名無シノ国
第一部
手の上の小説
ぽかぽか陽気のある晴れた日、日の当たるブロック塀にふたりの女の子が 水を汲んだバケツと習字筆を持ってきて落書き。
ひとりが筆に水を浸けると、もうひとりもそれに倣う。
描かれたのはへのへのもへじ つるさんまるまるむし すぐに薄くなって消えてしまう。
消える前に上から上から重ねていって、ブロック塀を水で真っ黒にしてしまう。だけど少し時間が経てばすぐに乾いて、またなんでも描ける。何度でもやり直せる。
光の壁は白い玉手箱になって、いつの間にか時間が経ち、ふたりの女の子は落書きに飽きてしまった。
木を植える男
木を植える男がいた。毎日毎日、木を植えて歩いていた。誰もそれを知らなかった。誰にもなにも言われず、男は木を植えて歩いた。彼には娘がひとりいた。ものごころついて、利発な目をした子はある日たずねた。
「お母さんはどこ?」
「土から生まれ、木の枝の先、果実が実って、大地に落ちたのがおまえだ。」
男と娘は一緒に木を植えていった。手を繋いで歩き、娘が疲れると負ぶって歩き、ときには男が手を引かれて歩いた。夜の星空があまねく大地に降り注ぐ世界を、鳥の囀りに娘が飛び跳ねながらついていく小道を。そして男は
「今まで植えてきた木を見に行こう。おまえにもよく見えるように肩車し、頭の上にも乗せてやろう。」
そしてふたりは過去へと戻る旅に出た。
掌の国
王妃 まあ、とってもいやらしい 忌まわしい 穢らわしい 女として情けない事じゃないかい?この国にそのような者ばかり蔓延り、大立ち回り、大活躍、大奮闘してるなんてさ。
侍女 なんでございますねぇ、地獄屋なんてものは地獄にあればそれでたくさん。この煌びやかな、雅な、王様の統治する国にはいかにも相応しからぬ浅ましい、いぎたない所行でございましょうて。
王妃 国王陛下にも申し上げて厳しく取り計らってもらわねばなりますまい。
姫 でも、この職業は女のもっとも古い職業だとか。夫を失い乳呑み児を抱えて、親戚縁者の助けも無く今日一日の食うにも事欠き、どのようにしても生きていかなくちゃいけないとなれば、女はなんでもやりますわ。
王妃 なにを言ってるの?おまえは あなたは卑しくもこの国のたった一人の王女、なにをそんな心配することがありますか。
そのような端たない、下郎女郎の考えることなぞあなたは何も考える必要はないのです。処女性、純潔、清潔、貞操こそ女の価値です。美こそ力です。美こそ男を操る力。美を失えば力を失い、男を失い、秋扇、月夜の提灯、そりゃあもう女は悲しい生き物ですよ。
侍女 まったく、神殿娼婦などは抹殺するべきです。
綺麗のかわいいのとちやほやおだてられ、甘い言葉を掛けられておりますが、そりゃ若い身空、新人のピチピチとした活きのいい天然もの、水も弾く無色透明な肌、引き締まった肉を持ってる間だけ。分厚く化粧を塗りたくった脂身の多い養殖ものなんて、食えればなんだっていい、天然だろうが養殖だろうが大した違いはない、そうした人が買っていくだけ。神殿娼婦なんぞ女の価値を貶める豚、それを買う男はベーコン好きのカリカリハムエッグ野郎です。ぶくぶく太った水ぶくれ土左衛門、バーンと割れても脂身ばかり、火を灯せば地獄(ゲヘナ)の業火が九日九晩燃え続けるでしょうよ。
王妃 よう言うたね。女は慎ましやかにお淑やかに、お上品に甲斐甲斐しく、まめまめしく愛嬌たっぷり、元気一杯、太陽の娘、貞操を守りガード堅く、ガーターベルト・クリノリン・ヴェールと二重三重に打ち固め、この難攻不落の鉄壁の城塞をこそ女の白鷺、牝の鯱、城下町は楽市楽座と申せましょう。この城を攻め落とす真の勇者、黄金の騎士にこそ城を明け渡しましょう。高級フレンチ攻め、ボルドーワイン攻め、海外旅行攻め、ブランドもの攻め、金にものを言わせるもよし。搦手から、親兄弟親戚友人知人会社の同僚、外堀から埋めていくもよし。強引に略奪、内からの裏切りを誘うもよし、男たるもの堅忍不抜、深謀遠慮の智慧ある者であってほしいものです。男は女を篭絡するため手練手管、骨身と労力を惜しまず、金を惜しまず、手間暇まめにこまめにプレゼント、気遣いと気配り、気休めとお世辞、お節介と相槌を忘れずに女を気持ちよくサポート、インサートしてきてほしいもの。一緒にお食事に行くところからもう前戯は始まってるんです。食事の仕方を見ればその人がどのような性質、性格、性癖、性情、性根、品性、根性、性分、人性、男性か分かるんです。
姫 わたしはそのようなこと、まだまだとても。経験がものを言いますのね。わたしには未だもって男は謎だらけ、不可解な生き物です。機嫌がいいかと思うとむっつり押し黙ってお塞ぎになり、やさしく笑いかけて下さるかと思えば冷たい蔑むような目であしらわれる。何が本当で何が嘘か、どこまでが本当でどこからがお戯れなのか、ちっとも分かりません。
侍女 姫さま、男はみんな浅薄で浅はかな、薄っぺらいバカ丸出しのガキんちょですよ。メスとみれば一発お願いしたい、ほんの先っちょだけでもワンチャン、入口だけ、そこをなんとか。なんてことでオムツは一杯、単純で阿呆な性欲の囚人、性夢魔(インクブス)極太フランクそのものの何者でもありませんよ。ただただやりたいばっかり、やれるなら人形でもTENGAでも蒟蒻でも山羊の尻の穴でも、穴っぽこでありさえすればもうなんだっていいんですから。二重丸に縦線一本入ってりゃ、人差し指と中指に親指入れりゃ、無花果で、鮑で、桃で充分なんですから。
姫 それはなにも男だけのことではなくて、女だってそうじゃなくって? 少しはそんなところがあるんじゃなくって?
