。人相書や代書、くすり屋の人寄せ口上、五洲大観、四界風景など
 と文字いかめしく硝子絵でそとをかざりたてた覗きからくり、しっ尾のは
 えた男、大顱頂(おおあたま)、講釈、琵琶そういうものが、入場料を出   
 して入る「新世界」のなかまで入りこんでいた。銅鑼や歌媛のかんだかい
 叫び、麻雀や拳(けん)のかけ声のきこえる料理屋もあった。鸚鵡(おう
 む)十八番芸当、野天の蜜波芝居、その他に、野天の映画、馬来(マレ
 ー)女のひれをふりながら踊るドンゲン踊。大蛇つかいの印度女。あつい           
 ところだけに多い野天の興行。玉ころがし、投げ矢ルレット、氷店(アエ
 ・バトー)、雲吞麵、牡丹花や、鳳凰のかたちの燈籠でかざりたてた楼門
 、石の橋、鏡ばかりの廊(わたどの)、夕ぐれからすゞみがてらあらゆる
 国の人たちが、この喧噪に身をあずけて、見物したり、押されたり、物色
 したり、ふりかえったりしていた。おどり場では、混血児(スラ―二―)
 の女が、ニス色の背すじをだした黒ビロードのドレスの、胸にまっ赤な切
 花を盛りあげ、他の一人は、ちぢれ髪紅い唇、褐の肌にいれ墨しておおま
 かにうねるからだを純白の襞(ひだ)で蔽って、ゆるやかに床を辷(すべ
 )っていた。何本も金笄で、うしろ髪をとめた福州のババ南京、かっぷく
 のいい邏羅(タイ)女、ながし眼をしてゆく馬来女、「民国日報」のデマ
 記事で、日本軍全滅の報に気をよくした広東人達が祝盃をあげ、国恥喪章
 を売る宣伝員たちが、誰彼の差別なく通行人にうりつけている。えりの高
 い、身に喰入るような細仕立ての涼しい支那服を着た断髪の娘たち。廻転
 木馬のうえにかるく横乗りをし、すこし高慢げに、麦藁口の細巻きふかし
 ながらまわつている。女学生ともおもえない。寵人(おもいもの)かもし
 れない。葩(はな)のむれるにおいがして、すこし汗ばんでいそうな肌。
 柔軟で、すき透った肌は、炎熱もちぢらせることのできない花冰のようだ
 。南洋ぐらしのあいだに西洋人の肌は赤膚となり、我々は粘土色に黒ずん
 でゆくのに、彼女だけはまるで魚貝の精のように、わずかな焦色さえもう
 つらないのである。

