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親友Kのこと
先日、一緒に旅行した 親友Kについて語ろう。
彼は同い年で、今から約45年前に出会い、ともに学生生活を過ごした友人である。
私たちは、東京のC大学の法学部で学んだ。
出会い
彼との出会いは、入学直後のオリエンテーション会場であった。
単位のことや、授業を受けるための履修届の書き方、名簿の作成に必要な書類の提出などについての説明会で、このとき、たまたま隣に座ったのがKだった。
もう、45年も前のことになるので、どのような書類を書いていたのかは、よく覚えていないが、住所やら名前やらを書き込む書類が配られ、いろいろ面倒くさいとは思いつつ、まあ仕方がないと観念し、係員の支持に従って言われたことを記入していたところ、なんとなく、隣からの視線を感じたのを覚えている。
隣に座った男は、私が書類を書いている間、手を動かす様子もなく、じっと座ったまま私の手元を見ているような感じがした。
私は、
なんだあ?こいつ。
変な奴だなぁ。
と少し気にはなったが、正直なところ、隣の奴を気にしているほど余裕があったわけでもないので、必要な書類の作成に取り組んでいたわけである。
一通り書き終わって周りの様子を見ると、もう書き終わったと思われる者や、まだ一心不乱に書いている者がいたが、このとき、隣の奴が息を吸い込むのを感じると同時に奴が発した言葉は、
「すいません。ボールペン貸してもらえますか?」
なんだ。ペンがなくて、俺が書くのを見ていたのか。
オリエンテーションに筆記具を持って来ないとは、
間抜けな奴。
私は、心でつぶやきながら、持っていたボールペンを貸してやった。
今度は私が、奴の手元を眺める番だ。
彼は、住所や名前を記入し、生年月日欄には
昭和○○年4月1日
と書き込んでいた。
へぇ、4月1日生まれの奴って、やっぱりいるんだ。
年度初めが「4月1日」なのは今も変わらない。
しかし、いわゆる「学年」の括りは、4月2日から翌年の4月1日となっていて、4月1日生まれは、「早生まれ」として一年早く学校へ行くことになるのだが、私の中では、昔から(今でも)なんとなくしっくりきていない。
そんな個人的な感想と相まって、私は、この時まで4月1日生まれの同級生には会ったことがなかったこともあってか、彼の生年月日を
珍しい
と感じたのだった。
(実際に珍しいのかどうか、リサーチしていないので、あくまで、個人的な感想であることを申し添える。)
もうひとつ。
彼の所属することになるクラスが、私と同じクラスであることも、記入項目でわかった。
まだ、クラスでの最初の講義が行われる前のことである。
その後、初めての講義で改めて互いに自己紹介し合い、ひょんなきっかけから、何かにつけては相談しあう同級生になった。
その日から今日までの約45年間。
彼はいつも私の心のそばにいてくれた。
卒業・再会
卒業後、私は故郷に帰って公務員となり、5年前に定年退職するまで、無事に勤め上げた。
彼はしばらく東京でサラリーマン生活を送り、15年ほどで故郷に戻り、家業を継ぎ、現在も家業に忙しい日々を送っている。
彼が東京にいるうちは、彼が私の赴任先に遊びに来たり、私が東京へ出張した際に会って酒を酌み交わすこともあったが、彼が故郷に帰って家業を継いでからは、めっきり会う機会は少なくなった。
5年前に私が彼の故郷を訪れたときは、実に20年ぶりの再会となった。
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それから5年の月日を経て、今回の旅行が実現したわけであるが、その間、互いの生活環境にも様々な変化があった。
今さらだが・・悔いのない日々を送りたい
昨年末には、徳島県に住んで夢を追っていたもう一人の親友Nの訃報が届き、今さらながら、一日一日を悔いのないように生きることの大切さを痛切に感じる今日この頃である。