侍女 いえいえどうして、女はそんなものにいつまでもかかずらってる暇なんかありゃしませんよ。いつだって誰かのため、子供だったり親だったり兄弟姉妹だったり友達だったり、自分のことは放っぽらかしてどうにかしようってのが女の性なんですから。自分勝手で独りよがり、自己満足とプライドの塊の男とは大違いですよ。
王妃 だけどわたしたち、女は権力を手にしたってなると、どうしてこう無法で厄介な生き物、無理無体、無理難題、醜い婆あが用を足すようなことになるんだろう。
侍女 それは奥さま、権力は女を狂わせます。女が男を狂わせるように、権力は女の夢ですからね。男にとって女が永遠の謎、見果てぬ夢、理想郷(シャングリラ)、黄金境(エルドラド)、最初の記憶、憧憬、太陽、月、星、宝箱で、いつまでもその鍵っ子でもって開けては中が空っぽなのにガッカリし、開けては中に箱、開けては中に箱を永遠に繰り返し、開かない箱にも合うかと思ってチャレンジしチャレンジし続けるように、女にとって権力は今まで男の庇護の下でのおこぼれ、酒滓のような、壜の底にちょびっとばかし残っていたのを掬った甘いジャム、あしは指を銜えて見ているしかなかったもの。この世界を恣にし、歴史の表舞台を縦横無尽に立ち回る英雄だけが手にする魔法、それが権力というもの。
それが女の手に入れば奇蹟、僥倖といってもいい幸運ですから、女は狂いますよ。
王妃 そうねえ、あの宮宰夫人を見てごらん。
いつもなにか企んでる顔をして、裸形僧のように陰でブツブツ唱えている。これ以上、なにが欲しいってんでしょう。今の地位に満足できず、さらに上を上をとつけ狙う欲望。煩悩はふつふつと湧き上がり、消えない熾火。男にとって女、女にとって権力、すべての人にとって金が、どうにもこうにもままならず鼻面を引きずり回され世界を引っちゃか滅っちゃかにしてしまう。
姫 わたしは金にも権力にも興味ありません。
侍女(傍白)そりゃそうでしょうよ。あんたにとっちゃ男こそがなによりのご馳走。
姫 愛は不滅です。
侍女 今に分かります。この現世は愛よりも金と権力が表舞台・裏舞台で活躍暗躍する大活劇。ただかわいいだけの女(あま)っちょじゃ何ひとつできず、いいように弄ばれるだけ。がめつく、目敏い、狡猾で、抜け目ない貪欲な鼠が生き残る世界なんです。今に見てらっしゃい、とんでもなく醜悪、醜怪な、なんとも目を覆いたくなるようなお話がここにもあそこにも、至る所、足の踏み場もなく転がる、そんな平土間が待っています。
姫 わたしはそのようなことに関わるのは真っ平御免です。
いやらしいこと、エログロナンセンス、御不浄、お下劣なことは嫌。
侍女(傍白)ダメダメ、逃げられやしないんだから。あんたはアイドルでも妖精でもないんだ。う○こもするし月に一度は血を見る体だ。逃れることなんかできないんだよ。
王妃 わたしは運命から目を反らすことはしない。来るものは来る。来るなら来いと言ってやります。
侍女 さすが奥様、お目が高い。覚悟がすっかりできてらっしゃる。そんじょそこらの女(あま)っちょとは年季が違う。ちょっとやそっとの不幸じゃ屁とも思いますまいよ。それでこそ一国一城の妃でございます。妃たるもの、そうでなくっちゃ。いつ何時、何があってもいいように最悪の事態を想定しておく。命のひとつやふたつ猫にやるエサ、犬の糞だと思ってなくっちゃ。
国とは、一体なんでしょうか? ひとがひとりふたり、三人と寄り集まって家族が村、村が町、街が都市、国が生まれて。国っていうのは、ひとが集まって寄ってたかって付けたただの名前。実体はどこにもない。枠に嵌めてペタっと名札を付けただけ。いるのはひとばかり。ひとが人っ子ひとりいなけりゃ国なんてものはありゃしない。名ばかりの、架空の、絵空事。そんな実体のない形而上的な概念だけのものにひとは命を懸けたり、犠牲にしたり、誓言したり、自由を拘束されたり、ルールを押し付けられたり、制限を受けたり、汗水垂らして働いたものをむざむざ毟り取られたり、老後の保障・保険たって雀の涙で汲々と暮らしていくしかない。そんな訳の分からない、でっかい幽霊みたいなもの。そりゃ人ひとりでどうにかなるもんじゃない。運命というこれまた訳の分からない、ひとの力じゃどうにもならない運というものに身を委ねる。国の妃としてこれ以外なかろうじゃありませんか。座して待て 天命は下り、運命の輪は回り、成り成りに成っていく。それこそひとの一生です。
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note作品集VOL.1
noteに投稿した小説の中から10作品ほどまとめました。 興味を持たれた方は、ぜひ読んでみて下さい。
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