 ひとりの男がぼくに近づいてきて合掌し、頭を下げる。インド系の浅黒い肌でどでかい体をしていて、目が夜行性の獣のようにぎらぎらしている。
「インド人には気をつけろ」が世界を旅したひとの口癖だ。ぼくは完全無視を決め込んで逃げ出そうとしたが、彼から滲み出てくる温かくて人を和ませる、やさしい雰囲気にみごとに吞まれた。彼はテルワジ・ランダリーと名乗った。
「バンテージ・ササイを知っていますか」と彼が言う。
ぼくが知らないと答えると、彼はとても残念そうな顔をした。ササイは日本人でインド仏教徒1億8千万人の最高指導者だと、テルワジは語った。近くのホーカーズ(フードコート)で待ち合わせしていた彼の娘と合流し、紹介してくれた。大きく美しい目をした無口な女の子で、16才だったがとても大人びて見えた。名前をジルナといった。ジルナは四つのカーストのさらに下、不可触民(アンタッチャブル)カーストで、政府公認の売春街ゲイランで働いていた彼女をテルワジが引き取った。インドはヒンズーの国だ。今もカースト[四姓制度。バラモン(ブラーミン、聖職者階級)・クシャトリア(王侯、戦士階級)・ヴァイシャ(商人階級)・シュードラ(上位三カーストに奉仕するカースト)]が存在し、隠然と影響力を行使している。シュードラ(60%)と不可触民(25%)を合わせたダリット(虐げられた人々、倒れし者)と呼ばれる人たちが、インド人口比の85%を占め、わずか3%のブラーミンが権力と富を独占している。ジャーティ(世襲的職業にしている排他的集団)がある限り、職業選択の自由は存在しない。ヒンズー教徒でいる限り、この運命の環から逃れ出ることはできない。インド仏教再興の祖アンベードカル(不可触民の子として生まれながらアメリカ、イギリス、ドイツに留学して博士号を取得、独立インド初代の法務大臣となりインド憲法を作成した。)は、これを喝破しヒンズーを捨てた。理性(プラジユニヤー)と平等(サマタ―)と慈悲(カルナー)を説く仏教に改宗し、ブッダに帰依した。
「偉大な人間とは、社会が何を求めているか、その秘密を見抜き、社会のごみ拾い、掃除人として行動する者のことだ。」
そのアンベードカルの衣鉢を継いだのがバンテージ・ササイだ。
 テルワジはぼくに話しながらジルナにも聞かせるようにして諄諄と語った。ジルナは頼んだきりテーブルに置かれたままになっているレモンティー、チーズ・プラタ(カレースープとチーズを練り込んで焼いたナン)、サテ(焼き鳥)、ラクサ(咖沙、ココナッツミルクベースのスープ麺)、ヤムソムオー(ザボンのサラダ)を黙って見つめている。インド中央、マッディア・プラデシュ州の田舎に生まれたジルナは、たちの悪いサドゥ(修行僧)に誘拐されムンバイのカマティプラ(売春街)に売られた。ガルワリ(売春宿の女性経営者)の暴力に晒され、トラフィッカー(周旋人)の手であちこちに転売され、シンガポールのゲイランまで流れてきた。
「世の中には平気で暴力を使える人間と、たとえ自分の命が危うくなっても拳をふるえない人間がいる。」
ヒンズーを守ろうとしたマハトマ・ガンジー(ヴァイシャ・カースト)とアンベードカル(不可触民カースト)は激しく対立した。
アンベードカル わたしには祖国がありません。
ガンジー 何をいうのかね、博士。あなたには祖国があるではありませんか。
アンベードカル あなたはわたしに祖国があるとおっしゃいましたが、繰り返していいます。わたしにはありません。犬や猫のようにあしらわれ、水も飲めないようなところを、どうして祖国だとか自分の宗教だとか言えるでしょう。自尊心のある不可触民なら、誰一人としてこの国を誇りに思うものはありません。
 テルワジはアンガスティア(ダイヤモンドの運び人)として世界中を旅するワールドトロッターだった。強盗、誘惑する女、詐欺師、自分の欲望、お金で困っている者への同情。すべての敵に打ち克って先に進み、目的地に辿り着く人だ。約束を守ること、それはとても簡単で当たり前のことのようでいて、実は一番難しい、大切なことだ。
「何かあった時は、信頼できるひとに引き継ぐのがアンガスティアの掟です。」
クアラルンプールの置屋で一時期、働かされていたジルナがぼくを案内してくれることになった。
「ジャイ・ビーム!(アンベードカル万歳)」
そう言って、テルワジは合掌し頭を下げた。

 クアラルンプール

 ガーデンズ・バイ・ザ・ベイ内にある35mの人口滝クラウド・フォレストの前で待っていると、星屑をちりばめた模様の赤いサリーを着たジルナが目の前に立っていて、ぼくを見上げていた。まつ毛の長い大きく澄んだ瞳に見つめられていると、嘘がつけなくなった。ぼくはヒンズーでもないのに、ジルナに触れるのを怖れている。穢らわしいという思いをどうしても拭えないんだ。どこからか滾々と湧き出してくる汲めども尽きぬ清水の音がして、ぼくとジルナふたりだけの舟に乗る。それはとてもおだやかで、やさしい旅のはじまりだった。
タンジョンパガー駅から出ているクアラルンプール行きの列車に乗る。ジョホールバルに架かる橋の手前で、パスポートにシンガポール出国のスタンプが捺され海峡を渡る。空が徐々にヘイズ(スマトラやカリマンタンの焼き畑の煙、マングローブを炭にする煙、排気ガスなどが流れ込んで生じる煙害)に満たされていき、鬱蒼とした緑のジャングルに雨が降り始める。隣りの座席に座るジルナは、窓の外に続く灰色の空と赤土と、パームヤン農園の風景を飽かずに見ている。ぼくは旅の疲れからか、うとうとしてアジャ・エーカバード(一足の山羊)の夢を見始める。

