母の生きた証がわたし
先日誕生日を迎え、27歳になりました🎂
誕生日とはなにかふと考えることがあり、
それを文章にしてみようと思います。
わたしが生まれたのは1997年。
それから27年の時を経て2024年になりました。
27年間の人生を振り返ると山あり谷あり、
色んなことがあった人生でした。
一番のターニングポイントは2009年。
12歳のとき。
突然、母がこの世からいなくなりました。
目の前で尽きた母の命はあっけなかったです。
原因不明の突然死。
あの日の後悔はこの先もずっとあると思います。
母との別れを経験したからこそ、
自立心が芽生えた今の自分があるように思います。
母が今いたらどんな人生だったのか
考えることはありますが、いまは見えないだけで
傍にいてくれるのを感じるので心強いです。
ある方が言いました。
「人間は二度死にます。まず死んだ時。
それから忘れられた時。」
一度目の死は、医学的に死亡が確認されたとき。
しかし記憶にとどめてくれる人がいる限り、
たとえ死んでも
その人の心の中で生き続けることになります。
従って、二度目の死は全ての人の記憶から
忘れ去られたとき、だそうです。
この言葉を聞いて、母のことを思い続ければ
母は生き続けてくれると思うようになりました。
だからこそ、わたしは母が生きていたことを
伝えていきたい。言葉にしたいのです。
27歳の誕生日を迎えた今、思ったことがあります。
母が生きた証は、わたしなのではと。
私が存在してるのは母と父がいたから。
だから私が存在してることが母の生きた証なんですよね
誕生日は母が生きた証を証明する日でもあるのかなと
想います🎂
母と過ごした12年を振り返るとともに
母の生きた証をここに残していきます。
母は29歳の春に私を出産しました。
母にとっては2人目の子。
父違いの娘がもう1人います。
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