私は怖がりで弱い 感情日記
先に言おう。私は優れていない人だと思う。
けど、もうそれでいいと私は思った。
私が人と比べて優れたいと考えた理由は、
7年まえに遡る。
人を利用して人の心を踏みにじる人に
出会ってからだ。
だが、ここでは
「もう彼らのせいで自分の人生が狂った」
とは、いうことは辞めにする。
全て自己責任だ。
いじめられない方法なんていくらでもあった。
大人しくして誰にも迷惑かけず空気でいれば
いじめられることなんて基本的にはない。
でも私は、正義感が強く、
頭が悪い癖に誰かを守ろうとした。
そのことについて私は後悔していない。
といえば噓になるがそんな自分が私は好だ。
私がまだ、生きたいと思えるのは
未来にある小さな可能性とこの世界で
自分のことを大切な存在であることを信じたいから。
私の人生は、
誰かにとって価値のあるものでありたい。
いいや、誰かというと一人や二人だけじゃない。
「多くの人が未来に期待できるような
夢を見せてあげたい。
なにより、私はそんな世界を見てみたいと
誰よりも願っている。」
それが私の根本的な考えだ。そこに自信を持たない、
批判的な態度に耐えられない、
そんな弱さを私は持っている。
でも、もう一度信じてみたくなった。
無理していたら本当に欲しいもの なんて手にはいらない
だから、もう無理に頑張って繕う必要なんてないよ。
時には嫌われることもある。
人の感情が分からなくて、周りの空気も読めない
普通の人ができることもできないことも多い。
その中で私だからこそできることを
生きている中で見つけていけたらいいんだよ。
何か一つ人生で達成できたらいい。
それでいい。
「ありがとう」「ごめんなさい」
私は今両方の感情を持っているよ。
ありがとうは、私のことを好きでいてくれて
という意味のありがとう。
ごめんなさいは、もう私はこれをみている人が知っている
私ではいなくなる
期待や今まで騙していたことのごめんなさい。
何もない虚無な感情はね、
私が私のことを誰よりも信じてあげられなかったから、
本当の自分を大切にできなかったから。
不安の雲が青い空をすべて負いかぶさっていただけ。
私は、誰かを笑顔にすることができる。
それだけは、今まで生きてきた中で沢山。
証明する出来事なんて山ほどあったじゃないか。
自分の人生で大切にすることは、
きっと、埋もれてしまった優しさの溢れた勇気だ。
人は損得勘定で動く生き物だ。
それは私も変わらない。
私の本当の優しさは消さないで、
自分なりの愛し方で
この世界を愛したいと思う。
悪口も見下されたこともたくさんある。
私だってたくさん見下してきた。
理解できなかったから、住む世界が違うんだと
色んな人に隔たりを作ってきた。
けど、それだけじゃ、
私が見たい世界は見ることなんてできない。
生きている中でできたら奇跡レベルのことを
祈っている子供のような大人みたいと
これを書きながら思った。
人を理解できない私がそんなことを望んでる。
これから、どんなことが起きるかわからない世の中。
何が起こるかわからない世の中だからこそ。
私みたいな変人が、この世界を面白くできるんじゃないって
心のどこかで信じているんだ。
だから、未来に希望を消すことはしない、
就職できてもできなくても、
私の人生における問題点はそこじゃない。
就職は通過点。お金を得るための手段。
人生の目的と就職は関係ない。
私の人生の成功の定義は、
死ぬまでにどれだけ自分の見たい世界を
見ることができたか、
知ることができたか、
それにかかっているそう思えた。
私がなにより一番怖いことは、
自分の考えたことが不正解であることだ。
自分の理想に関しては完璧主義で、
勉強も人生もすべてに正しさを求める。
不正解を見たくないあまりに、逃げてきた結果。
私はあまりにも能力を磨いてこなかった。
磨いてきたつもりになっていただけ。
これから、どれくらいその恐怖心をなくせるかわからない。
でも、なくしていきたい。
だから、できなくて泣いていても気にしないで。
目の前にあるものを、前へ一歩ずつ進んでいこう。
私の人生はそんなもんだ。
そこから、きっと何かが変わっていく。
今はそういう小さな可能性を一つひとつ信じて
実現していく。
それが私の足で人生を歩くということなのだ。