過去の話をしようか...②
続きから書いてるため、最初を読んでない人は最初を読むことを勧めます。
〔▼過去の話をしようか... 最初はこちら▼〕
中学生時代
中学3年生になった。
中学3年生に生徒会長選挙に立候補した。
全校生徒の前で、学校をどうしたいのか。
どうしてなりたいのか。
それを宣言した。
だが、結局、学校の選挙は人気投票。
自分は、色んな活動をしていたが、変な人扱いだった。
だから、自分に票は集まらず、生徒会長にはなれなかった。
そして、新しい生徒会役員が集まった。
このメンバーを自分は、一生忘れないだろう。
あんなにも、面白いことに積極的で、
みんな個性的。
誰1人として、人前に立つことをいとわない。
そこで、自分は2年生の頃のお笑いライブのリベンジのため、
メンバーを集めた。
2人集まり、トリオが結成された。
ネタを考え、練習する。
コントをすることになった為、衣装や小道具も必要。
だが、これは全部、生徒会だった為、そういった小道具は、学校のものを使い放題だった。
本番当日。
また、ダンス部門、歌部門、お笑い部門の募集があり、会場に行ってみたら、
歌部門の会場。嫌な思い出が脳裏に浮かんだ。
お笑い部門は、申込者は自分たちだけだった。
コントをやって見て、観客は大爆笑。
めちゃくちゃ嬉しかった。
これは本戦に出場できる!!
こんなに笑ってて、出場させない運営は居ないでしょ!!
結果は、「発音の練習をしましょう。今回は不合格です。」
ふざけるな!
あいつらを、嫌いになりました。
数日後
生徒会の先生から「去年のリベンジだ!演劇をやろう!」
もちろん「やります!」
去年とはメンバーも変わり、継続で参加したのは自分を合わせ、3人。
それ以外は、全員演劇は、初めて。
また、1からのスタートだった。
脚本は先生が作ってくれていた。
「うむい」
これが、題材で、沖縄戦をテーマにした話だ。
セリフも先生が作っているが、
自分たちがこうしたい!!と言えば、すぐ台本は書き換えられた。
みんな積極的にこうした方がいい。
ここの立ち位置は、ここよりもそっちがいいと思います!
みんな自分の考えを言う。
そして、それがいいね!となれば即変更。
最初に渡された台本の内容の4割は、自分たちで書き換えただろう。
毎日練習した。
本番当日。
楽屋に、審査員長が来て、
「この台本いいね。軽くでいいから目の前で見せてよ。」
本番前に楽屋で軽く通した。
めちゃくちゃ緊張したが、台本が褒められるのは嬉しかった。
そして、演技をして、
結果発表。
結果は、金賞
他の学校は部活動で、自分たちは数ヶ月練習しただけの有志の集まり。
信じられなかった。沖縄県代表になった。
富山大会への3泊4日の派遣が決定した。
県代表なってからは凄かった。
県内の小学校から、沖縄戦の授業として呼ばれ、公演をしたり、
沖縄県の800人キャパの会場で、公演したり。
宝塚の記念パーティーに招待されたり。
800人キャパの時に、自分は先生にお願いして、演劇の中に漫才を入れてもらった。
正直、沖縄戦と、漫才に繋がりはなかったが、無理やり入れてもらった。
沖縄戦で、やりたいことが出来ない少年が、夢の中で、本当にやりたかった漫才をする。
みたいな設定で、無理やり入れてもらった。
緊張しすぎて、笑って貰えたかはあまり覚えてないが、あの時の高揚感は忘れられない、
そして、時が過ぎ、普通に生徒会としての活動に戻る。
生徒会役員は全員面白い。
やりたいことはやりたい!という。
現実的に無理そうでも、まずやってみた、
すると結果
こうなった。
他にも
とある有名なキャラクターにもなっていた。
ちゃんとした活動ももちろんしていた。
こども議員として、沖縄市の政治にも関わったりしていた。
中学3年生は、色々やった。やりすぎなぐらい。
通知表の先生のコメントには、
「24時間では足りないヒロトくん」
と書かれていた。
こんなに活動したから、高校受験で推薦貰えると思ったが、
自分は、中学生でイキって、髪を染めたのがバレて、推薦が取り消しになった。
だが、その裏では、こんなに学校に貢献した大平啓人を推薦できないのはダメなんじゃないかと。
論争になったらしい。
学校のルールを変えるかどうかまで、自分の影響力が凄かったのは自分でも驚いた。
中学生時代は、楽しかった。
高校時代は、次回へ続く。