「アジャ・エーカバード」

 スヴァルガ(天国)

ストランニキ(遍歴派)は世界(ローカ)を旅する
ポドポルニキ(地下の人)は地下を選んだ
旅は苦行 苦難は学び
地下はポチョムキンの村である
スヴァルガ(天国)に到るもっとも有効な方法は、地獄の道を熟知すること
老人ハバッチャンドラ(愚者の中の月)は若者キルクロク(取りかえ子)をスプートニク(旅の道連れ)にする

そうではないキルクロクよ
あそこに座っている乞食 あれはお前だ
あそこに座っている老婆 あれはお前だ
あそこに座っている病人 あれはお前だ
王も乞食も 男も女も くるも盲も 誰もが一度通る道であり
いつの時代 どこの場所にもお前は存在している
だから誰かを羨んだり、妬んだり、誰かになりたいと思うことはない
お前は今のお前を生き、死ぬことだ
キルクロクよ それがお前の存在理由だ

そうではないキルクロクよ
死ぬことは誰でもできる 子供でも容易に 簡単に キルクロクよ
生きることははるかに難しい 悲惨で汚穢に満ちたこの世界を生き抜いていくことは ヘラクレスの十二の難業に等しい
生きることはヘラクレスの栄光であり あなたもわたしもヘラクレスである
あなたもわたしも英雄である

そうではないキルクロクよ
神話、詩、宗教、ファンタジーは絵空事ではない
そうとしか思えない者は想像力 思考力 幻視力が足りないのだ
神話、詩、宗教、ファンタジーは世界の寓喩であり 現実を映す鏡である
そこに問題と解決を見出すのは、読む者の想像力 思考力 幻視力である

そうではないキルクロクよ
なぜお前はこの世界に生まれてきたか
この世界に完全な幸福 正義 平和は存在しない キルクロクよ
たとえ間違っていようと 無意味と笑われようと 不正と争いにまみれた醜い一生であろうと
お前の力の限り、思いの限り、精神の限り、心と身体と魂と 知恵と勇気と意志でもって 強く生きるために生まれて来たのではなかったか
そうではないかキルクロクよ
あなたもわたしも天と地を往還する煉獄の人 試練の人である

死者のお花畑にびっしりと種をつけて頭を垂れるヒマワリと
かわいらしいオレンジ色の花マリーゴールドが咲いている
花守が天井からロープで吊り下げられた卵型の籐椅子(ナンナ・ディッツェル作スイング・チェア)に座っている
ここから先、ポチョムキンの村ではひとり一脚の椅子が必要になると教えてくれる
老人ハバッチャンドラは折りたたみ椅子(モーエンス・コッホ作MKチェア)
若者キルクロクはパイプ椅子(ジャンカルロ・ピレッティ作プリア)を
椅子屋で買い求める

 ニルブッディ(無知)

トーリッド(牡牛座流星)のプリンス、ポチョムキンは はしご状の背凭れが141センチある椅子(チャールズ・レニー・マッキントッシュ作ヒルハウス・ラダーバックチェア)に座っていた
隣りの肉感的な女シミユラクル(似姿)は 丸型のクッションが背と座に9つずつ、合計18個くっついた椅子(ジョージ・ネルソン作マカロンチェア)に寝そべっている
ポチョムキンは天下のユーロジヴイ(宗教老人)で 座るに邪魔であると、男たちに睾丸、並びに陰茎を取り去るべしと唱えた
パイプカッター十四万四千人に達せば 救世主現れ 弥勒の世出で立つと
人々をスコペツ(去勢人)に誘う
ポチョムキン本人はスコペツではない
人々の前では股ぐらの間に一物を挟み込んで隠していた

