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ヒエロニムス・ボスの「快楽の園」
ふたりの世界
姉弟はアパートでふたりで生活している。両親はいない。
施設で暮らしていた頃、弟がいじめられると姉は輪の中から弟を引っ張り出し、歯を剥き出して周りを威嚇した。弟は笑い転げて白目剥き、国旗掲揚台の上で三点倒立するのがいつもの日課だった。姉は十八歳になると、自立支援法の助成を受けて職業訓練学校に通い、簿記二級の資格を取って町工場の事務職に就職が決まった。姉は弟を連れて施設を出て、アパートでふたり暮らしを始めた。姉の給料と弟がもらう生活補助金で、ふたりは生きていけた。
ふとした出来心で、弟はドアの開いていた車から30円を盗んだ。見つけた車のドライバーは首根っこを引っ掴んで警察に突き出した。弟は警察で笑いながらカツ丼を食べ散らかし、駆けつけた姉はドライバーと警官に泣いて謝って、示談で済んで家に帰してもらった。
ふとした出来心で、弟は向かいの家の半分開いた窓のそばに置いてあったリカちゃん人形を盗んだ。その場でうずくまってリカちゃん人形を撫でていた弟はすぐに捕まった。弟は警官の質問にも答えず、爪を噛んでお漏らしした。駆けつけた姉は取り調べを受ける弟に会わせてもらえなかった。弟はすべての指に朱を塗られて指紋を取られた。調書に拇印を捺すと、弟は勾留された。裁判の結果、保護観察処分の判決が出た。姉は弟から目を離さないように、外に出る時はいつも一緒に出かけた。
ある晴れた日のお花見に出かけた帰りの満員電車の中で、弟は痴漢に間違われた。何かの間違いだと説明する姉の声はまったく無視され、弟は鉄道警察に連れて行かれた。弟は取調室で訳も分からず泣いていた。裁判では目撃したという検察側の証人が何人も呼ばれ、弟の弁護人は情状酌量の余地があると量刑の軽減を求めた。結果は有罪、懲役三ヵ月が確定した。弟か塀の中にいる間、姉は仕事の休みの日には面会に行き、お菓子や果物、日用品を差し入れた。弟と同房になった男は、
「娑婆に出たら仕事を見つけて、姉さんを安心させてやらなくちゃいけないよ」と、やさしい言葉をかけてくれた。
出所の日、姉は仕事でどうしても迎えに行けなかった。
「もうこんな所に戻って来るんじゃないぞ。」と刑務官に言われて、弟が門から出てきた時、黒塗りの外車が塀の側に止まっていて、先に出所した同房だった男が弟を迎えに来ていた。向かった先は場末のスナックの路地裏で、弟は車から降ろされるとそのまま皿洗い、洗濯、掃除を一日中やらされ、一日一食残飯を非常階段の裏側で立ったまま食べ、古ビルの屋上にある貯水槽の下のスペースで眠った。
姉は仕事が終わると、急いで家に帰ってきた。弟が家に帰って来た様子はなかった。どこへ行くあてもなく、刑務所まで行った。刑務官に門を出た弟が黒塗りの外車に乗っていったことを聞かされた。
弟は雑用の他に、町の雑踏に紛れてネオン街、映画館、高架下、ショッピングモールの駐車場、カラオケボックス、カプセルホテルに連れて行かれ、小包を受け取ったり手渡したりした。
姉は仕事が終わると、黒塗りの外車に乗るそれらしい人が出入りしそうな夜の街の店を一軒一軒、弟を捜し歩き見て回った。何十軒目か、店のバーテンに何をしているのか訊かれ、姉は弟のことを詳しく話した。バーテンはある場末のスナックに姉を連れていった。路地裏の非常階段の下で三点倒立していた。頬がこけてガリガリに痩せた弟を見て、姉は泣き、弟は笑った。
店のオーナーに弟を返してくれるように頼んだが、ひとつ条件を出された。姉はオーナーの持つキャバクラで働き始めた。六畳一間のワンルームマンションに国籍も年齢もバラバラの十人の女が詰め込まれ、そこで姉は鼠の小便臭い、ゴキブリが飼われているベッドに交代で眠った。ドアの外には男がひとり、立ったり座ったり雑誌を読んだりゲームしたり携帯でしゃべったり煙草を吸ったり居眠りしたりしていた。姉弟ふたりの戸籍は奪われ、弟の臓器が売られた。オーナーと体型がよく似ていた弟は整形を施され、オーナーの替え玉として社長の椅子にふんぞり返ったり、夜の街に繰り出したりした。
弟は笑いながら飲めない酒を飲み、おネェちゃんの太腿を触りながら演歌を一曲歌い、卑猥な声や下品な音を連発した。弟の周りにいる者たちはやんややんやと弟を囃し立て、拍手喝采し、おだて上げると、弟はますます調子に乗ってやりたい放題にやり散らかし、服を脱いで裸踊りし、お尻の穴に飾ってあった胡蝶蘭の花を挿したり、ミラーボールに抱きついて玉の上からシャンパングラスに向けて小便をなみなみと溢れんばかりに注ぎ込み、ビロードの絨毯に琥珀色の雫をこぼし上げ、ビチャビチャにした。姉は周りにいる者たちの陰から哀しそうに弟を見た。
組同士のいざこざ、縄張り争い、騒動が持ち上がるにつれ、姉弟の周りの者たちは殺気立っていった。弟はあっちへこっちへと連れ回され、会合に出て屁をこいたり、幹部会で得意の三点倒立したりした。パーティーに101匹の犬を連れて出席したり、呼ばれた披露宴で自作自演のストリップショーを興行した。姉はストリップ嬢の一群に混じって弟を見守っていた。弟は上機嫌ではしゃぎ回り、きらびやかなシャンデリアの吊り下がる会場内を猿のように飛び回った。宴も酣、二次会、三次会と場を移していく中、ひとりふたり、三人と人数が欠けていき、最後の店を出た頃には弟と男がひとりと姉だけが残っていた。迎えに来た車に乗ろうとした時、一発の銃弾が弟のこめかみを貫通し、弟は倒れた。姉は弟の体を抱いて離れず、オーナーとその周りの者たちは下っ端の連中に指示を出して、ふたりをドラム缶の中に突っ込みコンクリート詰めにして品川沖の丸井埠頭に沈めた。
愛 あなたとふたり
花 あなたとふたり
恋 あなたとふたり
夢 あなたとふたり
ふたりのため世界はあるの
ふたりのため世界はあるの
空 あなたと仰ぎ
道 あなたと歩き
海 あなたと見つめ
丘 あなたと登る
ふたりのため世界はあるの
ふたりのため世界はあるの
なぜ あなたといるの
いつ あなたと会うの
どこ あなたと行くの
今 あなたとわたし
ふたりのため世界はあるの
ふたりのため世界はあるの
ふたりのため世界はあるの
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