ポチョムキン村の入口には アドムス(ここにいます、なにかご用命を)という名のプシコポムパス(死者の国の案内人)が マホガニーを使った肘掛けの造作が美しい椅子(フィン・ユール作イージーチェアNV45)に腰掛けている

椅子は非常に難しいオブジェだ
デザインしようとした者なら誰でもこのことは知っている
そこには無限の可能性と多くの問題があり、よい椅子を作るより高層ビルをデザインする方がやさしい
                    ミース・ファン・デル・ローエ

ひとは対象に対するそれぞれの知識量や能力の範囲でしか見えない
                         ジョージ・ネルソン

アドムスに案内された椅子工場には 
座板を仕上げるボトマー
部材を組み立てるフレーマー
塗装、磨き仕上げをするフィニッシャーが作業している

椅子のデザインに関する五箇条
壱、使用に際しての快適性。人間工学的視点。
弐、量産に適した材料、製法。
参、普遍的な造形。
肆、椅子が使用される空間との関係性。
伍、椅子の脚部のデザイン。
                         エーロ・サーリネン

椅子の周りの空気をデザインしたのだ
                         ハリー・ベルトイア

ポチョムキンとシミユラクルとの間に生まれた娘鞦韆(ぶらここ)は 
その存在をひた隠しにされて、椅子工場で働いている
シェーカーの簡素なストレートチェアに座って、磨き加工を担当している

なにかひとつデザインできるなら、すべてがデザインできる
                         マッシモ・ヴィネリ

工場見学の途中、疲れを感じたハバッチャンドラは 座って休んでいた折りたたみ椅子からくず折れ昏倒した
キルクロクと鞦韆の手で「リラックスできるマシン」と銘打たれた寝椅子
(ル・コルビュジエ、ピエール・ジャンヌレ、シャルロット・ペリアン作シェーズ・ロングLC4)に寝かされる
若いふたりが静かに椅子を揺らして見守る中 ハバッチャンドラはマムの物語を語る

「マムの物語」

 マムは海の奥底深くでうやむやに、モヤモヤッとしている
 ある種の虫だが、とても小さい
 満月で大潮の日に マムは一斉に胞子を飛ばす
 数千兆個という数の胞子が海に拡散して その中の幾つかが亀に食べられ
 る
 亀の中でマムは固い殻を持つ嚢子(シスト)になる
 やがて亀の糞と一緒に外に出る
 岸辺に辿り着いた嚢子は カワニナに食べられる
 カワニナの中で嚢子はスポロシストという袋状のものになる
 ホタルの幼虫がカワニナを食べて スポロシストは幼生(セルカリア)に
 なる
 鳥がホタルの幼虫を食べて 糞と一緒になって出てきたセルカリアは
 鳥の巣の中でゆっくりと被嚢幼虫(メタセルカリア)に成長する
 ここでメタセルカリアは雄のムマーと 雌のママ―に分裂する
 雌のママ―はサナギになり サナギから蝶に変態して鳥の巣から飛び
 立つ
 蝶の鱗粉ひと粒ひと粒がママ―の胞子で 土に落ちた胞子からはビラ
 ビラした真っ赤な花がいくつも咲く
 花はデブリというカビ状の綿をつけ始め 風に運ばれて浮遊子になる
 水たまりに落ちると先端に一毛を生じる
 泳ぎ進むうちに毛が抜けて泳ぐのを止め 這い進むようになる
 そんなものが二つ三つ寄り合い融合して だんだん大きくなり原形体に
 なる
 朽木や枯葉を食べ歩く胞嚢や茎が生じ 体からアメーバー状の偽足が出る
 バイオフィルム(糸状体)を形成し始め ラクリマ(涙壺)という名前の
 キノコに育つ
 雄のムマーは鳥の巣から樹液の中にもぐり込んで 果実に宿る
 ひとが木の実を採って食べ ムマーはひとの体内で先端に一毛を生じる
 するとすぐに血液中のマイクロファージに取り込まれてしまう
 マイクロファージの中で毛が抜けて 一千兆個にも増殖し細胞を破壊して
 周囲に拡散していく
 ムマーは宿主の脳に達し 海馬でミーム(記憶)と出会う
 宿主はダン・ダムド(呪われた者)と呼ばれる
 ヴエルトナハト(世界の夜) 抑止力として働ていたヒロシマナガサキの
 記憶が失われ 核が使用された日
 豚がラクリマを嗅ぎつけて食べ ひとが豚を殺して食べ 
 ママ―とムマーはふたたび融合する
 卵虫(パスティル)になり 大便と一緒に外に出る
 肥溜めから田畑に撒かれ 稲に取りつく
 夏の終わり 稲妻に撃たれて仮死状態の嚢子(シスト)になる
 雨に洗われて 川に流され 海に帰ってくる

 シャルラタン(大道芸人)

老人ハバッチャンドラは「リラックスできるマシン」の上で死んだ
月夜に戯れるすすきの花になった
若者キルクロクはポチョムキンとシミユラクルの隠し子鞦韆をスプートニク
(旅の道連れ)に出発した

 闇夜の中に忽然と明かりの灯った通りが見えてくる。先を歩いていくジルナの赤いサリーが、通りの光を受けて妖しくうねり燃え立つ。右も左も同じ造りの置屋で、女性とレディボーイが入口に立ったりピンクの部屋の明かりの下で座ったりしている。夜になっても30度から気温が下がらない。このじめじめとした熱帯の地で、黒い月(ラーフ)の塊りのような不吉さと侘しさ、やるせなさが、体の奥底から込み上げてくる。そこには後悔しかなく、逃げ出してしまいたいのにジルナがぼくをそうさせない。
ジルナは置屋の案内人の男たちがたむろする部屋に入っていって、ひとりの男と言葉を交わす。タミル語で話すパキスタン人でジルナとの会話のあと、スマホで誰かと話し始めた。部屋の男たちはコタバルビール「SKOL」を飲み、オムレツ(マジックマッシュルーム)でブリブリで目が完全にイッている。
「ジキジキ」「オランジプン」「バクシーシ」「アラホ―・アクバル!」
ぼくとジルナは汗と涙とため息と、精液と、血の匂いが染みつき沈殿した通りに出て待っていた。スマホで話していたパキスタン人が出てきて、ぼくとジルナを置屋のひとつに案内した。
 何もない殺風景な部屋に唯一あるテレビを観ながら座っていたのは女装家(ドラァグクイーン)だった。からし色のボティコン・ワンピース、腰にイミテーションゴールドのチェーンを着けている。だらしなく開いた太ももの間からヒョウ柄のパンツが覗いている。黒に近い褐色の肌に瑠璃色(ラピスラズリ)のアイシャドウがどぎつく光っている。彼≒彼女はぼくの産みの母親のことを知っていた。ふたりは同じインドネシア人で彼≒彼女はスラウェシ島のマカッサル出身、母親はヌサトゥンガラのウォーレシアで生まれたバジャウ人。地理的にフローレス海を挟んだ向かい同士だった。
ある雨の日の夜、アチェの分離独立を求めて闘っていた武装組織「自由アチェ運動」(GAM)の元メンバーが置屋に現れたのだと言う。その男は母親を連れてウォーレシアに去ったそうだ。彼≒彼女はラピスラズリの光る孔雀の目で、またたきもせずぼくを見つめ続けていた。
「まさか本当にいるとは思わなかった。」と彼≒彼女は地声の低い声でつぶやいた。「よく似てるわ。」
母親は日本人と結婚して息子がひとりいることを、彼≒彼女に話していた。
「その子に本当に会えるなんて」世間は狭いわと、彼≒彼女の目から涙がこぼれた。

 クアラルンプール国際空港からバリ島に向かうぼくを、見送りに来てくれたのはジルナひとりだった。ぼくはジルナに「ダンニャバード(ありがとう)」のひと言も言えないまま、チェックイン・カウンターの列に並んだ。
「ジャイ・ビーム!」
出国ゲートを潜ろうとした時、その声がして振り向くとジルナは合掌して頭を下げていた。

 ウォーレシア

 デンパサール空港からバスでパダンバイ港に向かう。そこから国営ペルニ社の大型船「ドボンソロ」に乗る。定員二千名の巨大ドミトリーは、地球脱出を図った人類最後の収容キャンプといった観を呈していた。プライベート、プライバシー、私物という概念はもはやなく、すべてはさらけ出され筒抜けで、好奇心丸出しの人たちと共有される。クバヤ(日常着)にジルバブ(髪を覆う被り物)をつけた女性。コピア(黒いイスラム帽)を被った男性と頭から足の爪先まで全身白ずくめのムクナー(白い布)を着た女性は、敬虔なムスリムの夫婦だ。伝統的なバティック(ろうけつ染めのジャワ更紗)の腰巻(サロン)をしたひともいる。
母親はアジアの花嫁として日本に渡って来た。過疎化が進んで跡取り問題に悩む農家を支援するため、地方自治体が東南アジア諸国の結婚相談所と提携し、日本向け花嫁輸出産業を奨励する、そういう時代だった。地域活性化の起爆剤として大々的にプロモーションを展開する、官民挙げての取り組みがなされた。
 スラウェシ島のウジュンパンダンに着くと、そこから船外エンジン付き小舟(カティンティン)に乗り換えてウォーレシアに向かう。漂海民バジャウの人たちは片側にアウトリガーの突き出た舟「ソぺッ」や「レパレパ船」に乗って、海上を移動しながら生活している。魚介類、ナマコ、エビ、カニ、ニャレ(海辺に住むミミズ)を獲って、村の店で砂糖、タバコ、マッチ、ココナツ油、石鹸、釣り針、コーヒーと交換する。北西の風が吹く雨季は水上に作った家で過ごし、南東の風が吹き始めると海に舟を出す。自由を愛したバジャウの人たちも今ではほとんどの人が陸地に上がり、村で生活している。
何もなかった空に雲が湧き上がる。一気に雨が降り始め、どしゃ降りになった。火照った肌に針のように突き刺さる冷たい雨が心地好い。濡れ鼠になって学校から帰っていたぼくを、母親が傘を持って迎えに来てくれた。17世紀のはじめ、ヨーロッパの船がハルマヘラ島を侵略しはじめた時、これを嫌った南のカルシタ島のひとびとは、魔術で透明人間に変身とたという。「モロ」と呼ばれる人たちだ。人が神隠しに遭ったように突然いなくなると、「モロ」の世界に入ったということになる。母親は「モロ」の世界にいるのだろうか。雲が通り過ぎて雨が止み、翡翠色の海が寒天を敷き詰めたようにぷるぷる震える。島が見えてきた。マングローブの森と椰子の木に守られている。クアラルンプールの置屋にいた女装家(ドラァグクイーン)の彼≒彼女は、
「白オウムと黒オウムが飛び交う美しい島」だと、歌うように話した。かつて王宮のあった場所にはヨーロッパ諸国の城塞が築かれた。巨石信仰の残っていた神殿は阿片配給所(チャンド・ハウス)になった。日本軍に占領されると、島のほとんどの男たちが「兵補」と「労務者」に徴用されていった。一時期、伝説的革命家タン・マラカが匿われていたという。戦後、島には自治独立闘争を続ける反政府組織「自由アチェ運動」(GAM)のメンバー、フレテリン(東ティモール独立革命戦線)メンバー、自由パプア運動(OPM)分離主義者、ジュマー・イスラミア(JI)メンバーなどが次々と集まり棲食うようになった。
 白砂に虹色のビーズをちりばめた浅瀬が続く海岸に、幾つか家が浮かんでいる。杭の上に椰子の木で板敷きと壁を作り、ニッパ椰子の葉で屋根を葺いた水上家屋だった。舟主がエンジンを止めて、ゆっくり家に近づいていく。
杭に舟を繋いで、ぼくは梯子段を上がり家の中を覗く。母親はどこにいるのだろう。

                              おわり
 


 































  





























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